「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

イージス艦「みょうこう」in下関  ~一般公開 上甲板編~

2015年02月12日 | 海上自衛隊

はい…というわけで、行ってきました、下関


金曜日に入港して、土日広報で、月曜日出港…というスケジュールでしたので、


本来なら、金曜日の入港から行きたかったのですが、


予算の都合で、泣く泣くあきらめました


入港か出港かの二者択一なら、出港だよ、もちろん(笑)


というわけで、土曜日の一般公開に、まずは行ってまいりました~







あるかぽーとに向かう時は、もう、お約束のコースをたどります。


水族館の裏を通って行くの


そしたら…




ほらっ


こんな感じで、お出迎えしてくれている(気分になれる)から(笑)


え~、この空のどんよりした感じで、この日の気温がなんとなく想像できると思います。


…寒かったです。


だけど、出港時はこんなのぜんぜん寒いうちに入らなかった、ってくらいでしたが


まぁ、この時はテンション高かったので、うきうきだったので、


寒いとも思わなかったですけどね



もう、この時点で楽しいとかうれしいとかって気持ちしかないわけです



そして、広報ではおなじみ、WELCOMEの国際信号旗


さて、ボディチェックに向かうか~と思っていたら…


「艦橋見学のチケットはこちらです」


という看板が目に入った。


なにぃぃぃぃ~~~~


一般公開では…ましてやイージス艦は、


上甲板のみだと決めてかかっていたので、これにはテンションダダ上がり


とはいえ、イージス艦の艦橋見学なんて、


ものすごく混雑するのは目に見えているので、


チケット制にしてあるのは、とてもいいアイデアだと思います


ありがたい~


そのチケットがコチラ。



後ほど合流する知人の分と合わせて2枚、頂きました。


30分ごとに、時間指定がしてあるようです。


この時点で、時間まで1時間はゆうにあったので、


先に上甲板を見学させて頂きました。


ボディチェック、そして手荷物検査を受け、


ラッタルから舷門を左に向かい、


まずはスカートに入ります(←表現がHな感じですが、仕方ない)


すると、スカートの出口付近にさっそくいたよ…ヤツが…



そう、みょうこう君です(笑)


アンパンマンだった。


以前、ラジオ準レギュラーのはなちゃんからもらった写真では、


そこはかとなく、アダルトな雰囲気を漂わせていた記憶があるのだが…


しばらく見ないうちに、まじめにお子様向けになったようです(笑)


スカートを出ますと、



ちょうど、左舷SPY-1レーダーの下あたりに、こんなものがありました。


意外と、今まで見たことなかったような気がするのですが、


これ、立入検査隊による立ち入り検査(の訓練?)の様子です。


各艦にいる立入検査隊…その正体は…


ごく普通の乗員さんです(笑)


曰く、


「二足のわらじを履いている乗員」


なんだそうで、一応、三曹以上のなぜか独身、という条件があるみたいですね。


通常業務に加えて、この訓練なんかもあるので…忙しいですよね…本当に。


この先に、この立入検査隊の方がいらっしゃいました。



後ろの観覧車が偶然いい感じに映っています(笑)


警察のSITとかSATみたいな格好のこの方、


お話しててすっごい面白い方だったの~


ここでは、防弾チョッキの試着ができて、大人気


私も着させていただいたのですが、8キロってことで、


着た瞬間はそんなに感じないけど、じわじわくる感じでしたね。








そうそう、ところで、


速射砲がもちろんあるわけですが、


これが、両サイド開いてました~



ほらっ


みょうこうったら、なんてサービス精神旺盛なのかしら


でも、私は、武器自体にそんなに興味がないので、ここまで(笑) ←おい!


さて、今度は右舷のSPY-1レーダーの下に行きます。



ど~~~~ん。


この下にSPY-1レーダーの説明と、


みょうこうの活躍が収められているDVDの広告が貼ってありましたね。


でも、DVDの広告が控え目だった(笑)


そこはもうちょっと、主張してもいいのでは???(笑)


SPY-1レーダーの説明の方が大きい上に、


ご丁寧に、QRコードまで貼ってあったの



この画像だとちょっと読みこめないみたいで…ごめんなさい。


でも、こういうお気づかいって好きだなぁ


そしてここにいると、乗員さんが近くに来てくれたので話しかけてみました


名札を見ると電測員って書いてあったので~


「あっ!電測員さん…ってことは、CICの方ですね


と高いテンションで言うと


「…普通、電測って見て、CICってすぐ出てくる人ってそんなにいないですよ(笑)」


と苦笑いされた


ここで、いかにCICが好きかを熱く語りましたら…


スカート中に案内されました。


ついていくと、こんなものが貼ってありましたよ



CIC内の見取り図です。


上甲板で私がもっともテンションが上がったひと時でした(笑)


「電測さんは、どこに座っているんですか?」


「あ、決まってないんです(笑)」


「え?そうなんですか???」


…要は、対潜水戦か、対空戦か、対水上戦かで、座る場所が違うんだそうですね。


知らなかった…。


まぁ、民間人は基本的に入ることができない、謎のベールに包まれたイージス艦のCICですよ…


見取り図だけでも拝見できて大変うれしゅうございました…。


ここでお礼を言って、スカートを出ます。






出るとそこには、VLS(垂直発射装置)がありました



ぶっちゃけ、これがDDのVLAならそんなに興奮しませんが、


なんといってもここは、イージス艦です。


近くにいらした乗員さんにまたまた質問。


「あの~、みょうこうって、BMDってあるんでしたっけ?」


「ありますよ~」


「あるんですねどこにあるんですか


「ここ(のどこか)ですよ」


もちろん、具体的にどこかは秘密ですが、ここの一帯のどこかにあるんですよね~( ´艸`)


ちなみに、こちらの乗員さんも、電測さんでした


6隻あるイージス艦のうち、BMDがあるのとないのがあるけど、


これって、どれが???って今さらながら思ってまして、


今、グーグル先生に聞いてみたら…


こんごう型全艦がミサイル防衛能力付与のための改修とSM-3の搭載、そして…


発射試験と合わせて、予算合計は340億円、


「ちょうかい」は307億円、「みょうこう」は309億円、「きりしま」は312億円となるんだそうです。

(↑しかし、この微妙な金額の違いってなんなんだろう…???)


国防って、お金かかりますよね…


で、つまり、こんごう型には全艦BMDがあって、あたご型にはない、ということです。


…そして、ここのVLSのところでは思わぬところで、話が盛り上がりました(笑)


いや~~楽しかったです


ここで話し込んでいると、いい感じで時間が経っていって、


気がつけば、艦橋見学の時間が近づいていました。


電測さん、ありがとうございました





…というわけで、艦橋見学に向かいます






ぶらり、呉への日帰りの旅  ~歴べん編~

2015年02月10日 | 日記

…またまた、ちょっと間があいて失礼しました…。





さて、広島駅に到着し、市電に乗って、歴べんの会場に向かいました。


歴べんは、全国各地で様々な主催者によって開催されている、歴史勉強会です。


参加者は、20代~70代(場合によっては90代も)と、非常に年齢層の幅が広く、


学生から経営者、政治家と、多岐にわたっているので、


いろいろと面白い歴史勉強会です。


そんな歴べんの会場に入ると、目に飛び込んできたのは…





なにやら、ずら~~~~っと、帝国海軍の艦艇が描かれた絵が並んでいます。


一体、なんだろう???と思っていると、


久野先生と目が合い、


「え???なぜここに???」


的なお顔をされました(笑)


ま、そりゃそうだ(笑)


適当に座りやすそうな席を見つけて座り、話を聞いていると、


存外、始まってあまり時間がたっていないことに気づきました。


よかった~


…久野先生はいつも、私がいる時は、


必ず「いせ」ネタを話してくれます(笑)


うれしいことです


本に書いてある内容だし、


何回も聞いている話ではあるのですが、


映画の気に入ったシーンは何度見ても飽きないのと同じで、


好きな艦艇の話は、何度でも聞きたいものですから。









さて、


講演が終わると、ある方々がご紹介されました。


お一人は、先ほど気になった絵を画かれた、菅野さんです。




菅野さんの絵は鉛筆画ですが、


とても迫力と風格を感じます。


…以前、久野先生の著書の「帝国海軍と艦内神社を紹介しましたが、


菅野さんは、艦内神社の魂抜きをすることなく海底に没した、数々の帝国海軍の艦艇の代わりに、


その絵を、艦内神社と所縁のある神社に奉納する、という活動を行われている方です。


いわば、帝国海軍艦艇の弔いをされているといってもいいと思います。


この活動に、私はとても感銘を受けました。


1枚を画きあげるのにひと月以上を要するのだそうです。


この1枚1枚に、菅野さんの魂と帝国海軍艦艇の魂を感じます。


私は帰りに、菅野さんが画かれた絵のポストカードを2枚購入させていただきました。





加賀と赤城です。(キレイに写真が撮れなかったので、FBから頂きました)


この加賀と赤城は、好きな空母の組み合わせということで選んだのですが、


実は、対になっている作品らしく、


「加賀」は波濤に乗り上げ艦底を露わにしている姿を「口を開けた姿」と見立て阿形とし、

角張ってどっしりした艦体形状から雄形に。

左の「赤城」は波濤に艦首を突っ込んでいる姿を「口を閉じた姿」と見立て吽形とし、

曲面で構成された伸びやかな艦体形状から雌形としました。

左右で阿吽、雌雄一対の「比翼の竜」となっています。   

(Art Studio 楓‐fu-FBページより)



なのだそうです。


しかし、すばらしく迫力のある雄姿!


見ているだけで、胸が熱くなります。


これ、鉛筆のみで画かれているんですよ?!


菅野さんにはぜひとも今後は、


海上自衛隊の艦艇も画いて頂き、


その絵が各艦に飾られるといいなぁと思っています(笑)





そのあとにご紹介された方は、


岩国にある神社のある宮司さんでした。


この方は、もともと世界中を飛び回る商社マンで、


ご実家である神社を継がれたという、ちょっと異色な経歴の方でした。


ご本人曰く、


「元々、左に傾いていたのが、今はまっすぐになった(笑)」


のだそうです(笑)


この宮司さんのお父様は、元々帝国陸軍人でいらっしゃいました。


宮司さんがまだ、商社マンだった時、


お仕事で、中国は南京に出張に行かれることが多かったのだそうですが、


それまで、戦争のことについては一言もお話されることがなかったお父様が、


初めて


「お前は仕事で南京によく行くだろう?その時に、地元の人に、
 『日本軍は本当に悪いことをしたのか?』と聞いてきてほしい」



と言われたのだそうです。


そう言われて、南京で言われたとおりに、


その世代の方に聞いてまわられました。


その時に、宮司さんが聞かれた答えは…


「とんでもない。
 近づいてくる軍隊に「日の丸」が見えた時には、安心したものだ。
 逃げたり、女子供を隠す必要が全くなかった。
 逆に、国民党軍や共産党軍が近づいてきた時は、慌てて逃げ出したものだ」



ということだったのだそうです。


同じ質問を、中国東北部でもされましたが、やはり同じ答えが返ってきたそうです。


当時の宮司さんは、まだ「左に傾いていた」時代。


この話を聞いても、「そうなのか」くらいにしか思われなかったそうですが、


後に、「まっすぐになって」から、この話を思い出され、


改めて、想いをいたされたとのことでした。


このお話を聞けただけでも、私はこの日、広島まで足を延ばした価値があったと思いました。


宮司さんは現在、謎の爆発を起こした戦艦陸奥の慰霊に力を注がれ、


その爆発の原因について調査をされています。






この日の歴べんで、


新たに、それぞれの形で英霊顕彰をされていらっしゃるお二人と出会うことができて、


とても感激でした。


この日の夜は、久野先生、菅野さんと三人で護国神社を詣でて、広島を後にしました。


非常に充実感のある、素晴らしい1日に感謝でいっぱいです。


そして、この英霊顕彰の活動がもっと認知され、広がっていくことを願います。


それこそが、日本がまっとうな道を歩み続ける原動力になると、私は信じています。





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広島 歴べん

次回開催 3/22(日)

16時30分〜

広島市まちづくり市民交流プラザ北棟5F


懇親会あり。


お近くの方はぜひ、お越しくださいませ


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ぶらり、呉への日帰りの旅  ~一般公開編~

2015年02月06日 | 海上自衛隊

先々週の日曜日、思い立って呉に行きました。


土曜日、倶楽部を開催して、


朝まで陸自さんたちとカラオケ大会で、


そのまま始発のバスで、広島に向かいました(笑)


なぜ、行こうと思い立ったかと言うと、


久野潤先生の歴べんが、広島で開催されるからです。


で、私、広島に到着して呉線に乗って呉に向かう車内で、


開催場所は呉でなく、広島市内だと知ったわけですが(笑)


それまで、


「鑑定見学して~、てつのくじら館行って~、それから、歴べんだとちょうどいいな~」


くらいに、のんきに考えていたんですよね


で、会場どこだろ~と思ったら、広島市内だったという…


そうなると、時間がかなり厳しいので、


歴べんにちょっと遅刻することを決めました(笑)←メインだったはず…


しかし、ここが我ながら驚くところなのですが、


この日は久野先生も到着が遅れていたので、ほぼちょうどよかった


…まぁ、広島まで来ておいて、


艦艇見ないで帰れるか


っていうね。


そうと決まれば、一般公開とくじらさん、どちらを先に行くか、です。


そういえば、呉の一般公開って実は、初めて行くんですよね~。


佐世保と違って、時間が決まっていたような…と、ふと思い出して、


ネットで時間を調べると、


どう見ても、15時からのにしか間に合わない感じ…。


ということで、強制的にくじらさんに決定(笑)







さて、


またまたてつのくじら館にやってきたわけですが、


日曜日に来たのも、たしか初めてでした。


けっこう人が多かったです~


海上自衛隊に興味を持ってくれる人が増えてきてという、証左ですから、


うれしいことですね


で、もちろん、私はさくさくとくじらさんのお腹を目指したわけですが、


ここでも、人が多かったので、狭い艦内はごった返していました、が、


発令所に無事到着し、ボランティアのおじさんとお話できました


前回とはまた違ったおじさんです。


「あの~、ずっと不思議だったのですが、この潜望鏡の先っぽってどうして、

 こんなまだら模様なんですか???」


「あ、これは遊びというか、わかりにくくするためです。…ちなみにコレ(私が指していた方)

 はアンテナで、潜望鏡はこっちです(笑)」


「あっこっちでしたか(笑)」


…という会話から始まって、


そうりゅう型とおやしお型の動力の違いや、


原子力潜水艦はなぜうるさいのか、とか、


そういうことをとても丁寧にお話してくれました


で、まぁ、話しているとやっぱり、


「この人、相当好きだな(笑)」


ということが分かるらしく、詳しくいろんなことをお話してくださいます


「…よく、いろいろ質問されるのですが、なんせ潜水艦ですから、

 答えられないことも多いんですよね…(苦笑)」


「そうですよねぇ…。私、好きなので、なんとなく、

 質問していいことと、いけないことが分かるので、

 最初からそういうことは聞かないようにしているんですけど(笑)」


というと、


「そうでしょわかるでしょ


と、予想以上の反応(笑)


まぁ、こういうところに見学に来る人って、


水上艦艇の一般公開も含めてですけど、


いろんな人がいますのでね…


ご苦労なさる時があるんだろうなぁ…とは想像に難くないです。


実際、一般公開や体験航海なんかで、


「すみません、それは答えられません」


と言っている自衛官に対して


「なんだ、言えないのか。つまんねぇ」


などと、失礼な人を割と見かけます。


で、そういう人って


たいてい、おじさんが多い…


遊園地のアトラクションじゃないんだから、


防衛機密ってもんがあるってことくらい、


いい年してわかんないのかと言いたくなるのですけどね。


まぁ、それはさておき、


今回のボランティアのおじさん、お話していて感じたのですが、


なんとなく、


艦長さんとか、そういう地位にあった方だったのではないかな、とちょっと感じました。


わかんないけど。


「ここが大好きで、呉に来るたびに必ず来ているんです


というと、


「そうですか。日曜日はこのメンバーなので、またぜひお越しください」


と仰って下さいました。


どうやら、曜日でスタッフが決まっている模様。


またまた、楽しい時間を過ごさせていただいて、くじらさんを後にしました







それから、バスに乗り、


海上自衛隊基地に向かいました。


途中、明らかに自衛官と分かる方や、


一般公開に行く人だなと分かる方が乗ってくるのが面白い(笑)


さて、たいていは、正門の手前の最寄りのバス停で降りる人が多いのですが、


私は、その先で降りました。


なぜって、潜水艦を見たいから


アレイからすこじまに立つと…



はりまがいました


最近、よく出会います


そして、





この日は、潜水艦がわりといました


わぁい


これでもう、うきうきしながら正門に歩いていきます。


正門を通り、受付の場所に向かい、受付を済ませて、時間になるのを待ちます。


20分くらい?待ったと思います。


その間、正面に見えているおおすみを眺めておりました。


時間になると、広報官が、


「みなさ~~ん!私の声が聞こえるところに集まってください~」


と叫んで、見学者を収集(笑)


注意事項などを説明されます。


そして、ようやく「立ち入り禁止よ」の縄が外され、


先ほどの広報官と、もう一人WAVEさんが来て、みんなを先導します。


WAVEさんがかわいかったので(笑)WAVEさんに話かけました


「私、呉では一般公開初めてなんですけど、これは毎回大変ですねぇ…」


「(笑)…そうなんです…みなさん、よく

 『いせが見たいいせが見たい

 って仰るんですよね…でも、なかなか…(苦笑)」


「あ~まぁ、やっぱりそうでしょうね。

 ちなみに、私、いせにはよくお邪魔しているんです」


と言うと、WAVEさん


ええっいせにですか

 …私、まだないんですよ



と、すっごい喰いついてきた(笑)


「いいですね~、いせ…。あっ、私、一度だけ食堂に行ったことがあります(笑)」


と話すWAVEちゃん(あまりにかわいいので「ちゃん」付け)が


本当にかわいらしかったです


なぜ食堂にだけ???とは思いましたが(笑)


しかし、現役の海自さんでも、


いせに乗ってみたいと思っている人は、少なくないようで、


乗ったことある、というと、


よく、いいな~と言われます(笑)


「…こういう見学に来る方って、すごく詳しい方が多いじゃないですか~。

 私、勉強しているんですけど、なかなかそれに答えることができなくて申し訳ないんです…」


ほんっとにかわいいな、このWAVEちゃん(笑)


…しかしまぁ、ヲタに対抗(?)するのはなかなか難しいよ?


そこは目指さなくていいと思う、本当に


そんな話をしていると、


到着いたしました、この日の一般公開されている護衛艦に。



…はい、この日は、そう護衛艦いなづまでした~



で、ようやく到着したものの、


どのみち、一般公開は上甲板だけなので、


サクッと一周して、パンフレットを頂いて、


「乗った」という満足感だけ胸に後にすることにしていました。


あめ型は、きりさめに2回、見学させて頂いているしね。


…この時、ちょっとおもしろかったのは、


待っていたときからすっごくテンション高かった、


関西人と思しきパパが、


VLA発射管のところで、子供そっちのけで


「うぉ~~これ、ミサイルミサイル

 あっやっぱそうだすっげ~

 これ、ミサイルだよ~すげ~すげ~


とテンションMAXになっていたことかな(笑)


子供はまったく興味なさげだったので、


パパ、ひとりでハッスルしてました(笑)





あとは、



お約束の溺者くん:いなづまくんです。


ま、ふつー???


飛行甲板では、



こんなのもありました。


蓋でしたね、なんかの。



ちなみに、お隣はいつもの(?)とわださん。


で、終わり…っと。


たぶん、受付して待っていた時間の方が、


艦上の滞在時間よりも長かったと思う(笑)


でもいいの…


この日は、たくさんおふねがいたから





おっ、しらゆきさんだ


昨年8月は大変お世話になりました


とまぁ、こんな感じで後にしました。


帰りは、行きは見えなかった、


ドック入りしているいせが見えました~


いせに、バイバイして、呉を後にしました。


歴べんに行って参ります

忘れられた英霊たち   ~ポート・ダーウィンの戦い 後編~

2015年02月04日 | 海上自衛隊

え~、本当は、先日のFM放送前に、


後編を書く予定だったのですが、


諸事情ありまして、間に合いませんでした。


申し訳ございません。






さて、前編最後にも書きました通り、


梅崎艦長と平山さんは、


伊号124号潜水艦のご遺族の元へ、


日豪共同慰霊式を行ったことの報告に、訪問されました。


ここで、お二人を通じて初めてご遺族の御心が明らかになります。


この時の様子がメディアでも取り上げられています。


平山さんのブログ内に、動画が貼ってありますので


ご覧くださいませ。


NHK長崎放送 特集「ダーウィン空襲 慰霊の心を伝える」


この番組の後半に出ていらっしゃる、


伊124号潜水艦航海長 田辺正男の義妹である福岡県在住の田辺サエコさん。


田辺さんのTVでのお言葉は、非常に穏やかなものですが、


放送されなかった田辺さんの本音のお気持ちとして、


「慰霊活動があまりにも遅々として進まず非常に悲しいです。
 
 この度、このような慰霊式を行っていただき大変感謝していますが、

 でもあまりにも遅すぎました。」


と心境を吐露されました。


こういうところを編集するあたりが、NHKだなぁと思わずにいられません。






その前、10月27日には、


伊124号潜水艦の大滝良平2等機関兵曹のお孫さん3人が、


「はたかぜ」を訪れました。


数年前に他界された父藤雄さんは、


遺族会として献身的に活動されていらしたのですが、


潜水艦の引き上げ・慰霊がかなわなかったことをとても無念に思っていたのだそうです。
(11月23日、産経新聞朝刊参照)


また、12月20日、伊124号潜水艦艦長 岸上孝一の長女である、


和歌山県在住の岸上敦子さんのご自宅を、お二人は訪問されました。


敦子さんは、昭和30年代に当時の厚生省援護局、外務省などに、


船体の引き上げと遺骨の収集を乗員の遺族代表として


長年にわたり陳情し続けたのだそうですが、


未だその思いが叶っていないことに、大変落胆されていたのだそうです。
(12月27日、産経新聞朝刊参照)


また、12月19日には、海軍第202飛行隊所属、百式偵察機搭乗員であった


河原眞治飛行曹長の長女である、大阪在住の伊藤令聿さんのご自宅を訪問されました。


河原眞治飛行曹長は、昭和18年8月17日、翌日に控えたダーウィン空襲の事前偵察のため、


ダーウィン地区の捜索に向かったまま未帰還となりましたが、


このことは、戦死からなんと、50年の歳月が流れて初めて判明したのだそうです。


伊藤さんは、この事実判明に50年という歳月を要したこと、


重ねて公的に慰霊顕彰されていないことに落胆されていて、


現在も河原氏を含む、全ての将兵の慰霊顕彰を強く要望されていらっしゃいます。


…ご遺族にとっては、


国のために命を捨てられた大事なご家族が、


何十年も戦死の状況が不明であったり、


未だ遠く離れた海の底に、眠ったままであったりしていることはもちろん、


慰霊すら行われてこなかったことは、


どれほど辛く、悲しく、無念であったことかと、想像するに余りあります。


前後はそういう考えを持つことすら、否定されたこともあったことでしょう。


それでも、なんとかしたい!という、ご家族の想いが少しだけ届いたのは、


戦後70年経ってようやく、なのです…。









一方でオーストラリアでは、


ダーウィン戦争博物館元館長であるTom Lewis豪退役軍人という、現在は歴史研究家であり、


特に第2次大戦における日本軍による対豪作戦についての造詣が深い方がいらっしゃいます。


戦後の岸上敦子さんの慰霊活動を知った氏は、


伊124号潜水艦の、沈没時の様子等を記した本を執筆されました。


さらに、ダーウィン空爆作戦に参加し、戦死した日本軍兵士の調査活動を精力的に行われ、


現在までに約400名の戦没者が判明しています。


同氏は、この事実についても執筆活動中であり、間もなくその本が完成するのだそうですが、


この本は、ご遺族の調査及び慰霊顕彰活動に対して、


極めて重要な資料となることは間違いないと思います。


また、


豪州周辺の戦闘で捕虜となった日本軍の将校や兵士が、


カウラの収容所に集められたのですが、その数、昭和19年7月末段階で約1100人です。


豪北部のダーウィン爆撃時に撃墜された日本軍の飛行兵や、


ニューギニアなど太平洋戦線で戦った将兵が中心だったようです。


ところが、その44年8月5日未明、900人以上の日本兵捕虜が、集団で脱走を図るという事件が起き、


日本人捕虜の死者は234人にのぼり、


一方で、豪州兵にも死者4人、負傷者4人が出ました。


そのカウラは戦後、両国の多くの人の努力により、日豪関係改善の舞台となったのです。


豪州での反日感情は戦後も消えなかったそうですが、


なんと、


カウラでは日本人捕虜の亡きがらは、豪州兵の戦没者墓地の近くに葬られ、


豪州の退役軍人会カウラ支部の手でその墓地も清掃、管理されてきたのです。


そればかりでなく、


1963年にはオーストラリア政府の計らいによって、墓地は日本に譲渡され、


オーストラリア戦争墓地委員会の管理下にあるものの、日本国の国庫に帰属しました。


64年、カウラの日本人墓地が新たに整備され、


今ではカウラの日本人捕虜と合わせて約560人の日本人の亡きがらが眠っています。


この遠い異国の地で、


日本兵の亡骸を手厚く葬り、その地を譲渡までしてくれて、


今もなお管理し続けてくださっているオーストラリア政府には、


日本人として、感謝の言葉しかありません。


本当にありがとうございます。


どこかの国とはまったく違う


ことに、驚きを禁じ得ないわけですが…。


国家間の交流とは、これがあるべき姿だと思います。


一方的に他方を貶め、罪をなすりつけ、脅迫し、


ましてやそれを外交カードにさせてはいけないんです。


そして、このカウラ墓地で、


護衛艦はたかぜのみなさんが、清掃活動を行われています。







はたかぜの皆様、おつかれさまでした!


そして、ありがとうございました。


…しかし、ここで慰霊顕彰されているのは、


豪州国内…つまり、陸上で戦死した者に限定されていますので、


ダーウィン周辺海域で戦没した将兵は祀られていないということになります。


ダーウィン攻撃等で亡くなった人の多くは、潜水艦を含め海軍が多かったものと思われますが、


海中に沈んだ人たちを引き揚げ、埋葬するのは極めて困難であったことから、


遺骨収集もされず、どこにも慰霊されていない、ということです。


Bombing of Darwin ABCニュース


この動画は、平山さんがオーストラリアで取り上げられた時のものです。


ここで、


「日本では、亡くなった潜水艦の乗組員80名への敬意が払われているとは思えません」


と、先ほど紹介したTom Lewis氏が仰っています。


よく聞いていると、彼は、


「SAMURAI」


と言っています。


亡くなった潜水艦乗りを「サムライ」だと表現しているのです。


そのサムライ達に、敬意が払われていない、と。


かつて敵国だった方から、


「あなたたちは、敬意を払うべき人に敬意を払わずどうするんだ?!」


と言われているのです。


これを、日本人としてどう感じますか?


そのあとに続く、平山さんの


「彼らは国のために命を捧げました。

 その祖国が感謝をしなくて、誰が感謝をするというのでしょう」



は心からそう思います。


戦後、日本は極端な左翼思想に染まり、


日本人として失ってはならないものを、喜んで捨ててきたのです。


その代償が、現在の歪んだ日本です。


子が親を殺し、親が子を殺す。


彼らが命を投げ出してくれたのは、


日本をそんな国にするためではないはずです。


命がけでこの国を守ってくれた方たちのおかげで、今がある、


そう思えると、もっと大事なものが見えてきます。


感謝の気持ちが湧き出してきます。


知らねばならないことがあります。


英霊顕彰は、そのために繋ぎ広めねばならない極めて大事なことだと思う次第です。



(※今回の記事を書くにあたって、梅崎艦長から頂いた資料を参考にさせて頂きました。)



忘れられた英霊たち   ~ポート・ダーウィンの戦い 前編~

2015年02月02日 | 海上自衛隊
江田島の教育参考館、そして、


靖国神社の遊就館に行くと、


壁に大きな太平洋地図があって、(大和ミュージアムにもあったかな?)


その地図には、


戦いがあった場所に、


どの艦艇が沈んで、


何機の航空機が撃墜されて、


何人の戦死者が出たかが、細かく記されています。


私はその地図を、2年前に教育参考館で見初めて見ました。


その地図を見ていると、


オーストラリア北部沿岸でも、戦いがあったことが分かります。


ミッドウェーも結構な遠方で、


リムパックに行った海自さんが、


「こんな遠くまで来て諸先輩方は戦われたのか…と思った」


と言ってらしたのですが、


さらに遠い、南半球のオーストラリアまで南下して、戦っていたことに、


大きな驚きを禁じ得ませんでした。


そして、その時はまだ、


オーストラリアでどんな戦いがあったのか、


私は分かりませんでした。


もっと言うと、調べてみようというところまで、


その時は思いが至らなかったのです。







それからちょうど1年後、


梅崎艦長が、護衛艦はたかぜに異動されて約半年後、


はたかぜは、カカドゥ14という、


オーストラリア海軍主催の多国籍間海上共同訓練に参加しました。

【訓練・演習】豪州海軍主催多国間海上共同訓練カカドゥ14/日豪共同慰霊式/洋上慰霊祭(海上自衛隊)



この訓練の様子は、海上自衛隊公式FBページで頻繁にアップされていましたので、


私もいつも楽しみに拝見していました。


その中で私が気になったのが、


この動画の最期にある、日豪共同の洋上慰霊式です。


この時はまだ、この日豪共同での慰霊式の意味を、


私はよく分かっていなかったのですが、


あの地図の意味がなんとなく、おぼろげながら見えてきた感じでした。






話は変わりますが、


年末から年が明け、1月もすでに終わり、なんとなく自分が感じたことが、


今年は英霊顕彰に縁のある年になりそうだな、ということです。


そう思っていると、


この日豪共同慰霊式について、ぜひ多くの人に知ってほしい、と


梅崎艦長からメッセージを頂きましたので、


今週のラジオと今回のブログで取り上げることで、


1人でも多くの方にお伝えしたいと思った次第です。


そして、それについて資料を頂いたのですが、


読んでいくと、今まで知らなかったことが申しわけなくなり、


かつ、ご遺族の無念の思いがとても辛く伝わってきます。


多くの日本人が知らない戦いが、伝わっていない戦いが、そこにあります。


昭和17年2月19日、日本軍がオーストラリアに奇襲攻撃をかけたその戦いは、


第二の真珠湾とも言われていますが、


この奇襲攻撃を行った、日本の目的は、


連合軍によるインドネシアなどへの攻撃に、


ポート・ダーウィン基地の使用を遅延させることでした。


日本帝国海軍潜水艦による艦艇攻撃とともに


日本帝国海軍や日本帝国陸軍の航空機が、


1942年2月19日~1943年11月12日まで計64回にわたり、


オーストラリア本土、地域の主要空域、周辺諸島、


沿岸輸送ラインの船舶などを攻撃しました。


その中で、1942年2月19日の最初の空襲が最も大規模な空襲で、


日本軍の航空母艦4隻(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)から艦載機188機が発進し、


ポート・ダーウィンの海軍基地と空軍基地を攻撃しました。


オーストラリアの艦艇だけでなく、アメリカ海軍の駆逐艦も撃沈、


破壊させています。


オーストラリア側犠牲者は243名、負傷者は350名でした。


約2年間続いたダーウィン攻撃に参加した日本将兵のうち、


少なくとも約500人が戦死していることが分かっています。


また、1942年1月20日に、


米駆逐艦「エドサル」、オーストラリア掃海艇デロレイン、カトゥーンバ、リスゴー


により伊号124号潜水艦が撃沈され、


第九潜水隊司令遠藤敬男中佐、岸上幸一艦長を含む80名全員戦死しました。


このように、日豪両国に多大な犠牲者を出した激しい戦いが、


このダーウィン周辺で行われていたのです。


ところで、かの真珠湾攻撃では


「リメンバーパールハーバー」という言葉が生まれていますが、


オーストラリアではどうなのでしょう?


戦後70年経った現在、


ダーウィン市民は、空襲により日本人に蹂躙されたとの意識は薄れてきており、


謝罪や戦後賠償を求めるような政治的な活動は、これまでなかったようです。


そればかりか、この地に移り住んで7年になる、


長崎県出身の平山幸子さんという女性は、この事を知ってから、


最初は自分が加害者国であるという罪悪感があったそうなのですが、


地元の戦争博物館を訪れた時に意識が変わったのだそうです。


そこでは、オーストラリアの主観だけでなく、


開戦に踏み切った日本の主張もきちんと紹介してあったり、


他にも、両国の軍服が一緒のケースに展示されていたりと、


とても冷静に歴史を見つめている内容でした。


どこかとどこかの国の戦争博物館とは、


ずいぶんと違いますね…と思わずにはいられません。


「リメンバー・ダーウィン」という言葉は存在しないのです。


その後、平山さんが思いきってダーウィンの戦没者慰霊式に、


日本人として初めて参加されました。


相当非難されることを覚悟されていたそうなのですが、


逆に励ましを受けたという平山さんは、


この日豪関係を成熟した大人の関係と表現されていて、


私はこの言葉にとても共感しました。


本当に、どこかの国とは…以下略。


その後、平山さんは日本側のご遺族にもこの慰霊際を伝えたいと、強く思われたのです。


そして、この平山さんの熱心な働き掛けで、


今回の、護衛艦はたかぜによる日豪共同の洋上慰霊式が実現したのだそうです。


はたかぜ艦上での洋上慰霊式は、出港前に行われました。






(写真:3枚とも海上自衛隊FBページより)


そして、帰国後、


梅崎艦長と平山さんは、この合同慰霊式を行った事を、


ご遺族の元に報告に回られたのでした。


…そこのことについては、


また後半でお届けいたします。






FMみね姉のひとりごと準レギュラー(?)


北海道のはなちゃんが、


ポート・ダーウィンの戦いについて分かりやすくまとめてくれました。


FMみね姉のひとりごとFBページにアップしておりますので、


ぜひ、ご覧くださいませ


放送は、明日2月3日(火)21:00~です。


今回は、なかなかお話が難しく、


いつも以上にカミカミで巧く話せておりませんが、


よかったら聞いてください