昨年(平成27年2015年)の閉校式から1年が経ちますね。
解体工事も終わり、かつて学校があったであろう名残りを僅かに留めるだけの風景ととなりました。
楠の木とともに昭和40年度卒業の先輩方の記念作品が残されています。
ポストは慶応元年に田熊小学校の前身となる久敬舎を開設された村上萬之介先生の顕彰碑の裏に移されていました。
「廃校の 桜をかこむ しづけさよ」(どっかの番組からパクり)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/f1/a0ae325a1b8d505a9a37f89a212acf37.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/dc/f1d123b73c84686e7850de8e0fffcb31.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/e0/c2a68de53691fde74a0e48056747d6ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e8/fbb226491d3d661878d97ffa3db446f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1e/ae87aa24dcf22e09495dd9ffe813b079.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/07/d5d003f95e43bcf5be7119475b42e0b4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/98/c58346e7edc8fc0d3d330fc35d10fa1a.jpg)
解体工事も終わり、かつて学校があったであろう名残りを僅かに留めるだけの風景ととなりました。
楠の木とともに昭和40年度卒業の先輩方の記念作品が残されています。
ポストは慶応元年に田熊小学校の前身となる久敬舎を開設された村上萬之介先生の顕彰碑の裏に移されていました。
「廃校の 桜をかこむ しづけさよ」(どっかの番組からパクり)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/f1/a0ae325a1b8d505a9a37f89a212acf37.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/dc/f1d123b73c84686e7850de8e0fffcb31.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/e0/c2a68de53691fde74a0e48056747d6ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e8/fbb226491d3d661878d97ffa3db446f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1e/ae87aa24dcf22e09495dd9ffe813b079.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/07/d5d003f95e43bcf5be7119475b42e0b4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/98/c58346e7edc8fc0d3d330fc35d10fa1a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/74/594a472fe8c3a692955c669090c7563d.jpg)
国分寺市立第4小学校でも2007年頃に鉄筋校舎と体育館とプールの解体が行われていましたが、閉校ではなく東向かいの現在地への移転によるもので、この内3階建ては同市初の鉄筋校舎として地元に親しまれていました。
新しい校舎は「多喜窪街道」沿いに建物が建設され、子供の安全を考慮して校庭が街道から見えないようにしていますが、元の場所は高齢者施設とマンションに生まれ変わりました。
当方は都民であり、広島県尾道市そのものはご存知有りますが、今回「みうま会」のブログにて田熊の存在を初めて知りました。
こういうブログでも続けていると色々な方からのコメントをいただくことがあり嬉しいです。
このポストはずいぶん以前から設置されていましたが、実働していたかどうか怪しいです(笑)。けれども長い間設置されていたので、このポストを見るとたくさんの生徒で賑やかだった頃を思い出しなんだか懐かしく思います。。田熊小学校は他の2校と統合され隣町に新設されましたが、ここに通う子供たちも色々な思い出を胸に旅立って行くくことと存じます。
このブログで私たちのふるさとを知っていただき感激していま。。細々と更新いたしますのでときどき覗いていただければ幸甚に存じます♪