四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

第一歩を踏み出す!(阿波・平成14年4月27日)

2005-06-27 16:15:29 | 第1回(阿波編)
プロローグ

 平成12年にバイクと歩きによるお遍路を終えて、早くも2年。
予行演習のお遍路は、昨年、妻と出かけた高野山奥の院参りで無事に一巡を果たした。
あとは、念願の歩き遍路に出かけるのみだけれど、昨年は人事異動もあり、
なかなか思うように休暇を取ることが出来なかった。

 札幌へ転勤してきて二年目。
今年のGWは、4月30日から5月1日までの3日間を休むと、何と10連休になる。
これを見逃す手はないと思い、今年のGWから、念願の歩き遍路区切り打ちに
出かけることとした。


4月27日(土曜日)
 (第1日目・ 歩行距離 4.4km・ 歩数13,435歩)

 朝5時頃起き、朝食後、息子に札幌駅まで送ってもらい、札幌発6:35分の
エアーポート60号で千歳空港へ向かう。 

8:00分丁度のJAL870便、関西空港行きに乗る。ほぼ満席の状況。

 10:05分、無事関西空港に到着する。天気は快晴だ。
 徳島に向かうには高速バスを利用することにしていたが、待ち時間が1時間ほどある。
空港内をブラブラして暇をつぶし、11:10分発の徳島行き、南海バスに乗る。
乗客は、私を含め5人ほど。GWが始まったというのに寂しい限りだ。

 14:04分、若干の遅れで、徳島駅に着く。

 ここからは電車に乗り換えて、JR板東駅まで行く。
 14:27分、板野行きのワンマン電車に乗る。
 14:55分、やっと板東駅に着く。

 ここから霊山寺までは約7百メートルほど、忘れ物がないかを確認して歩き出す。
 板東駅前を歩き、突き当たりを左に曲がる。そのまま狭い道を5分ほど歩くと
右霊山寺の標識がある。標識に従って右に曲がると霊山寺を示す大きな石柱が立っている。
その向こうに懐かしい霊山寺の山門が見える。

 15:05分、やっと、霊山寺の山門に着いた。

 山門を行き交う白装束のお遍路姿の人達が見える。
 今回は、前回と違って気持ちも新たに、一応、お遍路スタイルで歩くつもりだ。

 早速、霊山寺右手にある「一番街」で遍路用品を購入する。
 菅笠、袖無しのおいづる(白衣)、杖、輪袈裟、納経帳などを購入し、約9千円ほどを払う。


第1番札所 霊山寺

 霊山寺の山門前に立つ。
 さあ、ここから念願の歩き遍路がスタートする。
 思ったほどの気負いや興奮もなく、淡々とした気持ちで一礼し、境内に足を入れる。

 まず本堂に向かい、お経を唱える。前回に較べると周りを気にすることなくお経が唱えられる。
これも進歩か?大師堂でもお経を唱え、納経所へ行く。

 納経所には、結願を果たした白髪の老人がお礼参りの納経を行っている。
かなり興奮しているようで、一生懸命ここまでの苦労話をしているが、納経所のお爺さんは
何となく適当にフンフンと聞いているだけで早く終わってくれよといった態度に見える。
このやり取りを聞いていると、老人にとっては得難い経験だが、それを毎日のように見ている
納経所の爺さんにとっては何ということのないものなのだ。
ただの風景にしか見えないものなのか。

 見ていて分かったことは、歩き遍路のお礼参りは納札を出すと納経料はいただかないことに
しているということだ。

 納経後、売店にいるおばさんに歩き遍路が記入するノートのことを尋ねると黒い表紙に
「歩き」と書いた紙を貼ったノートを出して、これに住所と名前を書いてくださいという。
ノートを見ると、27日の日付で名前があったのはほんの数人だった。

 これで、霊山寺での仕事もすべて終えたので、山門に向かい記念写真を一枚撮ってもらい、
極楽寺へ向かう。

 極楽寺へは霊山寺の山門を出て右手の車道を歩く。
時間は既に3:40分、先を急がないと3番までいけないので急ぐ。
極楽寺までの1.2キロを約15分ほどで歩き、第2番札所極楽寺に到着する。


第2番札所 極楽寺

 極楽寺は、広い境内にぽつりぽつりとお参りの人がいるだけで、境内は静かなものだ。
弘法大師が植えたという長生松をじっくり眺める。

 今年の9月には長男夫婦に子供が産まれるので、妻からどこかのお寺でお守りをもらって
来てほしいといわれていた。
 極楽寺のお大師様は子安大師と呼ばれ安産祈願などをしていただけると聞いていたので、
大師堂でも気持ちを込めてお経を唱える。
納経所で安産のお守りをもらおうとお願いすると、2千円ですといわれる。
ちょっと高いなあと思ったけれど、これはお守りなのだからと思いお金を払うと、住所と名前、
出産予定日をこれに書いてくださいといわれ、奉加帳のようなものを差し出される。
聞くと、毎月、月末近くに安産祈願の祈祷をしており、そのときに名前を呼び上げるためだ
といわれる。
2千円という金額は、この祈祷料とお守り代を含んだものということで納得する。

 納経所にいた女性が私の住所を見て、「北海道からいらしたのですか、ずいぶん遠いところ
から来たのですね。」という。

極楽寺では、ちょっと時間を食ってしまい、納経所の締切の5時まであまり時間が
なくなったので、次の札所金泉寺へ向かう。
金泉寺までは2.5キロ、ちょっと距離があるので、急ぎ足で歩く。

 金泉寺らしいお寺が見えてきたところで、ヘンロ標識が指し示す道は、
何と、田んぼの畦道みたいなところを指している。
へんろ路保存協力会の道標に出会うとやっとお遍路に出てきたのだという実感が涌いてくる。
その標識にしたがって進むと、いきなり金泉寺の大師堂の横に出た。


第3番札所 金泉寺

いきなり大師堂の横に出てしまったので、山門へ戻り、入り直しをする。
 時間は既に4:40分、納経所の締切時間が迫っているので、とりあえず納経を済ませ、
順序が逆になるが、それから本堂と大師堂へ向かいお経を唱える。

 汗をかいた背中が寒くなってきたと思ったら、日がすっかり傾いている。
境内を見渡すと、私のほかにはお遍路さんが1人しかいない。

 山門を出て、今日の宿であるばんどう旅館へ向かう。
 途中で、読売新聞の販売店を見つけ道を尋ねる。迷うことなくJR板野駅前にある
ばんどう旅館に着く。
板野の町は道路が複雑で下手にはいると迷うなどといわれていたがそんなことはない。
これで、今日一日の遍路が終了した。

 ばんどう旅館に泊まっている客は私のほかに1人しかいなかった。
 夕食は、1階にある喫茶店でいただく。カニ鍋などもある本格的な料理でおいしくいただく。

 明日の朝食は7時からだと聞いてお願いしたが、「明日はどこまで行くの。」と女将さんに
聞かれ、「藤井寺までです。」と答えると、それならば、7時では遅すぎるといわれる。
ここからは、普通10番の切幡寺までだといわれ、朝食をおにぎりにしてもらい明日は早く
出発することとし、宿代も先に払ってしまうことにした。
 
 菅笠の紐が細くて気になっていたので、夕食後に近くの「いながき手芸店」へ出かけ、
太い綿で出来た紐を買い、笠紐を補強し、かぶりやすくする。
ついでに、近くのお店で昼食用のパンと飲み物も買っておく。

 寝る前に、女将さんが朝食用のおにぎりを部屋まで届けてくれる。


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 平成14年のGWから平成16年のGWまで、ちょうど2年間で、
四国の遍路道を歩いて回ることが出来ました。

 四国ではたくさんの人たちに温かく迎えられ、
気持ちよく歩けたことに本当に感謝しております。

 この気持ちを忘れないように、また、いつの日か四国の空の下を歩くことが
できるときまでの思い出として綴った日記ですが、
これから歩こうと思っている人たちの参考になるかと思い、
最近流行のブログをつかって、つたない日記ですが掲載することにしました。

 読んでいただいた感想や質問がありましたらコメントに残してください。
私の知っている限りですがお手伝いさせていただきます。

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