375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●歌姫たちの名盤(16) ちあきなおみ 『あまぐも』

2013年05月28日 | ちあきなおみ


ちあきなおみ 『あまぐも
(2000年10月21日発売) COCP-31131 *オリジナル盤発売日:1978年1月25日

収録曲 01.あまぐも 02.仕事仲間 03.涙のしみあと 04.想影 05.義弟(おとうと) 06.夕焼け 07.普通じゃない 08.視角い故里 09. 男と女の狂騒曲 10.マッチ売りの少女 11.夜へ急ぐ人


ちあきなおみがコロムビア在籍時に発表したオリジナル・アルバムは全部で14枚。最初の4枚はちあき自身のオリジナルに同時期のヒット曲を加えたポップス・アルバムという色合いが強かったが、演歌の大御所・船村徹の作品を集めた第5アルバム『もうひとりの私』(現在は第12アルバム『もうひとりの私~船村徹作品集』と合わせて1枚のCDになっている)を境にして、独自性のあるコンセプトを持つようになってきた。

その後、戦争直後の埋もれた歌謡曲を復活させた『戦後の光と影 ちあきなおみ、瓦礫の中から』(1975年)、失われゆく日本情緒に焦点をあてた『春は逝く』(1976年)、大人向けムード歌謡集『そっとおやすみ』(1976年)など、テーマ性を持ったアルバムによって揺るぎない評価を勝ち得てゆく。そして・・・ちあきが次に狙いを定めたのが、当時台頭しつつあったニューミュージックの世界だった。

当初は世のしきたりに反抗するフォークの衣を着ていたこともあって、やや異端視されていた「新しい音楽(New Music)」が、1970年代も後半になると、若者たちの支持を得るためのヒットメーカーとして、もはや無視できない存在になってきたのである。

ちあきサイドのスタッフも時代の流れを察知したのかもしれない。まず1977年に、初のニューミュージック系アルバム『ルージュ』を発表する。しかしながら、この作品集はやや統一感を欠いた寄せ集めという感が否めず、決して万全な出来とはいえなかった。おそらく、ちあき本人の意向があまり反映されていなかったのだろう。中島みゆきが提供した表題作はともかく、井上陽水の「氷の世界」などは違和感がありすぎた。

巻き返しを期して、次のアルバムでは、100%ちあきなおみの芸風を体現できるアーティストが選ばれた。ストレートな男の心情を歌い上げる河島英五と、魔界に踏み込んだような変幻自在の文学世界を持つ友川かずき。まさに昼と夜、光と影のように対照的な二人の作風だが、不思議なことに、どちらもちあきなおみとの相性が抜群なのである。ちょうど同じコインの表と裏のようにぴったり合う。そんな絶妙なコンビネーションを楽しめるのが、コロムビア在籍最後の通算14枚目のアルバムとなった『あまぐも』(1978年)なのである。

このアルバムはA面に河島英五が提供した6曲、B面に友川かずきが提供した5曲が収められている。オリジナル発売は当然LPなので、表の6曲と裏の5曲でそれぞれの世界が完結するように工夫されている。(ちなみにCD時代では、このような発想でのアルバム作りはできない。表も裏もなく1枚の表面があるだけなので、よほど工夫してメリハリをつけないと冗長になってしまう。プロデューサーの腕が問われるところである)

さて、まず河島英五であるが、ちあきなおみは代表作「酒と泪と男と女」をコンサートで採り上げるほどの惚れ込みようである(以前紹介した企画アルバム『VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家』に収録されている)。まさに男唄フォークの最高傑作。「涙」ではなく「泪」と表記するところがミソなのだ。ほんとうの「なみだ」は単なる感傷の次元を超えるのである。

まずは、トップバッターを飾る表題作の「あまぐも」。雨雲がとんでゆくわ・・・とつぶやくヒロインは、もちろんちあき自身がモデルだろう。ジャケットの図柄にあるような憂いのある横顔が、まさにこの物語の主人公だ。このアルバムでは全曲のバンド演奏をゴダイゴが務めており、河島英五の6曲ではどれも上質なAORテイストを味わうことができるが、特にこの曲では、トミー・シュナダー奏するフルートの音色がいい味を出している。

酒を飲みながら昔の仕事仲間を追想する「仕事仲間」 、不器用な男と女の恋模様を歌った「涙のしみあと」、別れた男の想い出を胸に雨の盛り場をさまよう「想影」、嫁に先立たれた義理の弟をなぐさめる「義弟」。いずれも素朴で飾り気のない感情が伝わってくる。

そしてA面の締めくくりとなる「夕焼け」 では、悲しみを乗り越えて明日への希望を歌い上げる。
ちぎれて流れる雲ひとつ・・・はもはや雨雲ではなく、新たな夢に向かって飛んでゆく夕焼け雲。行く先々で苦難に出遭うことは避けられないとしても、河島英五の場合は決して後ろ向きにならないし、基本的にポジティヴで健全な人生観なのだ。

これがB面の友川かずきになると様子が違ってくる。1曲目からいきなり「普通じゃない」 というタイトル。オプティミスティック(性善説)な河島英五とは正反対に、人は皆、普通に生活しているように見えても、内面には狂気が宿っているのだ、というペシミスティック(性悪説)な人生観が根本にある。

 どうせみんなは 善人面さ 普通じゃない 普通じゃない・・・・・・

バック演奏を務めるゴダイゴもここではAOR調ではなく、エレキの炸裂するロック調になる。そして、ちあきの歌唱もそれに波長を合わせるかのようにヒートアップ! 随所で聴こえてくるシャウトも、本職のロック歌手顔負けの迫力だ。

2曲目の「視角い故里」 のヒロインも、田舎から都会に出てきて以来、ノイローゼ気味。夜は原因不明の悪寒に襲われ、昼はどこを見てものっぺらぼうの群れ。都会の蟻地獄の中で、行く当てもなく、結局は堕ちていかなければならないような運命を暗示して曲は終わる。

その後日談であるかのように、文字通り理性の力を超えて、堕ちるところまで堕ちていく「男と女の狂騒曲」。
来る日も来る日も酔っ払いの男たちに性を売り続ける少女を主人公にした虚無的な売春ソング「マッチ売りの少女」。
普通じゃないどころか、狂気はますますエスカレートしていく。

そして、 極めつけは「夜へ急ぐ人」。1978年の紅白歌合戦の壮絶な名演で語り草になった、あの曲である。
妖麗で不気味なシングル・ヴァージョンとは違い、アルバム・ヴァージョンは快速ロック調アレンジなのでスマートに聴こえるが、この世の感覚を超えた妖怪変化の世界であることには変わりない。闇の中から「おいで おいで」をしているのは、いったい誰なのか。

人は誰もが狂人になりうる。普通のように思える人が、ある日突然キレる。
まるで、現代の不条理な社会を予言していたかのようだ。

このアルバムの発売から13年の時を経て、ちあきなおみは再び友川かずきから楽曲の提供を受ける。1991年にリリースされたアルバム『百花繚乱』に収録された「祭りの花を買いに行く」。狂気などは微塵も感じられないリリカルで優しい歌だ。さしもの鬼才・友川かずきも、現実世界があまりにおかしくなってきたので、これ以上、闇の世界を追求するのは憚られるようになったのだろうか・・・

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