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南英世の 「くろねこ日記」

「すみません」という表現


昔、慶応大学で講義を受けていたとき、アメリカ人の先生がこんなことを言っていた。「アメリカは広くて隣の家の人と距離がある。だから、自分の思っていることをはっきり言わないと伝わらない。それに対して日本は狭い。自己主張をすると人間関係がぎすぎすする。だから、あまり自己主張をしない。自己主張をしないのは日本人の生活の知恵である」。アメリカに住んだことのない私は、「うーん、なるほど」とえらく感心した。

そう思って日ごろ我々が使っている言葉を振り返ってみると、結構、あいまいな言葉が多い。
「どうも」「ぼちぼち」「まあまあ」・・・・
白か黒かをはっきりさせず、グレイの部分を残した表現を好む傾向がある。しかし、ONかOFFしかないデジタル時代にあって、こういうグラデーションを残した表現もコミュニケーションには大切であると思う。

ところで、「すみません」というのも奥の深い言葉である。私たちは1日に何回も、すみませんという言葉を使っている。これを英訳すればどうなるのか。

apologize

sorry

文字通り直訳すればこういう意味になるのかもしれない。しかし、ふだん私たちが使う「すみません」という言葉の中に、謝罪の意味はほとんど含まれていない。「すみませーん」と大声で店員さんを呼ぶ。あるいは人に何かをしてもらって「どうもすみません」と言う。そうなのだ、英訳すれば

excuze me

thank you very much

という意味で使っていることが多いのだ。とくに、thank you very much という意味で使っている場合が圧倒的に多いかもしれない。「お手数をおかけして申し訳ない。ありがとうございます」そういう気持ちを込めて「すみません」という。一歩へりくだって、相手に感謝する。「すみません」という言葉は、人間関係を良くする潤滑油といえる。実に、いい言葉である。

ところで、ふと気になった。普段、私たちは家の中で「すみません」という言葉を使っているだろうか。実は、私自身は家の中ではほとんど使わない。謝罪するときは「ゴメンナサイ」だし、感謝するときは「ありがとう」である。なぜだろう?
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