カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

人生の余裕

2006年01月29日 | 日本
池波正太郎氏が『男の作法』の中でこんなことを言っています。「余裕を持って生きるということは、時間の余裕を作っておくということに他ならない。一日の流れ、一月の流れ、一年の流れを前もって考え、自分に合わせて、わかっていることはすべて予定に書き入れて余分な時間を生み出す…そうすることが、つまり人生の余裕をつくることなんだよ。」 もっともですね。数年後には自分はこうありたい、と考える。それに到達するには、今年のうちに何をしなければならないか?今月中に何をしておきたいのか?そして、今日どこまで達成しておくべきか?こんな風に長期計画を練ってみるのもいいと思います。特に若いうちは。私のように50代に突入する者には、年中行事や学会の予定などでその年の予定がほぼ決まっていて、それに流されてしまうことが多くなってしまいます。しかし、この歳になっても、夢は持っています。それを目指して今何をすべきかを常々考えて、実行を試みてみています。それから、私は40代になってから、目の前にある要件だけでなく、植物や動物すなわち自然の美しさに目がとまるようになりました。そして、日本そして中国の歴史や文化にも大いに興味を抱くようになりました。井上靖氏も高齢になってから初めて穂高への登山を経験し、梓川の美しさに胸をうたれ、日本の風景の素晴らしさにあらためて感動したそうです。そして、毎年海外旅行を重ねるごとに、日本の自然の美しさを再認識する思いが増していったと語っています。年とともに、心に余裕が生まれると同時に、外界に対する感受性も変わってきます。そのとき、そのときを一生懸命やって、時間の余裕をつくり、その中でその歳にあった人生の楽しみを謳歌できれば最高です。

本日晴天

2006年01月28日 | カナダ
久しぶりの自宅での土曜日です。しかも、本日晴天なり。まだ時差ボケが残っているので、朝早くから起きだして、調べ物やメールの整理をしていました。午前中は、1ヶ月ぶりにヨガのクラスに行く予定です。インストラクターはカナダ人の女性ですが、大変親切な指導でこのクラスは人気があります。やはり、身体を動かすというのはいいものですね。しばらくさぼっていたので、身体がきついかもしれません。午後からはラボに行って残務整理の予定です。留守の期間が長ければ長いほど、当然ですが帰ってからが大変です。ここで取り戻しておいて、来週からは通常通りと行きたいものです。

トロントに帰宅

2006年01月25日 | カナダ
成田経由でトロントに昨夜もどりました。それにしても、成田空港付近で見た雪には驚きました。数日前に積もった雪が地上一面に残っていました。一方、トロントの空港に着陸する直前に見た地上の様子は積雪ゼロ、どんよりと曇ったみぞれ模様でした。トロントは、日本と対照的に、例年にない暖冬ということです。香港で見た大気汚染を思い出すにつけ、人間の生活活動によって生み出される地球温暖化が各地の異常気象の原因ではないかと疑わざるをえません。地球環境問題は、この地球に住む全人類の責任です。私も何らかの形でこの問題に取り組んでみたと思っています。

ホリエモンは何を残したのか?

2006年01月24日 | 日本
ライブドアの堀江貴文社長が証券取引法違反の疑いで逮捕されました。この人のことは私は詳しくは知りませんが、インターネット関連の事業を起こし、株式取引を含め多く分野に事業を拡大し、ライブドアを急成長させた「新しい時代の経営者」というのが、一般的な捉え方だったでしょうか?ただ、この人が、金儲け以外に、本当に何をやりたかったのかは私にはわかりません。時代は、元気のある若者を求め、日本を暗黒のデフレ時代から新しい発展の時代へ導いてくれる、新しい力を求めていました。そこに、この元気一杯で、ポジティブで、日本的感覚から言うと、ちょっと新規性に富む考え方やアイデアを持つ(ただし私には彼の発言が一流のものとは思えませんでしたが)、この人物を賞賛してきた機運があったことは事実だと思います。私の知り合いの日本の学者の中にも、この時代の風雲児をポジティブにとらえていた人もいますし、私自身、こういう新しいタイプの若者が日本の社会に登場することに期待も持っていました。しかし、この逮捕で、彼のやり方が正当であったのかということが、問われることになりました。すなわち、この人が、我々の求めていた新時代の真の経営者だったのか?という疑問と、ホリエモンは何を残したのか?という疑問が残ります。時代は間違いなく新しいものを求めています。そして、国際的にも通用する真の本物が必要なのです。彼のやってきたことに違法行為があったとすれば論外ですが、ホリエモンの見せてくれたあの活力と行動力は賞賛されて然りだと思います。ライブドア問題などで、日本経済が混乱するようでは困りますし、日本の真の改革を鈍化させてはいけません。東証のシステムを始めとして、社会全体がもっと先見性、柔軟性、そして判断力のしっかりした賢いシステムを作り上げていかなければなりません。そうしないと、競争力を高めているアジアの列国にすぐに追い越されてしまいます。日本人の英知を集約すれば、必ずできます。後戻りはしてはいけません。前進あるのみです。
 

シンガポール国立大学

2006年01月21日 | サイエンス
昨日まで二日間、National University of Singapore(NUS)を訪問しセミナーをしてきました。シンガポールは、英語を公用語にしながら中国系の人々が大半を占めているという点で、香港と似たところがあります。したがって、大学の学生も中国系がほとんどです。NUSを訪問した第一印象は、整備が行き届いていて、キャンパスもきれいであるということです。私のお世話になったDepartment of Biological Sciencesは、8年前に組織再編でできた学部で、そのHeadは以前トロント大にいたL教授です。このHeadは、予算や人材獲得に関して大きな力を持っています。L教授は、8年前にはまったく存在しなかった構造生物学やゲノム、プロテオミックス科学者をリクルートして、今では大変活発な研究グループを築き上げました。ほとんどの新人ファカルティは北米でポスドクを経験した中国系の科学者です。これも数日前に紹介した香港のケースと似ていますね。かれの功績によって、シンガポールの大学生は最先端の生物学の一端に接することができるようになったのは事実で、ここで育った学生がこの国の財産になっていくのだろうと強く感じました。正直なところ、私の今回会った何人かの大学院生の英語能力や科学的論理性、説明力は北米のトップクラスの大学生のそれには及びませんが、勤勉でやる気のある彼らの姿を見ていると、必ずいつか世界の一流の大学と肩を並べるであろうと思いました。彼らは学部、大学院を通してすべて英語で授業を受け、英語で研究発表等をしていますので、日本の平均的な大学生より英会話能力はかなり上です。この大学の10年後、20年後が楽しみです。

香港科学技術大学

2006年01月17日 | サイエンス
Hong Kong University of Science and Technology (HKUST)に昨日行き、セミナーをしてきました。この大学は、十数年前に新しく設立された大学で、香港のダウンタウンからは少し離れた海外沿いの素晴らしい環境の中にあります。教職員、学生には、大学キャンパス内にある快適な宿舎が用意されています。そして、まず驚くのは、教授陣はほとんどすべて、欧米で研究経験のある若くて有能な中国人の研究者で、英語がきわめて堪能です。授業、セミナー等はすべて英語でやっています。学生は、ほとんどが中国のトップクラスの学校からやってくるようですが、かれらも英語教育によく適応している様子がよくわかります。たまたま行われていた細胞分化のシンポジウムには、著名な研究者が招かれていて、HKUSTの研究者と英語で活発な議論をする様子を目撃しました。明らかに新しい世代の有能な科学者を生みだす土壌と環境がここには存在し、香港、中国が将来に向けて力をつけている現場を目撃した、というのが率直な感想です。日本の大学も、新しい発想で国際的に通用する教育・研究環境を整えていかねばなりませんが、ここに一つのやり方を見たような気がします。

香港到着

2006年01月16日 | 旅の徒然
昨日香港に無事到着。着陸態勢に入った飛行機の窓から眺める香港は、ひどくガスっていました。かなり降下して、はじめてスモッグの下に無数の高層ビルディングが見えてきました。ようやく香港に着いたのだという実感がわいてきました。空港からホテルまでのタクシーの中で、ドライバーにスモッグにことを聞くと、年々ひどくなってきているといいます。原因は、香港の北部にある広東省の工業地帯からでる大気汚染であると、このタクシードライバーも、それから私のホストである香港科学技術大学のZ教授も、口をそろえて言っていましたので、公然の事実ということなのでしょう。地球環境問題の深刻さが、ここ香港に来て痛感しています。香港はたくさんの島が入り組んでできている地形で、冬にはあまり雨もふらず、スモッグが貯まりやすい環境なのでしょう。夜、九龍から見た香港島もかすんで見えました。

今日から出張

2006年01月13日 | サイエンス
今日から、香港とシンガポールに出張です。私の研究室に十数年前にポスドクでいたZ博士が、今は立派に香港科学技術大学で教授をしています。そこで、セミナーをしてきます。それから、シンガポールに飛び、同国立大学でセミナーやら某プロジェクトに関する議論などがあります。時間が取れれば、街を歩いてみたいとおもっています。ブログで紹介できるような、何か面白いことに出会えるといいのですが。では、行ってきます。

ラボの引越し 続編

2006年01月12日 | サイエンス
やはり引越しというのは大変ですね。すべての試薬関係の移動は特殊物品専門の引越し屋によって行われたのですが、これが大変スローで、今日になってすべてのものがようやく到着しました。他にも、コンセントの一部が使用不能であったり、超遠心機はバランス調整が必要ですぐには使えないとか、様々な小さな問題が次々に出てきます。幸い、うちの研究所には有能なファシリティー・マネージャーがいますので、これらの問題を次々に解決してくれます。最後になりましたが、写真はうちのラボが引越しをしたビルディング(中央の新しい建物)です。

大雪の日本列島

2006年01月10日 | カナダ
この冬は日本の各地で大雪の被害が出ていると聞きます。新潟の一部では3メートルを超える雪とか。。。恐ろしい量の積雪ですね。今年のトロントは、例年よりも雪は少ないような気がします。積雪はありますが、それほど多くはありません。数年前に一日の積雪が40-50cmを記録したことがあります。そのときは、ほとんどの交通機関がマヒし、当時のトロント市長は国に軍隊の派遣を要請しました。スローガンは「Dig the city!(街を掘り起こせ!)」だったように記憶しています。トロントはカナダの中でも南部に位置し、国内では比較的温暖な場所です。ですから、トロント市長がそのくらいの雪で軍隊を呼んだことを、カナダの西部や北部の人たちは嘲笑していたのを覚えています。雪中お見舞い申し上げます。

ラボの引越し

2006年01月07日 | サイエンス
本日、ラボの引越しを完了しました。引越しといっても、隣の敷地に新たに立ったビルディングに移動しただけの話しで、距離的には歩いて3分のところです。所属は変わりません。しかし、ラボを移動するとなると、様々な機器などラボにあるすべてのものをパックして移すわけですから、大変な労力を要します。幸いNMRは動かす必要はありませんでしたし、ラボの皆が一丸となって働いてくれたので、本当に助かりました。十数年の歳月の間に貯まった所持品はすごい量でした。まず、何を処分して何を持っていくべきかを判断しなければなりませんが、すべてのものにいちいち私が目を通すわけに行きませんので、かなりの不要物も移動しました。それにもかかわらず、移動にかかった時間は実質4-5時間だったでしょうか?時間がかかるのは、パッキングと整理、そして物品の移動が終わって今日から始まったアンパッキングとこれまた整理、です。私の書類関係は大変な量で驚きました。移動してから、仕方がないので廃棄しようと覚悟を決めたものがかなりでてきました。まだまだ整理に数日かかりそうです。素晴らしい器を用意してもらったので、それにふさわしい研究成果をあげていきたいと思っています。

明日(3日)から平常通り

2006年01月03日 | サイエンス
日本はまだ正月三が日でお休みの方が多いでしょうね。なかには、1月10日までお休みという方のいらっしゃるのではないでしょうか?学校も10日から3学期が始まるところが多いと聞いています。こちらは、明日から平常通りです。私のラボはこの金曜日に新しく建ったタワーに引っ越しますので、今週は準備で大変忙しくなりそうです。ラボの引越しについては、追って書きます。

松任谷由実『Smile Again』

2006年01月02日 | 音楽
愛知EXPO愛・地球博のライブコンサートでユーミンがアジアのミュージシャンと歌ったこの曲を、昨日(31日)の紅白に初めて出演したユーミンが上海からライブで聴かせてくれました。素晴らしい曲です。日本語(ユーミン)、韓国語(イム・ヒョンジュ)、中国語(アミン)、英語(ディック・リー)が見事なハーモニーになっていて、二胡の音色(シェイ・クー)がアジアの心の繊細さを奏でていました。アジアは一つ、世界は一つ。そして平和の尊さこそがすべてであるという、彼女のメッセージがこの曲の中から伝わってきます。過去のつらいことは忘れて、もう一度スマイルを、この気持ちを共有することができれば、世界中の人々が仲良く暮らせることでしょう。音楽という素晴らしい力をフルに使って活躍する、私の長年の心の友、ユーミンに拍手と激励を送りたいと思います。私と同世代の彼女が30年以上も音楽活動を続け、新しい試みや展開を常に見せてくれるので、私も自分の分野で、彼女のように信念をもって、グローバルで意義のある活動をしていきたいと思ってます。科学にも国境はありません。音楽と同様、国を超え、人種を超えて、人類の平和と繁栄に少しでも貢献していきたいというのが、2006年、年頭の私のビジョンです。