四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成15年5月1日(結願から高野山・第38日目)

2005-09-02 08:53:29 | 第5回(結願・高野山)
5月1日(土曜日)
(第3日・通算第38日目・歩行距離35.0km・歩行歩数56,229歩)

 5:15分、起床。
朝食用に作ってもらったおにぎりを食べて、出発の準備をする。
他の部屋のお遍路さんはまだ寝ているようだ。

 6:00分、白鳥温泉を出発する。
川筋に沿って下って行くが、谷間にはまだ日が射してこない。
しかし、空はピーカンの青空で、今日も暑くなりそうだ。
朝の道は車も走ってこないし、まだ空気がヒンヤリしていて気持ちが良い。

 しばらく下っていると宗心の分岐点に着く。
この分岐点を左に曲がると、いきなり畑の横の細い踏み分け道のようなところにでる。
ヘンロ標識はその道を差しているので標識に従って進む。
すると、目の前に新しい立派な道が現れる。
この道を歩いていくと、道が少しずつ登りとなり、登り終えたところが星越峠だ。

 ここから下っていくと右手に沼が現れる。
この、沼と思ったのは大内ダムによる大内湖だった。

 7:00分、大内ダムの手前にある大内ダム公園の手前で休む。
ここでトイレに行きたくなったが付近を捜したがトイレが見つからない。
公園の中にある建物を見に行ったが売店の建物のようでシャッターが降りている。
仕方がないので、與田寺まで我慢して歩くことにする。

ダムの下に来ると道は与田川に沿って下っていく。
両側には田んぼが広がっておりのどかな風景だ。

 道の左側に古くて立派な神社がある。
正面に回ってみると水主神社と書かれている。
古い石の鳥居はなかなか立派なものだ。

 左手の方に高速道路が走っているが、その方向へ向かって歩いていく。
高速道の下をくぐると右手の方にこんもりとした森が見えている。
どうやらそこが與田寺のようだ。


 7:55分、與田寺に着く。
山門前の両側に双抱え以上ありそうな大きな木が堂々と根を張っている。
與田寺は四国霊場の総奥の院といわれている。
境内にはいると作務衣姿の人がおり、箒で境内を掃除をしている。
本堂にお参りをしてから大師堂に行くが、大師堂は階段を上がらなければならない。
階段を上がり一番奥にある建物の前に行くが、これは大師堂ではないようだ。
辺りを見回したが大師堂が見あたらない。

仕方がないので下に降りて納経所へ行くと、納経所の窓がしまっている。
どうしょうか考えていると、境内を掃除している人が「納経ですか?今行きます」と
いう。
納経帳が一杯になっていることを告げると、「これをどうぞ」といって、
すでに半紙に墨書されているものを1枚渡してくれる。

 山門から出たところに駐車場があり、その脇にトイレがある。
我慢してきたものを出しスッキリしたところで、さあ、後は霊山寺を目指して
歩くだけだ。

 この辺りも市町村合併により「東かがわ市」という名称になっている。
白鳥町のはずれを引田町に向かって遍路道を歩く。
この辺りでは、ヘンロ標識をあまり見かけない。

 本来、お礼参りの必要があるかという議論があるが、
私は、「お遍路を始めたお寺に戻る」ということに意義を感じている。

なぜかというと、お遍路は1番のお寺から始めるのではなくて、
どこのお寺から初めても良いとされている。
しかし、始めたお寺に戻らなければいけないという話も聞いた。
津照寺の納経所で「お礼参りは必要がない。霊山寺が勝手に奨励している。」などと
いう話ではなく、「回り始めたお寺に戻る」だけのことではないか?

回り始めたお寺に戻るということは、四国で自分があるいた道筋が一つに繋がり
「環」になるということではないか。
その「環」は輪廻転生に繋がるものではないかと思っている。

 白鳥中学校の先にある角を右に曲がり歩いていると向こうから来たおじさんが
「どこへ行く?」と声を掛けてくる。
「霊山寺へ行きます。」と答えると、ちょっと首を傾げてから
「そうか、それならこの道を真っ直ぐ行けばよい。」と教えてくれる。
どうやら、與田寺へ行くのかと思ったようだ。
それなら反対の方向へ歩いていると心配になって声を掛けてくれたようだ。
 そうそう、このようにしてお遍路は地元の皆さんから見守られているのだ。

 9:30分、白鳥町の市街から外れた墓地が見える農道の横で休む。
遠くに見える墓地には色とりどりの花が咲いている。
すっかり高くなった太陽からは強い日差しが容赦なく照りつける。
北海道から来た身にとっては真夏のような日差しだ。
半袖から出ている腕が日焼けで真っ赤になっている。

 遍路道の先で国道11号に合流している。
今までのどかに歩いていたのが、うって変わって車の騒音の中を歩かなければならない。
国道の交通量は相当のものだ。
左側にある歩道に渡ろうとするがひっきりなしに行き交う車で渡ることができない。
やっと、間が空いたので走って歩道へ行く。

 引田の町に入る。市街地にはいると歩道が狭くなり、歩くのも横を走る車に
注意しなければいけない。

 町はずれにある大川橋を渡ると左手に海が広がる。

 10:40分、少し歩いたところに集落があったので、そこで一休みする。 
ここで、朝食の残りのおにぎりを食べる。

 この集落の中を歩いていくと東海寺の手前を通る。
また国道へ出るが歩道がなくなっているので道路の右端を歩いていくと
右手に大坂峠への入口を示すヘンロ標識を見つける。
ここから大坂峠を越えて行くと3番札所金泉寺へ出る。
でも今回は、一番遠回りである卯辰越えを選んでいるのでこのまま海を見ながら進む。

 左手の海側にうどん屋を見つける。
「手打ちうどん」と書かれただけで屋号を示すような看板がない。
中にはいるとセルフの店だった。かけうどんを頼み、かき揚げをトッピングする。
店はまだそれほど込んでいないので、小上がりに上がり靴下も脱いでしまう。
 うどんは美味しかった。もっちりした歯触りが心地よい。
開け放たれた窓からは気持ちいい風が吹いてくる。

 美味しいうどんが食べられたのですっかり気をよくして歩いていると、
向こうから走ってきた軽自動車が左にウィンカーを出し止まる。
運転席から60過ぎのお爺さんが降りてくる。
そして、「これを!」といって五百円玉を手渡される。
あわててお礼を言うが、お爺さんはもう車の方に歩きかけている。
車の助手席に奥さんらしい人が乗っているので、頭を下げてお礼する。
 この辺りをお遍路する人はほとんどいないのではないかと思う。
ここでお接待を受けるとは思わなかった。感謝!感謝!

 三津トンネルを過ぎると向こうの方に折野の港らしい突堤が海に突き出ている。
もう少しと思い頑張っる。
 港が近くなってきた。道路の交通標識に右を指す矢印に大麻と書かれている。
ようやく折野に着いたようだ。

 右大麻とかかれた標識の横にあるスタンドの前を歩いていると、
スタンドの事務所から「お遍路さ~ん」と呼ぶ人がいる。
後ろを振り返ると事務所の建物からお爺さんが歩いてくる。
「大麻神社へ行くのだろうと思って待っていた。車に乗っていかないか?」といわれる。
「すみませんが、歩いてお遍路しているので!」と断ると、
手に持っている缶コーヒーを渡してくれる。
缶コーヒーを2本持っていたので、どうやら、私と自分の分を買って
待っていてくれたらしい。ありがたいことだ。

 12:35分、ガソリンスタンドの先にある交差点で一休みする。
今晩の宿をまだ決めていなかった。今晩は徳島市内の大鶴旅館に泊まるつもりでいる。
電話すると女将さんが出て宿泊OKの返事をもらう。
場所がわかるかと尋ねられたので、「一度泊めていただいた。」というと
「地図の場所は間違っているから気を付けて!」と念を押される。

 さあ、いよいよ最後の峠越えだ。ここからは、折野川に沿って山へ向かって歩く。
車の通りも少なく気持ちよく歩いていると道がだんだん急になってくる。
卯辰越えの峠だ。

 九十九折りの坂道を登っていくとカーブミラーにパトカーの赤い警告灯が見える。
どうしたのかと思いカーブを曲がると、ミニパトに警官が一人乗っている。
その後ろにバイクが1台止まっている。事故でもあったのかと思いバイクを見るが、
特に傷などないように見える。
急なカーブを曲がりながら路面を見ると白墨で人影のようなものや矢印などが
書かれている。
やはり事故のようだ。バイクが車に衝突したのか?

 そのまま歩いていくと板野の方からまたパトカーが走ってくる。
こんな車がほとんど通らない峠で、何故、事故が起きるのだろう。
ヘアピンのようなカーブだったので、バイクが対向車線にはみ出したのか?
または、車が対向車にはみ出したのか?いづれかは分からないが、
バイクに乗った人は見あたらないのでもう病院へ運ばれているようだ。

 私も半月ほど前にバイク事故を起こしたので、他人事とは思えない。
幸いに、私はほとんど怪我をしていないが、事故はちょっとした油断から起きる。

 13:50分、峠に着く。ここからは下り坂となる。
登ってきた道と同じような坂道が延々と続く。
しかし、下りなので足は進むが膝に対する負担は大きい。

 坂の途中で林の中でガサゴソ音がする。
付近の谷にはゴミが散乱している。不法投棄のゴミのようだ。
よく見ると猿が数匹ゴミを漁っている。体格のいい猿がジッとこちらを見ている。
この猿はボス猿か?一枚写真を撮るとフラッシュの光りに驚いて、一瞬、身構える。
「驚かせてごめんね。」と声を掛けて歩き出す。

 14:30分、卯辰越えの峠道を下り終えると、大麻比古神社の駐車場に出る。
駐車場から社殿の正面に回ると立派な楠の古木がある。
幹の太さが三抱えはあるような堂々とした大きな木だ。
その奥に大麻比古神社の本殿がある。
お参りをした後、少し休む。ここまでほとんど休憩しないで歩いてきたから、
靴を脱ぎ、靴下も脱いですっかりくつろぐ。
なにせ、霊山寺は目と鼻の先だ。

 15分ほど休んでから、いよいよ霊山寺を目指して最後の歩きに入る。
参道を歩いていくと両側に灯籠が並んでいる。その先は高速道路が横切っている。

 大きな鳥居をくぐり大麻比古神社と別れ、高速道路の下をくぐると
すぐ目の前の森に九輪が見える。
歩いていくと霊山寺にある多宝塔の九輪のようだ。
土塀が見えてきて、どうやらここが霊山寺のようだ。


 15:00分、霊山寺の正面に回る。
すると、ここはもう今まで歩いてきた人気のない道とは別世界で、
たくさんの人が山門を行き来している。
境内の中にも沢山の人がいる。

山門で一礼して境内に入る。
早速本堂へ行きお参りする。
しかし沢山の人が行き交う中では落ち着いてお経が上げられない。
何とかお経を読み大師堂へ行く。
大師堂でも人混みの中であわただしくお経を読む。

 やり終えたという気持ちが全く湧いてこない。
納経所へ行き、最後の納経をしてもらうが、最後のページを使い終えているので
與田寺で頂いた半紙納経の裏に「願行一圓」と書いてもらう。

 これで、四国での遍路は一応終えたことになる。
さしたる感慨も湧いてこない。やり終えたという気持ちになっていない。
ここを歩き出そうとし時に涙を流しながら歩き終えたことを納経所の人に
報告していた老人のことを思い出す。
あのような気持ちが全然湧いてこない。
これは区切り打ちだからなのか?それとも、私の個人的な感情が盛り上がって
こないだけなのか? 
わからない! 
何故なのか分からない!
 でも、気持ちの中に達成感が薄いことだけは本当のことだ。
また、四国に来なさいと言うことなのか?

 2年前、ヘンロを始めるときに記入した「歩きのノート」を売店のお婆さんに
出してもらう。
奥の方から見覚えのある黒い表紙のノートを手渡される。
早速、ページを拾い自分の書いた場所を探す。
ありました、ありました!自分で書いた歩きだした日と住所と氏名。
その一番後ろに
今日の日付けを記入する。
これで、本当に完結したのだ!
ノートを見るとKさんやHさんも記入している。
しかし、SさんやMさんの名前がない。
このノートの存在に気がつかず記入せずに歩いている歩き遍路も多いのだ。

 徳島行きのバス時間を確かめると、30分以上あるので缶ジュースを買って
境内のベンチで飲む。
境内に出入りする沢山の人をぼんやりと見つめていた。
すると、大師堂にお参りしようとする人の中に志度で同宿になった
岡山からの遍路を見つける。
昨晩は切幡寺あたりで泊まっているはずなのに、なぜ、今頃、霊山寺に着くのか、
理解できない。
もっと早くに霊山寺に着いていると思っていた。
お参りの後、本堂の方へ向かっていったので、このまま声も掛けずに別れた。

 15:56分発のバスで徳島駅に向かう。
 
 大鶴旅館の場所はおぼろげに覚えている。郵便局近くの繁華街にある。
ちょっと迷っただけで、見覚えのある旅館に着く。
玄関で声を掛けると、見覚えのある元気な女将さんが顔を出す。
洗濯物を出しなさいといわれたので、部屋で着替えてパンツまでお願いする。
そして、そのまま風呂へはいる。湯船の中で手足を伸ばす。気持ちが良い!!
湯船の中でちょっとウトウトしてしまった。

 今晩ここでお世話になるお遍路は私を含め3人だという。
歩きで2巡目だという若い女性遍路と交通交通機関併用の60代の男性遍路だ。
女性遍路は、明日の宿泊が金子やさんに満室で断られたと困っていた。
私も2年前には金子やさんが満室で断られ、立江に泊まったことを話す。
でも、立江では近すぎるのだ。その先では、坂本に新しい宿ができたようだと話す。
ヘンロ保存協会の新しい地図を持っているので、その中に載っているはずだと話すと、
捜して見るという。

 大鶴旅館のお婆ちゃんと話す。
お婆ちゃんの話では、昨年、また、原チャリで徳島一国参りをしてきたという。
86歳になるというのに、このバイタリティーには驚かされる。
私がお婆ちゃんの歳になってこのような元気が残っているか?あやかりたいものだ!