軽井沢から
国鉄、JRの信越線を経て 現在は しなの鉄道になった次の停車駅の
「 中軽井沢 」
江戸時代は五街道のひとつ 中山道の沓掛宿にあたる場所にあるんだけれど
1951年には108世帯が罹災する
大火に見舞われ、
宿場町の趣は失われたんだって
戦後のレジャーブームもあって 観光客やスケート客などで
商店街として発展して
1956年(昭和31年)、沓掛駅から 中軽井沢駅に改称されたんだ
1960年に区画整理などで 軽井沢町大字長倉の沓掛地区から中軽井沢区が新設されたそうだけれど
そのあたり一円に 毎日正午になると
正午の鐘の音 というのか チャイムというのか
カリヨンというのか
正午を伝える鐘の音が 大きく地域全体に鳴り響くんだけれど・・
その音色が ちょっと 正午よりもひと呼吸遅れている気がするんだな
しばらくは 気にも留めなかったけれど ずっと長い期間 毎日遅れて鳴っていると
どうしてなのか 最近 少し気になるんだな・・
お近くで 聞いている人・・ いませんか
これから 別荘利用や 観光で訪れる人も増え続けるので 誰か 連絡する先を知っている人~~
時計の 担当者の人に 教えてあげてくださ~~い
気になっちゃうんだな・・
HPで中軽井沢大火で検索すると、軽井沢測候所が写した写真がある
現在の、中軽井沢の駅前、細い道が数多くある、点在している
大火にあったという感じがしないんだな
軽井沢測候所も今は追分にあるというが、移設したのであろうか
ほんの数十年前であるが、分からない
聞くところによると、追分の測候所や青山学院の寮や運動場は追分区が寄付、贈呈したと
追分区だけでなく、軽井沢町には各区の持っている土地、財産があるらしいな
追分宿も、難民のようだったので、資料が現存していないと
追分郷土館には学芸員がいる
出かけた時には、学芸員がいなかったので、電話で話したが、詳しいな
発地などは、50年住んでも余所者だと
村八分だと
あそこは、もともとの原住民が入会権を持っているから、余所者を排除すると