"みゆきさんの声、その25「あぶな坂」・「怜子」(いまのきもち)"を書いた後で、"言葉"の部分だけ付け加えたくて、書き始めたのに、上手くまとまらなくて、2ヶ月余り経ってしまいました。(--;)
その間、アルバムが出たり、夜会があったり、紅白だ、月イチだ、「縁会2012~3」劇場版だと書きたいネタが、多かったので、熟成させたというより、放置状態だった可愛そうな妄想です。(・・、)
そもそも、言葉の部分だけ付け加えようと思ったのは、
「kamzine 創刊号」のインタビューを読み返したからです。
このインタビューで、みゆきさんは、10歳より前から歌を書いていたと語っています。
で、けっこうなことを書いてあって、なんでこんなことを書いてるのか、疑問に思っていたそうです。
「10歳の頃とか、カンで書いてるのね、あれ。なんとなくそんな気がするって書いてるの」と。
カンだけで書いてる時は、思いつくのが楽しいけれど、言葉の周辺がないから、なんだろうなと疑問が残ってたんですって。
そして、30代、40代、50代になると、カン混じりの実感で書いてるんだそうです。
(10年前の記事です)
「それってなんのこと?だったのが、自分のことになってくるの。人ごとじゃなくなるんだわ」
だから、そこまで言うと恥ずかしいとか、思うようになってきたとか。
さて、その後は。
実物を見る努力をして、書いていくと仰ってますね。
実物のまわりの事情も見ていくってことかな、と。
で、このカンで書いていたというのを読んで、浮かんだのが、
「あぶな坂」です。
『♪あぶな坂をこえたところに
あたしは住んでいる』
で、始まるこの曲をわずか10歳で書いたとは、思いませんが、少なくてもデビューの23歳以前に書いてはいるのは確実ですよね。
『♪遠いふるさとは おちぶれた男の名を
呼んでなどいないのが ここからは見える』
まだ若い、みゆきさんは、何をみていたんでしょう?
これが、カンなんでしょうかね?
田家さんと師匠も、この曲のことは、話題にしてましたね。
師匠は、
「おいで、おいで、して食べちゃうんじゃないですか?」
と言い。
マクベスの
「きれいは、きたない。
きたないは、きれい」
を引用されて、傷をかばう母性と、その真逆の残虐性が、表裏一体になっている、とも仰ってました。
人は、決して一面だけじゃないよ、と。
デビュー前どころか、もしかしたら、10歳より前、曲を作りはじめた頃から、人間のそんな本質を感じ取っていたんでしょうかね。
本質を感じ取ると言うと、タイトルに挙げたもう1曲
「怜子」(1978)。
『♪ひとの不幸を 祈るようにだけは
なりたくないと願ってきたが』
当時高校生だった私には、このフレーズは衝撃でした。
自分でも見ないようにしている、負の感情を引きずりだされたようで。
反対に、そういう感情があることを自覚して、
『なりたくない』
と言うみゆきさんが、大人というか、凄い人だなぁと、ただただ感心したものでした。
で、このフレーズを何年か前に、全く違う捉え方をしてる方がいて、驚いたのでした。
『♪ひとの不幸を~
わたしの胸に痛すぎる』
の部分を引用されて、不健全だと書かれていました。
人の受け止め方って、本当に色々なんだなあと思いましたね。
『ひとの不幸を祈る』
と文字にすると、呪詛みたいで禍々しい感じになり、不健全に受け取られるのかも知れませんが、そんなに特別な感情ではないと思うです。
だって、週刊誌やワイドショーの話題として盛り上がっているのは、結婚やオメデタの話題より、離婚やお家騒動の類いでしょ。
結婚のすぐ後に、いつ別れるかといった話題で盛り上がるんですもの。
それに、歴史なんてお家騒動と権力争い、要は足の引っ張りあいの記録がメインだと思うし。
みんな、密かにひとの不幸を祈ってるようなものと言うと、人間性を疑われそうですが、私はそう思います。
「人の不幸は蜜の味」って言うくらいですから。
ただ、無自覚な人が殆どでなだけで。
だから、今の私が、初めてこの歌詞を見たら、正面から
『♪ひとの不幸を祈る』
と歌い、そう
『なりたくないと』
と歌う感受性の強さ、ストイックさが、心配になると思います。
"生きていくのがシンドイだろうな、この人は"と。
「怜子」が特別なわけではなく、みゆきさんの歌は、
"生きていくのがシンドイ人"の歌ですよね。
先に、「kamzine 創刊号」のインタビューで、
「カンで書いてた」と語られてたカンって、感受性の豊かさから産まれたものだと思います。
他人のシンドさや痛みがわかるって、感受性ですよね。
そして、自分に置き換える想像力。
幼い頃から、感受性や想像力が豊かだったんだろな、と思います。
だから、シンガーソングライターになられたんだと思うのですが、感受性の強さや想像力の豊かさは、すばらしい創作に繋がっても、生きていくのには、シンドイだろうと思うんです。
他人の分まで、傷つくから。
昔、オールナイトニッポンで、山崎ハコ嬢のオールナイトが、本人に何の前触れもなく、次週で打ち切りと告げらことがありました。
突然次週で終了、もう来なくていいという理不尽な対応に、みゆきさんは自身のオールナイトで、怒りとも悲しみともつかない感情をどうすればわかってもらえるか、考え考え訥々と訴えかけていました。
(YouTubeにこの部分だけUPされてます)
"終了は仕方ないとしても、突然来なくていいは、マナー違反だ"と。
「チリンチリン」とカワイく始まる自転車コーナーとか、少しハイテンションなハコ嬢が面白くて、可能な時(火曜日2部)は聴いていたので、突然の終了は私にもショックでした。
しかし、それにも増して、そんな番組批判と言うか、放送局批判みたいなことを生放送で言ってしまったみゆきさんのことが、心配で心配で、次の週の放送終了までドキドキだったことを思い出しました。
学生の私からみても、無茶なことするなって、みゆきさんのオールナイトも終了させられるんじゃないかと。
理不尽なことを黙っていられない真っ直ぐさに感動するとともに、大丈夫かと、本気で心配してましたね。
今思えば、現場はみゆきさんの訴えを遮ることもなく、みゆきさんのリクエスト通りハコ嬢の曲をかけていたので、みゆきさんの味方だったんでしょう。
だからか、みゆきさんのオールナイトは終了することなく、続きました。
もしかしたら、私の中では、この時のハラハラドキドキから、保護者目線が芽生えたかもしれません。(笑)
理不尽さに挑む姿勢は、歌詞の中だけでなく、中島みゆきという人の生きる姿勢だと思える出来事でした。
「夜会VOL.18 橋の下のアルカディア」を観ても、40年間、その姿勢は変わってないなと思います。
それって、本当に凄いことだなあと。
つくづく、この人を好きで良かったと思います。(^^)
なんだか、やっぱりまとまらない、、、(^^;
長々とスミマセンm(__)m。
こんなヘンテコな妄想に、最後までお付き合い頂いて、本当にありがとうございます。(^^)
では、また(^-^)
その間、アルバムが出たり、夜会があったり、紅白だ、月イチだ、「縁会2012~3」劇場版だと書きたいネタが、多かったので、熟成させたというより、放置状態だった可愛そうな妄想です。(・・、)
そもそも、言葉の部分だけ付け加えようと思ったのは、
「kamzine 創刊号」のインタビューを読み返したからです。
このインタビューで、みゆきさんは、10歳より前から歌を書いていたと語っています。
で、けっこうなことを書いてあって、なんでこんなことを書いてるのか、疑問に思っていたそうです。
「10歳の頃とか、カンで書いてるのね、あれ。なんとなくそんな気がするって書いてるの」と。
カンだけで書いてる時は、思いつくのが楽しいけれど、言葉の周辺がないから、なんだろうなと疑問が残ってたんですって。
そして、30代、40代、50代になると、カン混じりの実感で書いてるんだそうです。
(10年前の記事です)
「それってなんのこと?だったのが、自分のことになってくるの。人ごとじゃなくなるんだわ」
だから、そこまで言うと恥ずかしいとか、思うようになってきたとか。
さて、その後は。
実物を見る努力をして、書いていくと仰ってますね。
実物のまわりの事情も見ていくってことかな、と。
で、このカンで書いていたというのを読んで、浮かんだのが、
「あぶな坂」です。
『♪あぶな坂をこえたところに
あたしは住んでいる』
で、始まるこの曲をわずか10歳で書いたとは、思いませんが、少なくてもデビューの23歳以前に書いてはいるのは確実ですよね。
『♪遠いふるさとは おちぶれた男の名を
呼んでなどいないのが ここからは見える』
まだ若い、みゆきさんは、何をみていたんでしょう?
これが、カンなんでしょうかね?
田家さんと師匠も、この曲のことは、話題にしてましたね。
師匠は、
「おいで、おいで、して食べちゃうんじゃないですか?」
と言い。
マクベスの
「きれいは、きたない。
きたないは、きれい」
を引用されて、傷をかばう母性と、その真逆の残虐性が、表裏一体になっている、とも仰ってました。
人は、決して一面だけじゃないよ、と。
デビュー前どころか、もしかしたら、10歳より前、曲を作りはじめた頃から、人間のそんな本質を感じ取っていたんでしょうかね。
本質を感じ取ると言うと、タイトルに挙げたもう1曲
「怜子」(1978)。
『♪ひとの不幸を 祈るようにだけは
なりたくないと願ってきたが』
当時高校生だった私には、このフレーズは衝撃でした。
自分でも見ないようにしている、負の感情を引きずりだされたようで。
反対に、そういう感情があることを自覚して、
『なりたくない』
と言うみゆきさんが、大人というか、凄い人だなぁと、ただただ感心したものでした。
で、このフレーズを何年か前に、全く違う捉え方をしてる方がいて、驚いたのでした。
『♪ひとの不幸を~
わたしの胸に痛すぎる』
の部分を引用されて、不健全だと書かれていました。
人の受け止め方って、本当に色々なんだなあと思いましたね。
『ひとの不幸を祈る』
と文字にすると、呪詛みたいで禍々しい感じになり、不健全に受け取られるのかも知れませんが、そんなに特別な感情ではないと思うです。
だって、週刊誌やワイドショーの話題として盛り上がっているのは、結婚やオメデタの話題より、離婚やお家騒動の類いでしょ。
結婚のすぐ後に、いつ別れるかといった話題で盛り上がるんですもの。
それに、歴史なんてお家騒動と権力争い、要は足の引っ張りあいの記録がメインだと思うし。
みんな、密かにひとの不幸を祈ってるようなものと言うと、人間性を疑われそうですが、私はそう思います。
「人の不幸は蜜の味」って言うくらいですから。
ただ、無自覚な人が殆どでなだけで。
だから、今の私が、初めてこの歌詞を見たら、正面から
『♪ひとの不幸を祈る』
と歌い、そう
『なりたくないと』
と歌う感受性の強さ、ストイックさが、心配になると思います。
"生きていくのがシンドイだろうな、この人は"と。
「怜子」が特別なわけではなく、みゆきさんの歌は、
"生きていくのがシンドイ人"の歌ですよね。
先に、「kamzine 創刊号」のインタビューで、
「カンで書いてた」と語られてたカンって、感受性の豊かさから産まれたものだと思います。
他人のシンドさや痛みがわかるって、感受性ですよね。
そして、自分に置き換える想像力。
幼い頃から、感受性や想像力が豊かだったんだろな、と思います。
だから、シンガーソングライターになられたんだと思うのですが、感受性の強さや想像力の豊かさは、すばらしい創作に繋がっても、生きていくのには、シンドイだろうと思うんです。
他人の分まで、傷つくから。
昔、オールナイトニッポンで、山崎ハコ嬢のオールナイトが、本人に何の前触れもなく、次週で打ち切りと告げらことがありました。
突然次週で終了、もう来なくていいという理不尽な対応に、みゆきさんは自身のオールナイトで、怒りとも悲しみともつかない感情をどうすればわかってもらえるか、考え考え訥々と訴えかけていました。
(YouTubeにこの部分だけUPされてます)
"終了は仕方ないとしても、突然来なくていいは、マナー違反だ"と。
「チリンチリン」とカワイく始まる自転車コーナーとか、少しハイテンションなハコ嬢が面白くて、可能な時(火曜日2部)は聴いていたので、突然の終了は私にもショックでした。
しかし、それにも増して、そんな番組批判と言うか、放送局批判みたいなことを生放送で言ってしまったみゆきさんのことが、心配で心配で、次の週の放送終了までドキドキだったことを思い出しました。
学生の私からみても、無茶なことするなって、みゆきさんのオールナイトも終了させられるんじゃないかと。
理不尽なことを黙っていられない真っ直ぐさに感動するとともに、大丈夫かと、本気で心配してましたね。
今思えば、現場はみゆきさんの訴えを遮ることもなく、みゆきさんのリクエスト通りハコ嬢の曲をかけていたので、みゆきさんの味方だったんでしょう。
だからか、みゆきさんのオールナイトは終了することなく、続きました。
もしかしたら、私の中では、この時のハラハラドキドキから、保護者目線が芽生えたかもしれません。(笑)
理不尽さに挑む姿勢は、歌詞の中だけでなく、中島みゆきという人の生きる姿勢だと思える出来事でした。
「夜会VOL.18 橋の下のアルカディア」を観ても、40年間、その姿勢は変わってないなと思います。
それって、本当に凄いことだなあと。
つくづく、この人を好きで良かったと思います。(^^)
なんだか、やっぱりまとまらない、、、(^^;
長々とスミマセンm(__)m。
こんなヘンテコな妄想に、最後までお付き合い頂いて、本当にありがとうございます。(^^)
では、また(^-^)