カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

新シルクロード・天山南路

2005年06月12日 | シルクロード
今晩8時から衛星放送(TV JAPAN)で、NHKスペシャル「新シルクロード-第五集:天山南路ラピスラズリの輝き」が放送されるので、今から楽しみです。日本の仏教文化に少なからぬ影響を及ぼした天山南路のオアシス国家・亀茲国の物語です。2000年前のこの地域の有様が一体どんなものだったか、遺跡や発掘された遺品を見るたびに益々興味が沸いてきます。この番組は日本ではすでに放送済みですが、こちらでも少し遅れで見られます。残念ながら日本で同時に再放送されている25年前の「シルクロード」はこちらでは見られません。

新シルクロード展

2005年05月01日 | シルクロード
「新シルクロード展―幻の都楼蘭から永遠の都西安へ」が江戸東京博物館で開催されている(2005年4月16日-7月3日の期間)。同行の息子と一緒に常設の江戸・東京に関する展示品を観ようと、両国にある同博物館にやってきて、この「新シルクロード展」のことを始めて知った。何という幸運なのだろう。当然観ることにした。同じような偶然は昨年の夏、ロンドンへ行ったときにもあった。大英図書館に、これまた同じ息子と一緒にいった折り、偶然行われていた「シルクロード展」を観る幸運に出くわしたのである。ハンガリー人で英国の探検家であったスタインが20世紀初頭に持ち帰った、数多くの貴重な文物の一部が見事に展示されていて圧倒された。そして、今回は、何とNHKの最新番組「新シルクロード」の放送と平行して開催されているこの展覧会に遭遇したのである。この展覧会のハイライトは、何といっても、新疆文物考古研究所や日本のメディアが協力して2002年に新しく発掘した、小河墓遺跡(もしくはノルディクの墓として知られている場所)の貴重な発見品だ。展示場で目撃したものは、木製人物像、木製ミイラ、木棺、それに鮮やかな朱色を使ったシルクのドレスなどなど。もしかしたら、小河墓遺跡で2002年に見つかった美人ミイラが観られるかと思ったが、さすがにそれは日本には来なかったようだ。それにしても、木棺や木製ミイラに付着したタクラマカン砂漠の砂やシルクの織物の縫い目の見事さまで、この東京の地で、しかも目の前で、見られるとは予想だにしなかったので、本当に感動した。私のシルクロードに対する思いはつのるばかりである。タクラマカン砂漠、楼蘭、そして、ロプ湖には一度行かねばならない。

シルクロードの旅

2005年03月15日 | シルクロード
日本人はどこから来たのだろう?日本の文化はどのように生まれたのか?これらの大きな命題に答えるために、日本人は大陸に目を向けてきたし、その歴史に大いに惹かれるのではないだろうか?シルクロードは、まさにこれらの命題に答えるための象徴であるような気がする。日本人の心のどこかにシルクロードへのノスタルジアが多かれ少なかれあるのは、やはりそこに我々の心の安息地があるのかもしれない。もっと大胆な想像をすると、日本人のDNAの中にはシルクロードの痕跡があるのかもしれない。司馬遼太郎は『街道をゆく25-中国・ビンの道』のなかで、シルクロードのことを「日本人の特異なロマンティシズムの一つ」と言っている。ここで私は、シルクロードにロマンティシズムやノスタルジアを感ずるのは、ほんとうに日本人だけなのだろうかという、新しい命題をかかげてみる。19世紀の終わりから20世紀のはじめに、プルジョワスキー(ロシア)、ヘディン(スウェーデン)、スタイン(イギリス)などの偉大なる探検家たちが、いわゆる西域の地に足を踏み入れ、古代のシルクロードについての歴史的発見を数多く残した。彼らの心の中に、シルクロードにたいするどんな思いがあったのだろうか?彼らの著書を読む限り、やはり日本人と同じように、彼らも遠い昔に西と東が入り混じるこの地にロマンティシズムを感じていたのではないかと私は想像する。大英図書館の中国史研究家フランシス・ウッズが、その著書『シルクロード』の冒頭において「Yet the romantic name, Seidenstrasse or Silk Road」と書いているように、西欧においても「シルクロード」の響きの中に何らかのロマンティシズムが存在するにちがいない。私のシルクロードに対する興味と研究は、「シルクロード」に対して日本人のもつ感情と西欧人のいだく感情のちがいを探す旅でもあるのだ。