moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

bon bon

2004-08-25 23:23:03 | コラム、というか
泉がまたそうであるように、世間に「ボサノヴァ」とよばれる音楽は数あれど、ほんとうの意味で「ボサノヴァ」とよべるものはそう多くない。たいていはボーカルがこれみよがしに歌いすぎていたり、たんにボサノヴァ風のリズムをなぞっているだけだったり・・・白く濁ってはいるけど「効能」はなし、そんな感じだろうか。「ボサノヴァをやろう」とするからそうなってしまうのだ。

それにひきかえ、naomi&goroのボサノヴァはさらりとして無色透明だがその「効能」はもりだくさん。2枚目となるCD「bon bon」も、その〈スタイル〉はいわゆる「ボサ・マナー」に忠実にのっとった「折り紙つき」のボサノヴァ・アルバムである。けれども、また一方でこうもいえる。naomi&goroは「ボサノヴァ」だが、「ボサノヴァをやろう」としているわけではない。ホベルト・メネスカルやカルロス・リラ、ホナルド・ボスコリといった、「ボサノヴァ・ムーブメント」をつくった若者たちがまたそうであったように。かれらは、自分たちの感覚にフィットする音楽がつくりたかった。そうして「ボサノヴァ」をえらんだ。たんなる「順序」の問題とおもわれるかもしれない。けれども、それはなかなか肝心なことだ。

naomi&goroの音楽はとても良質なポップミュージックであり、そしてそれは「ボサノヴァ」という〈スタイル〉によっている。かれらの音楽はまさに〈現在進行形〉のポップミュージックとしてぼくらの耳に、とどく。ポルトガル語や英語はもちろん、日本語が、これほどまでに「フツー」にボサノヴァのリズムにのってうたわれていることがその確たる証拠である。そしてたぶん、じぶんたちにとって等身大の音楽をつくろうという〈意志〉がはたらいているかぎりにおいて、その音楽は時空を超えて「ボサノヴァ(=ニューウェーブ)」であり続ける。形式(スタイル)と内容(意志)の合致、そこにこそnaomi&goroの音楽の心地よさのヒミツがある。

それにしても、ここのところずっとこのCDばかり聴いている。切実に、「湯あたり」ならぬ「音あたり」が心配な今日このごろである。

追記:前作同様、石坂しづかさんのイラストもいい感じです。