375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●歌姫たちの名盤(7) 渚ゆう子 『ナイトクラブの渚ゆう子』

2013年02月17日 | 歌姫② 60-80S 歌謡POPS系


渚ゆう子 『ナイトクラブの渚ゆう子
(2005年6月1日発売) VSCD-3470

収録曲 01.京都の恋 02.愛にぬれたギター 03.風の日のバラード 04.アカシアの雨がやむ時 05.女のみち 06.何処へ 07.長崎慕情 08.名月赤城山 09. 妻恋道中 10.ダヒル・サヨ~サンパギータ 11.ラハイナ・ルナ 12.京都慕情 13.東京に三日 田舎に四日 14.雨の日のブルース 15.さいはて慕情 16.グッドバイ・ホノルル 17.早くキスして 18.カイマナ・ヒラ


渚ゆう子が「京都の恋」と「京都慕情」の連続ヒットで押しも押されぬ人気歌手となったのは1970年(昭和45年)。リアルタイムで体験した人はよくご存知のように、日本で初めての万国博覧会が開催された年であり、日本中が万博ブームであふれかえっていた。筆者が通っていた学校のクラスメートの間でも「万博に行った」という奴がいれば、皆から羨望の眼差しで見られたものである。

自分は当時まだ中学1年だったので、日帰りで戻ってくることが不可能な大阪府の万博会場まで一人で旅行することなど、もちろん許されるはずがなかった。結局夏休みの時期に父、弟と3人連れで行くことになった。日程はたしか2泊3日くらいだったので、今になって考えてみれば万博1本に絞っておいたほうがよかったのだが、うちの家族にとっては関西に行くこと自体これが初めてということもあって、ついでに京都も訪問してみようということになった。そうなると当然のことながら強行軍のスケジュールとなり、万博は事実上1日のみの滞在となったのである。

初めて訪れた京都の印象は・・・といっても、やはり日本情緒とか歴史的価値などがわかっていない中学生に好印象を期待するほうが無理であろう。あえていえば、学校の教科書にも出てくる有名な金閣寺や銀閣寺、清水寺などを一通り参拝し、とりあえず足跡を残すことができたという一点に意義があったかもしれない。それから2年後の1972年にも修学旅行で再び京都を訪れる機会があり、どこかのお寺で聴いたお坊さんの説教が面白かったという思い出が残るものの、街の印象としては特に付け加えるようなものはなかった。その後は京都に再訪することもなく、40年以上の歳月が流れた。おそらく歳を重ねた今になれば、古都・平安京の良さもそれなりに実感できるだろうけれども。

自分が2度の京都訪問を実現した中学生時代(1970年~1973年)は、まさに渚ゆう子のブレーク期間と重なっていた。自分の中での京都のイメージは、実際に自分の目で見た京都よりも、渚ゆう子の歌に出てくる京都のほうが強いかもしれない。特に京都シリーズの第2弾となった「京都慕情」では「夕焼けの高瀬川」、「夕やみの東山」などの具体的な固有名詞が出てくることもあって、聴くたびにリアルな叙情に思いを馳せることができる。

さて、ここに紹介する『ナイトクラブの渚ゆう子』 は1973年7月13日から14日にかけて「広島ホノルル」というナイトクラブで実況録音されたライヴ盤である。ナイトクラブというのは食事をしたりお酒を飲んだりしながらダンスなども楽しむことができる大人向けの社交場で、当時人気の娯楽施設だった(アメリカでいえば南部の地域にある「Saloon」のような雰囲気。昭和40年代の時期は、学生や若い人が遊ぶというイメージがあまりなく、それを反映してほとんどの娯楽施設は大人向け、もしくは家族向けだったように思う)。司会者のMCや会場のざわめきもそのまま録音されているので、当時のナイトクラブの様子が手に取るように伝わってくるところが面白い。

ショウの前半は「渚ゆう子の歌う新しい日本の叙情」 と題して、彼女自身のヒット曲といわゆる日本のスタンダード曲が歌われる。オープニングを飾るのが琴の伴奏でゆるやかに始まる「京都の恋」。ベンチャーズのエレキ・サウンドに日本語の叙情的な歌詞を乗せるという斬新な試みによって、画期的な大ヒットとなった名曲だ。ちょうど万博が開催されたこの年、日本人の意識が今までになくワールドワイド指向になりはじめていたことも、和洋合作のコラボレーションが見事に成功した要因だったかもしれない。

それにも増して新鮮な叙情を満喫できるのが「風の日のバラード」 。この曲は中ヒット程度だったと記憶しているが、個人的には渚ゆう子の代表作にあげてもいい名曲だと思う。オリジナル曲に続く日本の名曲コーナーでは、当時ビッグ・セールスを記録した「女のみち」も登場。ワン・コーラスが終わってからいったん中断し、会場のお客さんたちを舞台に上げてもういちど一緒に歌い始めるなど、ナイトクラブならではのアットホームなサービスぶりも楽しめる。それにしても、どの曲を歌っても声質が明るく、高音がさわやかに伸びていく。おそらく沖縄出身の母親の影響で幼少時から沖縄民謡を学んでいたのと、芸能界の初期にハワイアンを歌ったことで、このような透明感のある発声法が身についたのだろう。

後半の部は日本的な叙情から一転して、そのハワイアンの名曲「ダヒル・サヨ~サンパギータ」 と全編ハワイ語の「ラハイナ・ルナ」で幕を明ける。これがまた、これまでよりも歌唱レベルが一段階上がったのではないかと思えるほど素晴らしい。どうやら、渚ゆう子の影のない南国的な声質にはハワイアンが抜群に相性がいいようだ。

以下は前半同様オリジナルのパレードとなり、いわずと知れた叙情歌謡曲の名作「京都慕情」、1973年時点での最新曲「東京に三日 田舎に四日」、切れのいいリズムが心地よい「雨の日のブルース」、レコード大賞歌唱賞を受賞した「さいはて慕情」と続く。前半の部と合わせると彼女の代表的なヒット曲はほぼ網羅されているといってもいい。

そして最後を飾るのが、お得意のハワイアン「グッドバイ・ホノルル」。ナイトクラブの名前が「ホノルル」なので奇しくもお別れの曲にふさわしい選曲となる。アンコールも2曲のハワイアン。渚ゆう子名義でのデビュー曲となった「早くキスして」とハワイアン・スタンダードの「カイマナ・ヒラ」。どちらも完全に彼女独自の音楽性を100%体現した歌いっぷりで、容易に他の追従を許さないレベルに達している。これぞ魅惑のハワイアン・ドリーム! 居ながらにして、常夏のワイキキ・ビーチの見果てぬ夢を実感させてくれるのである。

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