375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●歌姫たちの名盤(15) 日吉ミミ 『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う』

2013年05月13日 | 歌姫③ ENKA・裏街道系


日吉ミミ 『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う
(2008年10月1日発売) VICL-63069 *オリジナル盤発売日:1983年7月21日

収録曲 01.たかが人生じゃないの 02.かもめ 03.時には母のない子のように 04.もう頬づえはつかない 05.ひとの一生かくれんぼ 06.生まれてはみたけれど 07.かもめが啼けば人生暗い 08.兄さん 09. わたし恋の子涙の子 10.キラキラヒカレ


人生の裏街道を歌う個性派シンガー、日吉ミミがビクターからリリースしたアルバムは13枚。その中で現在CD化されているのは1970年のデビュー・アルバム『男と女のお話/日吉ミミの世界』と1983年のラスト・アルバム『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う』の2点のみである。残りのアルバムも中古LPなら入手可能なものもあるが、一般のファンには敷居が高い。やはり日吉ミミの真価を広く認知してもらうには、13枚のアルバムすべてを復刻するBOX SET企画が待たれるところである。

さて、現在市場に流通している2枚のオリジナル・アルバムのうち、『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、寺山修司を唄う』は間違いなく昭和歌謡曲の歴史に刻印されるべき傑作である。タイトルとなっている「たかが人生じゃないの」は、1973年1月に発売されたシングル曲。この曲は以下のようなフレーズで始まる。

 あのひとが死んだわ 朝日が昇った あたしは文無しだけれど 何とかなるわ

ある晩、たびたび自分の部屋を訪問していた愛人が突然の死を迎える。決して正式な「夫」でないだろうということは、女が「文無し」、つまり男の遺産が自分のものにならないところから推測できる。男が形見に残したセーターを匂いがついたままそばに置いて、たったひとりで余生を過ごしていこうと心に決める女の哀しさ。「たかが女の 人生じゃないの・・・」
ドラマチックな展開を一切排除した淡々とした語り口が、逆に波乱万丈なドラマを浮き彫りにする。

このシングル曲は、発売される前年の1972年にリリースされた『たかが人生じゃないの ~日吉ミミ、オリジナルを唄う 第2集』というアルバムに、すでに収録されていた。つまり、日吉ミミは「たかが人生じゃないの」というタイトルのアルバムを2回出していることになる。1回目の1972年はオリジナル曲を集めたアルバムとして、そして2回目の1983年は寺山修司追悼の企画アルバムとして。このことから、日吉ミミと寺山修司との間には何か特別な縁があったかもしれない、という憶測が可能になる。

日吉ミミがライナーノーツで自ら回想している記述によれば、彼女が寺山修司と最初に出会ったのは、1972年に寺山修司が最初に作詞を手がけた新曲「人の一生かくれんぼ」のレコーディングの打ち合わせの日であった。背広にノーネクタイで現われた寺山修司は、意外にボソボソと話をする人だったので、彼女は「エッ?エッ?」と何度も聞き直さなければならなかったという。この時に受けた第一印象は「澄んだ目をした湯上りの里いも」。なんともユニークな表現だが、これこそが寺山修司の澄み切った慧眼と素朴な人柄を端的に言い表した比喩であると思う。

 ひとの一生 かくれんぼ あたしはいつも 鬼ばかり

この「ひとの一生かくれんぼ」は人生をかくれんぼの遊びに重ね合わせ、いつも鬼の役回りを演じる運命になってしまう哀しい女の一生を唄ったものである。

人生は決して思い通りにならない。生まれ出る親を自分で選ぶことはできない。生まれた時の境遇で、ほぼ一生のアウトラインは決まってしまう。ごく一部、恵まれない境遇を脱して成功する人もいるにはいるけれど、それはごく少数でしかない。境遇を抜け出そうとして一心不乱に努力しても、それが実現する保障は何もない。それとは逆に、もがけばもがくほど泥沼に堕ちてゆく人の何と多いことか・・・

寺山修司は彼自身の体験から、その過酷な現実を身にしみて実感していた。彼にとってラッキーだったのは、その現実をプロデュースする才能に恵まれていたこと。彼は「人生の裏街道に生きる人たち」 を主人公に、ある時は歌人として、ある時は詩人として、ある時は写真家として、ある時は演出家として、ありとあらゆる表現方法で世に問うことを続けた。マルチな才能で数多くの作品を残したが、根底に流れるテーマは一貫していた。

その寺山修司の世界を最も端的に表現できる歌手、それが他ならぬ日吉ミミだったのである。

「たかが人生じゃないの」にしろ、「ひとの一生かくれんぼ」にしろ、日吉ミミが歌うとあまりにも生々しい説得力がある。歌手と歌の主人公のイメージが完全にだぶってしまうのだ。ライナーノーツで小西良太郎が述べているのをそのまま引用すれば、「理不尽なくらい辛いことが多過ぎて、もう涙も出ない女。どうせ人生そんなもんだと見切った上で、せめて心だけは貧しくならずに生きようとする女。カラコロと不幸せな過去を音をたてて引きずりながら、それでも背筋はしゃんと伸ばしていたい女。いじらしくもけなげに、明るく振る舞おうとする女。そんな主人公が日吉ミミには似合いすぎた・・・」 

このアルバムには、すでに紹介したシングル2曲のほか、寺山修司の真髄を存分に味わうことのできる「寺山歌謡」の名作が10曲収録されている。カルメン・マキの歌で知られる「時には母のない子のように」、浅川マキの歌った「かもめ」、桃井かおり主演の映画「もう頬づえはつかない」のエンディング・テーマ曲等々、いずれも日吉ミミのために用意されていたかのような曲目。独特のハイトーン・ヴォイスが出口のない現実を照らす一筋の光明となり、絶望の中にもほのかな希望を見出すことができる。それが、まさに裏街道に生きる人たちにとっては救いなのだ。

これ以外にも、妻子ある男を恋してしまった女の心境を綴る「生まれてはみたけれど」 、不幸せな出来事の連続に絶望するものの自殺もできず、かもめのように人生の海をさまよう「かもめが啼けば人生暗い」、借金に追われ、仕事も女もない兄を慰める「兄さん」、結婚しても依然として恋の炎から逃れられない「わたし恋の子涙の子」、持ち主を次々と不幸に陥れてゆく悪魔の指輪物語「キラキラヒカレ」と、いずれもクォリティの高い傑作が揃う。

寺山修司+日吉ミミという昭和中期に生まれた2人の天才が織り成すコラボレーション。
それは時代を越えて、庶民の心を照らし続けるだろう。

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