曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・死者ノ遺産ヲノムナ (1)

2012年09月30日 | 連載ミステリー&ショートショート
《2012年秋のGⅠの日に更新していく競馬小説》
 
 
(1)
 
 
暮れも押し迫っているというのに、札入れの中には万札が一枚、たったそれっきりだった。来月の給料日まで収入の当てはないのだから、この一枚だけで年を越さなければならない。
だからできるだけ節約し、少しでも減らさないよう心掛けなくてはいけない。それは分かっているのだが、競馬好きが有馬記念を見送るなんてできやしない。土日、土日と開催される中央競馬の、一年を締め括るビッグレースなのだから。
 
午後の風は冷気を強め、彼の肩を後押しする。駅から場外馬券売場までの道はくすんだジャンパーが列をなしている。そして彼のくすみ加減も、その列に入ってもなんら遜色がなかった。寒いなぁ、早く着かないかなぁ……、そればかり考えながら、彼は首をすくめてとぼとぼと、場外へと向かった。
 
入り口で赤ペンを忘れたことに気付き、少し迷って一本買った。少しでも出費を抑えたいというのに、ばかばかしいことこのうえない。アパートの部屋にはそこら中に赤ペンがころがっているというのに。
 
なんとなくゲンの悪さを感じながら、エスカレーターを上がって行く。
混雑する人の間を進み、ずらっと並ぶ馬券の発売機にできている列の、一番短い所に並ぶ。彼の前が手際の悪い老人だったのでイライラさせられたが、あらかじめ家で塗っておいたマークカードを差し入れ、出てきた馬券を財布に入れたところで締め切りのベルが鳴った。
よかった、間に合った、と思ったのも束の間のことで、彼の買った数頭の馬はどれも走らず、逆に間に合ったことを悔やむ破目になってしまった。
 
通常はメインレースと、その前二つの3レースが特別レースとなっているのだが、有馬記念当日は一年の締めでお祭りのような日なので、午後一番から特別レースとなる。もっとも特別レースだからといって配当がよくなるわけでもなく、当たりやすくなるわけでもない。単に○○特別、○○賞などレースに名前が付くだけだ。しかしそれだけでなんとなく購買欲が上がってしまう。
次は特別レースで、それに今しがたのレースでかすりもしなかったことでアツくなっていて、そのうえ泣く泣く買った赤ペンのインクの出がよくなく、そんな一連の諸々で次のレースはヤケ気味に買い目と金額を増やしてしまった。しかし結果は前のレースと全く同じで、直線半ばで観る気が失せてしまった。
財布の中身は早々と半分になり、仕方なくエスカレーターを降りて場外を出て、手近のキャッシングディスペンサーに向った。そしてカードを差し入れて万札を一枚借り入れると、再び場外へと向った。
 
「よお」
 場外の入り口で彼は声を掛けられた。
「あ、クーさん」
「亮さん、今来たのかい」
「え、あ、うん」
金を借り入れたばかりの、なんとなくの後ろめたさから、彼はしどろもどろに返事をした。それをごまかすために、クーさんも今来たのかと逆に尋ねてみた。
「おれは朝イチさ」
にやけながら答えたその老人はジャンパーを脇に抱え、うっすらと汗を浮かべている。真冬ではあるが、中に入ってしまえば効きすぎている暖房と人々の熱気で、場外はことの外暑い。しかし外に出ればビル風が吹き荒れすぐに体が冷やされる。老人はジャンパーを羽織った。
「いやぁ、寒いね」
老人の仕草を見て、この季節の決まり文句をぶつけると、
「いや、アツいぜ」
と、クーさんはしかめっ面で並んでいるモニターテレビの一つを指差した。そこには今日のこれまでのレース結果が一覧されていて、高配当が続出していた。
「1レースなんか単勝まで万馬券だもんなぁ。しょっぱなからこれじゃあよぉ」
小柄な老人が身振りも大きく憤慨している様は、本人には悪いがなんとも滑稽に映る。亮一は寒さでこわばった表情がくずれ、まぁまぁとなだめながら場外の中へ促した。
「アッツいからさァ、頭冷やそうと思って降りてきたんだよ。で、ついでに飲みもんでもと思ってさ。亮さんもなにか飲みなよ。あったまるぜ」
午前中から外れっぱなしにもかかわらず、知った顔を見つけた老人は上機嫌だった。
老人の奢りで、自動販売機で紙コップのジュースを、老人は冷たいものを、亮一は暖かいものをそれぞれ買い、エスカレーターを上がって行った。
 
上のフロアに上がってからも老人は饒舌だった。なにしろ朝からこちら、無言でここに居続けたのだから無理もないことだった。
場外馬券場はビルの各階、大きなフロアに券売機や支払い機が並び、その上にオッズやパドック、レースを中継するモニターが付いている。椅子も、休憩する広いスペースもなく、極端に言えば馬券を買うだけの、機能一辺倒の場所となる。だから競馬場と違って、誰か連れと来る者よりも一人で来る者の方が多く、多くは短時間で帰ってゆく。その老人はそれら多くの客と違い、その場所に留まり、その場で一日中競馬を楽しむ。
第1レースが午前10時発走で最終が夕方四時すぎ。その間誰とも意思疎通なしというのは、結構きついものがある。しかも釣りや山登りなどと違って、周りには人が溢れているという環境の中でだ。
馬券が当たった時は言うに及ばず、惜しくも逃した時、落馬や失格などハプニングがあった時など、無性に誰かと話したくなってしまう。
 
彼にクーさんと呼ばれているこの老人は、今日も第一レースの前からやって来て、今まで無言でこの場に居続けたのだ。顔見知りと会い、饒舌になるのもやむを得ないところだった。
一方亮一の方も、朝起きてからここに来るまでに口を開いたことと言えば、キオスクでスポーツ紙を買った時、
「お金ここに置いておくよ」
という一言だけだった。だから老人のとめどないお喋りも不愉快でないどころか、むしろ心地好く感じられる程だった。
 
本命不在の戦国レースとの前評判だった有馬記念も終わってみれば堅く決まり、穴に走った亮一は最終レース終了後、財布の中がほとんどなくなっていた。すべてのエスカレーターが下りに変わり、客達を早く捌こうとする。出口に向う亮一はしかし、負けたにもかかわらずそれほど重い気分でないのが不思議だった。どうも久し振りに沢山喋ったというのが、その要因のようだった。
 
周りにいる者のほとんどが連れもなく、来る時以上に肩を丸め、木枯らし吹く夕暮れの中を駅へと向かっている。そんな中を連れと二人で軽口を交わしながら進んでゆくというのは、普段亮一が肩を丸めている方なだけに、ちょっとした優越感すら感じてしまう。なにしろ列の中には、寂しさからか独り言を呟いている者もぼちぼち見られるのだ。
「おっ、三倍になってらぁ」
財布の中身を確認していたクーさんが顔をくしゃっとほころばした。ガチガチの本命党のクーさんに、午後の配当は合っていたのだ。
「亮さん、どうかな。軽くメシでも」
 奢るからさ、という老人の声に続いて、亮一は首をたてに振った。
「家は大丈夫なのかい」
「おれ、一人もんだから」
「なあんだ。じゃあおれと同じだ」
 
二人は近くの回転ずしに、北風に押されるように入っていった。
今日のレース回顧がしばらく続き、すしの皿が積み重なるにつれ、今年見たレース、好きだった馬、場外で以前見た出来事など話が少しずつ広がってゆく。
自然な感じで、じゃあ次は飲み屋へ、ということになり、もう一軒、となる。話題も乏しく、亮一が口下手な分会話もテンポよくははずまない。それでも亮一は、心地好さを感じていた。反りが合うとはこういうことかと思う。話が途切れても気詰まりにならないのだ。
会社の飲み会などは、人付き合いの極端に少ない亮一にとっては他人と話すよい機会なのだが、彼は気詰まりを感じて早々に退散してしまう。そんな自分だから、亮一は今日の展開に我が事ながら驚いていた。
 
帰りは終電に近かった。
競馬をする者の日曜夜は、まれに儲けた時は別としても、深く沈み込んでいるものだが、今夜の亮一はそんな気分とは無縁だった。
寒いのに縮こまらず、亮一はすいた車内に大柄な体を投げ出すように座席にもたれた。
 
ほとんど儲かった覚えのない年で、本年度最終日もまたそうだった。しかし今日の予期せぬ進行に、いい締めだったなぁと、亮一は満足顔で電車に揺られていた。
 
 
(つづく)
 
 


最新の画像もっと見る