カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

札幌の街

2005年03月24日 | 旅の徒然
88年に北米に転出する前、私は札幌に住んでいた。そして今仕事で札幌に来ている。ここ数年、札幌は毎年のように来ているが、今回駅前の変貌ぶりには驚いた。JRタワーや新しいホテル、デパートができ、昔の駅舎的雰囲気はもうない。それと同時に、駅から北大正門までの距離が極めて短く感じられ、徒歩でもまったく苦にならない距離にちじまったような気がした。建物が大きくなると、街のワン・ブロックが小さく感じられるのだ。大通り公園の付近は大きな変貌はなく昔の面影通りだ。北大構内は、新しい建物がいたるところの見られ、特に私のいた理学部や旧北大第二農場のあたりは新しい建物が立ち並び大きな変貌ぶりだ。昨年の強風で多くのポプラやエルムの木々が倒されて、中央ローンや理学部ローンでは、痛々しい木々を目撃した。構内を走る大学の無料循環バスはとてもいいアイデアで、便利で快適であった。私のいたころにはなかった。
 私がこの街を離れて再び訪れるたびに、この街の印象は変わる。それは街の変貌による印象の違いというよりも、時とともに変わってゆく私の心の中の変貌によるものだ。日本を離れた最初の5年目のころは、この街が好きだった私の心の中の郷愁はピークであったように思い返す。11年住んだこの町を私はとても気に入っていた。渡米後10年目では、徐々に郷愁が懐古の変わり、訪れるたびに心の中の懐かしさを客観的に捕らえられるようになっていったと思う。街自身への愛着というか愛情が変わったわけではないが、その自分の気持ちを「観る」自分自身が変わっていったような気がする。そして17年立った今、益々客観性がましてクールな気持ちで札幌の街を楽しむことができる。
 私がNIHに移った88年当時、同じ研究室でベンチを隣同士にしたテキサス出身のジョン(当時大学院生)に、札幌はこんないいところだと自慢していた。積極的でアウトゴーイングな典型的アメリカ人のジョンはその後学位を所得し、コロラドの山歩きのために1年休暇をとったあと、日本に英語の教師としてやってきた。当初は東京にいたが、すぐに札幌に移り住んだ。90年のはじめだったと思う。私の言葉がほうんとうかどうか確かめに来たのか。。。そのジョンは今札幌にある女子短大で常勤の助教授をしている。週に3-4日ほど講義をして、残りの日々は、夏はバイクライド、冬はスノーボードをして楽しくやっていて、札幌は天国だと私に言う。彼の札幌在住年数は、私のそれを超えた。数年前彼と札幌で会ったとき、狸広路にある彼の行きつけの札幌ラーメンの店に、ジョンが連れて行ってくれた。そして、「O-I-SHI-I」と二人で連呼しながら味噌ラーメンを楽しんだ。異国で人と知り合い、その彼と私の心のふるさとでまた再会する。何とも感慨深いものがある。今日、彼に電話してみようと思っている。今度は、私の好きだったカレーの店でも紹介してやろうと思っている。まだあればの話だが。。。

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2 コメント

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ぇえ? (ぜのぱす)
2005-03-25 14:44:02
今は、無料循環バスが走ってるんですか? 北大も変ったものですね。



私は'90に札幌を離れました。学科は違いますが、先生の5期ほど後輩の理学部同窓生です。某旧帝大の助手職を捨て、'95年に渡米して研究分野を大きく替え、先生のような華々しい業績はありませんが細々とResearch Scientistとして研究を続けております。



年齢的には、早くPIとして独立しなければいけないのですが・・・。分野を変えた所為もありますが、なかなか現実は厳しいです。そういった状況で、ハワイ大学の柳町先生や伊倉先生のように世界的に活躍されておられる諸先輩の存在は大きな心の支えとなっております。



これからも楽しみに拝見させて戴きます。
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なんだかとっても (motokawa)
2005-04-17 15:02:30
こんにちは。

私は札幌に住んでいる者です。

北海道に生まれ、北海道で育った道産子です。



一年ほど日本を離れ、つい先日帰国しました。

mikuraさんの言うように、駅周辺の変貌ぶりには驚かされました。すっかり都会の雰囲気をだしていて、ちょっと寂しい気もします。



札幌は天国だよ!というジョンさんの言葉、とてもうれしい言葉ですね。おもわず微笑んでしまいました。私も札幌自慢!したこと、多々あります・・・・。



なんだかとっても心温まる話だな~と思ってついコメントしました。これからも読ませていただきます。将来、研究職を目指す者としても参考にさせて頂きます。
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