この不思議な気分。
その理由は、
多くの市民に蔓延する依存と同期。
今週はPCから離れると決め、
イザ開いてみると、
3時間が4時間へと移行。
そんな時間の過ごし方に、
罪悪感を感じる人は多い。
さっきの記事で、
ハンドインPC、
インハンズPC、
ワンハンドPC、
と、
ネーミング選びに約15分。
スマホであればスマホと文字にするものの、
アイポッド・タッチで見るウェブの世界。
片手の中に納まるパソコン。
スマホとタブレット。
新たに注目されるミニ・タブレット。
今後は大別され、
3つの大きさに集約されるだろう。
と同時に、
スマホでもない音楽プレーヤーでもない、
ゲームやカメラやナビゲーションでチェックするウェブ。
それぞれの新たな行動形態は新語として近く席巻するだろう。
総ての液晶画面はテザリングやミラーリングの対象。
無線の多様化は猛烈な勢いで世界へと広がる。
その事で繋がる本来の自分とは無関係な世界との通信。
離れることが困難な液晶画面とのニラメッコ。
その時間に身を置き続けることでの罪悪感。
今後も依存と罪悪感と新たな犯罪行為。
非現実的仮想空間は現代の実社会。
先週・今週と3度の酒席。
自分との直積的関係との密接な時間経過。
本来の生きる意味や楽しさを忘れてはならない。
罪悪感の正体。
その秘密は自分の殻を固めることだ。
今夜は“そのこと”を伝えたかった。
8時に開いたPCはやがて0時に。
本も読めず4時間も1人殻に籠る。
決して無駄な時間ではないはずなのだけど、
余りに早い時間の経過は途方もなく無駄に感じる。
何故だろう?
不思議な気分だ。
何だろう?
不思議な気分だ。
今日は3時間ほどPCを開いた。
メールのチェックや、
欲しいものの価格確認。
調べものついでに、
番組情報をツイート。
アッ!
という間の3時間。
同時にわき立つ罪悪感。
先週と今週は読書がメイン。
PCは極力開かない。
そう決めていたからか?
PCに向かう時間が途方もなく無駄に感じる。
と同時に、
世の中で起きている余りにクダラナイ出来事。
文字にする気力も失せる毎日。
ノートPCとワンハンドPC。
ワン・ハンドは付けては消しては。
思いついた時に思いつくままに。
それでも時間の配分はノート同様。
作業をするにはノートの数倍。
それでも呟く程度は数分間。
消しては付けては、
付けては消しては。
この罪悪感は何だろう?
途方もない無駄な時間。
何だろう?
不思議な気分だ。