カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

有島武郎のこと

2007年09月30日 | 日本
有島武郎は明治時代に北海道と深いかかわりをもった人であった。最初のつながりは、学習院中等科から札幌農学校へ編入するという、当時としては極めて異例の進路をたどったときであった。縁あって当時同校で教鞭を取っていた新渡戸稲造の宿舎に下宿し、新渡戸の国際的感覚とクリスチャニティーの洗礼を受けた。そして、新渡戸の勧めで、米国の大学に留学することになる。

有島の系譜をたどってみると、明治という時代がどんなにか前衛的で眩しい輝きをもった時代だったかということを知らされる。帰国後、有島は父親が所有していたニセコの広大な農場の地主を受け継ぎ、小作人問題について深く考えさせられることになる。そして、米国で接しだ奴隷問題と照らし合わせながら、地主として自分の取るべき道を選ぶ。それは、小作人の解放であり、小作人集団による土地の共有という当時としてはまったく新しい考え方の実践であった。

有島は北海道と接する中で数々の小説を残した。「カインの末裔」、「生まれ出づる悩み」、「一房の葡萄」などの名作はあまりにも有名である。これらの作品は、彼自身のニセコでの生活の中から生み出されたものである。そして、45歳で出版社記者であった波多野秋子と軽井沢の別荘で心中を遂げる。彼の死はあまりにも劇的である。しかしながら、有島の残した遺産は、文学に留まらず、北海道の開放的な精神にも深くつながっているように思う。ニセコ町には有島という地名が現在でも存在し、同町にある有島武郎記念館では彼の北海道での日々をうかがい知ることができる。

深浦康市新王位誕生

2007年09月27日 | 将棋
羽生善治王位を4-3で破り、深浦康市八段が王位のタイトルを獲得しました。深浦新王位は初めてのタイトルです。おめでとうございます。羽生は王座と王将の二冠になってしまいました。しかし、またいづれかのタイトルをすぐ取り返すことでしょう。

このところ深浦新王位は実力をフルに発揮して好調でしたので、タイトル獲得の可能性はある程度予想はされていました。最初の二局で深浦八段が二連勝して、深浦絶好調を見せつけてくれましたが、そこは羽生三冠、踏ん張って3-3まで持ち込み、最終の七局まで勝負は持ち越されました。

会場は木村名人と升田八段との名人戦で名高い神奈川県の「元湯・陣屋」でした。羽生と深浦は最後まで熱戦を繰り広げ、先手深浦105手目「7七角」が切れ味のよい詰めろ逃れの詰めろの好手で、見事に最終局をものにしました。ただ、渡辺竜王のブログによると、後手「7六桂」という手が存在し、その後の変化がどうやらかなり面白いとのことです。ブログのおかげで、プロの視点を終局後すぐ聞けることは大変ありがたいことです。将棋が益々面白くなります。

Mooncakeの日

2007年09月26日 | カナダ
今日9月25日は旧暦で仲秋の名月の日です。そうです、「Mooncakeの日」です。仲秋の満月を眺めながら、月餅をともにお茶をいただく。うちのラボでも中国人のメンバーが皆に月餅をふるまってくれました。

帰宅途中で少し雲に陰った大きな満月が南東の空から顔を出し始めたのを目撃しました。大きなお月さまでした。

それにしても、今日は暑かった。おそらく30度近くいっていたでしょう。その上とても湿度が高く、真夏の有様です。帰宅後にエアコンのスイッチを入れました。トロントで9月の下旬にここまで暑くなったのは私の記憶する限り初めてです。

地球の温暖化を危惧しながらも、自然の摂理として毎年変わらずやってくる仲秋の名月を楽しむことにしましょう。

静かな休日

2007年09月23日 | カナダ
久しぶりの我が家でも休日です。今日は秋晴れというにふさわしい素晴らしい快晴になりました。木々はあちこちで少しずつ赤や黄色に変わりつつあり、空気は澄んでいて、空には雲ひとつありません。

実にすがすがしい日です。とは言っても、グラントや論文がたまっているので、そちらをやらねばなりません。その前に犬の散歩と自転車乗りに行ってきます。

昨日帰宅

2007年09月20日 | カナダ
大阪府高槻市にある薬科大学でのシンポジウムに参加して、昨日カナダの自宅に帰りました。シンポジウムのあとの懇親会で何人かの学生さんとお話ししましたが、とりわけ学部三年の女学生二人が進路の選択について真剣に質問してきてくれたことを嬉しく思いました。彼女たちにとっては、かなりの勇気をもって私に声をかけてくれたのだと思います。取り留めもないことを話しましたが、何とか勇気づけてあげたいと思いました。可能性が無限大の若い学生たちには、よいメンターリングが必要なのでしょう。がんばってください。それにしても、最近感じることは男性よりも女性の学生の方が元気があることです。男性諸君にもますます元気を出してほしいと思います。

昨日の飛行機はボーイング777で快適でした。飛行時間も成田からトロントまで11時間半でした。ぐっすり7-8時間は寝たと思います。仕事が山ほど待っています。

Isamu Noguchi

2007年09月17日 | カナダ
世界的に著名な彫刻家のIsamu Noguchiがマスタープランを手がけた札幌のモエレ沼公園を訪問した。広大な敷地に存在する丘や平らな場所をまるで彫刻の素材のようにして磨き上げ、それらの相対的配置にまで気を配りながら全体として見事に調和した空間になっている。そして、Noguchiのデザインした人工のオブジェが点在する。子供の玩具もあちこちに見られる。不思議な世界がここにはある。Noguchiのデザインは緻密に計算されていて、その造形美には息を呑むほかない。これまでに味わったことのないような空間に私は魅了された。

Noguchiはこの公園の計画を1988年に開始し、一年足らずでマスタープランを完成させている。しかしそのプランの公式発表の後、あまり日がたたないうちに他界された。その後、モエレ沼公園は着実に建設され、ついに2005年にグランドオープニングを迎えた。計画開始から長い年月が経過していたが、これはNoguchi自身予想していたので、おそらく完成を見られないことまで想定していたのではないだろうか?何という芸術家だろうか!

1988年という年は私がアメリカに留学したとして年で、私にとっても思い出深い年である。19年前にNoguchiの残したマスタープランを見事に完成させた関係者の方々に拍手を送るとともに、無料で公開してる札幌市にもエールを送りたい。

進化する札幌

2007年09月13日 | 日本
学会で札幌に滞在中です。ホテルは札幌駅と大通り公園のちょうど中間点の駅前通りにあるのですが、その西4丁目通りは今地下道を大通りから札幌駅まで伸ばす大がかりな工事が始まっています。その通りには昔から地下鉄も通っています。完成までにはまだ数年かかると思われます。

会場のある東札幌のコンベンションセンターは以前JRの巨大な車庫があった場所です。都市開発が進んで、このあたりの風景もかなりかわったようです。素晴らしい会場ですが、周りには住宅こそあれ商店街はなく、何となく無機的なところでした。

札幌も徐々に変貌を遂げています。でも、九月に吹く風や手稲の山並みは昔と同じで、ほっとしました。

札幌ラーメン

2007年09月10日 | 日本
明日から札幌コンベンションセンターで始まる学会に出席するために、札幌に来ています。ああ、それにしても札幌ラーメンはおいしい。わたしは味噌ラーメンが好きです。今では全国版になった札幌の味ですが、スープを味噌味にするというアイデアは当地の「味の三平」という店の先代主人が発案して始まったと聞きます。この店に行く時間があるといいのですが...

札幌はそれほど暑くもなく、ちょうどいい天候です。

今日から新学期開始

2007年09月05日 | サイエンス
カナダのほとんどの学校・大学では今日から新学期が始まりました。9月の第一月曜はアメリカもカナダも「Labor Day」の休日ですので、今年は火曜日が新しいセメスターの始まりです。

これから秋の学会シーズンですし、大学のいろいろな行事も始まりますので、また一段と忙しくなります。それから、グラントのシーズンでもあります。


アイスクリーム・トラック

2007年09月02日 | カナダ
昨日は談たまたま夏の風物詩に話しが及び、遠い昔の屋台の甘いものを懐かしく思い出しました。

すると、どういうことでしょうか?!昨晩夕食を皆で終えようとするころ、楽しそうな子供の音楽が遠くから聞こえてきて、だんだん近づいてくるではありませんか。息子が、「あっ、アイスクリーム・トラックが来た!」というので、早速外に駈け出してみると、案の定あの奇抜な装飾に飾られたトラックがうちの前を通過していこうとしていました。

これは何かの縁だととっさに感じ、トラックを運転する女性店主にストップのサインを送り、アイスクリームを調達しました。日本でいうところのコーンにのったソフトクリームでしたが、これが実にうまい!クリーミーでいい甘さ。皆で食後のデザートを堪能しました。ちなみにお値段は、カナダドルで1ドル75セントでした。150円ぐらいです。

夏の風物詩の一つ、アイスクリーム・トラックで初めてアイスクリームを買いました。家の前をアイスクリーム・トラックが通ることなど滅多にありません。何だか素晴らしい贈り物を今年の夏から頂いたような気分になりました。カナダの夏よ、日本の夏よ、ありがとう。

夏の風物詩

2007年09月02日 | カナダ
週末の土曜日、少し遅い朝食をとっていると、家の前の道路の方から「チリ~ン、チリーン」という音が、ゆっくりと移動していくのが聞こえてきました。その音色を聞きながら、遠い昔の思い出がよみがえってきました。

遠い昔の話しですが、家の近所には、よく屋台をひいたおじいさんが色々なものを売りに来ていました。夏は、やはり「蕨もち」です。小舟の形をした竹製の小さな器に冷たく冷やした蕨もち、その上には甘い黄粉がいっぱいかかっていました。確か抹茶の粉もあったと記憶しますが、やはり子供にとっては黄粉の方が人気がありました。冬は、もちろんたこ焼きです。屋台のたこやきもおいしかった。それから、飴細工もありました。「チリ~ン、チリ~ン」という音が聞こえてくると、「あっ、飴細工のおじさんが来た!」といって、十円玉をしっかり握って外に飛び出していった記憶があります。ただ、祖母はよく「あのおじさんは、あの手で鼻をかんだりしていて不潔だから、やめときなさい。」とよくいっていました。

ところで、こちらで聞こえてくる「チリ~ン、チリ~ン」の音の正体は何だと思いますか?残念ながら、飴細工のおじさんではありません。それは、日本で言うと「包丁研ぎ屋」さんというところでしょうか?小型トラックの後ろに、研磨機を積んでよくまわってきます。包丁やナイフも研いでくれますが、実はそれよりももっとポピュラーなものは、芝刈り機の大きな歯(ブレード)やガーデニングに使うヘッジカッテャーです。残念ながら、日本語の名前が思い浮かびません。庭師さんが松の剪定に使う様な大型の道具ですが、こちらの家庭には必ずあります。

夏の風物詩のお話しでした。

朝青龍の問題について

2007年09月01日 | 日本
新聞で朝青龍の問題を読みました。モンゴルからやってきた力士が、日本の風土に溶け込み、その言葉も習得し、その上史上まれに見る強さで相撲界の第一人者になったことは、驚くべきことですし、好感を持って応援したくなるのは私だけではないと思います。それは努力の賜物でしょうし、本当によくやっていると思います。慣れない土地で。

しかしながら、朝青龍はやはりモンゴル人です。モンゴルの広い草原と大きな青空、澄み切った空気のもとで育まれたDNAは変えることができません。東京のマンションでの謹慎を強制することが、どれほどまでに苦痛であるかは察しがつきます。まあ、モンゴルの実家で謹慎処分というのは筋が通らないとしても、北海道釧路郊外あらりの広い農場で一ヶ月間の謹慎、というようなイキな処分を相撲協会が下していたら、ひょっとしたら現在のような事態は起こっていなかったのではとふと思いました。結果論ですが。

もちろん、彼の犯したルール違反は彼の落ち度という他はありません。しかしながら、これほどまでの才能を、今回の言ってみれば些細な若心による行動によってつぶしてしまうことは、あまりにも耐えがたいことです。相撲界にとっても何の益にもなりません。

相撲界が国外の力士を受け入れている以上、文化の違い、価値観の違いによるトラブルは今後も避けて通れない問題になることでしょう。相撲界にとっては、日本固有の伝統・文化をしっかりと守りつつ、なおかつ国際的な感覚を身につけていくことも今後の課題になることでしょう。