認知症一期一会 http://blog.goo.ne.jp/mizukiosamu/

毎朝8時30分
ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5mgを飲み食卓を離れます。


生きる意味を与えて

2006年11月10日 | クリスティーンさんの本から

《あなたが私たちにどう接するかが、
病気の進行に大きな影響を与える。
あなたの接し方によって、
私たちは人間らしさを取り戻し、
私たちはまだ必要だとされている、
価値のある存在なのだと感じることができるのだ。
「人間は他人を通して人間になる」という
アフリカのズールー族のことわざがあるが、
これは真理だと思う。
私たちに自信を与え、抱きしめ、励まし、
生きる意味を与えてほしい。
今の私たちと、その私たちが
まだできることを尊重し社会的なつながりを保たせてほしい。
私たちが以前の私たちになることは大変だ。
だから今のままの私を受け入れて、
なんとか正常に機能しようと
努力していることを理解してほしいのだ。》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P169



早期に診断され薬を服用されている方と・・・
がまんしてがまんして・・・
遅めに診断されたかが薬を服用された時には・・・・
どんな違いがあるのでしょうか。

脳が萎縮する病・・・そして、
その脳の萎縮は元にもどらない・・・といわれています。

薬が進行を遅らせる効果を持っていますから、
早期診断の方は・・・
運動会の100メートル走で・・・20メートルから走ります。

後期診断の方は・・・70メートルから走りだします。

(このこの文章は・・・
孫の運動会を見たときの思いつきで
私はどこを走っているのかなーと思ったのです。)

私が早期発見にこだわるのは・・・
そんな風に思ったからです。

《なんとか正常に機能しようと
努力していることを理解してほしいのだ》と
言われるクリスティーンさんの言葉は・・・・
身のさける思いで共感しています。

どうぞ・・・お願いします。

少しだけでいいですから・・・
生きる意味を与えてくださいませんか。


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9 コメント

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ノーベル平和賞を・・・ (miki)
2006-11-10 12:24:31
クリスティーンさんにはノーベル平和賞を与えてほしい!

私は、父と母を抱えて一生懸命対処してきたのですが、世の中にある「根強い偏見」のために二重三重の苦労を強いられました。
今、初期に診断された方々が自分の思いを発信してくださっていることで、私も大きな恩恵を受けています。

水木様が「同行二人」といつもおっしゃっていますが、本来は「弘法大師とふたりで」なのでしょうが、認知症の人にとっての弘法大師はクリスティーンさんです。

私もテレビで拝見しましたが脳の画像は息をのむほどでした。ポールさんというケアパートナーに恵まれたから実現できたことでしょうが、「認知症の人が大変な努力が必要であっても立派な人間として生きていける」ことを世界に知らしめられました。

レーガン大統領が公表されたことで大きな変化があったそうです。クリスティーンさんが「ノーベル平和賞」を受賞されたら「啓蒙」がいっきに進むでしょう。

水木様のブログは多くの方に勇気と希望を与えています。
生きることの意味は「たとえ経済活動と結びつかなくても豊かな精神世界を生きることそのものだ」と私は訴えたいです。
社会が、認知症の人が働くことを支援できるまで成長できれば、救われる方が増えるでしょう。
そんなことを語れる時代になってきたのですね。
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希望を持って (水木)
2006-11-11 17:51:43
miki様へ

黙っていなければなならなかった時代から・・・
ようやく開放されるように思います。
でも
話したくない方もいます。
ならし運転が必要では・・・と思っています。

日本でもアリセプトが高度の方にも適用されるまでは・・・とも思います。

でも・・・待てば近くに希望があることは私たちを元気つけてくれることでしょう。

「同行二人」のことそうなんですよね。
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Unknown (CHAN)
2006-11-11 19:08:07
いろんなところで「生きる意味」を考えている人がいるでしょう。
誰かのためになるとか、役に立つとかいうことではなく、その存在そのものが「生きる」ことです。
逆に「生きない意味」はないのではないでしょうか。
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手を貸して (水木)
2006-11-11 21:12:40
CHAN様へ

生きる・・・生き切る・・・ことは生まれる時に約束したものでしょう。
だから・・・
精一杯生きることをしなければなりません。

そんな思いを持ち続けながら・・・病で
できない方もたくさんおられると思います。

自分で自分なりの「生きる」形をきめなくてはなりません。
それが・・・難しいです。
その時には手を貸してもらいましょう。
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自分風で! (tamon)
2006-11-11 23:09:00
ずいぶん前に新聞のコラムで、生まれながら重い身体障害をもって成長された方の話を読んだことがあります。
サンドラさんというお名前の二十歳ほどの女性でした。
このサンドラさんに「あなたにとって生きる事の意味は何ですかと尋ねたのだそうです。
そしたら彼女は「私にとって生きていることの意味といったら、愛されていることです」と答えたそうです。

あるがままの自分を温かく受け容れてくれる心、それに出会えた事が、生きていられるだけの意味を与えてくれたと彼女は言うのです。
何かが出来ることだとは言いませんでした。

すでに水木さんはこのブログをとうして受け容れて下さる沢山の気持ちに出会っていらっしゃるように思えますよ。

それに毎日読んでいらっしゃるお正信偈には、み仏が
「お前のあるがままを、我が存在をかけて引き受け続けている私がいるよ」と伝えて下さっています。

おぼつかない私ですが、水木さんのブログを大切に素直に読ませて頂いています。

おたがい、うろうろと戸惑いながらこのままの自分を自分風に生きていきましょうよ。
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tamon様のコメントを読んで (にんじんクラブ あやちゃん)
2006-11-11 23:45:11
私は、外付けの記憶装置としてボイスレコーダーを遣っています。

その中に11/9のテレビで放送された言葉がはいっています。・・・ほっとモーニングと入っています。

田舎で在宅医療をされているお医者さんの言葉でした。「自分の家で死ぬと言うことを看取る。それは、何時何分に息を引き取りました、ご臨終です、とは、とても言えることではないんですよ。

何月何日、何時何分まで、確かに生きていました、と
生き切りましたと、そう言うことなんです。」

tamon様がお書きになったことと
何の繋がりもない様な気がするのですが、生き切ってって、と言うところで、自分流と言う言葉と繋がったのではないかと思ったものですから・・・。
             とりとめもなく。










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自分を忘れて (水木)
2006-11-12 11:15:03
tamon様へ

NHKの「新日本美術館」で
《日本の仏像はこうして生まれた。
木の霊性が宿る仏》
という番組を見て・・・いたくのめりこんでいました。
その余韻を引きずりながら、
パソコンを開きました。
tamon様のコメントを読ませていたき・・・・・
み仏が
「お前のあるがままを、我が存在をかけて引き受け続けている私がいるよ」
という言葉にはっとしました。

見守れて生かされていることを忘れていたのです。

毎朝の「正信偈」読誦で・・・よしとしていたことに気づかされました。
おっしゃる通りです。

皆様にかこまれて私は元気をいただき・・・ありがたいことです。

「お前のあるがままを、我が存在をかけて引き受け続けている私がいるよ」

暖かなお言葉を大切にしていきます。
ありがとうございました。
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あやちゃん様へ (tamon)
2006-11-12 17:43:18
にんじんクラブ あやちやん様

ほっとモーニングのその番組はあわただしい中で見たものですから「生ききる・・・」というあたりは見損なったもようです。
川柳を詠まれる医師の方のお話だったでしょうか?。

この水木さんのブログもそうですが、切実な現場から届けられる言葉は
私のような心にもしみいってくれますね。

それがどんな人生であっても、自分にはそれが全てでそれが一切です。
だから、そのままを頷けることはわたしにとってなにより大切な事に思っています。

「生ききる」というのも、自分流・自分風というのも、ただ自分のように・・ですね。

あやちゃん様の時々のコメント、いつも親しみを感じつつ読ませて頂いています。
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tamon様へ (miki)
2006-11-13 10:35:51
サンドラさんの話を紹介していただきありがとうございます。

今の母をみていると、まさにそのとおりだと思います。
「お母さん、愛しているよ」
「お母さん、好きだよ」
というとほっとした表情をしますし、スキンシップでだんだん表情が豊かになりますから。

家族が担う部分でしょうが、家族だけでできないケースもあります。
そんなときにプロのサポートがあれば嬉しいのです。
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