「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】
2011年3月11日 14時46分、わたしはひとりで自宅にいました。 震源から離れた東京でも大きく長い揺れ、テーブルの下に入るなんて初めての経験でした。
情報を求めてテレビのスイッチを入れたところ、逆巻く水の映像が音声も説明もなく流れていて、ここにいた人は?流される車の中は?・・・届くはずもないのに画面に向かって「逃げてー!」と叫んでいました。 あの映像はこの方が撮影されていたんですね。
鉾井さんは「自分は、一番安全な場所にいて、撮影をしただけだ」「撮らないで済むなら、撮りたくなかった」と。 テレビを見た側も、高見の見物をしていたと責められました。
当時わたしは他の事もいろいろあって積み重なり、一年後にパニック障害(診断名はこれですが中身は一般に知られているものとは違っていました)という形になって現れることに。
もう10年?まだ10年。
2011年3月11日 14時46分、わたしはひとりで自宅にいました。 震源から離れた東京でも大きく長い揺れ、テーブルの下に入るなんて初めての経験でした。
情報を求めてテレビのスイッチを入れたところ、逆巻く水の映像が音声も説明もなく流れていて、ここにいた人は?流される車の中は?・・・届くはずもないのに画面に向かって「逃げてー!」と叫んでいました。 あの映像はこの方が撮影されていたんですね。
鉾井さんは「自分は、一番安全な場所にいて、撮影をしただけだ」「撮らないで済むなら、撮りたくなかった」と。 テレビを見た側も、高見の見物をしていたと責められました。
当時わたしは他の事もいろいろあって積み重なり、一年後にパニック障害(診断名はこれですが中身は一般に知られているものとは違っていました)という形になって現れることに。
もう10年?まだ10年。
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