カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

朝顔 続編

2006年07月31日 | カナダ
夏真っ盛り。我が家のアサガオの花も、毎日綺麗な花を咲かせています。アサガオの花は、一日限りの儚い命だったのですね。夕方には萎んでしまい、翌日は花は広げないで、いつの間にか花弁ごと地面に落ちています。でもまた、新しい花がちがうところから出てきて、真っ青な綺麗な花を咲かせます。そして、夏の空も競うようにどこまでも青いのです。

そこで一句浮かびました。

「朝顔や 空より藍く 咲きにけり」

駄作で失礼しました。

アラビアンナイト

2006年07月30日 | カナダ
「月の砂漠を はるばると 旅の駱駝がゆきました」

有名な唱歌『月の砂漠』の出だしである。遠いアラビアンナイトの国々に思いはせ、大正時代の作詞家加藤まさおという人が書いた作品だ。星空のもと二頭の駱駝に乗って、王子様とお姫様がどこかへ旅するという情景が浮かび上がってくる、何とも情緒豊かな歌である。

そんなアラブの国々では、今いたるところで戦争が起こっている。その現状を考えると心がいたむ。私は政治のことはわからないし、ここで政治や宗教の問題を議論するつもりはない。レバノンやイラクの状況をテレビで見るにつけ、何とかならないものかと思う気持ちは増すばかりだ。

先日某テレビ番組で、シナイ半島に千数百年以上も続いている聖カテリーナ修道院の歴史について知った。驚いたことに、このキリスト教の修道院の中にはモスクがある。そして、イスラム教の信者たちもここに立ち寄り祈りを捧げていたということだ。古代の交通の要所にあったこの修道院は、様々な人々が行き来した。そんな環境では、やはり異文化や他の宗教を信ずる人々をも受け入れ、助け合うことが修道院の存続にとって不可欠であったのだろう。そして、数々の戦争や人々の争いを乗り越え、千年以上も途絶えることなく生き続けることができたのだ。

人種を問わず、宗教を問わず、思想を問わず、人間は共存することが可能であって、それが一番素晴らしいことなのだと、この修道院の古びた壁が語りかけているように思われた。簡単なことではないが、平和への手がかりを考えるとき、歴史に学ぶべきものは多い。ちなみに、この聖カテリーナ修道院は世界遺産に登録されている。一度行ってみたいものだ。

猛暑継続

2006年07月27日 | カナダ
西日本は梅雨が明けて、本格的な夏が始まったようですね。各地から猛暑のニュースが入ってきますが、驚いたのはロスの48度という気温です。何か測定方法でも違うのではと、疑ってしまいたくなる温度ですね。そんな温度で人はどうやって生活できるのでしょうか?考えられません。トロントでも猛暑が戻ってきて、この週末は35度まで行きそうです。家の中は(たまらず)エアコンをかけているので快適ですが、この温度になると、ほとんど外出する気にはなりません。ラボと家の往復だけしていれば、特に暑さは苦になりませんが、運動不足が気がかりです。長い散歩ができないのが悩みのたねです。うちの愛犬チェルシーもこのところ散歩には出たがりませんし、家の中でもぐったりしています。まあ短い夏ですから、それなりに楽しむしかありません。

記録的な豪雨の九州地方

2006年07月23日 | 日本
九州では、1200ミリを超える記録的な大雨が続いていると聞きます。梅雨前線が停滞して、梅雨明けがなかなか来ないようですね。被災地の方々には、お見舞い申しあげます。

それにしても、この異常気象は地球の環境変化を物語っているとしか考えられません。地球の温暖化問題、何とか対策を実行に移していかなければなりません。とは言っても、市民レベルでできることは、小さいものです。自動車の利用を控えたり、住宅の電気消費量の節約、リサイクルを心がけて無駄な消費を減らす、などなど。より大きなグループでの対策が急務でしょう。企業のレベル、地方自治体のレベル、国家のレベル、さらには国際的な協力と、人々の意識が総意として動けば、よい変化につながると思います。しかし、これが難しいのですよね。消費(いや浪費)社会が浸透した経済大国の国々に住む人々は、なかなか簡素な生活には戻れない...どうしたらいいのか?

この問題を考える上で役に立つ情報は、David Suzuki Foundationのサイトにもあります。以前にも紹介しましたが(2005年7月23日)、David Suzuki博士は、もともとはカナダ出身のショウジョウバエ遺伝学者ですが、その後テレビやラジオの科学番組でよく知られるようになりました。地球の環境問題に大きな関心をよせ、今では個人の財団を通して、この問題に取り組んでいます。

続・朝顔の花

2006年07月22日 | カナダ
「朝顔に釣瓶とられてもらい水」

加賀の千代女の有名な俳句である。井戸のおけに結んである縄に朝顔の弦が巻きついて花を咲かせたのだろうか?取ってしまうのはかわいそうなので、井戸は使わずに、近所にもらい水に行ったというのである。実に季節感と女性的な情感あふれる見事な句である。

うちの朝顔は5月27日の記事で紹介したように、近所の苗木屋さんで買ってきたものである。マルバアサガオかどうかは、残念ながら確認できない。二枚葉の苗から花が咲くまでは2ヶ月弱であった。急速に弦が伸びていって、葉をつけ、花を咲かせる。弦の先端は、常に支柱を探していて、弦は全体として時計と反対方向(左巻き)にらせん上に支柱に巻きついて成長する。地球の裏側でやっても、理科の実験で見たのと同じだ。アサガオに関するもっと詳しいことは、「アサガオの生理学」というサイトをご覧ください。

うちの朝顔

2006年07月22日 | カナダ
今年初めて植えた朝顔が、本日(7月21日)開花しました。見事な空色の花弁の中に黄色い花弁が見えます。早朝7時前には、少し萎んでいたのですが、8時過ぎには見事に全開し、この写真に納まりました。ほんとうに綺麗ですね。東洋の花は実に華麗で素敵です。帰宅後、薄暗くなってきた夜8時過ぎに、朝開花していた花を見に行くと、写真の花は完全に萎んでいました。また、明日の朝見るのが楽しみです。

日本では、どこでも見かける朝顔の花ですが、小学校の理科の観察授業以来、朝顔をしっかりと観察したことがなかったので、「アイ・オープニング」です。見ているだけで楽しくなります。それにしてもこの花は美しい。

ルパンのインディアンスパゲティー

2006年07月19日 | 食いしん坊
私の通った高校は名古屋市昭和区杁中(いりなか)のバス停近くにあった。今ではこのあたりは地下鉄の駅ができて交通の便が格段によくなったが、当時は名古屋駅からバスで50分ほどかかったと思う。その杁中のバス停の前に、ルパンという喫茶店があって、当時おそらく20代後半の仲のいいカップルが店をやっていた。帰宅のバスに乗る前に、親友のO君らとよくそこへ寄ったものである。ルパンの名物は、今でも忘れられないカレースパゲティーであった。ルパンでは、この一品をインディアンもしくはインディアンスパゲティーと呼んでいたと記憶する。一人前用の鉄板に、茹で上がりとはいえないちょっとぱさついたスパゲティーがのせてあり、その上に業務用の当たり前のカレーのルー(名古屋のオリエンタルカレーか?)がかけてあるだけの何でもないスパゲティーであった。そして、鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てているカレーのルーの上から、思いっきりタバスコをかけ、さらにその上からパルメゾンチーズの粉を容赦なくふりかけるのである。昼の長い授業を終えて食べるこのスパゲティーのうまさは忘れることはできない。今でもルパンはあるのだろうか?笑顔の素敵だったあのカップルはどうしているのだろうか?懐かしく思い起こされる。

今日の夕食が、たまたま残り物のカレーで作った自家製カレースパゲティーだったので、ふと35年も前の「ルパンのインディアンカレー」のことを思い出したのである。

バート・バカラックの音楽

2006年07月17日 | 音楽
中学のある時期、私はバートバカラックの音楽に魅了されていた。映画音楽で彼の作曲・演奏したメロディーが私の心を惹きつけた。「明日にむかって撃て」がその代表例だ。黒人歌手ディオンヌ・ワーウィックが歌う名曲も数え切れないほどある。当時、バカラックのLP盤を私は数枚持っていて、何度も何度も聞き返しながら夜を過ごした。

中学の音楽の先生に、バカラック音楽の素晴らしさを幾度となく伝えると、当時まだ20代だったと思われる女性のその先生は、私に一番好きなバカラックのLPを学校に持ってきなさいと言われた。そして、授業でそれを鑑賞しようということになった。西洋のクラッシックや日本の古典音楽ならともかく、当時のポップ音楽を授業を一時間つぶして、皆で聴くなどということは、当時かなり前衛的であったろうと思う。実際、この授業は予定通り行われ、クラス全員がバカラックの音楽を、整然と並べられた教室の机と椅子に着席して、一時間近く物音一つたてず聴いたのだ。こんな環境で、一体何人のクラスメートがバカラックのよさをわかるのだろうと思いながら私は聴いていた。曲が終わると、この先生は何も言わず授業を終了した。そのあと、私には一言こんな感想を述べられた。「君は音楽に酔っている。」そのことをいいともわるいとも言わず教室を後にされた。私はいまでもこの言葉を忘れられないでいる。遠い昔の思い出である。

猛暑到来

2006年07月15日 | カナダ
日本は各地で梅雨のまだ明けない7月中旬にしては記録的な猛暑が続いているようですね。こちらトロントも連日の豪雨が終わり、数日前からこちらとしては大変蒸し暑い日が続いています。今日も30度を越える暑い日になりました。

今週はいろいろなことがあり、目まぐるしく忙しい一週間でした。ものごとはなかなか予定通りにはいきません。そんな苦境をいかに乗り越えるかも研究をする上で重要なことです。済んだことは済んだこととして過去にとらわれず、辛抱強く着実に前進あるのみです。そのうち道は開けます。

この週末はできれば気分転換がしたいものですが、読まなければならない論文が多数あります。まあ、暑い日差しのもとで、仕事の論文を読むのも休日の過ごし方としては悪くはありません。雨が降らないといいのですが...

日本の読者の方へ:暑中お見舞い申し上げます。

ユリが咲きました

2006年07月10日 | カナダ
数年前に二株植えたユリが、今年は十本以上に繁殖し、見事な花を咲かせました。昨日(7月8日)が我が家のユリの2006年開花日です。この週末は素晴らしい好天に恵まれ、気温湿度とも最適で、朝から夜遅くまで、外気に接するのがほんとうに心地よい日々です。そんな気持ちのいい太陽の下で咲く、我が家のユリの花をお楽しみください。

ありがとうの心

2006年07月09日 | カナダ
日本のデパートやコンビニで買い物をするときに、品物を渡してくれた店員さんについつい私のほうから「ありがとう」と言ってしまい、何だか不思議な「えっ」というような顔つきをされたりすることがある。店員さんに怪訝な表情で見つめられるのだ。この「くせ」は、北米で長く暮らした結果の産物で、身に染み付いてしまっていて、もうどうしようもないのである。

こちら(北米)で、買い物をするとき、例えばスタバで大好物のグリンティーフラプチーノを注文をして、店員が一生懸命(!)作ってくれた品物を受け取るとき、「スタバのフラプチーノを私の手元に無事手渡してくれて、ありがとう」というのうなニュアンスの「ありがとう」が自然に出てしまう。そして「どういたしまして(you are welcome)!」という返事をもらうと、こちらもほっとする。この「ありがとう」は。店に対してではなく、買い物を手伝ってくれた店員に対しての「ありがとう」である。買ったほうが「ありがとう」と言い、売ったほうが「どういたしまして」というのは、日本的に考えると変な話しであるが、こういう環境に慣れさせられてしまった私には、それが自然であり、日常の会話として使ってしまうのだ。

そのくせが日本でも出してしまう。日本では、店員が「ありがとうございました」と頭をさげ、客の方は「どういたしまして」とも言わず、ただ立ち去るか、軽く会釈をする程度にするのが自然なのだろう。店員は、店を代表して「お買い上げ、ありがとうございました」と言っているのである。もちろん、北米でも、この「ありがとう」を聞くことはある。頭を下げることはないにしても、店員が笑顔で「Thank you very much!」と言ってくれることはある。ただ、上に述べた客の「ありがとう」の方が、店員の「ありがとう」よりも耳にする確立ははるかに高いと言える(店にもよるが...)。

売買の現場でのこの文化の違いは、日本と北米ではっきりとことなる。面白いのは、生まれてからほとんどの時間を北米で過ごした息子が、日本へ行ったときに、日本人の接客態度が北米のそれとあまりにも異なるので、驚きを示したものだが、「どちらがいいと思うか?」と聞くと、「もちろん、日本がいい(正常)!」と彼は私に告げる。スタバがいたるところにできてしまった日本にも、この貴重な文化遺産は大切に保存していってほしいと願うのみだ。

サマーBBQパーティー

2006年07月08日 | カナダ
昨日(7月7日)は、私の自宅でラボの皆を招待して、恒例となった夏のBBQパーティーをとり行いました。幸い好天に恵まれ、実に気持ちのよいイブニングでした。今回は、ソーセージとギリシャ風サラダ入りピタサンドイッチ、韓国風牛リブBBQ,そしてタンドリチキンと続きました。昨年のブログ(7月10日付)を読み返してみると、ほぼ同様なメニューでしたが、タンドリチキンがちょっとドライで、いまいちのできであったことを思い出しました。今回はタンドリソースをできるだけ某レシピに忠実に再現し(それでも他に色々足してしまいましたが)、一晩冷蔵庫でじっくりと寝かせておきました。それから、焼き加減も細心の注意を払い、表面がこんがり焼けていて中はジューシーのままになるように、気を使いました。ソーセージやリブを食べたあとなので、あまり売れないかと思ったのですが、私の予測を気持ちよく裏切ってくれて、タンドリチキンも大変よい売れ行きで、大好評でした。満足満足。今回は、11時過ぎまで外にいても、ちょうどよい気温と湿気で、快適でした。夏の恒例行事が終わり、ほっとしました。

佐藤康光永世棋聖誕生

2006年07月07日 | 将棋
第77期棋聖戦五番勝負第3局が行われ、佐藤康光棋聖が挑戦者・鈴木大介八段に3連勝して、棋聖位を防衛しました。佐藤棋聖は、棋聖位獲得が通算5期となり、「永世棋聖」となりました。おめでとうございます。佐藤棋聖の気風は、最新の研究型将棋を基本としまがら、同時に力戦型もこなせるという点で、他の棋士と別格の地位を確立しています。高校のテストでいうと、定期試験もよくでき、しかも実力試験でも高得点をとれる、というタイプの人です。秀才ですね。羽生三冠との将棋はいつも、真剣が何度もぶつかり合う、素晴らしい将棋です。振り飛車党の鈴木八段との将棋もネットで楽しみましたが、残念ながら、挑戦者は力を出せぬまま、押しつぶされた感があります。まずは、佐藤棋聖に祝福をこめて、この記事をのせました。

Starbucks vs. Tim Hortons

2006年07月02日 | カナダ
最近、どこの街へ出かけても、スターバックスを見つけられないことはない。東京には、どの街角にも必ずといっていいほど、緑色で書かれたあの文字を目にする。カナダにももちろんスターバックスは数え切れないほど存在する。しかし、それ以上に愛されているファーストフードの店がある。それは、Tim Hortonsという店である。数の上でも、おそらくスターバックスの数倍はあるだろうし、何と言っても驚くのは、勤務時間開始の9時ごろには、この店に長蛇の列が毎日のようにできるのである。カナダ人は、この店のコーヒーに「addictive」になっていると言っても過言ではなかろう。

屋号の由来は、人気のあったアイスホッケーの選手のものであるとのことだ。ただ、私には、この店の人気の理由がよく分からないのである。コーヒーは、どこにでもあるような味で、スターバックスのグルメチックなものとくらべると、何でもない商品である。ドーナッツや軽食もやっているが、どれをとっても、どこにでもありそうなスタンダードな味である。おそらく、そういうものが、大衆に広く受け入れられている所以なのだろう。くどくなく、誰にでも嫌われないものを商売にしているのだ。

私も時々Tim Hortonsのダブルクリーム入りコーヒーとドーナッツが恋しくなることがある。カナダの空気にあっているのだろう。こちらにおいでの際は、お試しあれ。

カナダデー

2006年07月02日 | カナダ
今日(7月1日)は「カナダデー」の祭日です。昨年も書きましたが、朝起きると、自宅のある通りの各家に、小さなカナダの国旗が立ててあります。私の家にも一つ立ちました。明日の朝にはなくなります。誰が仕業かは、昨年の記事をご覧ください。

話しは変わりますが、今年は庭の花がどれもきれいに咲いています。これまであまり咲いたことのなかった赤いのバラも見事に咲きました。近くに新しく植えた黄色いバラとよい彩を魅せています。今日は、のどかなカナダデーになりました。