台風や豪雨の被害が続いています。
被災された方々、被害にあわれた皆さま、お見舞い申し上げます。
1日も早い復旧復興を祈っています。
最近同じ書き出しになってしまって、すみません。
それだけ、毎週、毎週、天から試練が降ってくるんですよね。
『♪やっと見上げる鼻先を
叩きのめすように日々は降る』
(「負けんもんね」)
ニュースを見ていて思わず、
『叩きのめすように雨は降る』
と、脳内再生していました。
ニュースと言えば、「やすらぎの刻~道」の11月放送から、主題歌が更に2曲増えるそうですね。
「終り初物(おわりはつもの)」と
「観音橋(かんのんばし)」。
勿論、中島みゆき作詞・作曲、瀬尾一三編曲、歌・中島みゆきです。
こちらのニュースは、大変嬉しいニュースでした。
しかし、一方、「やすらぎの郷」、「やすらぎの刻~道」に姫こと九条摂子役で出演されていた八千草薫さんの訃報もあって、悲喜こもごもな1日でした。
八千草薫さん、本当に上品で可愛くて、倉本先生が"姫"と言う呼び名を付けたのが、すごくよくわかります。
ご冥福をお祈り申し上げます。
さて、本題です。
"愚直さ"。
みゆきさんは、不器用で愚直に生きることを肯定的に描いてくれてると思うんです。
先の「負けんもんね」も、
『♪これでもかこれでもかと
試すなら試せ試金石』
と押し寄せる困難に
『♪負けんもんね 負けんもんね』
と対峙する愚直さ。
「重き荷を負いて」の
『♪がんばってから死にたいな がんってから死にたいな』
なんて、そのものです。
みゆきさん自身が、決して要領良く生きてきたわけじゃないからでしょうね。
『♪要領を教えましょうかと ふところ手の誘い 蹴れば
顔色は変わる 寄辺は消える』
(「本日、未熟者」)
ですから。
でも、"愚直さ"を手放しで賛美はしない。
『♪あぁ 失えば あぁ その分の
何か恵みがあるのかと つい思う期待のあさましさ』
(「負けんもんね」)
という、どうしようもない下心も隠さず歌ってしまう。
更に、
『♪ひときれの優しさも ひときれの励ましも
見返りを数えている』
(「走」)
と、何ともシニカルな目線も。
そんな下心やあさましさを持ちながらも、愚直に生きている者達。
やせこけて、やせこけて、それでも登っていく魚のような生き方への愛しさと凛とした励まし。
『♪ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ』
(「ファイト!」)
その優しい眼差しと激励に、この1年、本当に助けられました。
と、ここからは、ほとんど私事です。
愚痴もあります。
ただ、この1年、タイトルにあげた曲が、ピッタリくる出来事があって。
それで、この記事を書くことにしました。
そんな私事でもよろしければ、お付き合いくださいませ。
みゆきさんの言葉選び、その24"理不尽"「それ以上言わないで」、「ファイト!」
から、約1年。
から、約1年。
これも、『みゆきさんの言葉選び』と言いながら、私事の愚痴愚痴記事で失礼しました。
失礼したのですが、ここからは、その時に書いた愚痴愚痴状況のその後のお話になります。
その前に、簡単に愚痴愚痴状況を説明します。
昨年10月、仕事量の増加と人員の減少という反比例状態で、仕事が滞留するようになりました。
しかし、10月異動で変わった上司の方針で残業禁止になってしまい、いよいよ、にっちもさっちもいかなくなったんです。
で、頼み込んで、1日限定で残業の許可をもらいました。
そして、何とか、終わらせた帰り際、新しい責任者から掛けられた言葉が、
「気は済んだ?」と、
「あなたの評価が下がるのよ」でした。
言葉使いでわかるように、新しい責任者は女性です。
フワフワした可愛い方(以下フワフワさん)なので、このお言葉は、衝撃でした。
そして、この数ヶ月後、この言葉通りの結果が待っていたんです。
先の記事にも書きましたが、偉そうに書いてますが、私はただの契約社員です。
契約更新と評価の面談が1年に一度あります。
直属の責任者の女性上司(フワフワさん)と総責任者(男性)の二人との面談です。
そして下された評価は、過去最低のものでした。
彼女が言った通り、評価は下がったんです。
予想以上に。
思わず、
「残業の件が原因ですか?」
と聞き返した私に、総責任者はいくつかの理由にならない理由を上げてきました。
なので、更に聞き返すと、口答えに苛立ったのか、最終的に
「性格が悪い」と切り捨てられました。
フワフワさんは、一言も発することなく、書類に何やら記入をしていたので、その表情はわかりませでしたが、、、。
その面談後から、
『試すなら試せ試金石』的な出来事が、チラホラ。
一番酷かったのが、繁忙期で臨時の人を増やした初日の出来事です。
チームに6人入ることになり、6人分の資料を作って準備をしていた私に、彼女から
「繁忙期で臨時と新人が17人来ます。
しかし、まだ、配属が決まってないから、皆一緒に説明してください」
との命令が。
それも、当日の朝。
総務が、社内規定の説明をしてる間に
急いで資料の追加を作り、場所を探し、17人相手に説明をすることに。
何とか説明を終えて、各々に仕事を割り振り、実際に仕事をしてもらうも、17人の仕事状況をチェックするだけで、精一杯。
お昼も5分で終えて、チェックしてました。
(この日から、残業できない分、昼休みを15分以内に切り上げて、仕事する日々に突入)
自分の仕事が、他に何一つできないまま、ヘトヘトで初日終了。
しかし、翌日は、配属が決まったからと人はいなくなり、更に当初予定の6人が5人にされる始末。
この初日、2日と頭の中を流れていたのが、
「負けんもんね」。
『♪試すなら試せ試金石』
と、何度も何度も。
そんなこんな、あれこれが日々繰り返された
「負けんもんね」の1年。
8月頃から、過敏性腸症候群と診断される状態に。
この頃から、頭を過るようになったのは、
『♪がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな』。
大袈裟ですが、腹痛で身体に力が入らない日もあって、そんな時に。
我慢できないほどの痛みではないし、ましてや、休むほどではなくて。
そして、10月。
人の性格が悪いと言った総責任者が、突然異動になりました。
そして、新しい総責任者が着任。
着任後の朝礼で、簡単な個人面談をすつもりだと言われました。
しかし、誰もがその言葉を聞き流していました。
と言うのも、前任者が着任後や繁忙期前、繁忙期が一段落した後と、ことある毎に、
「皆の意見を聞きたいから面談をする」と言っては言いっぱなしで終わっていたからです。
結局、年1回の評価面談しか行わなかったんです。
仕事も言動も思いつきの人でした。
しかし、今度の総責任者は、有言実行の人でした。
ちゃんと、計画的に部署全員と面談を行ったのです。
その面談で、思いもかけないことを告げられたのでした。
まず、総責任者から開口一番、
「いつも、ありがとう」
と言われました。
何のことかわからずに、一瞬、ポカンとする私。
そんな私に、総責任者は
「今までに面談した人に、困った時に誰に相談するかと質問したら、ほとんどの人が、社員ではなく、あなたの名前をあげました。
中には、あなたがいないと回らないと、ハッキリという人もいて。
大変でしょう、大丈夫ですか?」と。
私は、最後少し手前の順番でしたから、本当に多くの人が、私の名前をあげてくれたようでした。
それで、
「いつも、ありがとう」
という言葉になったみたいです。
その時は、余りに意外な展開に感情がついていけず、どこか他人事のような気がして、
「ありがとうございます」
と返すのが精一杯でした。
自席に戻った後も、実感がなく、皆に礼を言うこともできず帰宅しました。
未だに、誰が言ってくれたのか、誰に礼を言えばいいのかわからぬままです。
その日の就寝前、やっと感情が追いついてきたのか、涙が止まらなくて、その時、頭の中を過ったのが、
『♪報われたなら その時泣こう』
(「走」)
全力疾走のような毎日が、報われた思い。
腐らず、真っ正面から取り組んできた。
それが、間違っていなかったことが、嬉しかったんです。
この時、"愚直"という言葉が、浮かんできました。
先にあげた曲たちとともに。
それで、これを書くことにしました。
何となく、1年がかりである意味完結したような気もして。
ただし、現実は、そんなに甘くなくて、仕事量が減ることもなく、腹痛がなくなるわけでもないのですが、気持ちのササクレはなくなってきました。
腹痛から解放される日も近いと思います。
本当に、最後は私事で失礼しました。
ここまで、お読みいただいて、ありがとうございます。(^^)
ではまた。(^-^)