四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成16年5月3日(結願から高野山・第39日目)

2005-09-05 09:28:03 | 第5回(結願・高野山)
5月3日(月曜日)
(第5日・通算第39日目・歩行距離27.0km・歩行歩数44,280歩)

 4:45分、起床。昨晩は蒸し暑く寝苦しかった。
でも、体の方は一日休養したせいか調子はいいようだ。

 駅に向かう途中にあるローソンで朝食を買う。
昼食は高野山で取るつもりなので買わない。

 5:38分、JR和歌山線で橋本へ向かう。
電車はほんの数人を乗せて紀ノ川沿いの線路を川上に向かって走る。

 6:50分、橋本に着く。ここから南海電鉄の高野山線で九度山へ行く。

 7:23分、高野山線に乗り換え九度山駅に向かう。

 7:35分、九度山駅に着く。
改札口を出てどちらへ行けばいいのか分からなかった。
駅員さんに慈尊院への道を聞いてから、歩き出す。
慈尊院へは1キロほどだという。

 7:55分、慈尊院に着く。
1キロと聞いていたが、駅から2キロはあるようだ。
これなら、橋本での待ち時間を考えると、九度山駅までこないで
高野口駅から歩いた方が時間の節約になったようだ。

 慈尊院は、昔、高野山が女人禁制だった時代に、
ここで弘法大師とお母様が会った場所とされている。
九度山という地名もお母さんが弘法大師に会いに月に九度も来たという
由来によるものらしい。
しかし、九度山といえば、私には豊臣秀吉と徳川家康が権力争いを
していたときに、真田一族や真田十勇士がこもっていた山という記憶の方が強い。

 途中の広場でも真田市という物産市が開かれており、
幟にはおなじみの六文銭のマークが印刷されている。

 慈尊院でお参りをしてから、納経もお願いする。
納経帳は一杯なので半紙納経を頂く。
 
 五人ほどの中高年の男女がハイキング姿で階段を上がっていく。
この道はお遍路よりもハイキングコースとして歩かれる人の方が多いようだ。

 町石道は高野山にある根本大塔から一町ごとに卒塔婆の形をした石柱が
180本建てられている。
そして180本目が慈尊院にある。
この間の距離は約20キロほどだ。

 8:15分、いよいよ奥の院へ向かって町石道を歩く。
まずは、丹生官省符神社へ続く急な階段を上がる。
神社に参拝してから180町石を捜したが見あたらない。
境内にある案内板を見ると先ほど登ってきた階段の途中に180町石があるようだ。
後ろに戻るのをちょっと躊躇したが、階段を下りると中程に180町石があった。
写真を一枚撮ってから、もう一度、階段を登る。

 神社の右手から山に向かって歩く。
正面に見える柿畑の中へ道が続いている。
かなりの傾斜の道を九十九折りに登る。
振り返る度に視界が開けてくる。
目の下には紀ノ川が流れており、橋本の市街も見えている。

 一町は109メートルなので少し歩くと次々に町石が現れる。
最初は番号を確認していたが、そのうち、面倒くさくなってやめた。
標識は、ヘンロ標識でも同じだがあまり有りすぎるのも考えものだ。
景色を見るより標識に気を取られてしまうし、
何より、あまり進んでいないような気がして、精神衛生上良くない。
適当に跳ばしていく。

 9:20分、柿畑の山を登り終えて、道も土の道になる頃には
あたりは杉林となっている。
丁度、1里石が有るので、ここで休むことにした。

 ここで今晩の宿を捜さなければいけないと思い携帯電話を取り出すと、
携帯の画面にアンテナが3本立っている。
見晴らしのいい場所なので携帯も通じる。
早速、高野山宿坊組合に電話する。

 宿坊組合の女性に「ゴールデンウィークなので料金は高くなってます。」と
言われるが、ユースホステルも満員なので料金のことは目をつぶる。
大阪のHさんから紹介されていた無量光院に泊まってみようと思っていた。
係の女性に「無量光院に泊まりたいが、無量光院が無理ならどこでもいいです。」
といって一度電話を切る。

 歩き出してすぐ携帯が鳴る。宿坊組合からだ。
「無量光院に泊まれます。料金は1万円です。」といわれる。
そして、料金は宿坊組合に支払うことになっていると教えてくれる。

 組合の事務所は大門にもあるし、中心街の観光案内所の中にもあり、
どこで支払ってもいいが、5時までしかやっていないので、
必ず5時までに来て下さいと念を押される。
まあ、昼過ぎには行けるだろうと思っているので、
「分かりました。」とだけ返事しておく。

 一里石を歩き出してすぐに六本杉の分岐点に来る。
ここから右手に行くと丹生都比売神社へ降りていく道となるが、
私は左へ進む。

 しばらく杉林の中を歩いていくと、前方にチエンソーを持った若者が
二人休んでいる。
どうやら間伐をしているようだ。

 最近、林業にも若者が回帰しているとは聞いていたが、
実際にお目に掛かったのは初めてだ。
「間伐ですか?」いうと「そうです」と元気な声が帰ってくる。

 二つ鳥居に着く。
町石道に並ぶようにして石の鳥居が二つ並んでいる。
この鳥居がどこの神社の鳥居か分からない。
付近に神社らしき建物は見あたらない。
 
 少し山を下ると、突然、前方の視界が開けてくる。何とゴルフ場がある。
町石道を歩いていくとゴルフコースの真横に出る。
四人ほどのグループが私の鈴の音を聞いて振り返る。
そのうちの一人が、今、まさにボールを打とうとしたときに鈴が鳴ったので、
振り返った目がとげとげしい。
アドレスの邪魔になったようだ。
しかし、小さな鈴の音が邪魔になるくらいでは、
まともなゴルファーではないだろう。
一応、会釈をして通り過ぎる。

 神田地蔵堂という小さなお堂の前を通る。

 しばらく林の中を歩いていると、消防車のサイレンの音が聞こえてくる。
その音がこちらの方へ近づいてくるようなのでその音のする方を見ると、
右手のゴルフ場のむこうにモクモクと白い煙が上がっている。
山の陰で建物は見えないが、こんな山の上で火事に遭うとは思わなかった。

 10:40分、96町石の横で休む。
ここまで約2時間半、ほぼ半分ほど歩いたことになる。
天気がいいのでどっぷりと汗をかいている。
林の中は日陰で幾分涼しいが、それでも気温が上がっているので暑い。
飲み物をがぶがぶ飲むと残りが少なくなってくる。
ペットボトルに半分ほどしかない。
この山の中では補充できないので、あとは我慢するしかない。

 山道を快適に歩いていくと道が下っていく。
左手の方から車が走っている音がする。
よく見ると、すぐ下に車道がある。

数人のハイカーが歩いている。
その後ろを歩いていくと車道を横断する場所に出る。
人が沢山いて賑やかだ。
どうやら矢立茶屋らしい。

道路を横断すると休憩所があり、建物の横に自販機がある。
自販機から缶ジュースを買って一気に飲む。「うまい!」これで一息つけた。

 そのまま休まずに歩く。
道はまた登って行くが、山道の脇に「袈裟掛石」、「押上石」など
いわれのある石が次々と出てくる。
それらを見ながらゆっくりと登っていくと、また、車道に出る。

 11:20分、車道を登ったところに立派な休憩所があるので、
ここで休むことにした。

見晴らしがいい場所なので風当たりがよく、汗をかいた肌に気持ちが良い。
ちょっと横になると、背中の筋肉がバリバリといって伸びる。
これも気持ちが良い。
目をつぶっていると、風が頬をなぜていく。
ちょっと、ウトウトしてしまった。

 さて、気を取り直して歩き出す。
しばらく歩くと道はだんだん急になってくる。
いよいよ最後の登りか?

 上の方から数人のグループが降りてくる。
挨拶を交わしながら登っていくと階段が現れる。
上の方に車の走る音がする。
車の音が一段と大きくなったと思ったら車道が現れ、そこは、大門の前だった。

 13:13分、左手を見ると朱塗りの大門が堂々と聳えていた。
これほど大きな仁王門は見たことがない。
あまりの大きさに圧倒されてしまった。

車に気を付けながら車道を横断する。

 山門で手を合わせ、一礼して、門をくぐる。
そこは、車と人が溢れている。狭い道に人が溢れている。
今まで一人で歩いてきた山道とは別世界が目の前に広がる。

 大門から奥の院へ向かって歩くが、行き交う人と車でむこうから
歩いてくる人とぶつかりそうになりながら進む。

 昼食のことを考えながら歩いていると食堂があるがどこも満員だ。
これではどうにもならないので、丁度、お弁当を売っている店があったので
巻きずしを1本買う。

 15分ほどで金剛峯寺に着く。お寺の前にある駐車場も車で溢れている。
奥の院に行く前に金剛峯寺にお参りをしてしまうことにした。
何故かというと、納経帳にある奥の院の裏のページに金剛峰寺の納経を
頂こうと考えたからだ。

 山門前は行き交う人で賑やかだ。
山門をくぐりお寺の正面でお経を唱える。
しかし、目の前にある寺の廊下を歩いている観光客が沢山いるため、
落ち着いてお経が上げられない。
それでもどうにかお経を唱え、納経所へ行く。

納経所も沢山の人で溢れているが、納経帳を書いてくれる人も沢山いるので
待ち時間はほとんどない。
私の納経帳は若いお坊さんが書いてくれたが、お坊さんの胸に身分証が
ぶら下がっている。
黒い法衣に近代的な身分証は違和感があった。

 13:30分、金剛峯寺にお参りして奥の院に向かう前に昼食を取ることにした。
適当な場所がないので、山門横にある植え込みの影に座り込み、
さっき買った巻きずしを食べる。
靴下も脱いですっかりくつろいでしまった。

目の前を観光客が歩いて行くが、ちょっと木陰になっているので
それほど気にならない。
缶ジュースも飲んで、やっと一息ついた。

 通り過ぎる観光客がチラッ!チラッ!と私の方へ視線を落として行くが、
どうもその目が冷たい。
まあ、髭面で汗くさい体だろうから避けていくのは当然か?

 ゆっくり休んだので奥の院目指して歩く。
車道は車が一杯で身動きができなくなっている。
歩道も先ほどより一層込み合う状態なので、狭い歩道の上を向こうから
来る人を右に左に交わしながら歩く。

 30分ほど歩くと奥の院へ続く参道の入口である一の橋に着く。
ここからは、無数の墓の真ん中を奥の院まで続く参道を相変わらずの人の中を
歩く。
 
 14:50分、灯籠堂を回り込むと奥の院の前だ。
やっとこの場所に着くことができた。
しかし、奥の院の前も人で一杯だ。
ほとんどが観光客だが、団体遍路の人達10人ぐらいがお経を唱えている。
灯明をあげようとするが灯明台はロウソクで一杯になっている。
もう火が消えそうなロウソクを抜いて、新しいロウソクを差して
火を付け、線香にも火をつける。

いつものようにお経を唱えるが、気持ちが浮ついている。
雑踏に等しい奥の院の前では、感動のカケラも湧いてこない。
それでも、お経を唱えたので納経所で納経をしてもらう。
これで、2年がかりの歩き遍路を無事終えたことになる。
でも、「やった!」という達成感があるかと思えば、
心の中に何の感情も感動も湧いてこない。

しかし、終わったのは事実だ!

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  奥の院へのお参りを終えて、これで丁度2年を要した私の遍路が
 一段落したことになる。
  でも、心の中に達成感が満ちてはいない。
 何科もの足りなさだけが残っている。
 一体どうしたことだろうか?

  2年前、霊仙寺の納経所で歩き終えた老遍路が涙を流しながらお坊さんに
 話していた光景が目に浮かんでくるが、あれほどの感激が私の心に
 湧いてこない。

  まだ歩き足りないということなのか?
 または、もっと歩きなさいということなのか?