《私たちはひとりひとりが皆違う人間なので、
脳の損傷がどう影響するかは、
その人の環境やそれまでの生き方によって違ってくる。
認知能力を失うと、ストレスを感じやすくなり、
心の奥深く根強くある感情に従いつつ、
過去に自分がしてきたように反応するようになる。
この認知機能の低下とそれに対処する能力のなさと
闘っていかねばならない私たちには、
大きな支援と協力が必要だ。
まず初めは、情報が重要で大きな力づけになる。
私たちに診断結果を告げ、
この病気についてはまだほとんどわかっていないこと、
個人差があることを教えてほしい。
地域のアルツハイマー病協会に私たちを紹介してほしいし、
痴呆症に関する情報と支援を得られるようにしてほしい。》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P172
「アルツハイマー病の初期です」と私に告げられた時、
その病にどう対処していけばよいのかのお話はありませんでした。
「やがて車の運転ができなくなります・・・」とは言われましたが。
病気でありますから・・・それにむつかしい病気ですから、
車の運転ではなく、人生の終わりに近づいていきます・・・と
言われた方が分かりやすかったのに・・・と思いました。
「今ではいい薬が出来ましたので・・・」といわれても、
もっと深い言葉がほしかったですね。
どうなっていくかを聞くことができませんでした。
落胆させまい・・・という思いやりだったのかもしれませんが、
情報が無いのです。
こうした孤独の病は
インターネットで調べるより方法はありません。
簡単に、他人に聞くことにはためらいがあります。
そのネットのお陰で、
私は「この病」のことを知るようになりました。
そして、本からもです。
私が私の取った方法で・・・良かったと思ったことは、
人によって症状が違うこと、
自分でも対処する方法がたくさんあるとを
教えていただけたからです。
私なりの養生の仕方をしていけばいい・・・ということで、
私は元気を頂きました。
そして今も
ブログを書かせていただいていています。
ネットでつがる・・・という
何気ないクリスティーンさんの言葉にすがったのです。
お陰さまで丸一年・・・書かせていただき、
コメントを頂いております。
不思議なご縁だと思っています。
※ネットのことは「私は私になっていく」P61にあります。
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認知症になったっていいじゃない。
大切なのは、いかに生きていくかでしょ。
そういう時代になりつつあると思います。
偏見よ、さらば。
そう言える日も近いですね。
診察受けて
認知症だった場合、
本人に告知するものなんですか?
それとも癌みたく
家族だけに伝えたりとか?
ちょっとそのあたりどうなんだろうナーと
今ごろ思いましたw
偏見よ、さらば。
いい言葉です。
映画の題に使えますね。
私自身がシャキとしなければいけませんが・・・どうしても萎えてしまいます。
でも・・・と気を取りなおしながら成しながら書いています。
miki様の強い言葉が励みになっています。
今年はこれでよかったのだと思うことにしました。
もし・・・藤村が存命されていたら・・・
「夜明け前」だなとつぶやかれたのではないでしょうか。
私の場合は、
私と妻とで「アルツハイマーの初期です」と言われました。
薬「アリセプト」3mgを1週間分隣接薬局で頂きました。
物語はここから始まります・・・というような感じでした。
めづらいいことでしょうかねえ。
藤村は「破戒」を世に出したとき誤解を受けたと言います。
私の写真も、そういう危惧はありましたから。
写真展の会場前で、
「こういう親の写真を撮ってねえ・・・」
というふうな顔でふたりの高齢の男性が入ってこられました。
しかし、会場挨拶文からしっかり読まれ、写真も1枚1枚丁寧に見ていかれました。
(ほとんどの方が丁寧に見てくださいました)
終わりに、私から声をかけました。
「こういう写真で・・・(申し訳ありません)」
すると、いや、いや、と手振りで制して、ひとりは芳名帳に記帳してくださいました。
写真展の2日目だったでしょうか。
介護と写真と、両方が漸くここまできたという高揚からでしょうか、石川啄木の歌が浮かんできました。
新しき明日の来たるを信ずといふ
我の言葉に嘘はなけれど
私は、会場挨拶文で、認知症に対する社会の理解を強く求めましたから・・・
写真展から1年、こうやって多くの方が思いを発信されるようになり、漸く私の志も報われる、と思えるようになってきました。
「痴呆」から「認知症」に名称が変わった、という事実が大きいですね。
こころよく我にはたらく仕事あれ
それをし遂げて死なんと思ふ
でした。
「偏見との闘い」が私の仕事だとそのときは思い詰めていましたね。
「犬死にだけはしたくない」と思って1年、私の周囲から偏見は消えたと思います。
藤村も啄木も、若い頃から好きな文学者です。
逃げることも必要です。
逃げなければ・・・他人を傷つけることもあります。
そのばそのばで・・・対応は違っていいのでないでしょうか。
この言葉を頂き涙が止まらず
パソコンの前で暫くなき続けてしまいました。
肩の力が抜けて、心が軽くなり
本当に救われました。
心から感謝致します。
ありがとうございました。
ブックマークの登録、是非お願いいたします。
よろしければ、【一期一会】をマイリストに登録させていただいてもよろしいでしょうか?
「破戒」・・・・忘れていますね。
でも・・・今でも共鳴できると思います。
破戒という文字は手書きではかけませんが、
こうしてパソコンでは書いてくれます。
そういう言葉があることを教えてくれます。
50年も前の本を・・・パソコンが蘇らせるのです。
「偏見との闘いが私の仕事」と書かれていることに胸を痛めます。
でも・・・・夜明け前・・・は近づいています。私は信じます。
ね・・・文学少女さま。
心が軽くなりました・・・とのこと。
私の方こそ・・・・読んでいただきありがとうございます。
ちょっとだけの言葉でも、深い意味を持つのですね。
今日は・・・雨でしたので・・・例の白いネコは濡れ縁にはきませんでした。
ブックマークのこと、登録させていただきます。
また認知症一期一会のことお願いいたします。