四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成14年4月29日(阿波・第3日目)

2005-06-29 14:58:19 | 第1回(阿波編)

4月29日(月曜日)
(第3日目・ 歩行距離26.8km・ 歩数39,468歩)
 
 5:00分、隣の部屋が起きたようで話し声がする。

 昨晩は、痛めた足の指が気になって熟睡できなかったけれど、
旅先ではウトウトしているだけで熟睡できないのはいつものことだ。
しかし、体調はすこぶる快調。
足も痛いのは指だけで、膝とかふくらはぎに影響はないようだ。

外へ出てみると曇り空で空気が湿っぽい。少し青空も見えているので
天気は良さそうだ。

 6:30分、朝食を取る。皆さん元気な顔をしている。
今日はしっかりと2杯のご飯をかき込む。これでカロリーの補給は十分だ。
起きてすぐでも食欲があるのは元気な証拠か?
食事が済んだら、部屋にもどり荷物をまとめる。

 7:00分、民宿ふじやを立つ。
藤井寺の本堂に向かい今日一日の無事を祈願し、お参りをする。

本堂の左横にある登山口に向かう。
さあ、ここから今日一日遍路最大の難所と言われる「焼山寺の遍路転がし」が
始まる。

山道の右側にミニ遍路の石仏が置かれている。
順番を追ってみていくと、延々と続く階段の山道になる。
沢から尾根に出るための急な山道だ。両側は鬱蒼とした杉林。
薄暗くしっとりとした空気に包まれ、冷気が汗ばむ体に気持ちいい。
足元は杉の落ち葉があり、いくらかのクッションとなり踏みしめた感触は優しい。
最初はゆっくりと歩いて体調を見たが体が温まってくると調子が良くなり、
快調なピッチで登っていく。

 先に登っていた同室のSさんや数人の遍路を追い抜く。
1時間ほど登ったところで町石仏があったので小休止する。
あたりは明るくなっており山道の斜度も緩やかになってきている。
もう尾根筋に入っているようで、長戸庵も遠くないと思う。

8:10分、長戸庵に着く。長戸庵はかわいらしいお堂だ。
せっかくなので、お堂に線香を上げ、般若心経を唱える。

 長戸庵の横の広場で竹を切っている人が3人ほどいる。 
どうも、広場に生えてくる竹を切っているようだ。
チェンソーの音が響き、竹が倒れる。
作業の手を休めた人が、飴を接待してくれた。
1個いただき、お礼を言って長戸庵を後にする。

 道は緩やかな登りとなっているが、周りは明るく、空も晴れて
青空が見えている。

 尾根道に出る。
両側が鋭く落ち込み急な斜面となっているが周りが杉林となっているので
恐怖感はない。

やがて、道は下り道となる。
どんどん下がっていくと建物の屋根が見えてきた。柳水庵のようだ。
柳水庵のおじいさんと思われる人が竹箒を持って参道を掃いている。
挨拶をして柳水庵前のベンチに荷物を下ろす。

 9:20分、柳水庵に着く。先着者が一人いた。
昨日ふじやに泊まっていた大阪の人だ。
   
ここでちょっと休み、 柳水庵のお堂にお参りをする。
おじいさんが降りてきたので納経をお願いする。
 柳水庵のお婆さんから絵はがきの接待を受ける。
天気はすっかり回復し、空は一面の青空となっている。
気温も上昇しているようだ。
 ここは、丁度、中間地点。さあ、もうひと頑張りだ。

 9:45分、柳水庵を立つ。
 道は一旦下り、車道を少し歩いてから、また登りになる。
両側はよく手入れされた杉林で、明るく、時折吹き抜ける風が涼しく
気持ちがいい。 
ここでも快調なピッチで歩く。今回は、この山道でも呼吸が乱れない。
これも、普段、自転車通勤と歩いていた効果か?

 山道の向こうに階段が見える。
階段の下に立ち、上を見ると、杉の木をバックに大きな大師像が見える。
これが、あの、一本杉庵の大師像のようだ。
階段を一歩一歩上がるたびに大師像が大きくなってくる。
階段に向かって厳しい顔で見下ろしている大師像だ。
杉の古木が後ろにあるため陽の光を遮り暗くて大師の顔がよく見えない。

 大師像の大きさは3メートルはあろうか?堂々とした作りだ。
 階段を上がると自然に大師像に向かい手を合わせる。
そういう気持ちにさせる大師像だ。

 大師像の背後には、後光が差しているように伸びる大きな杉の枝が広がる。
間近で大師さんの顔を見る。なかなかいい顔をしている。
それにしても、この像をここまでどうやって運んできたのだろうか。

 10:30分、一本杉庵に着く。
大師像の右奥にある一本杉庵でもお参りをする。
 道は、ほどなく見晴らしの利くところへ出た。
目の下に左右内(そうち)の集落が見える。

正面に見える山が焼山寺がある山だと思い見ていると、
いきなり、鐘の音がゴーンと間近に響く。
本当にすぐ近くで鐘を打っているような響きだ。
この鐘の音に勇気づけられ、左右内の集落を目指し、山道を下る。

 11:00分、左右内の集落に着く。
左右内の集落を地図を見ながら歩いているうちに、
標識を見逃してしまったようだ。
丁度、農作業をしていたお婆さんに道を尋ね、言われた方に歩き、
遍路路にもどる。
歩道に腰掛けて、ちょっと一休み。

 川の中に大きなきれいな石がたくさんある沢を渡ると、
さあいよいよ焼山寺までの最後の登りとなる。

登山道のような山道を登っていくと、中年と老年の5~6人のグループが
休んでいる。
話をすると、今朝6時ころに藤井寺から登りだしたようだ。
「何時に出発したの。」と聞かれ「7時です。」と答えると、
「やあ、さすが若い人にはかなわないな。1時間も先に出たのに
追いつかれてしまった。」と言われる。
挨拶をして、先に行く。
 
林道のような道に出る。その先には舗装道路が見えている。
舗装道路に出てわかった。
この道は、前回来たときに走った焼山寺の駐車場へ行く道だ。
見覚えのある舗装された道を歩く。
遍路姿の人が何人か降りてくる。
右に大きく曲がると、その先に見覚えのある焼山寺の山門が見えてきた。

山門前の大師像が迎えてくれる。
これで、「焼山寺への遍路ころがし」を歩いたことになる。

 焼山寺までの「遍路転がし」は四国お遍路最大の難所といわれている。
しかし、私にとって、今回の「遍路ころがし」は非常に気持ちよく歩くことが
出来た。
最初の急な登り道は、前日の雨によりしっとりとした冷気に包まれ、
汗をかいた体を心地よく冷やしてくれたし、
風がないために冷えた体が寒くなることもなかった。
 日差しが強くなってきても、杉木立が日差しを遮り、
適度に調節してくれている。
足元も杉の落ち葉により適当なクッションがあり心地よい。
 一本杉庵の大師像は階段を上ってくる私を厳しい目で見ているが、
そのまなざしは決して厳しいだけではなく、よく見ると、慈愛に満ちている。
さらに、左右内の集落の見える尾根では焼山寺の鐘の音が早く来いと元気づける。
 こんなに気持ちよく「遍路転がし」を歩いてしまっていいのだろうか。
こんなに気持ちよく歩いて汗をかいたのは、本当に久しぶりだ。
 遍路中最大の難関といわれる「遍路転がし」がこんなに気持ちよく歩けるとは
思いもしなかった。

 11:55分、焼山寺に着く。


第12番札所 焼山寺

 境内にはお参りする人の姿もまばらで、静かなものだ。
時折、鐘を突く人がいる。ゴォーンといい音が境内に響き渡る。
 
本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませると、
空いたお腹を満たすために食堂へ行く。
うどんとおにぎりを頼み、席に着く。
 靴の紐をほどき、行儀が悪いがお客さんがいないのをいいことに、靴下を脱ぐ。
足の指を揉みながら1本1本を広げる。痛いけれど気持ちがいい。

食堂でしっかり休んでしまった。
この間に、喜寿のおじいさんや、隣の若い人、大阪の人などが焼山寺に
着いているが、Sさんがなかなかこない。
どうしたかちょっと心配だけれども、今日の宿は同じ植村旅館なので
先に行くことにする。
  
 13:00分、焼山寺を後にする。天気は快晴、空には青空が広がり
気温も上昇している。
これからはアスファルトの道を下るのでちょっとげんなりする。

 時折、ヘンロ路を交え車道をぐんぐん下る。
下り道のほうが足に対する負担は重いが贅沢は言えない。
でも、相当急な下り道だ。
まっすぐに下ると膝に負担が掛かるので、車がこないのをいいことに
道幅いっぱいを使ってジグザグに下る。

 13:25分、杖杉庵に着く。
庵の前には大きな杉の古木がある。これが庵の名前の由来だろうか?

ここからはちょっと近道でヘンロ路がある。
いきなり細い農道のような道となる。土の道は、急な坂道でも足には優しい。

 14:00分、鍋岩にある公衆便所に着く。
駐車場の向かい側にある「アイスクリームあります。」の看板に
惹かれてしまった。
アイスクリームを買ってちょっと一休み。

地図を見ると、丁度、阿部商店前の交差点となっている。
ここから玉が峠に行くには車道を行く「草木繁茂期、大雨後の代替コース」か
ヘンロ路となるが、ヘンロ路を選ぶ。

 車道からのヘンロ路は、いきなり人一人が通れるだけの狭い山路となり
林の中に消えている。
しばらく進むと人家の横に出て、細い車道をヘンロ標識に従って進む。

 これより、玉が峠へ0.5キロと書かれたヘンロ標識にしたがって進むと、
道はいきなり急な折り返しの登山道となる。
右に左に折り返し一気に高度を稼いでいく。
結構きつい山道だ。汗が一気に吹き出してくる。

やっと、車道に出る。どうやら玉が峠のようだ。
少し進むと、右側に庵があり、左側には石仏がある。

 14:55分、玉が峠に着く。
 玉が峠からの車道はほとんど通る車もなく、コンクリートの急な坂道を
またもやジグザグに曲がりながら、時折、吹き抜ける風に吹かれ下っていく。

目の下に鮎喰川が流れているのが見える。
しかし、川までの標高差はかなりある。今日の宿は、川にそばにあるので、
この川と道が合流するところが宿なのだと思い頑張って下る。

消防署阿野分団と書かれた建物がある。消防車の車庫のようだ。
ここを過ぎると数軒の家がある。
その中の1軒の庭先に駕籠が置いてあり、ハッサクが入っている。
張り紙がしてあり、「お遍路さんは自由にお持ちください」と書いてある。
早速、1個いただく。

 そのハッサクは、次の休憩で食べた。
皮が少し干せていたが、ちょっと苦みがあるハッサクの味は格別だった。

 16:15分、植村旅館に着く。
 今日一日の長い遍路が終わった。

 植村旅館では、3人部屋で相部屋となる。
既に1人は来ているようで、奥さんに話を聞くと、もう一人の人は
Sさんのようだ。

 狭い階段を上がり2階に上がると、窓の下には鮎喰川が見える
景色のいい部屋だ。
先着の客は広島のYさんという人だ。
昨晩は柳水庵へ泊まったとのこと。うらやましいな~。

 洗濯をしようと思い、奥さんに話をすると、こちらで洗濯しますといわれ、
お風呂に入ってくださいとのこと。
厚意に甘え、洗濯物を渡してお風呂に入る。

風呂から上がり、部屋でくつろいでいると、Sさんが来た。
「だいぶ早く着いていたの?」と聞かれたので時計を見たら5時を
回ったところだったので、「1時間くらいですよ。」と答える。

ほどなく数人のお遍路が来たが、その中に夕べ隣の部屋にいた
喜寿の老人と若い人がいた。

 Yさんに柳水庵のことを聞く。
柳水庵は3人しか泊めないと聞いていたので、よく泊まることが出来たものだ。

柳水庵のご夫婦は高齢であり、お婆さんが入院していたとか
足がすっかり弱くなったので布団などは自分でひいてもらうことになった
などと聞いていたのでその辺の様子を聞くが、どうもその通りのようだ。

 柳水庵がなくなってしまうと、あの山道を一気に藤井寺から焼山寺まで
行くことが出来ない人には、歩いて遍路をすることが出来なくなってしまう。
 老夫婦の長命を祈るしかない。

 三人で宿の話をしていると、この先、次の難所である鶴林寺と太龍寺を
打つには鶴林寺手前にある「金子や」さんが一番都合の良い宿であるが、
この周辺にはここしか宿がないので、この宿が取れなければ手前にある
立江に宿を取るしかないことになる。
また、太龍寺の先には金龍荘と坂口屋の2軒があるが、
平等寺の周辺には宿がないので、二人とも金子やさんと金龍荘に
宿の予約をしているとのこと。

 私は、この先の宿はまだ取っていないので、早速、「金子や」に
電話してみるが、あさっては予約でいっぱいとのこと。
しかたがないので、立江にある「民宿ちとせ」と太龍寺の先にある
坂口屋に電話し、宿の予約をする。


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 藤井寺から焼山寺までの道は「遍路転がし」といわれ、弘法大師が歩いた
時代と同じように残されている道と言われています。

 二山越えて、さらに、次の山の中腹にあるのが焼山寺です。
四国遍路1200キロあまりある道の最大の難所といわれています。

 確かに、二山半の山道を越えるのは大変ですが、山道はよく整備されており
ゆっくり時間をかけて歩けば、普通の人でも十分に踏破できる道です。

 この「遍路転がし」を越えることによって、これから先の遍路を歩く自信が
出来たという人はたくさんいます。

 「遍路を歩き通す気持ちを試されているような気がする。」そういった道です。

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