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南英世の 「くろねこ日記」

F,ベーコン


最近、中国の歴史ドラマにはまり、ブログの更新が滞りがちであった。今日ようやく「大漢風(項羽と劉邦)全50話」を見終えたので、久しぶりにブログを更新する気になった。
今、朝夕の通勤電車の中で「哲学と宗教全史」(出口治明著)を読んでいる。先日あるページを読んでいて「ストーン」と腑に落ちたことがある。

近代哲学はイギリスのF,ベーコンから始まった。ベーコンは「帰納法」や「経験論」「知は力なり」という言葉などで知られる。もちろん、そのことは「知識」としては知っていた。しかし、知識として知っていても本当にベーコンの「すごさ」が分かっていたかと問われれば、実は全く分かっていなかったといわざるを得ない。

帰納法というのは、ある事象についてたくさんの観察をして、そこから一般的な原理や法則を見つけ出す方法である。カエルをたくさん集めてみたらどのカエルにも「へそ」がない。だからカエルには「へそ」がない。

この推論の仕方は近代科学の基礎となった。長年、帰納法と聞いても別に感動もしなかった。しかし、人間が生きている現実世界だけを見て、結論を導き出すその手法の中に神が入りこむスキは全くない。中世1000年の間ヨーロッパ社会に君臨していた「神」ははるか彼方に押しやられ、信仰の世界から合理性の世界へと人類は大きな一歩を踏み出したのである。

そのことに気が付いてから、ベーコンという人の「すごさ」が初めて分かった気がする。「知は力なり」という時の「力」とは神の力ではなく人間の力のことだと初めて気が付いた。

一般に、観察から原理や法則を見出す際、先入観や偏見がつきものである。ベーコンはそうした先入観や偏見を「イドラ」と呼び、イドラに惑わされないようにすることが大切だと警告する。イドラとはラテン語でidolaといい、幻影と訳される。現在使われる「アイドル」idolと語源が同じである。ステージで歌ったり踊ったりするアイドルが「幻影」であると同じように、ベーコンは人間の持つ先入観や偏見を「イドラ」と呼んだのである。

ベーコンは4つのイドラをあげる。

① 種族のイドラ
 これは人間が往々にして嫌なことは見ないで「見たいものだけを見る」ことを戒めたものである。実験データの捏造はその最たる例か。

② 洞窟のイドラ
 これは過去の個人的な経験に左右されて、モノの見方にゆがみが生ずることをいう。個人的な体験はやがて強い信念に変わる。その結果「井の中の蛙」となり、正しい見方ができなくなる。

③ 市場のイドラ 
 これは人のうわさ話やゴシップに惑わされることをいう。人はみんなが噂していればそれが真実だと思い込みやすい。「火のない所に煙は立たぬ」なども同類か。

④ 劇場のイドラ
 これは有名人の発言を信じ込みやすいということを戒めるものである。東大の先生など「有識者」が表舞台で発言すれば、それが本当だと思う人は多い。かつて小泉純一郎首相の演説は「小泉劇場」などと言われたが、これなども典型的な劇場のイドラと言えようか。

物事を正しく見るということはどういうことか。ベーコンは400年も前に4つのイドラということで示した。現代人にもそのまま通用する警告である。ベーコンの「すごさ」をようやく理解できた。「知っていること」と「分かっていること」の間には天と地ほどの差があることを改めて痛感した。
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