富士見台高原 10/17 Sun富士見台高原山頂付近より恵那山(標高2,191m)方面を見る。
遠くに中津川の街並みを見る。
中津川は今日あたり、紅葉を楽しみながら“栗”を買うお客さんで混雑していることでしょう。
富士見台高原山頂 標高1,739m
ここから360°、西の中津川から中央アルプス、南アルプスまでグルリと展望できます。萬岳荘(標高1,538m)から乗車したバスから見た山頂は、ゴルフ場のような芝広に見えたのですが、近づいてみると実際は笹が生い茂る高原でした。
南アルプスの山なみ
南アルプス山なみ
土曜日(16日)の新聞に、富士見台高原ロープウエーの素晴らしい紅葉の写真が載っていました。“イカナキャ!”と思い行ってみましたが、しかし残念!写真ほどは紅葉はしていませんでした。夏からの高温つづきで、紅葉が遅れているようです。いつ撮った写真なの?広告にイツワリありでした。
ロープウエー全長2,500m 第1リフト 第2リフト
山麓駅からロープウエー、第1リフト、第2リフトを乗り継いで着いたバス停(標高1,583m)の 萬岳荘。ここから高原遊覧バスに20分ほど乗って、そこから山頂まで約1時間徒歩。最近運動不足を実感していましたので、快適な“旅欲”満足な一日でした。MEMO:豊田インターから東海環状MAG道路・・土岐JCから中央自動車道・・恵那山トンネルを抜けてすぐの園原ICを降り、10分ほどでヘブンス園原のロープウエー山麓駅。
歩数: 16,949歩 ( 9,66km) しっかり歩数: 7,024歩 (69分) 消費カロリー332Kcal 脂肪燃焼量 20,7g
帰りにR153の稲武物産品売り場で、ムカゴ(250円 安!)を買って帰りました。炊き込みご飯でいただきます。
鳳来寺町四谷千枚田
慣れないナビに導かれて家から2時間、千枚田の写真を撮りに行ってきました。暑い!暑い!汗だくでした。ここからの写真は、ポスターにもなっているビューポイントですね。(1999年に日本の棚田百選に選ばれる)
途中で買ったコンビニのおにぎりを東屋で食べながら休憩して、水分を取って、こんなに暑い真夏に日陰もない炎天下の棚田には訪れる人も少なくて・・・アッ、写真を撮ってる人がいる!
小さく区切られた田の全てが、石を積み上げた石垣造りです。
鞍掛け山から流れてくる豊富な水で育つお米、きっと秋の収穫が楽しみでしょう。美味に違いないです。
とても頂上までは登りきれませんので、途中の坂の上から見下ろした棚田です。稲丈が長く伸びて田の区切りがよく見えませんので、稲刈り後か、田植えの水を張った頃にまた来たいなと思いました。
棚田を囲む杉木立の斜面側から棚田を見る。
千枚田由来
明治37年(1904年)の春の長雨の後に起きた山津波により、家屋と田畑と11人の死者が出る大惨事がありました。一時は途方にくれた村人でしたが、やがて復興に立ち上がり、何年もかけて千枚田を造りあげました。
千枚田は実際には1,296枚あり、一枚平均0,9Rです。現在39戸の人が850枚を耕しており、一戸で65枚を耕している人が最高です。(平均21枚)*途中略9月末の稲刈りのころに、千枚田サミットが行われるそうです。
キバナヤマオダマキ
標高1,662m: しらび平付近の山道に咲いていた山野草の写真を撮ってきました。名前は違っているかもしれませんが、ネットでいろいろ探して書いてみました。
ミヤマホタルブクロ
山野草の愛らしさゆえに愛好家が増えて、ホタルブクロを庭に植えてる人も居るようです。
ヨツバヒヨドリ
キク科:フジバカマ属(深山に映える多年草)たぶん蜜があって甘いのでしょう。ハチ、蝶が盛んに群がっていました。
シモツケ
バラ科:シモツケ属
ヘビイチゴ
こんなにかわいい赤い実なのに、私の嫌いな名前がついている。勝手に“ミヤマイチゴ”と新しく名付けます。分からないでもない、山道の片脇に小さく流れる水に沿うように生えているから。
ヤマアジサイ
下界よりふたつき遅れて今盛りなり。
熊出没注意!
ハッと気付いたら、このサイン、前にも後ろにも誰も居ない!ギャーしまったー!写真を撮るのに夢中になりすぎていた!クマザサ繁る山道に一人!おもわず血だらけの自分を想像してしまった。そこへ友からの携帯音が・・アー生きていた!
旅人の楽しそうな高笑いが・・・誰?
駒ヶ根高原・菅の台バスセンターから路線バスでクネクネとした山道を40分「しらび平駅」に到着。(1,662m)ここから駒ケ岳ロープウェーに乗り、千畳敷カールまで登ります。(7分30秒)
突然のスコールと雷のせいでロープウェーが運休になり予定が遅れましたが、1時間ほどで復旧し、無事に乗ることができました。雷が鳴り止まなかったらこのまま下山するところでした。よく変化する山の天気です。
近くに居合わせた女性が、去年も来たのだけれどやはり雷雨のためにロープウェーに乗れなかったと言ってみえました。その時のがっかりした様子は気の毒でしが、復旧して良かったです。
千畳敷カール( 2,612m)
涼しい~気温15度です。ここから約1時間お花畑の高山植物を見ながら千畳敷カールをトレッキング。今日はカメラに
2Gのカードを入れました。撮りますよー!
高山植物の中に踏み込まないように注意しながらトレッキングコースを行きます。
山を管理している人が「あと1ヶ月でこの残雪も無くなり、その1ヶ月後にまた新しい雪が降り積もる。」とお話ししてみえました。
日本百名山左から : 極楽平 サギダルの頭 宝剣岳 乗越浄土 中岳 右ずっと奥が駒ケ岳 の山並み。
遠くに見える池まで歩きます。時折大きな雨粒が。さっきのようなスコールにあったら、隠れるところもない・・心配しながらだけれど
写真は心残りのないように撮りながら進みます。
気の合ったパソコン仲間6人の旅行です。オーイ待ってヨー!アッまだ後ろに2人居た。
雪解けでできた池に着いて記念写真をパチリ。またガスが降りてきている。山の天気はとても変わりやすい。
山小屋に近づいてきた。2010/7/28(水)歩数:9,496 歩行距離:5.41km
中津川へ
7.11日は、はずばんどのお誕生日なので、なにかおいしいものを食べに行こうかどうしようか迷っていました。後になって、「お誕生日なのになにもお祝をしなかった。」と思うのはいやなので、そういえば、去年の秋に中津川の栗を食べる目的でドライブに出発したのでしたが、東海環状MAG道路の土岐ジャンクションで、アー!というまに中央自動車道に乗りそこなって、ヤッチャッターって感じだったのですが、東海北陸道に入ってしまいました。
で・・目的地を急きょ変更して、郡上へ行くはめに。しかしそれは怪我の巧妙でした。郡上は徹夜踊りで有名ですが、町中に長良川の清流から引いた水路に、鯉が泳ぐきれいな町並の歴史ある所でした。
ウオークラリーをしながら町中を見て回り、良い旅行になったのでしたが、やっぱり栗を食べそこなった悔しさは忘れられなかったらしく(クイジガハッテルンデス!)再度、中津川へ挑戦してきました。
中山道
中山道:馬籠塾~落合宿~中津川宿、全長10km。
中津川宿
シダのハンギングと風知草と宿のサインと・・いい感じです。
栗きんとん発祥の地ー中津川ですから、「すや」本店によって、栗きんとん・栗水ようかん他いろいろ、誰が食べるの?ってくらい買ってました。目的達成!よかったね!
かつては豪商であったことを彷彿とさせる“恵那山”という名の蔵元。“ウダツ”があがっています。
落合宿本陣
この本陣内を見学したかったのですが、非公開になっていました。
大火の後、加賀藩前田家から贈られた立派な門の隙間から覗いてみると、杉苔のある庭園は手入れもされず、建物も随分朽ちていました。市の文化財に指定されてはいますが、ここにも残念な時代の流れを垣間見る思いがしました。行きの道の時から言ってたんです。モスバーガーのサイン見て“ナンカレー”っておいしいのか?って。だから、家に着く前にドライブスルーでナンカレー買って帰りました。クイジガ~

飛騨川の両岸に広がる温泉街をつなぐ橋に飾ってあったハンギングです。とてもきれいでしたので撮った
のですが・・拡大してびっくりなんです。左下に露天風呂が写っていました。誰か入ってるみたい・・・そう
いえば・・おじいちゃんが・・入っていたかも・・誓ってわざと撮ったのではありません!下呂温泉名物の“ミ
エミエ露天風呂”だそうです。
湯の街ギャラリー

湯の街ギャラリー「さんぽ道」の足湯
鷺の足湯

誰も居なかったので、足湯してみました。熱いんです!湯に入りながら撮ったので足先が切れて写らなかった~
ダイコン4本、ゴメン~私の足ダイコン2本だけです。真っ赤なゆで大根

龍神の滝

夕森公園散策1

散策2

散策3

大きな岩を覆うように枝を広げて、野生の白いあじさいが咲いていました。多分、鳥か風に運ばれた
あじさいの種の一粒が、この地に芽を出し、生長したのでしょう。長い年月の時の流れを思います。
散策4

森の中の小さな名前も分からない花に癒されます。そう、今日は研修旅行なのですから、「日ごろのお仕事
の疲れを癒して~。」と担当者も言っていましたから・・
散策5

やはり野に置け・・ですね。この地にあってこその野の花です。かわゆい!

またドラゴンズパックのバスツァーへ行ってきました。先週末は雨風のひどい日々が続いていましたので、
随分お天気を心配していましたが、全く大丈夫でした。「バスの中で食べた花博弁当」
広い公園内を歩いていると汗ばむくらいの陽気でした。
明石海峡大橋

バスの中から撮った橋の写真です。伊勢湾岸の“トリトン”と似ていました。ご覧のとおりの青空。
奇跡の星の植物館

ヒスイカズラ

フイリピン、ルソン島に自生する熱帯ツル植物。花の色が宝石のひすいに似ていることから名づけられた。


メディニラマグニフィカ

これもフイリピンの熱帯植物。

カラーリーフがきれいでした。
フラワーショースペース

トロピカルガーデン内は花の香りで満ちていました。

アッ!ここにも“花と美しさを競ってる人”が・・・
和の庭コーナー

ヒューケラが和の雰囲気を引き立てていました。ヒューケラは和にも洋にも使えて素敵です。
シダ・ルーム

暗い空間でも育つ耐陰性の植物を集めた、室内緑化を実験・研究するコーナー
宇治の八重桜
17日の朝起きたらとても良いお天気でした。4月から仕事は土曜日休みになりましたし、な
んとなくゆったり気分です。
それでどこかドライブしようということになって、そうです、“旅欲”がここのところの温かさで
目覚めてしまったのです。というか、冬籠りしていたんですよね。
宇治川の朝霧橋
水芭蕉はまだ早いから北へいくのはやめて・・やっぱり京都に決めました。4月、2度目の京都です。
京都は新名神高速道路ができてから、かなり近くなりました。約200㎞として2時間で行けます。
で、平等院を見たいということから、宇治に決めました。何年ぶりか。
世界遺産宇治上神社
車は駐車場に置いて、平等院表参道をそぞろ歩くことにしました。宇治茶を買いました。
源氏物語ミュージアム
紫式部が書いた源氏物語五十四帖の中で、最後の十帖の舞台となったのは宇治です(宇治十帖)。
宇治は平安の貴族達に別業の地として愛されてきました。山と宇治川の水と歴史ある建物と
町並と・・・美しいところです。
宇治橋
宇治橋には「橋姫」が守護神として祀られています。
平等院鳳凰堂
平等院は宇治川を挟んだ対岸の宇治神社と共に、1994年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
1052年に藤原道真の息子頼道によって寺院として改築されるまでは、別荘として200年余
り、平安貴族が所有していました。その歴代の主の一人が「光る源氏」のモデルとなった
「源 融(とおる)」です。
鳳凰堂(阿弥陀堂)に入り、ガイドさんから国宝阿弥陀如来座像等の歴史のお話を聞きまし
た。鳳凰堂は東を正面にして建てられています。4時ころ行きましたので、逆光になってし
まい、なかなか10円玉のような姿の写真は撮れませんでした。(内部は撮影禁止) LINK:平等院鳳凰堂
世界文化遺産・二条城
徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館
として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1868年)
には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。
京都は何度訪れても、また来たいと思う所です。夜桜は始めてですが、美しいです!みごと
でした。
約200本の桜が植えられています。
砂利玉石を踏みしめながら奥へ進みますと、邸内のいたるところに配置された趣味の良い明
りが印象的でした。(京都の町を着物を着て歩くと、お茶が無料でいただけます。)
香雲亭
暗くて見難いのですが、右奥にある茶室の「香雲亭」では結婚式もできるそうです。
清流園(和洋折衷庭園)LINK:二条城の夜桜
大天守
Naoちゃんに誘われて、姫路城の日帰りバスツァーに行ってきました。4月12日から5年
をかけて天守閣の大修理をするそうで、しばらくは見納めになります。遠いのでちょっとま
よいましたが、お花見も兼ねて、思い切って行ってきました。
高さ14.85mの天守台(石垣)の上に建つ31.5mの大天守。姫山の上に建つため、海抜は92m。
外観は5層、内部は近下1階・地上6階になっています。1993年に法隆寺とならんで、日本
初の世界文化遺産として登録されました。
朝9時の出発で渋滞はありませんでしたが、姫路までたっぷり4時間かかりました。ここで
も人の多さに圧倒されました。まず、門から城の入り口へ入るのに30分くらいの長蛇の列
で、でもお天気は良いし、桜は満開ですし、おしゃべりしながらのんびりと行きました。
城内は狭い急な階段を登って6階まで上がるので、とても危険です。そのため、階段のたび
に係の人が人数制限をします。時間が心配でした。
大天守からの眺望
約2時間半かけて登った大天守から見た城内と姫路の街並です。LINK:世界文化遺産・姫路城
バスの中で食べた“お花見弁当”です。
桜淵公園
日曜日はとても良いお天気だったので、新城の桜淵公園まで家族でドライブすることにしま
した。久しぶりに訪れたので随分様変わりしていました。
この川は豊川の上流です。もっと上流へ行くと「長篠の戦い」の古戦場があります。淵の水
がエメラルド色で澄んでいてきれいです。あのボートに乗ってみたいな~。LINK:新城市観光協会:長篠の戦い(1575年)
岩場を登ったり降りたり、ここまでのドライブの渋滞疲れを解消しておかないと、また帰り
道が大変だから。
お昼ご飯はいつものように途中のコンビニで買いました。おにぎりとグルグルソーセージと
アメリカンドッグを食べました。
春祭りなんですね。屋台はもちろん、カラオケ、バザー、リサイクルのお店、皆花を見てい
るのかな~それにしてもお花見混雑の人ごみには圧倒されました。花よりだんご状態でし
た。(もちろん私もその中の一人でしたけど)
過去に来た時と決定的に違っていることは、その人ごみの中に外国人が多くなったことで
す。しかも・・ブラジルの人達、もうちょっと静かに、ボリューム下げてくださいね。ほん
とに・・家族でくつろいで楽しんでいることは分かるけれど・・・
プロヒュージョン

モザイカルチャーとはモザイクとカルチャーから作られた造語で、あらかじめ造られた金属フレームの像の表層
部に多種、多彩、多様な生きた草木をデザイン通りに植え込んで作ります。
人、動物、風景などの像または群像と二次元の緑花床で景観を創造する「緑花像景アート」と定義されています。
*91基の作品の展示がありました。
ジニア

サルビア

カラーリーフとベゴニア

大温室クリスタルパレス、1

2

ベゴニアの温室の中で記念写真を撮りました。
3

4

*広大な花博会場を地図を片手に歩くうちに、2005年にあった愛知万博の思い出が
蘇りました。

最高栄誉賞「木を植えた男」

最高栄誉賞はモントリオール市(カナダ)の『木を植えた男』国際モザイカルチャー委員会IMCコンテスト
若者がフランス南西部の高地へ一人旅に出る。荒れ果て、乾燥した無人の丘陵地帯で水を求めて歩くうちに一
人の年老いた羊飼いに出会います。
口数の少ないその羊飼いの小さな家の中は、きれいに整頓されスープが火の上で煮えていた。若者はこの男と
いると安らぎを感じた。翌日彼の後について尾根の上に登って行くと、そこで男は鉄の棒を大地に突き刺し、種を
まいた。その荒れ果てた土地が誰のものであるか、男は見つけ出すことに関心がなかった。
男はかつて低地に農場を持っていて、そこで平和に暮らしていたが、一人息子を失い、それから妻も失くした。
やがてこの丘に移り住み、羊や犬と暮らし始めた。
ここの土地は木がないので涸れかけているというのが男の意見だった。若者は男の気持ちを良く理解することが
できたので、30年後にはあなたの植えた1万本のオークの木は、素晴らしいものになるだろうと話した。
30年後に若者がふと思いだした懐かしい気持ちのままに、再びその地を訪れると、記憶の中の廃墟の跡には、
今ではこぎれいな農家が建ち並び、人々が幸せで心地よい生活をしていることが見て取れた。木々が繁り、水が
流れ、道路沿いでは笑いを解するいきいきとした人々に出会い、子供達が駆け回っていた。
今は亡き羊飼い、エルゼアール・ブッフィエがよみがえらせた大地を回想するお話です。このお話が大好きですの
で紹介してみました。 *作者:ジャン・ジオノ(フランス)1895-1970「木を植えた男」
テーマ賞受賞作品「cuteでおいしい静岡市」

1998年にモントリオール市で国際モザイカルチャー委員会が設立され、3年に一度の世界博覧会が開催されて
います。浜松大会は第4回で、日本で初めて開催されるものです。

「紅雲の雪景富士。」静岡県出展の作品です。いわゆる、赤富士ですよね。さすが~です。

花博会場のエントランスを飾る、立体花壇です。
セージ1

セージ2

セージ3

山車の宮入り
11日はトーベ・ヤンソンの「ムーミンのスケッチ画展」を見にいくことに決めていましたが、朝刊を読んでいて
足助の山車祭りがあることを知り、随分遠回りですが、お祭りの写真も撮りたいし両方行くことに決めました。
秋の足助祭りは「男のお祭り」といわれ4台の山車が挽き回されます。(春祭り「女祭り」は7台の山車。)
足助八幡宮に集合した4輌の山車は、「足助型」と呼ばれ、前方に出役棚を持ち、16個の樫の木の爪を履か
せた車輪など、独自の形式をもっています。宮入すると神前でお囃子を奉納します。
4台の山車がいつ頃造られたかは分かっていませんが、宝暦12年(1762年)に、新町の山車で狂言が演じら
れた記録が残されています。
高さはいずれも6.3m~6.6mですが、大正時代に電線がひかれた時に上山を50cm程度切り詰めたため、本来
は7m前後あったといわれています。左から、田町、本町、新町、西町の各山車です。
馬も祭り姿に飾られて、足助八幡宮に宮入りします。
在方の火縄銃の鉄砲隊(約二百丁)は警固と呼ばれ、境内を囲んだ三か所で順次実演されます。
火薬をつめて火縄銃を撃つ準備をします。
上空めがけて銃が撃たれた瞬間に耳がキーンと・・・しばらく耳鳴りがしてました。
足助街道(塩の道)
中世から近世にかけて栄えた「塩の道」こと中馬街道の拠点として有名である。そのルートは、現在の岡崎市
から矢作川東岸を北上しやがてその支流である巴川に沿って足助に至り(足助街道または七里街道)、そこ
から山間部に分け入り県境を越えて長野県飯田市のある伊那地方へ抜ける。
また足助からは豊田市北部やさらに名古屋市へと至るルート(飯田街道)が分岐する。これら三河国内の「塩
の道」は古代律令制度下で設定された賀茂郡の東部地域を縦貫している。
日本列島交通の東西軸である旧東海道や旧中山道に対し、南北軸の一つである「塩の道」は秋葉街道・信州街
道及び千国街道・松本街道などと称されています。
この道は古代から黒曜石の道、中・近世の南北物流の道、戦国武将の道、信仰の道等、多くの物産や文化交流
を育んできた重要な生活ルートでした。
巴川の両岸は紅葉の季節にはもみじがりの人々で賑わいます。歩数:10,453 消費カロリー:206kcal