”くびきの”から情報発信! 上越市のサラリーマンブログ「みやっち」のひとりごと

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平和展 ヒロシマ原爆展 

2015年07月18日 | これでいいのか!?
高田図書館内、小川未明文学館にて

戦後70周年・上越市非核平和友好都市宣言20周年記念として
「平和展ヒロシマ原爆展」が行われている。

7月17日(金)~25日(土)まで。

戦前の軍都広島の様子から原爆直後の様子、
その後の広島など 多数のパネルで紹介。

特に原爆直後の写真、その後放射能で
苦しめられる人々の写真には
言葉を失う。


多数の展示物も。
多くの人が見入っていた。

原爆投下前(上)と原爆投下後(下)の写真。
たった一発の原子爆弾で一面焼野原になってしまう。
なんと恐ろしい事か。


関連書籍なども置いてあった。
恐ろしい光景の写真。


はだしのゲン。
自分は中学生時代に読み
原爆の恐ろしさを知った。


上越市に関する戦争資料も。
「直江津捕虜収容所」「直江津空襲」について。


名立の機雷爆発についても忘れてはならない。
63人もの住民が流れ着いてきた機雷によってなくなっている。
多くが子供たちだったという悲惨な事件だった。




今日は 広島県から被ばくされた方をお招きし
被爆体験のお話があった。
会場は満席。

現在80歳。
小学校5年生だった10才の時に、爆心地から1キロ離れた自宅で
友人に手紙を書こうと机に向かっていた時に被爆したという。

原爆が落とされた朝は雲一つない快晴。
直前まで外で遊んでいたが 母親から出かけると言われた為に
自宅に入ったという。
結果的にそれが良く、自宅内であった為に直接原爆の光を浴びなかった、
奇跡的に家の下敷きにもならなかった。
一緒にいた母親は亡くなってしまったが、すぐに
近所の人と爆心地から離れて、さらに
離れた 親戚の家に行ったことなどで
放射能の被害を最小限にした。

もちろん、当時は放射能についての知識もなかったので
多くの人は残り 被ばくして行ったとの事である。

焼けの原となって歩いた悲惨な光景は
今でも鮮明に焼き付いているという。

今回、大変貴重な話を聞けて良かった。
こういった話を生で聞くことは大変大事なことである。

今回お話頂いた方は80歳。
やがて、直接 伝えてくれる人もいなくなる。
戦争は何があろうとしてはならない。
今後が心配だ。

さて、被爆体験者のお話は
19日(日)も行われます。
11時~12時までです。



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