身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

みゆきさんの声、その32「一夜草」"夜"「問題集」7

2015-01-06 00:23:14 | 中島みゆきさん(声)
夜「問題集」も残り2曲です。

この「一夜草」は、
「夜会VOL.18 橋の下のアルカディア」
と、完全に絡めて妄想しますので、ネタバレ禁止の方は、始まる前に、ありがとうございました。(^^)

いつにも増して、妄想が暴走してます、スミマセンm(__)m。

すぐ、ネタバレになります。

まず、この曲を最初に聴いたのは、2014年10月19日の月イチです。

この時書いた第一印象が、
"「昭和歌謡?」"

続けて、
"何か懐かしくて、調子よくて、耳コピした下記のフレーズが印象的な曲でした。
『♪夜風につられて セレナーデ
 思わず知らず セレナーデ
 歌えてしまうよ セレナーデ
 罪作りな セレナーデ』
(耳コピなんで、間違ってたら、スミマセン)"
  ↓
『♪罪つくりなセレナーデ』
でしたね。

そして、この時のみゆきさんのコメントとして、
"みゆきさん曰く、
「どんな場面で歌われるんでしょうかね」"
と、書いてます。

みゆきさんの言葉を聴いて、
"この曲が、歌われる場面に重要な意味がある"、
と言いたかったのかな?と、チラッと思ったのを思い出しました。

実際の舞台では、この曲が歌われる場面だけ、ある意味異質な展開になってます。

この曲を歌うのは、舞台上の出演者ではなく、ミュージシャンや和ちゃん(杉本和世)と一緒に舞台下でガンバル、文さんこと宮下文一氏。

舞台上では、高橋九曜(石田匠)が仏壇に手を合わす高橋模型飛行機店の上で、九曜の父の高橋忠と思しき人物が紙飛行機を折っては飛ばしています。
(過去のワンシーンを表現してると、思われます)

このシーンは、高橋家三代のシーンだと思います。

その高橋家の名前について、気になったので、考えて(妄想)みました。

まず、九曜。

Wikipediaで調べたところ、インドの天文学や占星術、神話に出てくるもので、実在する天体7星に、実在すると考えられた天体2星を加えたもののことだそうたです。

実在する天体は、曜日でお馴染みの「日・月・火・水・木・金・土」の七曜。

そこに、古代インドで実在すると考えられた、
月の昇交点であるラーフ:ラゴウ、
月の降交点であるケートゥ:計都(けいと)
の二曜を加えて九曜となるそうです。
(ラゴウは、漢字が反映されないのでカタカナにしました)

月の交点は、日食や月食に深く関わっており、インド神話では、ラゴウが日食、月食を起こすとされているようです。

それが、日本に伝来し「九曜曼陀羅」として、信仰の対象になったようです。

「九曜曼陀羅」(参考です)
日曜(千手観音)、
月曜(勢至)、
火曜(虚空蔵)
水曜(弥勒)、
木曜(薬師)、
金曜(阿弥陀)、
土曜(聖観音)、
ラゴウ(不動明王)、
計都(釈迦)

また、九曜紋として家紋にも使われています。 

インド神話か、九曜曼陀羅か、九曜紋か、ハタマタそれ以外の何かか、みゆきさんが何になぞらえて、命名されたのかはわかりません。

ただ、前世の公羊(くよう)から九曜に変わっているのは、意味があるような気がするんです。

公羊、集団(公)の生け贄の羊?
集団の意思に逆らえぬ者という意味かな?と思っています。

九曜に変わった今生、少なくても羊ではなくなっています。

神話だ、曼陀羅だと、人以上の強い意思を持つ者として、集団に縛られるな、との思いが込められているのかしら?と勝手に解釈してます。

群れなければ生きられぬのが人ならば、人を超えて行け、と。

『♪荒れ狂う流れは 水じゃなくて人です
止めることのできない嵐は 人です』
(人柱)

また、"曜"と聴いて真っ先に頭に浮かんだのは、中国で生まれ、日本に伝来した六曜です。
(九曜とは関係ないそうです)

先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口

日々の吉凶を示します。

迷信だとして否定する意見がある一方、すがってしまうことも多い六曜。

『♪すがるものに群がる まじないの言葉に
祈る 祀る 占う 貢ぎ物 人柱』
(人柱)

みゆきさんの念頭にはなかったかも知れませんが、私の頭の中で繋がったフレーズです。

九曜の祖父は、一曜。

『♪ただの裏切りと 記録は示すだろう
国を捨てながら逃げた臆病者』
(国捨て)
と歌われる脱走兵。

『♪この世の恥とは何ですか 御国の恥とは何ですか
身内の恥とは何ですか 心の恥とは何ですか』
(国捨て)

その一曜の息子が、いつ誕生したのかはわかりませんが、この
『御国の恥、身内の恥』を受けて、
"忠"と名付けられたのかな?と。

忠誠の"忠"かな?と。

ただ、舞台の忠は、父から受け継いだ「緑の手紙」を紙飛行機にして飛ばしているように見えたので、国への忠誠の意味を装って、
親への"忠"という意味も込められてるんじゃないかなと、またも勝手に思っています。

九曜が仏壇を拝み、忠が紙飛行機を飛ばす、このシーン。

ならば、一曜はどこにいるかと言えば、文さんの歌声の中だと、私は思っています。

文さんが、歌う
「一夜草」は、
一曜の歌だと。

第一印象で、
「昭和歌謡?」
と書きましたが、それを意識して創られた曲ではないかと、
「アルカディア」を観て、強く思うようになりました。

曲調で、時代を表現したんじゃないかな?と。

「アルカディア」のラストについて、何回か書きましたが、一曜は特攻隊を脱走したのだと、私は思っています。

『♪願いどおりの風は吹かない
運びさられる この命』

『♪もしも明日がもひとつあれば
心残りはないだろうか』

その脱走理由が、
「一夜草」に描かれるロマンスなんじゃないかな?と、これまた勝手に妄想してます。

『♪好きも嫌いも嘘もホントも どうせ私の夢の外』

『♪罪つくりなセレナーデ』

なんとも、大暴走な妄想だとは思いますが、みゆきさんならそのくらい、考えそうだと思うのは、私の思い込みでしょうかね?

アルバム「一夜草」の第一印象を
"何か懐かしくて、調子よくて"
と書きましたが、歌詞を噛みしめて聴いていると、なんとも切ないメロディに思えてくる曲です。

みゆきさんの軽く震える歌声が、一見明るく聴こえます。

サバサバしたあきらめというか、開き直りという感じに聴こえます。

しかし、声の微妙な震えとバックのマンドリンの震える音色が、苦しく悲しい胸の内を表現しているように思えて、胸がジーンとなってきます。

たぶん、「アルカディア」を観た人と観てない人では、この曲に対する感想は変わるんじゃないなかと思える曲です。

だから、私の中では、このアルバムの中で、一番「アルカディア」と絡んでいると思える曲なんです。

それで、「アルカディア」に絡めたら妄想を長々と先に書いたんですけどね。

ハデに暴走してしまった(--;)
 
書いたことは、あくまでも私の個人的感想であり、ただの妄想です。

まあ、こんなこと考える人もいるんだ、と思っていただけたら、幸いです。

さぁ、後残すは
「India Goose」。

月イチまでに、"飛びたて"るんだろうか?

今日も、長々とお読み頂き、本当にありがとうございました。(^^)

では、また(^-^)
コメント (2)
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