身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん「地上の星」》

2016-10-25 01:39:00 | 中島みゆきさん(旅)
長い前置きだけで、本題が遅くなって、スミマセン。m(__)m

いよいよ、本題です。


少し見にくいのですが、「黒部ルート見学のしおり」から工程表です。

中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部2・アルペンルート》で、見学会当日の朝の黒部ダム駅到着までを書きました。

その朝からの旅程を、簡単に振り返ります。

大町温泉郷から、路線バスで扇沢駅まで27分。

扇沢駅から黒部ダム駅まで、関電トンネルトロリーバスで16分。

この関電トンネルト(全長5.4キロ)のほぼ中間地点に、約80メートルの大破砕帯があり、ブルーライトで照らされてます。

《黒部2》では、この大破砕帯のことを難工事箇所としか書かなかったので、少し補足を。

破砕帯とは、
"岩盤の中で岩が細かく砕け、その隙間に地下水を大量に含んだ軟弱な地層"
のことです。

なので、掘っても掘っても天井から崩れてきます。

また、4℃の冷たい地下水が、毎秒660リットルも滝のように降ってくるので、進めません。

犠牲者も大量に出ます。

それでも、10本の水抜き用のトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固める最新鋭の技術を駆使し、堀り進めました。

普通なら10日で抜ける80メートルの距離に、7ヶ月も苦しめられて。

この苦闘を描いたのが「黒部の太陽」です。

下の写真は、その大破砕帯との苦闘をモチーフにした、お菓子です。

売店で、目に飛び込んできました。

インパクトのあるパッケージに惹かれ、荷物になるにもかかわらず、会社への土産に購入しました。

このお土産2個をリュックに無理矢理詰め込んで、見学会集合場所、黒部ダム駅駅長室前へ向かいます。

駅長室前には、"しおり"に書いてあった動きやすい服装に、リュックを背負った30名の老若男女が集っていました。

一人で参加しているのは、私以外では、一人か二人くらいでした。

ほとんどが、二人連れでしたね。

10:20、集合時間前から参加者の確認がはじまります。

そして、4、5人ずつ間隔をあけて、関係者出入口の中に呼び入れられていきます。

見学会スタッフさん曰く、
「一度に入れないので、順番に入っていただきます。
全員揃うまで出発しませんから、安心してください。
早く入っても、寒いだけてますから(笑)」

私の番がきて扉の中に入ると、そこは通路というかトンネルのような所で、臨時の受付が作られていました。

確かに、ヒンヤリしています。

まず、身分証明書の確認。

そして、手荷物及び危険物の検査が行われます。

金属探知機の用なもので、検査されました。

そして、紙製のヘアキャップのようなものとヘルメットを渡されます。

見学会は、工事用施設内を通行するので、ヘルメット着用が必須。

ヘアキャップをして、ヘルメットを被るように指示されました。

はじめてのヘルメット。

ヘルメットって、重いんですね。(^^;

その臨時の受付をすませて進むと、そこはトロリーバスのトンネルに繋がっているようでした。

全員の受付がすむと、ガイドさんからの説明と注意。

意外だったのが、写真は全てOK。

禁止区域はないとのことでした。 

太っ腹♪

ただし、動画は禁止ということでした。

動画については、機密保持というよりは、安全上の問題だそうです。

足場が悪いため、歩きながらの動画撮影で事故が起きるのを防ぐためだそうです。

基本的に止まって撮る写真は、規制なしとのことでした。

トロリーバスの通行を確認して、トンネル内を進みます。

枝分かれしてるトンネルに入っていくと、そこが黒部トンネルのようでした。

そこには、観光バスくらいの大きさのバスが停まっていました。

黒部トンネル内専用バスです。

座席は二人掛けで、座り心地も良かったです。

私は、幸運なことに一人で座席を占領できました。

しかし、バスの座り心地はよくても、普通の観光のようにノンビリするわけにはいきません。

バスの中でも、ヘルメット着用は続いています。

そして、動き出したバスの中で最初に案内されたのが、もしもの時のガスマスクの取扱い方。

長いトンネルで一番怖いのは、煙りなので、もしもの為に、本格的なガスマスクが用意されていました。

使われたことはないそうですが。

そんな、緊張感を少々はらみながら、薄暗いトンネルの中をバスは走ります。

ヘッドラインに浮かぶ壁面は、ほとんどが岩盤を固めただけのようです。

また、道路は濡れているようでした。

実は、バスに乗ってはじめて、このルートの詳細な下調べをしてないことに思い至ったんです。

つまり、みゆきさんが歌われた場所が、ルートのどの位置かちゃんと調べずに来てしまったのです。(--;)

勿論、この見学会のホームページや関電のホームページ、黒部の観光案内ページなどは、チェックしましたが、みゆきさんのことは載っていませんでした。

"行けばわかるだろう"、と何の根拠もなく来てしまったのです。

ツアーのはじめに、詳細な地図を配ってくるとか、解説があるはずだって、勝手に思っていたんです。

それが、地図はないし、説明もガスマスクだし、、、(・・;)

ここにきて、内心焦ってきました。

紅白から14年、もうみゆきさんの話題は出ないんじゃないか?と。

だいたい、このツアーの目的は、黒部ルートや黒部川第四発電所(くろよん)見学を通して、電源開発の軌跡と電気事業への理解を深めることです。

観光ではありませんと、しおりにハッキリ書いてあります。

そのしおりにも、みゆきさんのことは全く書かれていません。

書籍情報として、
「黒部の太陽」、
「黒部の太陽 ミフネと裕次郎」、
「高熱隧道」
は、紹介されていたのですが、、、(--;)

ヘッドライトに浮かぶ壁面を眺めながら、
"もしかしたらもう通りすぎたんじゃないか"と焦る自分と、
"いや、まだ大丈夫、絶対教えてくれるはず"といいきかす自分がいて、ハラハラドキドキしてました。

いっそ、ガイドさんに、訊こうかとも思うのですが、小心者の私にはそれもできず、悶々としておりました。

そんな中、進むにつれて、猛烈な冷気。

ウィンドブレーカーでは、防げない冷気。

ウールのカーディガンを着るも、寒むい。

ウルトラライトダウンの登場です。
 
はじめて、持ってきて良かったと思った防寒具たち。

そんな寒さの中、バスが停車。

さては、ここか!と喜んだのも、一瞬。

黒部ルートの中で、外が見れる珍しい箇所を見学するための停車でした。

土砂を捨てた横穴のようです。

ブレブレの写真でスミマセン。m(__)m

雰囲気だけ感じて下さい。 

バスから降りると、四方八方から冷気がまとわりついてきます。

寒いはずです、あちらこちらに小さい氷柱ができていました。


そのトンネルの先に光が見えてきました。

鉄格子の仕切りがあって、その向こう側が外界になっているようでした。

最後尾からトロトロ歩いていた私が着いた時には、鉄格子が開かれ外に出れるようになっていました。

洞窟の出口、秘密基地の脱出口みたいです。(笑)

トンネル内には、側溝があり、その最終地点がこの脱出口になっていました。

湧き出る地下水でしょうか?

写真ではわかりにくいですが、物凄くキレイな水が印象的でした。

外に出ると、回りは山また山。

真冬に訪れた、みゆきさんがここに立ち寄ったとは思いませんが、こんな山深い、洞窟のような所で歌われたんだと思うと感慨深いものがありました。

そんな感慨深さの一方、わき上がる不安感。

不安感いっぱいになった私は、ガイドさんの解説をこっそり抜け出し、後方に控えていたバスの運転手さんに、
「紅白で使われた場所は、まだ通ってないんですか?」
と、小声で聞いてみました。
(みゆきさんが、と言えない小心者です(--;)

すると、
「紅白?
ああ、中島みゆきさんが歌った所?
まだ、先ですよ。
次に乗る、インクラインの先です。
ここより、もっと狭い所ですよ」
と、親切に教えてくれました。

通り過ぎてなかった!これで、一安心です。

ガイドさん、説明を真面目に聞いてなくてごめんなさい。m(__)m

なので、ガイドさんの説明の聞きかじりと、後で確認したことを書きます。
(以後、見学会後に調べたことを織り混ぜながら書いていきます。
なので、必ずしも当日の解説通りじゃない部分もあると思います)

この場所は、タル沢横坑といい、トンネル工事で出た土砂を捨てていた場所です。

先に、秘密基地の脱出口と書いた所は、正式にはタル沢横坑口というのだそうです。

ここから見る景色は、「裏剱(うらつるぎ)」と呼ばれ、険しい登山道をたどる人しか目にすることができない景色なんだそうです。

黒部ルートならではの眺めで、こんなに天気がいい日は最近では珍しいとガイドさんも嬉しそうに解説してました。

見学も終わり、寒さの中バスに戻って再出発です。

これまでは、通り過ぎたらどうしようと焦っていましたが、ここからは、早く着かないかと焦っていました。(笑)

ほどなく、黒部トンネル内専用バスの終点到着。

途中下車も入れて、約40分の地底探検バスの旅でした。

ここからは、さっきバスの運転手さんが言っていた、インクラインに乗り換えです。

銀色に光る箱形の乗り物が、地下式ケーブルカー インクラインです。


基本、資材運搬用のケーブルで、銀色に光る客車は取り外し式になっているそうです。

456メートルの高低差、斜度34度、815メートルの距離を20分で降下します。

降下中は、外はほとんど見えません。

車内モニターで黒部発電所の説明などを見ます。

しかし、その内容は全く覚えていません、ガイドさんごめんなさい。m(__)m

モニター下の操作パネルの中に、
「中島みゆき紅白、、、」
の文字と有働由美子アナと思われるファーストカットが、、、。

それが、気になって、気になって、、、(・・;)

やっぱり、見せてくれるんだ!という喜びと、スルーされたらどうしようというハラハラ。

ホントに、ハラハラドキドキの旅です。(--;)

そんな中、徐行するケーブルカー。

扉の一部を開放し、ケーブルカーのスレ違いポイントの撮影会です。

撮影会が終了して、再びケーブルカーが動き出した時、ガイドさんの口からみゆきさんの名前が!

ガイドさんの話では、みゆきさんご一行様は、私と同じ黒部ダムルートを通って"くろよん"に至ったとのことでした。

みゆきさんは、前日の30日から現地入りされたそうです。

帰宅後調べたところ、ヤマハスタッフやNHK スタッフ、総勢約100名も同ルートで現地入りしたようです。

みゆきさんが歌われたのは、インクラインを降りた先、上部専用鉄道(トロッコ)の資材置き場だと、教えてくれました。

そしてその場所は、その後
「みゆき広場」と呼ばれているとのことでした。

また、本番終了後、寒さと疲労で仙人谷の宿舎まで帰れなくなったみゆきさんは、"くろよん"の応接室で年を越されたそうです。

その部屋のことを
「みゆき部屋」、
その時食べた食事を
「みゆき御膳」
と呼んでいる、とユーモラスに話すガイドさん。(笑)

紅白の後、数年はみゆきさんが使った食器が、「みゆき御膳」として飾られていたらしいです。
(「黒部ダム」のWikipediaに「みゆき御膳」の写真が載ってます。)

そして、いよいよ、その紅白の勇姿がモニターに映し出されます。

有働アナの曲紹介からはじまります。

リアルタイムで録画したのが、ビデオテープだったため、曲紹介から観るのは久しぶりです。

それだけで、緊張してきました。

田口トモロヲさんのナレーションと黒部ダム建設の映像が流れます。

プロジェクトXのオープニングですね。

その映像を受けて、再び有働アナの曲紹介。

「黒部川第四発電所。
地下200メートル。
今の気温が氷点下2度。
その場所では、今、この時間も電力の安定供給のために働いている人たちがいます。
そして、その場所にこの方がいらっしゃいます。
中島みゆきさん、『地上の星』」

"くろよん"の時計が11時を指し、印象的なあのイントロが流れます。

そして、ワインレッドの女神、中島みゆきが降臨します。

少し大袈裟に書きすぎましたが、インクラインで映像を観ていた時の私には、そんな風に見えたんです。

みゆきさん登場からは、何度も見慣れた映像なのに、特別神々しく見えました。

14年も経っているけど、歌われた同じ空間で観ることができた感動もありました。

でもそれ以上に、どんな過酷な場所で歌われたのかを肌で感じることができたからだと思います。

2002年、リアルタイムで観ていた時には、ピンとこなかった有働アナの曲紹介が、身に凍みます。

そして、みゆきさんの歌声が、心に沁みます。

他の方も、映像に見入っているようでした。

9月だから黒部ダムまでは、既存の交通機関を使用できました。

普通に歩けました。

しかし、雪に閉ざされた真冬にやって来るのは、大変だったと思います。

みゆきさん自身、NHK の番組で
「ドンドン、ドンドン、バスがね、雪ん中、雪ん中、もぐって行っちゃうんですよ。(笑)
私は、いったい、どうなるんだろう、挙げ句の果て、アラララララ、、、(・・;)」
と、語っておられました。

北海道出身で、雪ん中は経験あるかもしれませんが、地底探検は初めてでしょうからね。

アラララララ、、、(・・;)に、なりますよね。

「プロジェクトXに、お礼を申し上げる意味で、プロジェクトXに登場した場所のどこかっていうわけにはいきませんか?」
それが、みゆきさんの希望でした。

そこで、富士山、青函トンネル、黒部ダムの3ヵ所が候補にあがったそうです。

その中から選ばれたのが、一番中継に不向きだと言われた黒部。

最初は、黒部ダムで歌う案もあったそうです。

しかし、流石にそれは無茶。

だから、この"くろよん"のトンネルに落ち着いたそうですが、それでも、有働アナが曲紹介で言った
「氷点下2度」なんです。

暖房なんて、できる場所じゃないです。

下界では残暑が残るこの時期でさえ、震えるような冷気がまとわりついてきます。

そんな場所で、リハーサルを重ね、体が冷えきったために、みゆきさんもミュージシャンも息が白くならなかったとか。

息に関しては風があったから白くならなかった、と書いてるものもありましたが、風があると余計冷えるような気がします。(--;)

皮肉なことに、そのために、収録じゃないかとか、セットじゃないかと疑われたこともあったような、、、。

ちなみに、リハーサルは完璧だったそうです。

本番だけ、"やらかして"、これまた皮肉なことに、そのおかげで生中継だということは証明できたんですよね。

よくその状態で、声が出たものです。

いくら、北海道出身で寒さに慣れてるとはいえ、氷点下2度の中で歌うのは次元が違います。

この環境で歌うことは、物凄く大きな賭けだったと思います。

みゆきさんは勿論、ミュージシャンも。

ミュージシャンも、手がかじかんで大変だったでしょう。

そんな、状況で歌いきって、精も根も尽き果てて、宿舎への移動もできなかったんだと思うと胸に迫るものがありました。

感慨深く聴いていても、曲には終わりがあります。

"やらかした"とはいえ、見事に歌い上げ、深々と美しいお辞儀。

アップに、はにかんだような笑顔を浮かべるみゆきさん。

氷点下2度で肩の出たドレス。

はにかんだようなに見えた笑顔は、寒さに引き吊っていたのかもしれません。(^^;

映像の終了に合わすように、インクラインも停車します。

絶妙なタイミングでした。

思わず心の中で、ガイドさんに拍手してました。

インクラインを降りて数歩、上部専用鉄道(トロッコ)の「黒四発電所前駅」です。

"あの時計"のあった所です。

そして、黒部川ダム第四発電所、通称"くろよん"の出入口です。

関電の社員さんが、出迎えてくれました。

その"くろよん"の入口は、何の変哲もないキレイなビルの出入口のようでした。
 
地下200メートル、50年以上経ってる発電所の出入口。

部厚い扉が何重にもなってる厳めしいイメージを抱いていたのに、あまりにも普通にキレイなのに、驚くとともに、少し拍子抜け。(・。・;

どうしても、秘密基地のイメージが抜けなくて、、、f(^_^;

入口で、少し説明を受けた後、案内されたのが会議室(?)のような部屋。

流石に、発電所内はダウンを脱いでも大丈夫なくらい暖房がきいていました。

O字型の大きなテーブルに、参加グループの代表者のネームプレートと写真の「黒部の氷筍水」が置かれていました。

「黒部の氷筍水」は、富山県からの記念品と紹介されたような気がします。
(記憶力が、、、(--;)

しかし、この「氷筍水」、製造は富山市の会社なのですが、採水地は長野県大町市(地中洞窟内湧水)と表記されています。

そして、販売者は、関電不動産開発株式会社。

ボトルのイラストを見ると、湧水箇所は関電トンネルの"あの大破砕帯"の辺りみたいです。

美味しかったですよ♪(^^)

O字型のテーブルの空洞部分は、黒部川渓谷の見事なジオラマになっています。

このジオラマ、動いて"くろよん"内部がわかるようになってました。

なかなか、見事なものでしたよ。

前方スクリーン(大型モニターだったかな?)で、より詳しい黒部ダムや"くろよん"の歴史、仕組み等のレクチャーがはじまります。
(詳しく覚えてないので、後付け満載です)

戦後の経済復興期、関西圏の電力不足は深刻であり、「電気をよこせ闘争」が起こる。

その関西圏の電力不足解消と安定供給のために、発足間もない関西電力は、水量豊富な黒部に、新たなダムと水力発電所を建設する決断する。

だから、"くろよん"は、北陸の地にあるにもかかわらず、「関西電力黒部川第四発電所」なんです。

水量豊富な黒部川流域は、大正時代から発電所建設が行われていた。

1940年稼働の黒部川第三発電所までは、日本電力が建設。

第三発電所まで稼働していたので、第四なんですね。

関西電力発足後は、黒部川水系の発電所は日本電力から関西電力に引き継がれる。

1956年、関西電力は、黒部ダムと黒部川第四発電所建設を計画、始動。

1960年ダムが完成。

1961年黒部川第四発電所1、2号発電機運転開始、1962年3号発電機運転開始。

1963年、"くろよん"竣工。

現在は、4号発電機も運転。

"くろよん"は、国立公園内の景観対策や雪崩対策などで、地下に造られたようです。

50年も前に、こんな地下200メートルの場所に、よくも発電所を造ったもんだなぁ~と、ただただ感心。

また、個人的に凄く驚いたのが、"くろよん"から高電圧化されて、送電されている先が、高槻市の北大阪変電所だと、聞かされたこと。

高槻市は、私が生まれ育った所で、北大阪変電所の場所も知っていたので、驚きました。

北大阪変電所で、降圧されて京阪神地区に送電されていくそうです。

何か、"くろよん"がみゆきさんとは別の意味で、身近に感じられました。

レクチャー終了後は、発電所内の見学です。

下の写真は、発電機です。

奥が川上です。

奥から1、2、3、4号機と並んでいて、ランプが点灯している、1、2、4号機が、稼働中でした。

この下に、巨大な水車があり、超高速で回転し電気を生み出しています。

階下に移動し、その高速回転しているシャフトまで、見学させてくれました。

轟音と高速回転!物凄い迫力でした。

その後、遠隔操作されているので、無人の制御室を見学。


そして、会議室に戻って昼食です。

会議室の隣が、応接室になっており、そこが、あの"みゆき部屋"です。

今から開放するので、昼食後の見学は自由、とガイドさんからのお達し。

それを聞いて、急いでお弁当を平らげ、みゆき部屋へ。

そこには、みゆきさんをはじめ、"くろよん"を訪れた多くの著名人のサインや「黒部の太陽」の台本などが展示されていました。

その中でも、一番目につくのが、やはり、みゆきさんです。

入口を入ってすぐの所に、コーナーがありました。

この写真を載せてもいいものか、悩みました。

いくら、撮影自由でも肖像権もあるし、、、(--;)

でも、こんなダラダラと長いブログに、お付き合いいただいている方へのせめてものお礼と思い、載せることにしました。

なので、どっかから、怒られたら消します。(^^;

このコーナーのスタッフとの集合写真を見ていると、背後からガイドさんが、
「中島みゆきさんが、どこにいるかわかりますか?」
と、声をかけてこられました。

瀬尾師匠は、ど真ん中で寝そべってるので、すぐにわかるのですが、みゆきさんはドレスの上に作業着を羽織っているので、スタッフに紛れてしまってわかりにくいのです。

それでも、中央に写っているのですぐにわかりました。

ただ、みゆきさんを指差すことを躊躇っていると、探せなかったと思ったガイドさんが、
「ほら、ここ。
一人だけヘルメット被ってないでしょう」
と、教えてくれました。

この写真撮影が、本番前か、後かわかりませんが、ヘルメット被っては写らないでしょうね。

そうやって、ガイドさんと話しているうちに、部屋は満員状態に。

ゆっくり写真を撮ることが、不可能になりました。

ここで、私は"くろよん"の出立時間を10分多めに勘違いしてしまったのです。

まだ、時間があるからトイレに行って、もう一度撮影に戻ろうと。

その後で、あの時計や入口、できれば「みゆき広場」も撮りにいこうと。

みゆき部屋に戻ると、人はほとんどいなくて、撮影しほうだい♪と喜んだのもつかの間、
「もうすぐトロッコの発車時間です。
早く、出て下さい」
と、ガイドさんの声が、、、(--;)

ここではじめて、出発時間を勘違いしていたことに気がついて、大慌てで駅へ。

なので、あの時計も会議室のジオラマも"くろよん"の入口も写す暇はありませんでした。

そんな中、何とか写したのが、下の写真です。

あまりにも、お顔がバッチリ写ってしまったので、補整しました。

このトロッコの先に、「みゆき広場」があります。

事前に指定されていたトロッコに、急いで乗車。

狭い車内は、すし詰め状態です。

狭い上に、天井も低く、気を付けないと出入りの度に、頭を打ちます。

そんな狭いトロッコですが、説明のために関電の方が一人ずつ同乗してくれました。

走りはじめて、少し行くと
「ここが、みゆき広場。
中島みゆきさんが、歌われた場所です」
と教えてくれました。

みゆき広場には、その時に撮った写真をパネルにして飾ってあるとのことでしたが、暗くてよくわかりませんでした。

「ここだけ、地質が違ったみたいです。
他は、音が反響するのに、ここだけ、音を吸収したので、ここで歌うことになったんです」
と、解説してくれました。

そのことについては、みゆきさんも先のNHK の番組で、
「地質の違う所があったんですよ、トンネルの中で。
そこは、音吸ってくれるんですね。
これなら、いけるんじゃないなと」
と語っておられました。

当日は、中継ケーブルを20キロ地下を伝い、扇沢に停めた中継車から、衛星を使って生中継した、とあります。

私が、ここまで到達するのに、扇沢から、トロリーバス16分、黒部トンネル内専用バス約20分(途中下車除いたらそのくらい)、インクライン20分、トロッコ数分、と乗り物を乗り継いでも約1時間かかりました。

その道のりに、放送用のケーブルを這わせ(それも、予備を入れて3本か4本)るだけでも、相当な苦労だったと思います。

器材を運び込むのも、撤収するのも。

気温は、氷点下。

中継スタッフの執念を感じます。

また、苦闘していたのは中継スタッフだけではなく、"くろよん"の職員も闘ってたみたいです。

先程書きましたが、"くろよん"で作っている電気は高電圧です。

中継用の器材に使用するには、変圧器を臨時に設置するなど、発電所なのに、電源を確保するのに苦労したそうです。  

発電所なのに、途中で停電したら目も当てられないから、必死です。

その上、本番終了後は、総勢100人に年越しそばも振る舞ったようで、そちらも大変だったようです。

放送時間、6分弱。

その僅かな時間に賭けて、闘った人々。

ヤマハのスタッフも、NHK のスタッフも、関電の職員も、己のプライドを賭けて闘っていたのだと思います。

その思いを胸に、歌いあげた中島みゆき。

もう、3本くらいプロジェクトXができそうですね。(^^)

みゆき広場を過ぎると、もう、みゆきさんの名前が出ることはありませんでした。

以降は、手製のファイルを使って、この先にある高熱隧道の掘削の解説をしてくれました。

高熱隧道とは、岩盤の温度が160℃以上に達する約500メートルの区間。

その区間では、あまりの高熱にダイナマイトが自然発火する大事故が繰返しおき、多くの犠牲者を出した難所です。

この工事は、1936年、日本電力の時におこなわれています。

灼熱のトンネルでの作業。

半裸の作業員に黒部川の冷水をホースで吹き付け、身体を冷やしながら作業をおこなっていたそうです。

しかし、それも20分が限度。

20分、1日3回までとしたが、それでも、熱射病や胃腸障害などで次々と倒れていく作業員。

爆発事故や雪崩などもあり、300名以上の犠牲者が出た難工事。

そのことを基に書かれたのが、吉村昭著「高熱隧道」。

そして、その犠牲を払って完成したのが、仙人谷ダムと黒部川第三発電所。

高熱隧道は、まさに灼熱地獄。

反対に、はじめに書いた大破砕帯は、冷水地獄。

その距離、僅か20キロ。

黒部の驚異を感じます。

しかし、トロッコの中で聞いた話には、もっと驚きの事実が。

もう一本高熱隧道があるというのです。

そのトンネルは、1963年に稼働した新黒部川第三発電所の導水トンネルで、高熱隧道と平行して掘削されました。

そして、その工事も、半裸の作業員に水をかけておこなったんだそうです。

結局、戦前に行われたその方法しかなかった、と語る関電の社員さん。

その工事も大変な難工事だったようですが、犠牲者が出たのかどうかはわかりませんでした。

話を聞いているうちに、トロッコはトンネルの外に出て、仙人谷駅に到着。

仙人谷駅は、黒部川にかかる橋梁の駅です。


ここで、途中下車。

やはり、回りは山また、山。

みゆきさんが年を越すはずだった、関電の宿泊の最寄り駅です。

山の中に見えているのが、宿舎のようです。


確かに、疲労困憊で深夜に行きたい場所じゃないですね。

ちなみに、みゆきさんたちは、この先には行かなかったと思います。

冬の間は、黒部渓谷鉄道が止まっていて、黒部ダム側からしか出入りができないので、来た道を帰られたと思います。

撤収も大変だったでしょうね。

皆様、お疲れ様でした。m(__)m

見学の時間も終わり、再び、トロッコへ。

ほどなくすると、高熱隧道に差し掛ります。

コンクリートなどで覆って、黒部川の水を取り入れて、トンネル内を冷却している今でも40℃はあるとのこと。

トロッコが徐行し、サービスで窓を開けてくれます。

硫黄の臭いとムッとする熱気が入ってきます。

さっきまでの、凍えるような寒さが、遠く離れた場所のことのようです。

この高熱隧道を通るため、このトロッコは耐熱式の特別仕様になっているのだそうです。

本当に、高熱隧道です。

途中下車も入れて、上部専用鉄道乗車時間32分。

欅平上部駅到着です。

ここから、竪坑エレベーターという巨大エレベーターで200メートル下の欅平を目指します。

このエレベーターは、資材だけじゃなく、トロッコの車両ごと運ぶことができるんだそうです。

その前に、展望台に案内してくれました。

ここも、山また、山です。

絶景なんですが、いい写真がなくて、、、スミマセン(--;)

竪坑エレベーターで、標高差200メートルを一気に下ると、欅平下部駅。

ここは、黒部渓谷鉄道の構内です。

工事用トロッコ電車が出迎えてくれました。

(あまりにも、ボケた写真だったので、差し替えました。m(__)m)

約3分で、欅平駅のホームの一番端っこに到着。

ここで、「黒部ルート見学会」は終了です。

解散後、駅のホームを歩くこと数分。

ホームから、黒部川第三発電所が見えました。


改札から一旦出て、窓口で黒部渓谷鉄道の切符と引き換えをします。

欅平発宇奈月行き 14:37。

トロッコ電車の旅です。

「中島みゆきRESPECTライブ"歌縁"」富山公演に出演される、室井滋さんが観光案内をしてくれます。

しかし、疲れが出たのか眠気に襲われて、約1時間半の間半分以上夢の中で、聞いていました。

室井滋さん、スミマセン。m(__)m

15:54 宇奈月駅着。

宇奈月温泉駅までは、数分の距離。

16:00発の富山地方鉄道富山行きは、諦めて駅前の「黒部川電気記念館」を見学しました。

16:36 富山地方鉄道宇奈月温泉駅発富山行きに乗車。

この時に、宇奈月温泉駅で買った、切符です。

周遊券を見せたら、必要部分だけの切符を手書きしてくれました。

何とも珍しい手書きの切符です。


電鉄富山駅まで、1時間42分。

ここでも、半分以上夢の中でした。

起きた時に見た、山々の連なりには感動しました。

大阪では、山はだいたい一つです。

見え方も、平べったく見えます。

しかし、車窓から見た山々は、幾重にも重なって見えました。

とても、奥行きが感じられたんです。

やっぱり、富山の山はスゴいなぁ~と、思いながら夢の中へ。

そんな繰返しだったので、電鉄富山駅に着くまでのことは、山以外ほとんど覚えていません。f(^_^;

18:12 電鉄富山駅着。

駅前で食事を済ませ、ホテルにチェックイン。

長い1日の終了です。

そして、長い記事も終了です、としたかったのですが、最後に私の勝手な妄想を少し。

以降は、この記事を書きながら膨らんだ、全く勝手な妄想です。

富士山、青函トンネル、黒部ダム。

プロジェクトXの現場で歌いたいという、みゆきさんの希望で選ばれた最終候補地。

この中から、なぜ中継が一番困難な黒部が選ばれたのか?

嘘か本当か、みゆきさん本人が選んだと書いてある記事もありました。

みゆきさんが選んだのかどうかは、わかりません。

誰の基準かは、わかりません。

ただ、私は、黒部の犠牲者の多さが、この地を舞台にしたような気がするんです。

黒部ダム工事だけで、171人。

戦前の高熱隧道の工事で、300人強。

合わせて、500人近い人が犠牲になった黒部。

青函トンネルの犠牲者は34人と比べて、異常な多さだと思います。

それだけの犠牲を出しても、怯まず自然の驚異をねじ伏せた、人間の強さを感じないわけではありません。

しかし、国策の名の下、それだけの犠牲を、ものともせず突き進む、人間の残酷さに、身震いします。

国策として突き進んだおかげで、今の便利な世の中があり、その恩恵を受けている私が、偉そうには言えないこともわかっています。

そして、ここまで書くと、こじつけと言われそうですが、黒部の悲劇が、アルカディアのテーマ、"捨てる""捨てられる"に繋がっているような気がするんです。

10年以上も間があいているので、やっぱり、こじつけですね。f(^_^;

本当に、私の勝手な妄想です。

妄想ついでに、もう一つ。

そんな黒部で歌われた、
「地上の星」は、視聴者には応援歌になったかもしれませんが、黒部の地では、500人近い犠牲者への鎮魂歌(レクイエム)だったんじゃないかと、思えてくるんです。

どうも、妄想癖がぬけなくて、、、(--;)

長い上に、最後に変な妄想まで、、、スミマセン。m(__)m

本当に、長々とお読みいただき、ありがとうございました。(^^)

お疲れ様でした。m(__)m

では、また。(^-^)
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中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部2・アルペンルート》

2016-10-10 00:43:12 | 中島みゆきさん(旅)
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部》は、2日目です。

2日目は、富山から下記のアルペンルートを踏破(?)します。

大袈裟に書きましたが、見ての通りテンションの上がる乗り物を乗り継ぎ、黒部ダムを目指す1日です。

ホテルの朝食バイキングが美味しくて、朝からテンションアップ♪

つま恋で泊まったホテルの朝食バイキングも美味しかったし、最近のビジネスホテルは、朝食に力を入れてるんでしょうかね?

朝食付きで、5000円台はとてもお得で、助かりました。

ただ、8時過ぎにはチェックアウトしなくてはならないので、ゆっくり食べられないのが辛かったのですが、、、f(^^;
 
午前8時、バタバタしましたが、無事チェックアウト。

回送手続きを済ませたキャリーバックに見送られて、いざ出発です。

2日目の空模様は、曇天。

雨の降る気配なし。

律儀に、毎週やってくる台風も一休みしてくれたみたいです。(^^)

リュック担いで、電鉄富山駅に到着。

昨日教えてもらっていたので、迷わず窓口へ。

周遊券をみせて、立山ケーブルカーの予約時間が印字されたアルペンルートフリーチケットを発券してもらいました。

これで、アルペンルートは乗り降り自由♪

楽チン。(^^)v


向かって右側が立山行き特急、ダブルデッカーエキスプレスです。

休日なら、アルプスエキスプレスという特別車両もあったのですが、残念。(TT)

下手な写真ではわからないのですが、2両目が2階建てになっています。

どこか見慣れた感じがすると思ったら、元は京阪電鉄の2階建て特急車両だったとのこと。

2階建て車両に、京都の時代祭の絵があるのにも納得です。

一瞬、指定券を買って2階建て車両に移ろうかと考えたのですが、サンダーバードの窮屈さを思い出してやめました。

指定券は、詰めていくでしょうからね。(--;)

それに、私、見晴らしの良い2階より、低くい1階のほうが好きなんです。

京阪特急で、2階建て1階車両に乗るとホームに着くたびに、色とりどりの靴のお出迎えがあって、なかなかシュールで面白いですよ。

一般車両より格段に低く、沈み込んでいる感じで、目線がプラットホームの位置なんです。

いつもと目線が変わるのが楽しくて、ワクワクします。

ただ、その目線の低さを利用して、女性のスカートの中を除こうとする不埒者もいるので、要注意ですが、、、(--;)

と、楽しい1階車両ですが、低くて閉塞感があるのも事実で、横に知らない人がくると窮屈に感じます。

なので、空いている自由席を二人分使わせてもらうことにしました。

とても座り心地のいい、元京阪特急のシートに腰かけて、待つことしばし、
8:42 立山行き特急発進です。(^^)v

街中から山間部へ、約50分の電車の旅。

アルペンルートの楽しい乗り物ツアーが、はじまりました♪

途中、常願寺川に架かる鉄橋がビューポイントということで、車内放送があり徐行運転してくれました。

さすが、観光路線♪

立山駅 9:31着。

9:40 予約していた立山ケーブルカーへ乗車。

立山ケーブルカーの最大の特徴は、写真手前の大きな荷台です。

この荷台は、黒部ダム建設資材を運んでいた名残りで、今でも大きな荷物や資材を運ぶでいる現役荷台なんだそうです。

ケーブルカーの紹介アナウンスが教えてくれます。

また、岩が柱のようになっている材木石(柱状節理)の横を通る時も教えてくれて、楽しませてくれます。

所要時間は、約7分。

標高差約500メートル、平均斜度24度、最大斜度29度の山間部を美女平駅へ一気に駆け上がります。

進行方向を見ていると、ジェットコースターに乗ってる気分になってきます。

ただ、登りきっても、ジェットコースターのように急降下はしませんが。(笑)

9:47 美女平駅着。

ここから、立山高原バスに乗り換えです。

この高原バスを運んだのが、先のケーブルカーだそうです。

ここで、標高差1500メートルを一気にのぼる室堂行き特急バスと、室堂の手前の弥陀ヶ原・天狗平行きバスの2路線に分かれます。

この日の第一目的は、黒部ダムだったので、一気に室堂まで行ける特急に乗ることにしました。

ケーブルカーは予約していたので難なく乗れましたが、室堂行き乗り場は長蛇の列ができていていました。

その列もよく見れば、「団体」と「個人」に分かれています。

「団体」に比べれば、「個人」の列は短いのですが、乗車定員が決まっているので直近のバスは締切られました。

仕方がないので、次のケーブルカーが到着するまでのタイムラグを利用して、展望台を覗きにいきました。

しかし、残念ながらガスに煙っていて真っ白。

スゴスゴと展望台を後にして、売店をのぞいていたら、臨時バスがでるとの案内が。

まだ、次のケーブルカーも到着していないのか並ぶ人も少く、無事臨時バスに乗車することができました。(^^)

窓から外を見ていると、高原バスの従業員の方々が総出でお見送りしてくれているんです。

深くお辞儀をする方、笑顔で手を振る方。

これには、驚きました。

更に驚いたのが、このお見送りが高原バスだけではなく、トロリーバスや路線バスでもおこなわれていたことです。
(ケーブルカーとロープウェーは、乗った位置が悪いのか、よくわかりませんでした。f(^^;)

素敵な心遣いだなぁ~♪と、感心しました。

"おもてなしの心"デスネ。(^^)

団体、個人とも海外からのお客様が目立つアルペンルート。

この"おもてなしの心"をお土産にして欲しいなぁ~♪などと、思ってしまいました。

おもてなしと言えば、どの乗り物の駅もキレイなのは嬉しい驚きでした。

山へ行くので、駅にトイレがあればラッキーぐらいに思っていたのです。

そのくらい覚悟して行ったのに、いい意味で裏切られました。

建物もキレイだし、何よりトイレがキレイで助かりました。

ほとんどが、ウォシュレット付きだったように思います。

関西の私鉄に見習ってほしいくらいです。(笑)

これも、"おもてなしの心"ですね。

それと、観光地としての自覚でしょうね。

だから、海外からのお客様も大勢来られるんでしょうね。

安心・安全、そして快適。

3000メートル級の山の中で、それらが享受できるのって、凄いことですよね。

昔の姿は知りませんが、ここまでにするには、大変な労力がいったと思いますよ。

その恩恵にあずかることができたことに、感謝です。

50分かけて、高原バスは標高2450メートルの室堂まで上がって行きます。

車内のモニターでは、沿道の見どころや解説のビデオが流れ、ポイントごとにバスは徐行してより詳しい説明が入ります。

巨大な杉や山間部に垣間見える滝などなど。
(スミマセン、詳しく覚えてなくてf(^^;)

だから、50分をもて余すことはなかったです。

杉の巨木が見えていた車窓の景色が、背の低い高山植物に変わると、見晴らしが格段に良くなります。

温度も下がって山頂に近づいていることがわかります。

その見晴らしの良い山肌を眺めながら、福島県の安逹太良山に最初に登った30年以上前のことを思い出していました。

高村光太郎詩集「智恵子抄」の「あどけない話」で、智恵子が見たいと言った"ほんとの空がある"安逹太良山です。

『智恵子は東京には空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
中略
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。』

標高1700メートルの山で、山道を行けば4時間程で登れる山でした。

山頂付近にある「くろがね小屋」には、温泉があって疲れた体を癒してくれますし、夜は見事な天の川、朝はキレイな雲海に出会える山です。

その安逹太良山に初めて登った時のことです。

足下が危うい山道を、登ることだけに集中して進んでいくと、突然目の前が開けたんです。

高い樹の繁る森林限界を過ぎて、高山植物のエリアに入ったからですが、その当時はそんな知識もなく、別世界に迷い混んだような不思議な感動がありました。

車窓から見晴らしの良い山肌を眺めていると、その時の不思議な感動がよみがえってきて、懐かしい気分に。

更に、高村光太郎の「道程」を国語の授業で習った時のことまで思い出したりして、、、f(^^;

『僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る~』
です。

この最初の二行に、ノックアウトされて、高村光太郎が好きになったんです。

で、初めて「ヘッドライト・テールライト」を聴いた時に、この一節がよぎったなぁ~なんてことも思い出したりして、、、f(^^;

と、話が完全に逸れてしまいましたが、「ヘッドライト・テールライト」を脳内BGMに、そんな感慨に耽ってるうちに、
11時過ぎ、室堂到着です。

サ・ム・イ!(((((゜゜;)

バスから降りると猛烈な冷気が、、、(--;)

重いリュックから、早速、部厚いウィンドブレーカーとスカーフを出して身に付けました。

すると、驚くほどリュックが軽くなって、俄然歩く気力が湧いてきました。

どんだけ重かったんだ!と、ウィンドブレーカーに突っ込みそうになりました。

しかし、その厚み故に冷気をシャットアウトしてくれたので、重い思いをしたかいありました。

自然保護センターを見学して、室堂散策へ。

案内板を見ると、散策コースがいくつか載っていて、その中の"みくりが池周回コース"を行くことにしました。

散策コースの遊歩道は、石畳で整備されています。

しかし、少しゴロゴロ感が残る石畳ですから気を付けないと足を取られそうになります。

そんな石畳の道を池まで降りたり、登ったりの2㎞強の道のりを行くコースです。

そんなコースを、リュックが軽くなって、本当に良かったと思いながら歩いていました。

観光客は大勢いたのですが、みくりが池まで行って引き返す人が大半のようで、みくりが池より先のみどりが池辺りでは、数えるくらいになっていました。

みどりが池から石畳を登ったところに、江戸時代中期建設の日本最古の山小屋「立山室堂」がありました。

わかりにくいのですが、「立山室堂」の二棟目の入り口が開いていて、立山信仰に関するパネルや出土品等が展示されています。

ただ、案内板もなく、入り口がただ開いているだけなんで、ほとんどの人が正面だけ見て立ち去るみたいで、貸し切りでした。

280年以上も雪深い室堂に建ち続けている堅牢な小屋の中は、薄暗くて独特の雰囲気がありました。

ゾワゾワするような不気味さがありながら、懐かしさと何とも言えない居心地の良さもある。

そんな不思議な場所でした。

この日本最古の山小屋の後ろに、少し写っているのが、現役の室堂山荘です。

下は、この付近から室堂ターミナルを写したものです。


気がつけば、タップリ一時間以上経っていました。

ここで案内板を見ると、「玉殿岩屋・虚空蔵窟」の文字。

洞窟好きの血は騒いだのですが、指し示された方角に長々と続く石畳を見た瞬間、空腹と足の重さが、、、(--;)

行って帰ることを思うと、気力が萎えてしまいました。

それに、この日一番の目的は黒部ダム。

時間もないので、ターミナルに戻ることにしました。

室堂ターミナルは、日本最高峰の駅だそうです。

そんな高所にあるのに、立山ホテルを併設した大きな駅です。

レストランやティーラウンジ、立ち食いそばなど食事処が充実してます。

また、駅の売店の他、立山ホテルの売店、登山用品やTシャツを売る店もあり、土産物も充実してます。

そんな中、ホテルの売店で土産物を物色して、立山そば(立ち食い)で昼食。

日本一高い所にある立ち食いそばですね。(笑)

この立山そばが、美味しかった~♪

出汁が私好みで、思わず飲み干してしまいました。

美味しいものを食べた時には、そのことを素直に伝えるようにしているので、
「ご馳走さまでした。美味しかったです♪」
と言うと、満面の笑みで
「ありがとうございました」
と、送り出してくれました。

お腹も満たされたところで、先に進むことに。

13:15 室堂発、立山トンネルトロリーバスに乗って、大観峰に向かいました。

トロリーバスは、架線からの電気で動くバスです。

架線から電気を取っているので、見た目も、名前も"バス"なのですが、分類は電車になります。

現在、日本で運行されているトロリーバスは、この立山トンネルトロリーバスと関電トンネルトロリーバスの2ヶ所だけだそうで、どちらも立山黒部アルペンルートにあります。

と言うか、立山黒部アルペンルート以外では走っていない乗り物なんです。

乗った感じは、静かなバスです。

その名の通り、トンネルの中を走るので景色は見れませんが、運転席の後ろのモニターに立山トンネルの苦難の歴史や観光案内が流れます。

最難関の立山破砕帯がある箇所では、トンネル内に青く光る目印があります。

10分の乗車時間も退屈せずに、過ごせます。

13:25 大観峰着。

展望台を少しだけ覗いて、ロープウェーに乗り継ぎです。

13:40発 13:47 黒部平着。

ここでも、約10分の乗り継ぎ時間で、屋外の高山植物園をほんの少し散策。

14:00 黒部平発黒部ケーブルカーに乗車。

日本唯一の全線地下式ケーブルカーです。

立山ケーブルカーより急な、最大斜度31度。

標高差400メートルを5分で走り抜けます。

14:05 黒部湖着。

ここから、黒部ダムまでは徒歩です。

しかし、ダムより先に黒部湖遊覧船「ガルベ」に乗りにいくことに。

黒部湖駅なので、すぐに着くのかなと思っていたら、なかなか着かない。

約30分かけて黒部湖を遊覧するので、14時台に乗り遅れると大幅に予定が狂う。

ガルベは、諦めないといけなくなる。

急げや、急げ、と早足で歩くこと数分。

「黒部ルート」に同封されていた割引券提示で、半額の540円で乗船券を購入。

何とか、間に合いました。(^^;

が、湖までの距離が、、、(--;)

この写真は中間地点の踊り場から撮りました。

乗船するまでに、階段を降りるのに一苦労です。

しかし、ここの階段って黒部ダムでは、序の口だったんです。

それを思い知るのは、船を降りてから、、、(--;)

14:20 ガルベ出航。

標高1448メートル、日本一高所を行く、遊覧船ガルベ。

この立山黒部アルペンルートでは、常に日本一高いの言葉が、ついて回りますね。(笑)

ガルベとは、「黒部」の語源といわれるアイヌ語に由来した名前だそうです。

解説を聞きながら、ゆったりと景色を眺める30分。

波も穏やかで、風も爽やかで、本当に気持ちよかったです。

下船後、フーフー言いながら階段を上がりきると、団体客の長蛇の列。

その光景を見た時、急いで乗船して良かったと心底思いました。( ̄0 ̄;

ガルベの乗船券売場(休憩所、売店あり)で少し休憩をすることに。

すると、モニターに「プロジェクトX」の黒部ダムの回が!

それも丁度終了間際、流れてきた「ヘッドライト・テールライト」に思わず聴きいってしまいました。

高原バスで、脳内BGMだった「ヘッドライト・テールライト」。

何か不思議な偶然と思いながら、余韻に浸っていると、次のプロジェクトXが。

これも、黒部ダムです。

田口トモローさんの語りの後、聴き慣れたイントロがあり、「地上の星」。

このタイミングで、この2曲を聴けるとは、、、(^^)

何か感動してしまって、「プロジェクトX」を買ってしまいました。(笑)

これぞ、本場の「プロジェクトX」!(笑)

ただ、まだ観てないんですが、、、f(^^;

15:00 黒部ダム見学の開始です。

写真奥(上)が、黒部湖駅になります。

ガルベで遊覧した黒部湖が向かって左、右はダムからの観光放水です。

その真ん中の黒部ダム堰堤を歩くこと約10分。

まず、殉職者慰霊碑に手を合わせに行きました。

写真のレリーフと、その横に171名の名を刻んだプレートが祀られています。

プレートに手を合わせ、黒部ダムハウスの「くろよん記念室」を見学して、黒部ダムの展望巡りに出発です。

一番高い所にあるのがダム展望台。

そこに登る途中にあるのが、放水観覧ステージ。

そして、反対に下って行くのが、放水を最も身近に見ることができる新展望広場。

まず、放水観覧ステージを経て、展望台へ。

外階段が何段あるか数えてないのでわからなかったのですが、関電トンネルトロリーバス黒部ダム駅から展望台直通の地中階段が220段なので、外階段は少なくてもその1.5倍はあったと思います。
 
つまりどこも、階段との格闘をしなくてはならないんです。

下の写真は、下からその様子を写したものです。

高低差がわかる写真がこれしかなかったんです。

全景が写ってなくて、スミマセン。m(__)m

外階段を登る人の数は少なくて、焦らずゆっくり登ることはできましたが、展望台に着く頃にはヘロヘロになってしまいました。

会社では、毎日6階を登り降りしているんですが、ビルの階段の比ではないですね。

数段で踊り場があるビルの階段が、どんなに登りやすいか、よくわかりました。

展望台からの眺めを楽しみ、一休みしてから、黒部ダム駅への220段の地中階段を降りることにしました。

220段、降りるのも時間がかかります。

黒部ダム駅に到着。

明日の集合場所を確認して、まだ見ていない新展望広場へ。

駅から出て、今度はひたすら階段を降りて行きます。

水しぶきがかかりそうな距離で見る放水は、迫力満点でした。

見いってしまいます。

ただ、水しぶきに虹がかかっていなかったのが、残念でしたが、、、(>.<)

登ったり、降りたりの1時間余り。

体力的にも、時間的にも限界近かったので、
16:35 黒部ダム駅発 関電トンネルトロリーバスに乗りました。 

(下の写真は、翌日撮影したものです)


立山トンネルトロリーバスと同じく、モニターに黒部トンネル開通の苦難の歴史などが映しだされていました。

立っていたので、大破砕帯との戦いの歴史がよくわかりました。

その80メートルの大破砕帯も青く光って、わかるようになっていました。

16:51 扇沢駅着。

ここで、アルペンルートのフリーチケット区間は終了です。

扇沢発の路線バスは、周遊券で乗車。

17:00 扇沢発。

17:15 大町温泉郷着。

長野県です。

宿にチェックイン。

いい宿でしたよ。

キャリーバックはお部屋で待っててくれてまし、リュックは運んでくれましたし。

夕食、朝食ともにバイキングでしたが、品数も多くて、とても美味しかった。

夕食では、信州牛のステーキや鮎の塩焼きが美味でした。

それにもまして美味しかったのが、お漬物とフルーツ。

さすが、長野と思いました。

また、バイキングだと食べる量を調節できるので、ありがたかったですね。

朝食も、美味しいお漬物他、品数豊富で、幸せな気分になれました。

そして、何よりこの旅で嬉しかったのが、毎朝お粥が食べれたこと。

みゆきさんは、
"子供の頃、身体が弱くてお粥ばかり食べさせられた、一生分のお粥は食べたから食べたくない"
、と仰ってますが、私は反対に元気な子供だったので、お粥に憧れていました。

だから、朝からお粥が食べれると、スゴく贅沢な気分になるんです。

温泉も夜と早朝に入れたし、3日目もテンションマックスで出発です♪

そんなテンションに合わせるように、晴天でした。

前日までのガスや靄もなく、快晴ほど陽射しも強くない丁度いい晴天でした♪

8:13の路線バスで扇沢駅へ。

この扇沢駅が、大混雑になっておりました。

9:00の改札を待つ、長蛇の列。

駅員さんの話では、9:30発に乗車予定の海外からの団体客が早めに着いたんだそうです。

急遽改札を増やすことにしたようで、3列に並ぶことに。

それでも、改札が開くまでには10分程ある。

ザワつく行列。

その時、駅長さん(?)がお弁当とお土産のワゴンサービスをはじめたんです。

その話術の巧みなこと。

お弁当の説明をし、美味しいと太鼓判を押した後、少し間を置いて、
「でも、正直に言います。
ここは、アルペンルートの出発地点です。
ここで買うと、お昼までずーと持って歩かなければなりません。
荷物になります(笑)」
と笑わせ、場の雰囲気を一気に和ませました。

面白いもので、駅長さんは日本語で話しているのに、外国の方も和んでいるようでした。

笑顔や笑いは言葉ではなく、雰囲気で通じるんだなあと、感心させられました。

それ以外にも関電トロリーバスチョロQとかのお土産ものも面白可笑しくすすめていました。

ここでも、
「トロリーバスが、走っているのはアルペンルートだけです。
でも、売っているのは、ここだけではありません。
隣の駅でも、売ってます。(笑)」と。

事前予約していたお弁当の購入も終わり、チョロQも購入済みだった、私は最後尾(密集状態が苦手なんで)で
『下手なお笑い芸人より間がいいし、喋りも上手いし、ウケてるなあ~』
と、声だけボーっと聴いていたんです。
 
そんな私が驚いたのが、改札が始まり動き出してから。

ワゴンの横を通り過ぎたその時、チョロQの横に、その駅長さん人形?のストラップ?

どう見ても、丸顔黒メガネの駅長さんに見えるお土産が見えたんです。

スゴい!

もしかして、物凄い名物駅長?

と思って、『扇沢駅駅長』で検索すると、もっと驚きの事実が!

私が、駅長だと思った方は、駅長でも駅員さんでもない、売店の販売員さんだったんです。

それも、私が知らなかっただけで、「ナニコレ珍百景」というTV番組で"人"なのに、その話術の巧みさで「珍百景」に認定されたほどの有名販売員の中里さんなのでした。

中里さんは、30分に一本のトロリーバスの待ち時間を楽しんでもらえるように、芸人さながらにネタ張をつけ、日々話術を磨き、親しみを持ってもらいたいという思いから、駅員さんの制服を借りているんだそうです。

中里さんストラップも、ちゃんとお土産として売られていました。

このストラップこそ、他の駅では買えないお土産なのに、自分のストラップは販売しにくいのか、言及されませんでしたね。

奥ゆかしい方なんですね。(^^)

通りすがりに気がついたために、中里さんストラップを買うことができなかったのは、残念でした。

そんな、扇沢を出発したトロリーバスは、4台。

どれも満杯で、昨日と同じくたって黒部ダム駅へ。

9:16 黒部ダム駅着。

ここから、「地上の星」に会いにいく「黒部ルート」がはじまりです。

それは、次の
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん》
に書きます。

月イチまでに、全部書きたかったに、、、(>.<)

もうすぐ、月イチです。

中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん》
は、まだもう少し先になります、スミマセン。m(__)m

長々と、本当にありがとうございました。(^^)

なのに、たどり着けずに、ごめんなさい。m(__)m

では、また。(^-^)
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中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部 1・準備~1日目》

2016-10-08 20:04:00 | 中島みゆきさん(旅)
中島みゆき"歌跡"の旅へ《序章》で、予告した『黒部ルート見学』に行って参りました。
 
みゆきさんが「地上の星」を歌われた場所を通る『黒部ルート見学会』については、
中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部3・くろよん「地上の星」》としてUPします。

この記事は、出発から見学会に至るまでの大いなる前置きの1です。

さすがに、2日分の前置きは長すぎますから分けました。f(^^;

まず、『黒部ルート見学会』の簡単な説明です。

この見学会には、2つのコースがあります。

上手側の黒部ダムを出発するコースと、
下手側の欅平を出発するコースです。

黒部ダム出発コースは、
10:30に関電トロリーバス 黒部ダム駅駅長室前に集合して、黒部川第四発電所("くろよん")での見学と昼食が入り、
14:10 欅平着の所要時間約3時間40分。

欅平出発コースは、
9時20分 黒部渓谷鉄道 欅平駅2階食堂に集合して、"くろよん"は見学のみで、
12:50 黒部ダム着の所要時間約3時間30分。

応募の際、どちらかのコースを希望するか、「どちらでもよい」とするか選べます。

倍率を見ると、欅平コースの方が人気のようです。

早目に解散になって、その後の予定が組みやすいからでしょうね。

私もはじめは、欅平からを希望しようかと思ったんですが、確率が低くなるので「どちらでもよい」で応募しました。

そして、上手側の黒部ダムルートが当たったのでした。

結果的に、黒部ダムルートでよかったと思うのですが、その話はまた後で。

下記は、当選通知に同封されていた『黒部ルート見学のしおり』と"参加者章"です。

これ以外にも、黒部アルペンルートの時刻表やパンフレット、黒部湖遊覧船ガルベ乗船割引券などが同封されていました。

また、欅平からの移動手段が、黒部渓谷鉄道(トロッコ電車)しかないので、欅平到着時間から一番近い欅平から宇奈月までの前売り乗車券の予約がされていて、その振込み用紙も同封されていました。

トロッコ電車は、チケットが取れるか不安だったので、これは、ありがたかったですね。

欅平着が14:10、解散。

欅平発が14:37のトロッコ電車で宇奈月着15:54。

この日は、富山市で後泊することにしました。

また、先にも書きましたが、黒部ダムルートは、10:30に関電トロリーバス 黒部ダム駅駅長室前に集合です。

富山からだと電鉄富山始発(5:28)に乗って、立山7:00の立山ケーブルカーから、高原バス、立山トンネルトロリーバス、立山ロープウェイ、黒部ケーブルカーと乗り継いで、9:55黒部湖着、そしてそこから徒歩約15分、関電トンネルトロリーバス黒部ダム駅着10:10となります。

それでは、あまりにも面白くないので、見学会の2日前に富山に入り、丸1日かけて、上記の交通手段を使って立山黒部アルペンルートを行くことにしました。

ということで、簡単に旅程を記しますと、

1日目、富山泊。

2日目、アルペンルート行。
長野県大町温泉郷泊。

3日目、黒部ルート見学会。
富山泊。

4日目、帰宅。

1日目と3日目は、富山駅前の同じビジネスホテルを予約しました。

2日目は、少し贅沢に大町温泉郷のホテルを予約しました。

また、交通手段はJR の『立山黒部アルペンきっぷ(往復北陸線経由)』という周遊券を使用しています。

このきっぷには、北陸線の特急(サンダーバード)指定席、北陸新幹線(金沢~富山)自由席、富山~長野県信濃大町のアルペンきっぷ(乗り降りフリー)が含まれています。

乗り換えが多いので、乗り降り自由、見せるだけで済む周遊券は大変便利でした。

それに、バラバラで買うより若干お得です。

学生時代から、お金が貯まれば一人でアチコチ彷徨(ウロツ)いていたので、青春18切符と周遊券にはお世話になりました。

それから30年近く、自分が使わなかっただけなのに、まだ周遊券が存在していたことに、勝手に軽い感動を覚えてしまいました。(笑)

この『立山黒部アルペンきっぷ』は季節切符です。

今年の場合は、
利用期間:平成28年4月16日(土)~11月30日(水)
(注:4月27日~5月6日、8月11日~20日は使用不可)
発売期間:平成28年4月1日(金)~11月23日(水・祝)
です。

旅の準備についても少々。

この旅の特殊さは、寒暖差です。

大阪と富山の市街地では、さほどの違いはないようですが、アルペンルートの天気予報を見ると気温12℃。

30℃以上ある市街地からすると、約20℃の差。

更に、『黒部ルート見学のしおり』によると、黒部ルートの平均気温は、4℃~14℃とのこと。

しおりにも、アルペンルートのパンフレットにも市街地との温度差を考えて脱ぎ着できる防寒着の用意と書いてあります。

それ以外にもしおりには、服装や持ち物への注意がありました。

まず、持ち物ではキャリーバックや自分の膝からはみ出すような大きなリュックは不可。

黒部ルート内を移動する上部専用鉄道(トロッコ)等、車内が大変狭いので、他の参加者の迷惑にならないように、膝上で抱えらる日帰りハイキング用リュックサック1個程度とありました。

実際、乗り物は本当に狭かったです。

私のリュックは、日帰りハイキング用よりは少し大きめの腰ベルト付きリュックだったのです。

膝にのせてもはみ出さないことは、確認して行きましたが、回りから苦情がこないか、叱られないか、ドキドキしながら参加してました。

そのリュックの中身は、ウルトラライトダウンやウールのカーデガン、厚目のウィンドブレーカーなどの防寒具が大半でした。

なので、温度が下がるのにつれて着込んでいき、ソフトタイプのリュックをコンパクトにすることができたので、たぶん、回りにご迷惑はかけなくてすんだんじゃないかと勝手に思っております。

もし、かけてたら、ごめんなさい。m(__)m(お読みにはなってないと思いますがf(^^;)

乗り換えで工事用施設内を歩行するため、動きやすい服装(スカート不可)、履き物もスリッパやサンダル、ヒールは不可、ズック靴等を着用することとありました。

濡れて滑りやすい箇所などもありましたから、スカートにヒールは、確かに危険です。

また、黒部ダム出発ルートの参加者は、弁当を持参すること、ゴミは持ち帰ること等の注意書きがありました。

以上のような注意書きをふまえて、準備を整えていきました。

荷物は、先にも書いた腰ベルト付きのリュックと機内持ち込みサイズのキャリーバック、そして貴重品を入れるウェストポーチの3点です。

リュックには、主に防寒具等を入れ、それ以外の3泊4日分の荷物はキャリーバックに詰め込みました。

さて、そのキャリーバックですが、見学会には持っていけないし、アルペンルートでも邪魔になるので、困ったなあと思っていたら、流石に観光地ですね、手荷物回送サービスというのがあったんです。

パンフレットには電鉄富山駅に朝9:30までに手荷物を預けると、大町温泉郷の各ホテルに届けてくれるとありました。

また、その逆もあって、ホテルフロントに朝8:30までに預けると電鉄富山駅まで届けてくれるんです。

手荷物1個につき、1300円。

これで、荷物問題も大丈夫♪

それに、これは行ってからわかったことなのですが、私の泊まったビジネスホテルから直接届けてもらうことができました。

なので、2日目も3日目もキャリーバックを持ち歩く必要が一切なかったのです。

本当に、ありがたいサービスでした。

さて、長々と書きましたが、以上がこの旅の概要と準備です。

で、やっと、出発です。

直前まで全日休めるか微妙だったので、指定券も買っておらず、出発直前に指定席を確保して、大阪を立ったのは午前10時過ぎ。

ただ、その指定席が出張のサラリーマングループの真っ只中。

そして、お隣の体格がとてもよくて、身動きできない、、、(--;)

周遊券に指定券が含まれているからと、指定席を慌てて確保したけど、自由席のほうが良かったかもと、後悔。

ただ、つま恋の時のこだまと違って、指定は満席みたいだったので、自由席も一杯だったんだろうと、諦めました。

幸い、前日までバタバタしてたので、30分もたたずに夢の国に行くことができましたが。

北陸本線・サンダーバードで、金沢まで夢うつつで揺られておりました。

そして、金沢からは、北陸新幹線で富山まで。
"北陸新幹線つるぎ"の1号車(自由席)は、ガラガラで貸切状態。

とても、贅沢な気分でした。(^^)

金沢で、少しだけ途中下車したりしたので、富山に到着したのは2時過ぎ。

ホテルに荷物を預かってもらい、遅めの昼食に。

駅に隣接する"きときと市場"で、念願の白海老を食べました。

回転寿司で食べたんですが、流石に何を食べても美味しかったですね。

ただ、美味しさに舞い上がって、支払いが、、、(--;)

なので晩飯は、スーパーのお惣菜でチープに済ませました。f(^^;

財布は寂しくなりましたが、お腹は満たされたので、市内観光をすることにして、観光案内所へ。

案内所に、富山駅北口側を走る市電(路面電車)フリーチケット(マスの寿司などの名物グルメ3品付き)を買いに行ったのです。

しかし、グルメチケットの交換時間のほとんどが、15時までだということだったので、この日は断念。

フリーでなくても、区間に関係なく1乗車200円だったので、電鉄南富山駅前行きに乗って終点の南富山駅まで行ってみることにしました。

路線は、この南富山駅前行きと大学前行き、そして国際会議場などを回る環状線の3路線あります。

カッコイイ車両が走っています♪

これ以外にも、レトロ仕様の車両や私が大阪で見慣れた昔ながらの市電も。

乗り物好きなもので、みゆきさんに関係なく、下手な乗り物の写真を貼ってます。

我慢して下さいませ、スミマセン。m(__)m

終点の南富山駅前へ、約20分間の車窓からの観光です♪

市街地をゆっくりと走りる市電は、楽チンだし、車にはない特別感があってワクワクしてきます♪

住んでる人にとっては、当たり前の交通手段なんでしょうけどね。

市電は、大阪や京都、滋賀など身近にもあるんですが、やっぱり特別な気がしてテンション上がるんです♪(^^)v

子供みたいで恥ずかしいのですが、市電以外にも、特別感がある乗り物が大好きなので、この旅は、その意味でもテンションマックス、大満足な旅でした♪(^o^)v

のんびりと眺める車窓からの風景が、華やかな市街地から生活感のある街並みへと変わる頃、終点の南富山駅に到着。

少し古めですが、鉄筋3階建ての大きな駅舎に、ビックリ!\(◎o◎)/

確認すると、市電の終着駅は降り立ったプラットホームで、正式名称は「南富山駅前駅」だそうです。

市電を降りた私の目の前に聳え立った「南富山駅」は、富山地方鉄道不二越・上滝線の駅だったんです。

この南富山駅、「富山地方鉄道研修センター」(駅名看板の上、目を引く看板あり)や駅舎横には市電の車両基地まで備えた立派な駅でした。

1階には、少し古びた、どこか懐かしい待ち合い室と窓口、改札があります。

この待合室をあらわすのに、レトロと言う言葉を安易に使いかけて、なんか違うなあと思ったんです。

で、何が違うのか考えてくと、レトロって言葉は、何かカッコ良くて、よそよそしいんですね。

もっと、身近なんです。

全体的に少し古びているんですが、寂れてはいなくて、生活感をものすごく感じるんです。

懐かしい生活感を。

それは南富山駅前にも言えて、行った日が水曜日だったためか、シャッターの閉まった店が多かったんです。
(観光案内所でも水曜定休の店が多いと言われました)

でも、下校の中・高校生や若い母子連れ、乳母車に捕まったおばあちゃんがのんびり行き交う様子からは、寂れた感じより生活者の温もりを感じました。

『♪シャター街は生きている~』(「橋の下のアルカディア」より)ですよね。

恋をするかどうかは、不明ですがね。(笑)

閉まってる店が多い中、少し派手目のCDショップ「サウス・ストリート」が、目を引きました。

中古CDショップなのか、レコードの文字も。

せっかくプレーヤーがあるのだから、レコードを探そうと思っていたところだったので、フラフラと店内に。

一応、「旅行初日にレコードを買って、その後どうするんだ!」と止める心の声も聞こえたのですが、何とかなるという声のほうが大きくて、、、f(^^;

私の記憶が正しければ、間口は狭いが奥行きが深く、半ほどに出っ張りのような部屋があるカタカナのトの字ようなお店でした。

その出っ張りにLP盤、EP盤のレコードがありました。

CDは、アーティスト別に整理されていますが、レコードは洋楽、邦楽の区別だけです。

なので、LP盤を片っ端からチェック。

懐かしかったですねぇ~♪

かぐや姫やN・S・P、さだまさし等々友人にダッビングしてもらったレコードたち。

特に、「かぐや姫LIVE」は一瞬買おうかと、、、。

「僕の胸でおやすみ」や「目をとじて」(共に作詞・作曲山田つぐと)が入ったライブ盤なんで、本当にしばし迷いました。
(ウッドベースのパンダ(山田つぐと)さんが好きなんです)

「つま恋2006」は持っているけど、若い頃のアナログライブ盤、、、。

しかし、幸か不幸か、みゆきさんがなかったので、荷物になることを考えて諦めました。

レコードを堪能して、CDの棚へ。

50音(アーティス)順に並べられた棚を眺めていると、数字の書いた紙が巻かれているCDと何もないCDが一緒に並んでいる。

???(・・?

何枚かCDを手に取ってみると、どうやら数字の紙があるCDは中古で、ないものは新品らしい。

思い切って店員さんに確認すると、"その通り"だということでした。

中古CDショップだと思い込んでいたので、新品があるとは思っていなかたんです。

そして、何より中古と新品が同じ棚にに並んでいるのを見たのは初めてだったので、???となったのでした。

それだけ、楽しませていただいたのに、結局購入ゼロ。

懐かしさと、新鮮な驚きをいただきながら、何も買わずにお店を後にしてゴメンナサイ「サウス・ストリート」さん。m(__)m

と、思いながら外へ出ると、丁度市電がプラットホームに。

時刻は、もうすぐ5時。

下校の学生たち一緒に乗り込んで、富山駅に戻ることに。

もう少し市電に乗りたかったので、富山駅でセントラム(環状線)に乗り換えて市街地一周の旅へ。

富山県庁前を過ぎ、富山城址公園の周りを回りながら国際会議場前を通り過ぎ、市電三線がともに走る繁華街を経て、電鉄富山駅で下車。

2日目のアルペンルートの起点となる駅なので下見です。

乗車券センターで、時間や周遊券の使い方を確認すると、乗車前に窓口で立山からのケーブルカーの予約をして、アルペンルートのフリーきっぷをもらう必要があるとのことでした。

なので、早めに来たほうがいいですよ、と親切に教えてくれました。

下見の甲斐がありました。

時刻は6時。

駅の下のスーパーでお惣菜を買って、ホテルにチェックイン。

シャワーを浴びて、お惣菜を食べながらテレビを見ていると、みゆきさんが出てきてビックリ!

「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」

スペシャルゲストに、上川隆也さん。

その上川さん本人からのスペシャルヒントが、
「中島みゆきさんのコンサートに行って、1曲目から号泣しました」
というもので、「縁会」の映像付きで
「空と君のあいだに」がかかったものでビックリです。

上川さんが、コンサートで泣いたエピソードの真相を告白。

上川さんは、高校からみゆきさんファンだったそうです。

何回かみゆきさんのコンサートに行ったことがあったのですが、「空と君のあいだに」を聴くことはなできなかったそうです。

その「空と君のあいだに」がコンサートの1曲目だったので、イントロを聴いただけで感極まって涙がドッと出たんだそうです。

「縁会」ですね。

コンサートの後で、楽屋に案内されたそうですが、緊張して
「シドロモドロでした」
と、言っていました。

上川さん主演の舞台「真田十勇士」の主題歌をみゆきさんが担当(「月はそこにいる」)したご縁(会)ですね。

上川さんっていい人だなぁ~と微笑ましく見てました。(^^)

それにしても、つま恋といい、黒部といい、歌跡の旅には、みゆきさんがヒョッコリと顔を出してくださいますねぇ~♪

こんなところに、中島みゆきです♪(笑)

何か、黒部初日にみゆきさんを見れてラッキーと言うか、この旅の成功が保証されたようで、嬉かったです♪

ということで、ここで第1日目がやっと終了です。

次は、第2日目、
"中島みゆき"歌跡"の旅へ《黒部2・黒部アルペンルート》
です。

スミマセン、まだ「地上の星」まで到達しません。

もう少し、お待ち下さいませ。m(__)m

長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。(^^)

では、また。(^-^)
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こんなところに、中島みゆき2

2016-10-03 01:48:11 | 中島みゆきさん(ランキング)
「関ジャム」という番組を見ていたら2015年スナックカラオケランキングというのをやっていました。

これが、驚きの結果だったので、ピコピコ打ち出したんです。

この日は、"スナックJUJU"というタイトルで、JUJUさんをメインゲストにスナックでのカラオケランキングを発表するという企画でした。

一般のカラオケランキングと、スナックカラオケランキングは全然違うという話の後、2015年の一般カラオケランキングが映りました。

3位の「糸」を見てニコニコしていたら、
2015スナックカラオケランキングがはじまりました。

10位「愛が生まれた日」から昭和歌謡、デュエット曲のオンパレードだったので、みゆきさんが入るなんて思いもせずに、ボーと見てました。

2位「酒よ」で、
1位は何かなあ~なんて、思っていたら、「歌旅」の映像付きで「糸」がかかって、ビックリ!(*_*)ですよ。

私だけでなく、「糸」が出た途端、スタジオにもどよめきが起き、出演者も驚いてましたね。

他の曲に比べたら、「糸」は最近人気になったようです。

スローテンポな曲がお酒には合うそうで、落ち着いたテンポが男女ともに人気のようですよ。

やっぱり、「糸」恐るべしですね。

ランキングと言うと、この他にも驚いたランキングが。

 ビデオリサーチが、年2回行っているタレントイメージ調査というのがあるそうで、その「第88回テレビタレントイメージ調査」(2016.8)で
女性部門
10位 中島みゆき
でした。

同率10位が石原さとみさんです。

みゆきさんより上位には、ドリカムやいきものがかりと、アーティストもランクインしてるんですが、ベスト10はみんな年下です。

テレビに出てないのに、何かスゴくないですか?

ちなみに、2016.2の第87回は33位。

「マッサン」が放映され、紅白で「麦の唄」を歌った後の
2015.2の第85回は、25位、
2015.8の第86回は、31位でした。

最近、何かありましたっけ?(・・?

それと、これは全く関係ないと思うのですが、「私はスター」(作・演出:山崎洋平)という舞台に"中島みゆき"という役があるそうです。

閉園寸前の遊園地を救うため、「遊園地のマスコットキャラクターとなるアイドルを作ろう!」とアイドルを募集する遊園地。
しかし、応募者が一人しかなく、やる気のない従業員も巻き込んでアイドルユニットを作くろうとするが、、、。
果たして、アイドルは作れるのか、遊園地は、、、と言うとお話のようです。

その巻き込まれる従業員の一人が、受付嬢の"中島みゆき"。

"中島みゆき"役のるりさんによると、"中島みゆき"は、
「プライドが高くて、口が悪く嫌みっぽいヤツですが、本当は良いヤツなんです!可愛らしい部分もあるんですよ、見つけて下さい。(笑)」
という人物だそうです。

あんまり、、、(--;)

あたるちゃんのことをアイドルだったと、散々言ってたみゆきさんですが、知らないところで、アイドルになりそうですね。(笑)

最後も含めて、こんなところに、みゆきさん?と驚いたもので、記事にしてみました。

黒部の記事が中々進まないので、書けるネタがあって良かった、というのが正直なところなんですが、、、(--;)

黒部の記事は、異常に長くなりそうなんで分けて書いてるんですが、それでも長くて、、、(--;)

予告です。

「地上の星」に至るまでの前置きがとても長くて、前置きが2回あります。

もし、お待ちいただいてる方がいらっしゃったら、お待たせすることになると思います。

スミマセン。m(__)m

鋭意製作中です。(^^;

お読みいただいて、ありがとうございます。(^^)

では、また。(^-^)



コメント (2)
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