つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

スーザン・マン著『性からよむ中国史-男女隔離・纏足・同性愛』刊行

2015-07-15 22:06:41 | 日記

 スーザン・マン著『性からよむ中国史-男女隔離・纏足・同性愛』(小浜正子・L.グローブ監訳、秋山洋子・板橋暁子・大橋史恵訳、平凡社、2015年6月)が刊行された。中国ジェンダー史共同研究の翻訳グループで2年ほど前から取り組んできたのだが、きれいな本に仕上がって感慨ふかい思いでいる。
 本書は、明清時代の伝統社会から二一世紀の現在にいたる中国で、家族観や性のとらえ方がどのように変化した/しなかったかを描いたものである。著者のスーザン・マン氏はアメリカアジア学会(AAS)の会長も務めた彼の地の中国史学界のリーダーの一人で、この本は、カフォルニア大学ディヴィス校の退職を前に、英語圏の研究の精華を若い学生向けのテキストとして集大成したものだ。取りあげられるトピックは、身体の変形や装飾、異性愛と同性愛、家の中に隔離される良家の女性と社会から排除される独身男性など狭義のセクシュアリティにかかわるものにとどまらず、政治や法、医学、芸術、スポーツと広範にわたっている。そしてそれらのトピックは、国家、身体、他者(外国対中国、漢民族対少数民族)、公民性といった大きな分析枠組の中に位置づけられ、叙述されている。専門外の方にも興味深く読んでいただける本だと思うので、さわりの部分のいくつかを紹介しよう。
 清代中期の理想の男性像は、『紅楼夢』の主人公・賈宝玉のような女性を思わせる優雅な容姿の洗練された文人であった。深窓の令嬢と繊細な感情をやり取りする貴公子の恋愛と親の決める結婚との緊張関係は、中国文学のおきまりのテーマだ。一方、『三国志演義』の花形の張飛のような武人は、もっぱら男性間の大義の誓いに生き、女性に対してはまったく関心を示さない。理想の男性像とは、階層や洋の東西や時代によって一律ではないのだ。
 理想の女性像は、清代の漢族社会では纏足で表象された。長期間の入念な手入れにで形づくられ手製の美しく刺繍された纏足靴をはいた小さな足は、貞節・忍耐・勤勉などの漢族女性の美徳の体現だという。じつは満州族の清朝は纏足を禁じたのだが、夫にしか見せてはならない良家の女性の足を検査はできず、逆に清代に纏足は広がった。漢族男性は服従の印に満州族の風習の辮髪を強要されて、頭は隠せないので従うしかない彼らは、家族の女性を纏足させて漢族のプライドを保持したのだ。
 しかし19世紀になると、普遍的文明の体現者を自認する西洋人が中国を訪れ、纏足を「後進国の野蛮な風習」と考えてその廃絶を説いた。中国の近代的改革をめざす漢族知識人もこれに同調して、纏足は中華文明の精粋から遅れた中国の象徴へと意味を転換させられた。以前はさげすまれた纏足しない天然の足の「天足」の女性は進歩的で、纏足の女性は落後しているとされて、評価は逆転したのである。
 伝統中国社会ではまた、同性愛嫌悪(ホモフォビア)も見られなかった。男性同性愛を示す「断袖」という言葉は、漢の哀帝が腕枕で眠っている愛人董賢を起こさないために袖を断ち切った故事から来ている。清代には、エリート男性と「相公」(女形役者)との恋愛遊戯は公認されていた。女性間の関係は注目されることがより少なかったが、広東には非婚女性が「自梳女」(みずから髷を結う女)として共同生活を送る習慣があるなど、地域によって独自の風俗も見られた。中国伝統社会の人々の考え方は、キリスト教の原罪の観念意識の影響下にあった西洋とは大きく違ったのだ。だが近代に西洋的な観念が流入すると同性関係は周縁化されてスティグマを押しつけられた。それは近年まで続いて、今ではむしろ、同性婚が公認されるようになった西洋社会より中国社会の方が抑圧が強そうだ。
 本書の多彩な内容はまだまだ尽きない。ここで展開されるさまざまなジェンダーの側面からも中国への興味が広がればと願っている。