素敵な湯呑み茶碗を手に入れました。福岡県の小石原焼です。
九州北部に窯元が数多く存在するのは、申すまでもなく、豊臣秀吉が16世紀後半に朝鮮出兵を行って(文禄・慶長の役)、膨大な数の陶芸職人を朝鮮半島から連れて帰ってきたことに始まります。有名な有田焼、伊万里焼も歴史の根底はそこにあります。もちろん、400年余の歳月をかけて、その土地独自の素晴らしい作品になってきたことも事実です。
小石原焼もその例外ではありません。朝鮮系の技術がこの地に入り、当初現存する高取窯として始まったとのことです。おそらく村落には今でも先祖代々伝えられてきた朝鮮職人の家伝のたぐいが残っていることでしょう。高取窯に小石原窯が加わり、両者切磋宅なしあいながらよりよいものを作り上げてきたということです。
私の手に入れた小石原の茶碗は、現代の陶工の作品ですが、この地に伝わる独特の文様(連続的な点線)が施してあり、濃い土色と黄土色の色合いもうまく調和し、心休まる作品に仕上がっていて、大変気に入っています。
おそらく意思に反して朝鮮半島から連れてこられた陶工の人々、そしてそれを受け継いできた後の人々の努力に心から敬意を表しつつ、カナダの地で小石原焼の湯呑み茶碗でお茶を楽しませてもらえることに大変感謝しています。
九州北部に窯元が数多く存在するのは、申すまでもなく、豊臣秀吉が16世紀後半に朝鮮出兵を行って(文禄・慶長の役)、膨大な数の陶芸職人を朝鮮半島から連れて帰ってきたことに始まります。有名な有田焼、伊万里焼も歴史の根底はそこにあります。もちろん、400年余の歳月をかけて、その土地独自の素晴らしい作品になってきたことも事実です。
小石原焼もその例外ではありません。朝鮮系の技術がこの地に入り、当初現存する高取窯として始まったとのことです。おそらく村落には今でも先祖代々伝えられてきた朝鮮職人の家伝のたぐいが残っていることでしょう。高取窯に小石原窯が加わり、両者切磋宅なしあいながらよりよいものを作り上げてきたということです。
私の手に入れた小石原の茶碗は、現代の陶工の作品ですが、この地に伝わる独特の文様(連続的な点線)が施してあり、濃い土色と黄土色の色合いもうまく調和し、心休まる作品に仕上がっていて、大変気に入っています。
おそらく意思に反して朝鮮半島から連れてこられた陶工の人々、そしてそれを受け継いできた後の人々の努力に心から敬意を表しつつ、カナダの地で小石原焼の湯呑み茶碗でお茶を楽しませてもらえることに大変感謝しています。