南英世の 「くろねこ日記」

ジェノサイド

第1回目の授業で、国家権力が間違って使われるといかに恐ろしいかという話をした。典型的な例がヒトラーによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)である。ヨーロッパにいた1100万人のうち600万人を殺したといわれる。

ヒトラーは最初は大量虐殺するつもりはなかったらしい。しかし、占領地が拡大するにつれて抱え込むユダヤ人が何百万人にも増加し、ついにはゲットーに閉じ込める政策に転換する。ところがゲットーで餓死者が大量に出ると、苦しんで死ぬより一思いに殺したほうがよいという理由で大量虐殺が始まる。1942年頃である。

私がアウシュビッツを訪れたのは2015年3月のことである。イスラエルの高校生が研修のためたくさん来ていた。

殺されたユダヤ人たちの眼鏡や靴、カバンがたくさん残されていた。またガス室の隣には死体を効率的に焼くための特製の焼却炉が作られていた。

戦後、ナチスの犯罪を裁くために開かれたニュルンベルク裁判で、ユダヤ人大量殺戮に対して初めて「ジェノサイド」という名前が与えられた。ジェノ(genos)とはギリシャ語で「種族」(race,tribe)という意味であり、サイド(cide)とはラテン語で「殺害」(killing)という意味である。これ以降「ジェノサイド」は「人間の属性を理由とした殺戮」の意味で使われるようになった。

この名前を考案したレムキンはたくさんの候補からこの名前を選んだ。名前のない大量殺戮に新たな名前を付与することにより、国際社会の認識を変えることを狙ったものである。下の写真はレムキンが新しい名前を考案するために書き記したノートである。

1948年、国連で「ジェノサイド条約」が採択された。

それにもかかわらず、その後もジェノサイドはなくならなかった。カンボジア、グアテマラ、イラク、ルワンダなどでジェノサイドが行われた。とりわけルワンダにおけるツチ族とフツ族の争いは凄惨を極めた。ナタや斧で100日間で80万人が犠牲になった。アメリカは国益に関係ないとしてルワンダへの派兵を拒んだ。

今、ウクライナでジェノサイドが行われているともいわれている。

日本はいまだにジェノサイド条約を批准していない。なぜなのか。

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