旧田熊小学校の校舎解体の前に、教室内に保管してあった文化財の譲渡会(2015年8月7日記事)の際、引き上げたものを、知り合いのお爺ちゃんが託してくれました。
児童会としての「みやま会」がいつから存在していたか判りませんが、昭和34年から39年にかけて第14代校長を務めた杉原先生が「みやま会のうた」(2015年1月29日記事)を作られた経緯から想像すると、長い間使用されてきたものと思います。
歴代の児童会長や役員が書類などに押印してきた歴史ある印ですが、不敬にも試し押ししてみました。。。
現在は田熊公民館に田熊町文化財協会の部屋がありますので、折を見て寄贈できればと考えています。
児童会としての「みやま会」がいつから存在していたか判りませんが、昭和34年から39年にかけて第14代校長を務めた杉原先生が「みやま会のうた」(2015年1月29日記事)を作られた経緯から想像すると、長い間使用されてきたものと思います。
歴代の児童会長や役員が書類などに押印してきた歴史ある印ですが、不敬にも試し押ししてみました。。。
現在は田熊公民館に田熊町文化財協会の部屋がありますので、折を見て寄贈できればと考えています。