moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

Think different.

2004-08-31 23:43:27 | コラム、というか
ま手もとにあるのは、『アップル宣言(マニフェスト)~クレイジーな人たちへ』と題された一冊のちいさな本。かつてアメリカで「エミー賞」を受賞したCF"Think different"をまとめたものだ。

この本では、アップルコンピュータの〈企業理念〉ともいえる散文が、さまざまな分野で〈偉業〉をなしとげた唯一無二の〈天才〉たち-アインシュタイン、ボブ・ディラン、キング牧師、、ガンジー、ジム・ヘンソン(「セサミ・ストリート」の人形作家)、ピカソなどなど-のポートレイトとともにレイアウトされている。

「クレイジーな人たちを称えよう」という一文ではじまるその「散文」で、「クレイジー」とよばれるのは「自分は世界を変えることができる」と考えるような人たちのことであるが、しかし「ほんとうに世界を変える」のは実はそういう人たちなのである、と語られる。そしてアップルコンピュータは「そんな種類の人々のために道具を作っている」のであって、「クレイジーとしか見られない人々だが、私たちには天才が見える」、そう「宣言」するのである。

なにか「壁」のようなものにぶちあたったとき、ぼくはいつもこの短い文章を思い出す。そしてほんのすこしだけ、救われたような気分になるのだ。

モノをつくる人は、たんにモノをつくるのみならず、どんな人にどう使ってほしいのか、深く見据えたうえでモノをつくってほしいと思う。なぜといえば、明確な理念に裏うちされたプロダクトはうつくしいからだ。

STYLE'S GOOD FOOD SERVICE

2004-08-30 22:48:57 | コラム、というか
本のまちにふさわしいカフェと出会った。神保町のSTYLE'S GOOD FOOD SERVICEである。

神保町はぼくにとってけっして馴染みぶかい街とはいえない。それでも、この街がここ数年でずいぶんと様変わりしたことくらいはぐるっと見まわせばすぐわかる。残念なことに、昭和初期のモダンな建造物が立ち並ぶ趣のある町並みはずいぶんと姿を消してしまった。でも、人間と同じように、街にもまた新陳代謝が必要なのかもしれない。

内装デザインをSTANDARD TRADE.が担当したSTYLE'S GOOD FOOD SERVICEは、まさに変わりつつあるこの街にふさわしいスタイリッシュなカフェである(ちなみにSTANDARD TRADE.は、イラストレーターみやまつともみさんおすすめのカフェ&ギャラリーtrayも手がけたオリジナル家具製作などで人気のショップ。"東のgraf"って感じ?!)。じつはこのカフェ、オーナーの岩崎さんのお話によるとここで18年間(!)も営業されているとのこと。どうやら家業の喫茶店を、昨年になって岩崎さんがこのようなスタイルにリニューアルしたということらしい。いわれてみれば、ほぼ手つかずのまま残された天井や壁からはかつて喫茶店であった当時の面影が偲ばれる。本来ならこんなスタイリッシュなお店には不似合いな大きな「水だしコーヒー」の器具や年季の入ったコーヒーポットさえも、このカフェの出自を物語る、いい意味でのアクセントになっている。時間は店にとって最高の〈養分〉にほかならない。温故知新、そんなことばがこの店にはよく似合う。そして、ぼくはこういう店がすきだ。

しっかりコシのきいたパスタ、豆から挽いて淹れてくれるコーヒー、すべてがちゃんとした店という印象。過去を味わいつつ現在を生きるそのスタンスは、やや強引だけれども、古本を愛する精神にもにている。古い喫茶店も悪くないが、ずっと欲しかった古本を手に入れたそんなときは、ぼくならあえてこんな店でこそページを繰りたい、とおもう。

情報を提供していただいたIさん、いつもながらありがとうございます!

10年間

2004-08-29 23:44:53 | コラム、というか
10年間ひとつのことをつづけたひとは、それが仕事であろうと趣味であろうと尊敬に値する人物である。だいたいじぶんの人生をふりかえったところで、10年間つづけてきたことなんてほとんど思いあたらないくらいなのだから。

と、そんなことを思ったのは、鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュから「10周年記念パーティー」のお知らせが届いたからだ。カフェを10年間つづけるのが並大抵のことじゃないということは、同業者ならばだれでも知っている。順風満帆にみえるいまでも、けっして楽なことばかりではないはずだ。それだけにいっそうこの「10年」は賞賛に値する。

これは、以前ある雑誌でディモンシュのオーナー堀内サンと対談させていただいたときのエピソード。「仕事は楽しいですか?」と同席した編集者がぼくに尋ねたのに対し、すかさず堀内サンがこう返答したのだった。「そりゃあ楽しいですよ!ねぇ?」。その通り。それがすべて、といっても言い過ぎじゃあない。堀内さんにとってこの「10年間」は「好きなこと」や「たのしいこと」をめいっぱい追いかけるうちにいつしかたどりついた、そんな「10年」なのだろうなぁと、そのやりとりをききながら強く感じた。

先だって数年ぶりにディモンシュをたずねた。平日の午後という時間のせいもあったろうけれど、はじめて訪れた8年前と変わらないおだやかな「空気」がそこに、あった。そして、好きなCDや楽しい仕事について熱心に語る堀内さんをみながら、この店が重ねてきた、そしてこれからも重ねてゆくであろう年輪について思いをはせていた。

堀内さん、そしてcafe vivement dimancheのスタッフのみなさん、10周年おめでとうございます!

ハシモトくん

2004-08-28 23:38:17 | コラム、というか
シモトくんとぼくとは、小学校のクラスメートだった。その時分の「男子」らしく、ハシモトくんとぼくとはクルマ好き同士すぐ仲良くなった。ぼくらのすまいはマンモス団地だったので、都合のいいことに通学路には巨大な駐車場がいくつもあり、こうした駐車場をまわってはクルマ一台一台を丹念にみるのがぼくらの「日課」だった。とりわけ、ぼくは「いすゞ 117クーペ」、ハシモトくんは「スバル360」がお気に入りで、「おとなになったらぜったいに乗ろう」とよくふたりで話し合った。

数年後、ぼくらはそれぞれ転校することになり、いつしか自然と手紙のやりとりも途絶えた。ハシモトくんから唐突に連絡があったのは、ぼくらがともに大学生になったある日のことだ。電話口でハシモトくんは「これから遊びにいきたいのだけど」といった。数時間後、玄関の外にやってきたのはピカピカに磨かれたワインレッドのスバル360、もちろん運転席にはハシモトくんの姿があった。あいさつもそこそこに助手席にのせてもらい、ぼくらは1時間ほどのドライブをたのしんだ。入念にメンテナンスをほどこされたスバル360の乗り心地は、予想外の快適さといえた。ハシモトくんは運転中、このクルマを入手するまでの一部始終や上手に走らせるコツについて熱心に話した。でも、すっかりクルマに対する関心がうすれ、いまだに免許すらとっていなかったぼくはあいまいにあいづちを打つのがやっとで、ハシモトくんが失望したのはまちがいなかった。ふたたび音信は途絶え、いまに至っている。

時は過ぎて、ぼくとおなじように、ハシモトくんもきっと忙しい日々をおくっていることだろう。家族や仕事仲間にも恵まれ、充実した毎日をすごしているにちがいない。そして願わくば、彼が以前と変わらぬ情熱をもって「スバル360」を愛していてくれればよいとおもう。


携帯電話

2004-08-27 22:03:35 | コラム、というか
白すれば、ぼくは携帯電話にかんしてはひどく「封建的」な考え方の持ち主である。とかく、昨今の携帯電話の傍若無人ぶりは目にあまるものがある。だいたい、いったいだれに断って勝手に便利になろうとしているというのだ。

携帯電話は、いまや「じぶんのモノであって、じぶんのモノじゃない」、そういうものになってしまった。スパムメールや架空請求、挙げ句の果てには「じぶんのアドレス」から送られてくる迷惑メールまで、ちかごろ携帯電話のおかげで不愉快な気分にさせられることが多い。じぶんの持ち物に不愉快な思いをさせられるなんて、まったくもって耐え難い話ではないか。ひとことでいえば、「飼い犬に手をかまれる」あるいは「腹心に裏切られた主君の無念」、そんな感じである。

携帯電話は便利だ。えらいよ、まったく。でも、べつに「お財布」や「チケット」になってほしいとは全然おもわない。ぼくが携帯電話に言いたいのはこういうことだ。

いいから黙って「電話」だけしとけ!

どうしても「便利」になりたいというのなら、それもいいだろう。では、

肩でも揉んどけ!

くりかえすが、こと携帯電話にかんするかぎり、ぼくはひどく「封建的」な考え方の持ち主なのである。

守護神

2004-08-26 23:12:25 | コラム、というか
つかってしまったのでこうして書いているのですが、moiの店内にはかれこれ一年くらいムーミンが棲みついています。お客さんやそこで起こる出来事をじっと静かに見守ってきた、それはいわばmoiの守護神

どこにいるのかはないしょ。お茶を飲んでいてふとだれかの視線に気づいたら、それはきっとムーミンのものにちがいありません。

bon bon

2004-08-25 23:23:03 | コラム、というか
泉がまたそうであるように、世間に「ボサノヴァ」とよばれる音楽は数あれど、ほんとうの意味で「ボサノヴァ」とよべるものはそう多くない。たいていはボーカルがこれみよがしに歌いすぎていたり、たんにボサノヴァ風のリズムをなぞっているだけだったり・・・白く濁ってはいるけど「効能」はなし、そんな感じだろうか。「ボサノヴァをやろう」とするからそうなってしまうのだ。

それにひきかえ、naomi&goroのボサノヴァはさらりとして無色透明だがその「効能」はもりだくさん。2枚目となるCD「bon bon」も、その〈スタイル〉はいわゆる「ボサ・マナー」に忠実にのっとった「折り紙つき」のボサノヴァ・アルバムである。けれども、また一方でこうもいえる。naomi&goroは「ボサノヴァ」だが、「ボサノヴァをやろう」としているわけではない。ホベルト・メネスカルやカルロス・リラ、ホナルド・ボスコリといった、「ボサノヴァ・ムーブメント」をつくった若者たちがまたそうであったように。かれらは、自分たちの感覚にフィットする音楽がつくりたかった。そうして「ボサノヴァ」をえらんだ。たんなる「順序」の問題とおもわれるかもしれない。けれども、それはなかなか肝心なことだ。

naomi&goroの音楽はとても良質なポップミュージックであり、そしてそれは「ボサノヴァ」という〈スタイル〉によっている。かれらの音楽はまさに〈現在進行形〉のポップミュージックとしてぼくらの耳に、とどく。ポルトガル語や英語はもちろん、日本語が、これほどまでに「フツー」にボサノヴァのリズムにのってうたわれていることがその確たる証拠である。そしてたぶん、じぶんたちにとって等身大の音楽をつくろうという〈意志〉がはたらいているかぎりにおいて、その音楽は時空を超えて「ボサノヴァ(=ニューウェーブ)」であり続ける。形式(スタイル)と内容(意志)の合致、そこにこそnaomi&goroの音楽の心地よさのヒミツがある。

それにしても、ここのところずっとこのCDばかり聴いている。切実に、「湯あたり」ならぬ「音あたり」が心配な今日このごろである。

追記:前作同様、石坂しづかさんのイラストもいい感じです。

Marjakerho

2004-08-24 22:43:59 | コラム、というか
ィンランドとベリーが大好きな六人組によるにぎやかな展示、「Marjakerho[ベリー展]」の開幕です。

ブルーベリー、ラズベリー、ワイルドストロベリー、リンゴベリー、クラウドベリーなどなど色とりどりのベリーを、イラストや写真、キャンドル、モビールといった思い思いの「かたち」で表現するほか、北欧織りによるハンドクラフトのバッグ、そしてテキスタイルアーティスト、福田パイビさんによる手織りのティーマットなどを展示(一部販売もあり)しています。

ベリーでいっぱいの2週間、いつもとはまたちがった表情のmoiをおたのしみください。

「MarjaKerho[ベリー展]」 8/24(火)~9/5(日) ※月曜定休
なお、週末は混雑が予想されるため平日のご来店をおすすめします。また週末にご来店の場合は、混雑状況を確認の上お越しになられることをおすすめします(小さなお店のため、人数、時間帯等によってはお入りいただけない場合があります)。

再会

2004-08-23 22:48:04 | コラム、というか
本の雑誌「moe」(白泉社)11月号の巻頭特集「絵本のある小さな旅100」の取材がありました。moiで原画の扱いもあるタルリーサ・ヴァルスタ『子うさぎヌップのふわふわふとん』(あかね書房・稲垣美晴訳)をはじめ、フィンランドやエストニアの絵本を数冊ご紹介しています。かわいさばかりでなく、ちょっと「哲学的」なところもあるフィンランドの絵本には大人も読めるクオリティーの高い作品が多くありますね。ぜひ機会があったら手にとってみてください。

ところできょう取材に訪れたふたり、ライターの前田さんとフォトグラファーの高村さんは、なにをかくそうかつてぼくがプライベートでいろいろなイベントをやっていた頃いっしょに動いてくれた「仲間たち」でもあります。こんなカタチでともに仕事できる日がやって来るなんてぜんぜん考えていなかっただけに、ひさしぶりの「再会」はまさにうれしさ100倍といった感じでした。粋なお膳立てをしてくれた白泉社のMさんに感謝!

いつも通り

2004-08-22 23:47:52 | コラム、というか
つも通りというシュガーベイブの名曲がある。

この曲(作詞作曲/大貫妙子)は字面どおり「いつもとおなじ」という内容なのだけれど、なぜか山下達郎をはじめとするその他のメンバーはみな、「いつも・ストリート」という響きをかけあわせたダブルミーニングだと思っていた、というエピソードがある。なにをかくそうこのぼくも、なぜかずっと「ストリート」の方だと信じていたので、この話を知って「へぇ~」と感心する反面、なんだかちょっと残念な気分でもあった。いつも通りという語感がやけに気に入っていたのだ。だからいまでも、ぼくの中ではいちおう、このうたは「いつも通り」という「通り」を舞台にしているということになっている。聴いていて、そのほうがずっとイメージが拡がる気がするから。

それはそれとして、「いつも通り」「出会い通り」がある「まち」はきっと、「なんとか銀座」や「純情商店街」がある「まち」よりもずっとすてきな「まち」であるにちがいない。

「いつも通り」はシュガーベイブが発表したたった一枚のアルバム「SONGS」におさめられています。余談ですが、シュガーベイブは1976年、荻窪ロフトで「解散コンサート」をおこないその活動にピリオドを打ちました。