「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

ぶらり、呉への日帰りの旅  ~歴べん編~

2015年02月10日 | 日記

…またまた、ちょっと間があいて失礼しました…。





さて、広島駅に到着し、市電に乗って、歴べんの会場に向かいました。


歴べんは、全国各地で様々な主催者によって開催されている、歴史勉強会です。


参加者は、20代~70代(場合によっては90代も)と、非常に年齢層の幅が広く、


学生から経営者、政治家と、多岐にわたっているので、


いろいろと面白い歴史勉強会です。


そんな歴べんの会場に入ると、目に飛び込んできたのは…





なにやら、ずら~~~~っと、帝国海軍の艦艇が描かれた絵が並んでいます。


一体、なんだろう???と思っていると、


久野先生と目が合い、


「え???なぜここに???」


的なお顔をされました(笑)


ま、そりゃそうだ(笑)


適当に座りやすそうな席を見つけて座り、話を聞いていると、


存外、始まってあまり時間がたっていないことに気づきました。


よかった~


…久野先生はいつも、私がいる時は、


必ず「いせ」ネタを話してくれます(笑)


うれしいことです


本に書いてある内容だし、


何回も聞いている話ではあるのですが、


映画の気に入ったシーンは何度見ても飽きないのと同じで、


好きな艦艇の話は、何度でも聞きたいものですから。









さて、


講演が終わると、ある方々がご紹介されました。


お一人は、先ほど気になった絵を画かれた、菅野さんです。




菅野さんの絵は鉛筆画ですが、


とても迫力と風格を感じます。


…以前、久野先生の著書の「帝国海軍と艦内神社を紹介しましたが、


菅野さんは、艦内神社の魂抜きをすることなく海底に没した、数々の帝国海軍の艦艇の代わりに、


その絵を、艦内神社と所縁のある神社に奉納する、という活動を行われている方です。


いわば、帝国海軍艦艇の弔いをされているといってもいいと思います。


この活動に、私はとても感銘を受けました。


1枚を画きあげるのにひと月以上を要するのだそうです。


この1枚1枚に、菅野さんの魂と帝国海軍艦艇の魂を感じます。


私は帰りに、菅野さんが画かれた絵のポストカードを2枚購入させていただきました。





加賀と赤城です。(キレイに写真が撮れなかったので、FBから頂きました)


この加賀と赤城は、好きな空母の組み合わせということで選んだのですが、


実は、対になっている作品らしく、


「加賀」は波濤に乗り上げ艦底を露わにしている姿を「口を開けた姿」と見立て阿形とし、

角張ってどっしりした艦体形状から雄形に。

左の「赤城」は波濤に艦首を突っ込んでいる姿を「口を閉じた姿」と見立て吽形とし、

曲面で構成された伸びやかな艦体形状から雌形としました。

左右で阿吽、雌雄一対の「比翼の竜」となっています。   

(Art Studio 楓‐fu-FBページより)



なのだそうです。


しかし、すばらしく迫力のある雄姿!


見ているだけで、胸が熱くなります。


これ、鉛筆のみで画かれているんですよ?!


菅野さんにはぜひとも今後は、


海上自衛隊の艦艇も画いて頂き、


その絵が各艦に飾られるといいなぁと思っています(笑)





そのあとにご紹介された方は、


岩国にある神社のある宮司さんでした。


この方は、もともと世界中を飛び回る商社マンで、


ご実家である神社を継がれたという、ちょっと異色な経歴の方でした。


ご本人曰く、


「元々、左に傾いていたのが、今はまっすぐになった(笑)」


のだそうです(笑)


この宮司さんのお父様は、元々帝国陸軍人でいらっしゃいました。


宮司さんがまだ、商社マンだった時、


お仕事で、中国は南京に出張に行かれることが多かったのだそうですが、


それまで、戦争のことについては一言もお話されることがなかったお父様が、


初めて


「お前は仕事で南京によく行くだろう?その時に、地元の人に、
 『日本軍は本当に悪いことをしたのか?』と聞いてきてほしい」



と言われたのだそうです。


そう言われて、南京で言われたとおりに、


その世代の方に聞いてまわられました。


その時に、宮司さんが聞かれた答えは…


「とんでもない。
 近づいてくる軍隊に「日の丸」が見えた時には、安心したものだ。
 逃げたり、女子供を隠す必要が全くなかった。
 逆に、国民党軍や共産党軍が近づいてきた時は、慌てて逃げ出したものだ」



ということだったのだそうです。


同じ質問を、中国東北部でもされましたが、やはり同じ答えが返ってきたそうです。


当時の宮司さんは、まだ「左に傾いていた」時代。


この話を聞いても、「そうなのか」くらいにしか思われなかったそうですが、


後に、「まっすぐになって」から、この話を思い出され、


改めて、想いをいたされたとのことでした。


このお話を聞けただけでも、私はこの日、広島まで足を延ばした価値があったと思いました。


宮司さんは現在、謎の爆発を起こした戦艦陸奥の慰霊に力を注がれ、


その爆発の原因について調査をされています。






この日の歴べんで、


新たに、それぞれの形で英霊顕彰をされていらっしゃるお二人と出会うことができて、


とても感激でした。


この日の夜は、久野先生、菅野さんと三人で護国神社を詣でて、広島を後にしました。


非常に充実感のある、素晴らしい1日に感謝でいっぱいです。


そして、この英霊顕彰の活動がもっと認知され、広がっていくことを願います。


それこそが、日本がまっとうな道を歩み続ける原動力になると、私は信じています。





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広島 歴べん

次回開催 3/22(日)

16時30分〜

広島市まちづくり市民交流プラザ北棟5F


懇親会あり。


お近くの方はぜひ、お越しくださいませ


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