カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

秋近し

2010年09月18日 | カナダ
朝晩の冷え込みが本格的になってきました。

バックヤードの樹木も、一部赤みを帯びてきた部分が目立つようになってきました。秋近し。

私の好きな季節です。誕生日が11月であるせいかもしれません。

ヨーロッパから帰って、あっという間の一週間。ただただあわただしく過ぎていきました。

二番目の息子が家を出たので、また家には我々夫婦とナナちゃんだけになりました。子供が育って、親だけになる状態を、「empty nester」というのが最近のはやり言葉です。ひな鳥が巣立って巣を離れ、親鳥だけになる状態ということです。


ナナちゃんはちょっとさびしそうにしていますが、静かな我が家もいいものです。とはいっても、週末になると、子供が顔を見せますので、我々にとってはちょうどいい塩梅です。つかず離れず状態が親子関係にとってはいいのでは、と思います。

さあ、今朝は久しぶりにディムサム(飲茶)に家族で行ってきます。

スエーデンで学位審査

2010年09月10日 | サイエンス
ワルシャワの会議を終えて、今日(金曜)はスエーデンのルンド大学へやってきました。

ここの大学の旧知の友人から頼まれたのですが、博士号の学位審査の外部審査員の役目を果たしにやってきました。

スエーデンの学位審査のやり方は、カナダやアメリカの大学のやり方とかなり違って、外部審査員は大きな任務を授かります。どういうことかと、まず彼らは私のことを「Opponent(反対者)」と呼びます。英語でそのまな理解すると、ぎょっとしますが、これは歴史的な呼び方で、現在ではそれほど反対者としての発言はなされないようです。

朝10時から始まった審査は公開で、会場のレクチャールームにはPhD候補者M君の友人や家族親戚が彼の晴れ姿を見にやってきています。

そんな中で、まずOppnentである私が演台に呼ばれ、M君の研究内容の意義について約20分ほど話します。そして、今度は本人が約20分ほど自分の研究を紹介します。そして、今度はM君と私が観衆の前で机を隔てて向かいあい、質疑応答を行います。これがなんと1時間ほど続きます。

そのあと、外の審査員4名が簡単な質問を行い、最後に観衆の質問があるかどうか、Chairmanが尋ねます。すると、驚いたことに、一人の学生(M君の後輩)が手を上げて、この機会にM君に見せたいものがあるが、それをしてもいいかどうか、Chairmanに尋ねます。すぐにOKがでると、この学生外数名が演台に上がり、PowerPointの準備を始めました。そして、Movieをまじえて、M君の大学院生活の裏の一面を皆に披露して、喝采をあびます。

すべての公開行事が終了すると(すでに1時近く!)、今度は審査員は別室に移り、審査結果を議論、私がまず発言を求められます。M君は業績も著しく、大変うまく審査をこなしたので、まったく問題なくパスでした。

そして、その後昼食を含めたレセプションで50名ほどの人々が来ていました。なんと、ランチは寿司のケータリング(!)でした。外部審査委員ではるばるやってきた私への配慮もあってのことでしょう。楽しく皆さんと歓談して、すべての行事を終了しました。

準備が少し大変でしたが、無事役目を終えて、M君が卒業できてほっとしました。たのしくて、有意義な経験をさせてもらいました。各地の学位審査に呼ばれますが、このスエーデンのやり方は、とても興味深く、貴重な経験となりました。

さあ、明日は帰宅です!


ワルシャワの町

2010年09月09日 | 旅の徒然
英語にされた国や町の名前で、これほど嫌悪感を覚える名前も他にありません。ポーランド語では、Warszsawa(ワルシャワ)というのですが、英語名はzと最後のaが除かれて、Warsaw(ウォーソウ)となっていて、「戦争を見た(町)」というように私には響いてしまいます。

ポーランド人の科学者に、私はワルシャワのほうが好きだというと、とても喜んでくれました。ポーランドの人々は複雑な思いで、英語名を使っているのではないかと思われます。学会のポスターにもWarsawと印刷されています。

ワルシャワの戦争の被害は予想以上でした。前回書いた古い町並みという場所も、実は戦後に復元されたもので、この街は完璧にすべてを失ったとのことです。もしかしたら広島や長崎以上の戦禍だったのかも知れません。ドイツ軍の侵略によって、町が完全に崩壊したそうです。

そこからの復興を考えながら、今このワルシャワの町を見つめなおすと、本当に感慨深きものがありますし、人々の努力が伝わってきます。私の会ったポーランド人一人ひとりの顔の表情に、その苦悩が刻み込まれているように思います。そして、戦後長い間共産国家であり続け、つい最近自由主義への移行したわけですから、人々の心の中には複雑な思いが感じられますし、将来への希望と不安が見えてきます。

それにしても、ポーランドの科学者は皆いい人ばかりでした。人と人が一対一で向かい合うとき、そして言葉を交わし、心に触れ合うと、そこには友情が生まれます。そういう人と人のつながりでこの世界が作られれば、どんなに素晴らしいかと思うのは私だけでしょうか?

人類にとって平和が一番の宝です。そのことを強く感じさせてくれた、今回の旅でした。

初めてのポーランド

2010年09月06日 | 旅の徒然
オーストラリアから帰宅して、あわただしく一週間が過ぎ、そしてまた出張です。

今週はEuropean Calcium Societyの学会でポーランドのワルシャワに来ています。英語では、Warsaw(ウォーソー)というような発音をしますが、ワルシャワのほうが響きがいいですね。ポーランド人はどう発音するのか、聞いてみます。

ワルシャワの町の大部分は第二次世界大戦で破壊されたのでしょう。ホテルから見る町は「のっぺらぼう」です。戦争の傷跡を感じざるを得ません。しかし、駅前のにぎやかなところは、アメリカのモールを思わせるショッピング街があり、そこだけは近代的です。ただ、少し歩くと街はまだまだ貧しさを感じさせます。

町の一角には、古い町並みが残ったところがあり(Stare Miasto)、そこだけは中世ヨーロッパの素晴らしい建物が残っています。ヨーロッパの古い町並みは、歴史を感じさせる石畳やぎっしりと隣接する建物がそれぞれ個性を持っていて、見飽きませんし散策するのがとても楽しいものです。ワルシャワの町はおそらく戦前はどこへ行っても、こんなきれいな町だったのでしょう。

夕方から会議が始まります。私の講演は明日。そろそろ準備を始めないとなりません。