カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

ポスドクになるまで I. 打診の手紙を書く

2005年09月13日 | サイエンス
ポスドクに関する私の経験をこのブログで紹介すると約束しました。そこで、私がNIHのポスドクになるまでの過程を3部に分けて、ご紹介します。まず第一部は、打診の手紙を書く、と題して、渡航先への問い合わせから受け入れが受諾されるまでの過程を書きます。この後、第二部では、行き先が決まって、実際渡航するまでの過程を私の場合を例として紹介します。第三部では、到着後の最初の三ヶ月ぐらいのことを、書く予定です。これは、もう18年も前の話ですから、現在の状況と異なることもあると思います。その点を考慮の上、参考にしてください。

ポスドクのポジションに関して打診した先生と当時交換した手紙を私は今でも保管しています。それをこの機会に読み返してみました。忘れていた当時のことがよみがえって懐かしく思うと同時に、今の私の目で見たときの新しい発見もいくつかありました。

当時、私は海外でポスドクをする目的を大きく二つ持っていました。まず、私の専門分野の範囲の中で、学位取得までとは違ったやり方の研究に接すること。研究者としてのはばを広げるためには、異なる環境で異なる思想や発想に接することが、重要と考えていました。そして第二に英語の上達を目指すこと、でした。その頃の私の書いた手紙を読み返してみて、何とプリミティブな英語だったことかと、驚愕しています。自分で書いた英語ですから、意図することはわかるのですが、意図とは反して誤解されかねない表現や文法的な誤りがいくつか見当たりました。たとえば、「I am looking forward to hear from you in the near future.」と書いています。初歩的な文法の誤りですね。これは、「I look forward to hearing from you at your earliest convenience.」とすべきですね。それから、文末を丁寧なことに「With my best wishes」と「Sincerely yours」の両方で結んでいます。相手は気を悪くはしないと思いますが、英語的にはどちらかだけで十分です。おそらく、当時の「英文手紙の書き方」のような本から取ったものなのでしょう。こういうことは細かいことですが、現在の私がポスドク候補者から手紙を受け取ったとき、文章の正確さや履歴書のフォーマットの綺麗さなどを、考慮の一つに入れますので、18年前の自分の手紙のミスを見るにつけ、冷や汗が出てきます。

そんな手紙にもかかわらず、NIHのB博士からはすぐに返事が来ました。当時はメールなどなく、航空便でのやり取りですから、片道1週間から10日は軽くかかっていました。私の手紙の日付が2月10日、B博士からの返事の手紙の日付が3月3日でした。そして、驚くべきことに、彼の手紙にはすでに給料の額も含めたポジションのオファーが記されていました。まだ、推薦状も請求されていませんし、私と直接インタビューをしたわけでもありません。今ポスドクを採用する立場になって、B博士のこの無謀とも思えるこの即断即決に驚くとともに、感謝するのみです。私には真似のできない大きな賭けを彼はしてくれたのだと、今つくづく思います。オファーの内容は、年棒2万2千ドルで、契約は一年更新だが通常二年から三年は簡単に延長できる、というものでした。さらに、給料の額について、独り者には十分だけれども、子供がいる家族にはちょっと足りないかもしれないよ、という思いやりのある一文も込められていました。

実は、私がポスドク受け入れの打診の手紙を送った相手は、B博士だけではありませんでした。候補地に選んだ研究室は、アメリカ、イギリス、スエーデェンなど全部で5ヶ所でした。この5ヶ所のどれでもいいと思っていたわけでなく、それぞれに異なるシナリオを考えていました。イギリスやスエーデェンに行くことになった場合は、2年程度の短期的なものを考えていました。そして、そのあとアメリカに移りたいと考えていました。ヨーロッパは学問の分野においても伝統と歴史があり、それに触れることは貴重であるとは思っていましたが、やはり研究予算の面ではアメリカに敵わず、開放的で自由なアメリカの方が長期的な職が得やすいだろうと思っていたからです。他の4ヶ所からの返事は、ある程度予想できたことですが、フェローシップやグラントが確保できたら喜んで受け入れる、というものでした。もし私が18年前の私の手紙を今受け入れ先の立場で受け取ったとしたなら、やはりそのように返事したと思います。その意味で、B博士の返事は今でも驚きです。当時の私にとっては、圧倒的に引き付ける力を持っていました。B博士の研究室は、私の第一候補でもあったので、もちろん直ぐにオファーを受ける旨、返事を書きました。

今思うと、やはりタイミングと、いい出会いがすべてであると思います。それから、これと思ったものに出会った時に直ぐに実行に移すことの大切さも感じます。私の手紙がもし一年、いや半年遅れていたら、B博士は他のポスドクを見つけていたかもしれません。何事も前向きに進む心の準備があれば、進む先には何かが開けてくるということではないでしょうか?このあと、渡航までの期間の準備や受け入れ先とのやり取りについて、次の機会に書きます。

最後に、皆さんの経験もこの場で共有しませんか?ぜひ聞かせてください。コメントお待ちしています。

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2 コメント

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Unknown (paper)
2005-09-15 04:56:28
いつも読ませていただいています.現在,イギリスでポスドクをしており,分野は先生と同じ構造生物学です.私は数年前に一度先生のところにポスドクの応募をしたことがあります.しかし,その時はポジションがなく,かつフェローシップを取ってくることを前提に考えているという旨のメールをいただき,あえなく断念いたしました.と同時に,トップクラスのラボというのは入るのも難しいんだなと納得しました.

現在のラボには去年の9月に来ましたので,ちょうど1年経ちました.現在のボスは先生のところで以前ポスドクをしていたことがあるO先生です.最初の打診のメールでCVも一緒に送り,また,日本の学会に招待講演で来るという事を聞いていたので,その学会で会ってもらえるようにもお願いしました.学会会場では40分ほど自分の研究内容について話をし,フェローシップを取ることは必須なのか,推薦状が3通必要である,近いうちにイギリスの大学(現在のラボ)へ移るということ,などなどを伺いました.結局フェローシップはあればそれに越したことはないけど必須ではないということだったので少しホッとしたのを覚えています.また,推薦状も3人の先生に書いていただけ,O先生としては受入れOKということになりました.

しかし,この大学の規定なのか,ポスドクの採用は公募をし,ポスドク選考委員会の面接を受けなければ採用にはならない,ということだったので当初はどうしたものかと困惑しました.しかし,実際には日本の採用人事に似ていて内定を出している人を取ってくれるようです.実際に,当時大学の人事部に問い合わせてみると,採用に向けO先生と連絡を取り合うように,との旨の返事が返って来ました.実際,応募書類を送ったら比較的直ぐにshort listに残りましたと人事部からメールが来ました.そして,最終面接は現地へ直接行くのではなく,会議電話で30分ほど選考委員に色々質問され,無事採用となりました.また,額はさほど大きくはありませんが,フェローシップも取ることができ,無事今のポジションに就くことができました.



話が前後しますが,私がポスドクとして海外へ出た最大の理由は「自身の英語力を向上させる」です.その上で自分が興味を持てる研究が行えそうなラボを選びました.勿論,研究面も言うまでもなく大切ですが,研究設備に関して言えば,以前に比べ現在では日本もかなり良いのであえて海外へ行く必要はないように思えます.実際,現在私がいる研究所の設備は日本の大学に居た時より劣っていて不満です.

また,多くの研究者と話をして見聞を広げるというのも,あえて海外でなくとも可能でしょう.なぜなら,日本国内にも独創的な研究をされている方は居られ,研究面でよい刺激を受けることは可能ですから.実際,ここイギリスに居ると,朝10時くらいにみんなやって来て,夕方5時には帰ってしまいます.勿論その間に彼らはティールームで午前と午後計2回お茶をしています.お茶の時間に研究の話をすると怒られたという話も聞いたことがあります.こんな環境に居ると,研究に関していい刺激を受けないので,自身のやる気を保持するのに苦労します.アメリカやカナダはどんな感じですか?切磋琢磨して良い刺激を受けることができるのであれば大変羨ましいです.

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はじめまして。 (YUITI)
2005-09-17 13:40:41
イギリス行きのご参考にどうぞ。
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