ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』~第1幕、第3幕前奏曲、『ローエングリン』~第1幕、第3幕前奏曲、『タンホイザー』序曲、『トリスタンとイゾルデ』~前奏曲と愛の死、『ジークフリート』~森の囁き、『ジークフリート牧歌』、『ワルキューレ』第3幕~ワルキューレの騎行
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(1988年12月7日ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー:ステレオ・ライヴ録音) WEITBLICK SSS0090-2
クラシック音楽ファンであれば、誰でも「特別に好きなオーケストラ」とか「指揮をしてみたいオーケスラ」というのがあると思う。もちろん人それぞれ感性が違うので、好みの音色とか表現のニュアンスを出せるオーケストラは、必ずしも世評とは一致しない。自分の場合、どれか一つ選ぶのであればミュンヘン・フィル。もうひとつ選ぶとすればバイエルン放送交響楽団になるだろう。どちらもミュンヘンのオーケストラ。自分にとって「音楽の都」はウイーンではなく、ミュンヘンかもしれない。
その最も好きなオーケストラであるミュンヘン・フィルと、われらが御大スヴェトラーノフが共演するという驚きのライヴ音源が、なんと録音後21年も経った2009年になって突然日の目を見ることになった。しかもそのプログラムは、お決まりのロシア・ソ連ものではなく、地元ドイツの大作曲家ワーグナーの管弦楽曲集なのである。
このライヴ録音が行なわれた1988年当時のミュンヘン・フィルといえば、まだチェリビダッケの統治下にあった時代。レコード録音を頑なに拒否する「幻の大指揮者」によって、オーケストラの存在そのものが神秘のヴェールに閉ざされていた。だからこそ、このオケの音源には希少価値もあるのだが、まさかスヴェトラーノフが客演していたとは想像もつかなかった。どういういきさつがあったのか、そのあたりの推測はラーナーノーツにも書かれているのでここでは省略するが、これが両者の一期一会の共演だったことは確実だ。ともかくスヴェトラーノフとしては、内心自信を持っていたドイツ音楽を本場のオーケストラで演奏できるという千歳一遇のチャンスを得て、「この際、ドイツ国民に本当のドイツ音楽を教えてやる!」と特別な闘志を燃やしたであろうことは、容易に想像がつく。
さて、早速この2枚組のCDを聴いてみると…さすがに大物の演奏だ。
出てくるオーラが違う。理屈抜きに夢中にさせるものがある。
本当の芸術とは、まさにこういうものだろう。魔法をかけられたように時間を忘れ、何度も何度も聴いてしまうのである。
『マイスタージンガー』の第1幕前奏曲は、音楽が始まった瞬間からスケール豊かな響きに圧倒される。のびのびと、朗々と鳴り渡る弦楽器と金管楽器の強奏。それでいて決してうるさくはなく、あちこちに微妙な隠し味がちりばめられているところが何ともいえない。チェロのモノローグに始まる第3幕前奏曲も、過ぎ去りし青春の日々に思いを馳せるような懐かしさにあふれている。このあたりは、老境にさしかかった指揮者ならではの味だろう。
『ローエングリン』では、一転してファンタジーの世界を現出。第1幕前奏曲の天上的な美しさは例えようもない。最大限に磨き上げられたミュンヘン・フィルの弦の合奏力。なんと素晴らしい音楽だろう!と思わずため息が出てしまうほどだ。そしてクライマックスでは、スヴェトラーノフならではの力感あふれるクレッシェンドが炸裂。指揮者とオーケストラの持つ表現力が、圧倒的な相乗効果をもたらす。その余韻を引き継いだまま、勇壮な第3幕前奏曲に突入していくのである。
そして、前半の最後を飾る『タンホイザー』序曲。決して先へ急ごうとしない悠々たるテンポが素晴らしい。長い人生を振り返り、万感の思いに胸を馳せながら、来るべき栄光の時代を夢見るような讃歌が厳かに歌われていく。
後半最初の曲は『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲と愛の死。この官能美の極致とも言うべき傑作を、スヴェトラーノフはここぞとばかり濃厚に味付けする。エクスタシーの頂点に向かっていく怒涛の盛り上がりも、まさに横綱級の迫力だ。
『ジークフリート』の森の囁き。次第に夜が明けていく森の情景が目に浮かぶような、色彩感あふれる音楽。木管で模された鳥の鳴き声が詩情豊かに響く。このあたりのメルヘン的な表現は指揮者、オーケストラともども、さすがと言えるほど上手い。続く『ジークフリート牧歌』も詩情あふれる名演。平和な情感に満ちた旋律が美しく、しかし決して甘すぎることなく歌われる。この懐かしい響きと格調高い雰囲気。ふと、以前これと同じ感動をどこかで味わったことがあるのを思い出した。そう、同じミュンヘン・フィルを指揮したクナッパーツブッシュの演奏。あのクナに匹敵する名演を、スヴェトラーノフがやってのけているのだ!
ライヴの最後を飾る『ワルキューレの騎行』は、映画「地獄の黙示録」に使われて以来すっかり通俗曲になってしまい、今ではあまり聴く気がしないのだが、この演奏で聴くと、やはりすごい音楽だと思う。真の巨匠とオーケストラが奏でる本物のドイツ音楽の響き。それはもう、過去の音源でしか聴くことができないのだろうか。国際化された技術優先の世界でクラシック音楽が生き残るためには、ローカルな伝統と個性が妨げになるのだろうか。そうだとすれば、寂しい時代になったものである。
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ミナコヴィッチさんご推薦のこのミュンヘン・フィル・ライブがもしかしたら、その「魅力」を解明してくれるかもしれません。
それにしても、フレンニコフもお持ちとはけっこうマニアックですね。