夕べは雪がちらちら降り続いた軽井沢
今朝は うっすらとだけれど 白銀の世界・・ 窓の中から見渡す分には・・キレイだ・・
その夕べ 雪が気にならなければお茶に来ていいよ と声を掛けてもらって
夜話が聞けるお茶に呼んでもらった
昨日 聞いたお話から・・
30年近く前に 軽井沢に別荘を買ったBさん 最初は避暑だけを楽しんでいたけれど
「 秋の紅葉や静けさもいいよ 」「 暖炉を使ってみたら・・? 」「 芽吹きが素晴らしいよ 」
地元で知り合った人や 生の情報に耳を傾けながら 数年前には本格的に引っ越しって来たそうだ
家族が仕事も始めた頃から 軽井沢の歴史や地元情報にも興味が湧いて来て
もともと 伝統に関わるジャンルが好きで 中山道の宿場が軽井沢に3宿もあった事に目を留めた
最初は 中軽井沢駅の北口前を並走する道路が中山道かと思い込んでいて
実際は 湯川橋を渡る国道18号線が それだと知ったのはだいぶ経ってからのこと
なぜなら 時代を感じさせる建造物も案内看板も何も無い
本格的な 中山道沓掛宿のパンフレットも見たことが無い
人づてに聞くうちに 本陣・問屋1軒 脇本陣3軒 旅籠も10数軒はあった宿場だったと知った
江戸時代末期の大スペクタクルのひとつとも言われる 「 皇女和宮降嫁 」の折には
この 本陣にご宿泊の栄誉も賜った 本来ならば、その歴史でも売れる宿場のはずだ
戦後 転勤を伴う職業に就かれたご当主が屋敷の表札に 「 本陣 」を掲げて居られ
威風は保たれているようだ
国道18号線の1本北側を並走する通り沿い角には 「 皇女和宮ご宿泊に使用の井戸 」が
寂しい光景を今に伝えているのみ・・
脇本陣3軒もそれぞれ 銀行駐車場 改築された住宅 新築された住宅・・などに姿を変え
地元の消息に詳しい人でなければ それと気づくことは少ない
中山道の道筋も 江戸時代260年余の間に 「 どこで湯川を渡ったか・・ 」などなど
多少 議論があったそうだけれど、湯川の氾濫や火災など遠く近くいろいろな変遷がありそうで
神話や伝承、時に江戸幕府調べの明細帳などに数行記された 公式?記録などから
その後の人が解説、展開した 「 多分こうだったんじゃないかストーリー 」 くらいが
大雑把に判っただけで 観光パンフレットに記された その 井戸の跡や
石仏、石碑などを巡り歩いたけれど まだまだ「 納得 !」には至っていないんだ・・ と
ここまで 話し終えて 少しぬるくなってしまったお茶を喉を癒すようにすすりこんだ
そうだね かつては昭和の時代に軽井沢町町長も務めて旅館業を継続していた脇本陣の1軒も
今年 個人住宅が新築されて面影は無い・・
この変遷を もう少し掘り下げたり 語り継いでいくのも
縁があって移り住んだり 興味を持った人の「 つとめ 」かも知れないね
うわっッ! 今日も 外は雪が降っているね・・