「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

映画「永遠の0」

2013年12月26日 | 映画の感想



このブログでも、以前小説を読んだ感想として、取り上げさせていただいた、


「永遠の0」がついに公開されましたね。


さっそく見て参りました。





最初に引き付けられたのは、


姉弟が、実の祖父である宮部久蔵の調査を始めた時に、


最初に訪問した、長谷川宅のシーンです。


元戦闘機乗りだった長谷川は、戦傷を受け右腕がなく、


宮部に対しても、「海軍一の卑怯者」と激しい嫌悪感を抱いている人物です。


どうみても幸せな老後とは言い難い、独居生活のやや雑然としたアパートの、


その居間と台所を仕切る引き戸には、


「五省」が貼ってありました。


戦後60年を経て、今なお、自分の生活の場に


この「五省」を貼っているということに、


長谷川という男が、帝国海軍人しての誇りをどれほど大事にしてきたかが


よくわかりますし、


だからこそ、彼が、宮部を嫌悪していることが強調されていると感じます。


語らずして、こういう演出が出来るのは、映画ならではでしょう。







取材を進めていく中で、


宮部を「卑怯者」呼ばわりする人間ばかりの中、


好意的な話を、ようやくしてくれる人物が現れます。


病床にあり、余命幾ばくもない井崎の語りによって、


戦争中の回想シーンに入っていきます。


洋上に浮かぶ、航空母艦「赤城」の姿が現れ、


ゼロ戦が赤城の甲板を目指して飛来してくるシーンは、


海軍ファンにはもう、涙ものでしょう(笑)


初めての着艦を行うゼロ戦を、甲板で待ちかまえる、


赤城の乗組員たちの、パイロットたちへの揶揄を込めた表情が、


とてもいきいきと表現されていて、海軍の士気の高さを感じます。


同時に、


戦闘機での、甲板の着艦は非常に難しいということ、そして、


その中で、美しく完璧な着艦を行う一機の戦闘機だけ現れることで、


宮部久蔵という男が、非凡なパイロットであることが、


ここでも言葉を使わずして、伝わってきます。


ちなみに、赤城のシーンでは、


海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」の艦の一部や、海を行く時の美しい航跡が使われており、


海自ファンにとっては、ここでも「にやり(笑)」としたくなる場面といえます(笑)


ここでの、井崎の回想によって、


これまで、この時代に一切興味をもっていなかった、主人公の健太郎に対して、


一気に、戦争のなんたるかと同時に、祖父の実像が近付いてきます。


「臆病者」と呼ばれる裏に潜む、


本当の理由が分かるにつれ、宮部久蔵という人間の魅力が深まっていきます。


私が今回の映画で、


一番楽しみにしていたのは、


原作にはない、宮部が妻と子供が待つ自宅に戻る場面です。


期待していた以上に、すばらしい場面でした。


ほとんど、結婚生活らしい生活はなかった二人ですが、


それでも、宮部がどれほど家族を愛おしみ、大切に思っていたか、


そして、夫婦相互の温かい愛情と思いやりがしっかりと伝わってきた、


作中で唯一、温かく優しい幸せに満ちていた場面だと感じました。


ここで、思いがけない帰宅を果たした夫に、


驚いて


「帰るなら帰る、と一言連絡してください!」


と言う、


妻の松乃に対して、優しく微笑みながら、


「申し訳ありません。赤城が横須賀に戻ることは極秘だったのです」


とだけ、宮部が言います。


この時代は、


恋人や家族と容易に連絡を取ることができません。


今のように、当たり前に連絡がつく時代からすると、


考えられないくらいに、


恋人や夫が、どこで何をしていて、いつ帰ってくるのか、分かりません。


ですがそれでも、


この時代の女性たちは、辛抱強く、信じて待っていました。


現代から見ると、とても不幸に見えるかもしれません。


会うことはおろか、


電話はもちろん、極々一部にしかなく、遠方にいる人との連絡手段とは、


手紙か電報のみ。


その手紙さえ、戦争が厳しくなると、困難になりますし、


宮部が言ったように、軍人には、軍事機密上、行き先やもどる時期などは一切言えないのですから。


ですが、逆に、だからこそ、


この時代の人たちは、現代とは及びもつかないほど、


真剣にお互いを思いやり、愛しあっていました。


戦争によって、


日常の平和と楽しみの全てを奪われた生活の中で、


さらに、愛する人とも別れ、永遠に会えないかもしれない


という想いの中で、生きていかねばならない状況というのは、


現代に生きる我々には、想像は困難です。


だけど、


だからこそ、彼らは、真剣に


伴侶を愛してしたのだと感じました。


戦争にいくことを、拒否できない彼らにとっては、


国からの命令であるということを、


過酷な戦場で戦うという辛さを、


その愛する人を守る、という思いに変えて、


挑んでいたのではないでしょうか。


宮部が「臆病者」と呼ばれながらも、


他の軍人たちとは、はっきりと違う形で、


家族を守ろうとしました。


それを貫くには、


相当な精神・肉体両面の強さが必要です。


優美な面差しの中には、


家族への深い愛情と、


強い責任感を湛え、


かつ、その想いを貫くための


精密な技量と強靭な精神力が秘められていた、


と感じさせる、


素晴らしい演技を、俳優:岡田准一は見せてくれました。


すばらしいの一言です。








この映画を、見る人によっては、


戦争の美化だの、


右傾化の促進だのという人もいるでしょう。


映画の中でも、


特攻隊を「テロリスト」呼ばわりし侮辱する、若者たちのシーンが出てきます。


そう感じることしかできないメンタリティの人間もいるので、


それは仕方がないと思います。


私は、戦争を賛美したいのでも、戦死することが美しい思うわけでもありません。


この時代は、人々は洗脳されていたのだという人もいます。


ですが、


現代は、洗脳されていない自由な時代なのだと、


真逆の方向に洗脳されているだけだということに、


気づいていない人も多いです。


特攻が決まった、若い教え子に、宮部が、


「戦争が終わったら、一体どんな日本になっているのでしょう…」


と話す場面では、苦しさと悲しさで涙が止まらなくなりました。


特攻隊で亡くなった若者たちは、


選りすぐりの優秀で有能な人財でした。


宮部が、


「あなたたちは、戦争が終わったあと、日本を再興するために必要な人財なのです」


と、若い訓練兵に言います。


私が、初めて知覧に行って、彼らの遺書に触れた時、


はっきりと感じた事が、


まさに


「こんなに素晴らしい人たちをむざむざと死なせてしまったから、

 こんな日本になってしまったのだ」


ということでした。


戦争が終わったら、どんな日本に…?


まだまだ素晴らしいところもあるし、


誇れるところもあります。


ですが、


加速度的に劣化が進んでいます。


戦争さえなければ、いいというわけでないでしょう。


親が子を殺し、子が親を殺す。


戦時中よりも悲惨な状態です。


こんな国のために、彼らは命を犠牲にしたわけではないはずです。


ましてや、


靖国神社に総理大臣が参拝することさえ、


許されないような国に…。


自分の国に誇りを持つ、


自分の国は自分で護る、という考えを持つ、


これが、なぜ「右傾化」なのでしょう?


日本だけは特別?


特別だと洗脳されているだけす。


英霊を敬う事が軍国主義?


馬鹿げています。


私は、いたづらに美化することも彼らに対する侮辱だと考えます。


彼らは、拒否もできず、逃げることも許されずに、死んで行きました。


家族を守るために、


ひたすら生き抜くことにこだわった宮部が、


特攻隊に直面していくことで、


恐ろしいまでの罪悪感に苛まれます。


「生き残る罪悪感」


戦争で亡くなることは悲劇ですが、


生き残ったものはまた、


「生き残った」という、まさにそのことで


罪悪感を抱えて生きていきます。


戦争に行くことは、どちらも苦しみを抱えるのです…。


その苦悩の中、


宮部は、ついに特攻に行くことになります。


その最後の表情は、


今まで、戦闘員としての技量はひたすら封印してきた宮部の、


初めて、本当の戦いに挑んだ瞬間だったように感じました。


家族のために、自分の命を守る事をひたすら行ってきた宮部は、


戦闘機乗りとしての最後の誇りを技量の全てをかけて、


最後の最後に、アメリカに一矢報いることを静かに決めていたのだと思います。






「あと10年もしたら、我々世代はみんないなくなる」


と、最後に健太郎の義理の祖父が言います。


この役を演じられた夏八木勲さんは、今年の5月に世を去られ、


この作品が遺作となりました。


本当の戦後は、


この世代の方たちが全て世を去られたあとに、


やってくるのではないかと、危惧する次第です。





















































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