静かな暮らしは退屈でやりきれなくなって気が変になるのでは・・・そんなことを思っていた。
ある程度の歳を重ねれば、時の流れは緩やかで秋口の夕方に吹く風のように穏やかで、ヒリヒリした気持ちを落ち着かせてくれる。
鴉は寝床に帰るために仲間たちに鳴き声で確認しあい、漆黒の羽を慌ただしくばたつかせている。
昼と夜の狭間には魔物が表れ、人の心に緩みを与える。
そんな時に金木犀の匂いを嗅いだりしてしまうと、眠っていた記憶が呼び戻されたりする。
ちょうど一年前に七年にも及ぶ闘病の末、彼女は死んだ。10月6日。午後2時の事だった。
その一週間前、そこそこ親しかった友人から電話がスマホに入っていた。
留守電に「電話をくれ」と力のない声で伝言が残されていた。
僕は伝言を聞いた瞬間に思った。彼女が死んだな・・・・。
最悪で厭な知らせには鋭い感が働いたりする。
8年前、「卵巣がん」ステージ3と診断された。そんな病状を知らされても不思議なくらい落ち着いていた。
嘗ての友人たちは僕に対して腫れ物に触るような態度になった。
死んだ彼女とは小学校6年生からの付き合いで、ガキの頃から彼女は一方的に近づいてきて、独断的に行き場所を決めたり
主導権はいつも彼女だった。
そんな付き合い方が高校を卒業するまで続き、20歳にプッツと切れてしまった。
原因は僕が東京に来てしまったからだった。
特別な理由があったわけじゃなかった。
東京へ逃げ出してきたのは・・・・物の弾みのようなものだ。
膨らませた風船を破裂寸前に吹き口の指を離せば勢いよく上に舞い上がってしまうようなものだ。
その時の彼女の心境、その時の風景、その時の会話が蘇っては消えずに心に積っていく。
後悔と呼ぶべき思いが僕を責めたてるけれど、何処かで無責任な声が聞こえる。
ただ、もう少し辛抱強く優しく彼女の話を聞いておけばよかったと思う。
それも今までに何度も思った事だった。
彼女は心の中に浮かんだ春先の生暖かい風のような思い付きを口にするだけ。
僕の彼女への思いには自分の気持ちを疑っていることを告げるだけだった。
そう、よくあるパターンなんだ。「自分の気持ちがわからへん!」だった。
そして、僕はイラつきを隠せなくなってしまうのだった。
そんな他愛もない幼い心の揺れるぐあいを、包み込めないままに時を過ごしてしまった。
涙も流さないし、葬式にもいかなかった。友人たちは多分、僕を責めるだろう・・・・
正直な気持ちが僕にあるとすれば、まだ、彼女の死を認めていないんだ。