先日大阪市内のビジネス街を歩いていると、私のいる場所からほんの数メートル先かと思われる場所から
お寺の鐘のつく音がゴーン ゴーン と大きく響き渡りました。
こんなビルばかり立ち並ぶ場所にお寺がある様子でもなく、私の空耳ではないかと思ってその日は立ち去りました。
数日後にまた同じ場所を歩いていると、私が通るのを待ちかねたかのように、また鐘の音が二回大きく響き渡りました。
周辺の地図を見てもやはりお寺は見当たらず、キツネにつままれたような、奇妙な気分でした。
そして私は その鐘の音を聞いたことで 去年の暮に父が亡くなった日の一連の出来事を思い出しました。
父が亡くなった日は、 今思い起こすと不思議な事がいくつかありました。
父が亡くなる日の朝、入院中の父から「シャツを持ってきてほしい」というメールを受けた私は
いつものように父の病院に車を走らせました。
父が闘病を始めてから二年間、何度となく通った病院の駐車場に、いつものように車を止めようと徐行運転し始めた
私の車に向って、すっかりやせ細った野良猫らしい子猫が近づいてきました。
今までこの駐車場て゛一度も猫の姿を見たことがなかったので とても不思議に思いました。 その痩せた姿があまりに闘病中の父の姿と
重なって見えた私は、父にシャツを届けると、さっきの子猫にエサをあげようと父の病室から出ようとしました。
その時、父の表情が突然険しくなり、「なんで子猫がいるなんて 看護婦さんが余計な事を言ったんだ」と怒り出しました。
父は勘違いをして、私が見つけた子猫ではなく、看護婦さんが「子猫がいるよ」と教えてくれたものと思っていたようでした。
父を見舞いに来た私が、子猫の方が気になって病室を出て行くのが この日の父にとってはとてつもなく淋しい気持ちにさせたようでした。
私は「すぐ戻るから」 と病室を出ましたが、それが父と交わした最後の会話となりました。
私は近くのスーパーでキャットフードを買い、駐車場にまだいた子猫に与えたのですが、やせ細っているのにほとんど食べてくれませんでした。 食べ物をほとんど口にできない父の姿と重なりました。
病室に戻ると、父はモルヒネを飲んだ直後で眠っていました。
私が子猫を見にいっている間父に付き添っていた母は、帰りの車の中で こんな話をしました。
「あなたが子猫を見に出て行ってから、お父さんがモルヒネを飲んで眠っていたのに、突然目覚めて 「今 お寺の鐘の音がした」って言ったんよ。 私が「こんな所にお寺なんかないから、夢でもみたんでしょ」って言ったら「そうやな、そんなはずないな」 って言ってまたスヤスヤ眠りだしたんよ」
これが 父と母が夫婦水入らずで交わした最後の会話となりました。
夕方、父の苦しみが増し、モルヒネでは効果がないので 鎮静剤を打つ許可を家族全員の方から欲しい、と病院側から我が家に電話があった時、私は家に不在だったため、母と兄が独断で許可を出しました。 しばらくしてからその電話の事を知った私は、
「鎮静剤を打つのを待ってください!」 と本能的に これが父に致命的な治療になる気がして、医師がまだ鎮静剤を打っていないことを
信じて、父の元にかけつけようとしていた時、私の携帯に病院から電話が入りました。
父の息が止まりかけているので すぐ来てほしい、 とのことでした。
父がまだ生きてくれていることを祈って病院に急ぐと、もう父が亡くなった後でした。
鎮静剤を打った瞬間から息が突然止まったということでした。
私はその後も子猫の事が気になって、残っていたエサをあげに何度か病院の駐車場に足を運びましたが、あの日以来一度も子猫の姿はなく、
あの子猫は 私が見た幻だったのだろうか、、、と 。
子猫を見に病室を出て行こうとする私に向けた父の淋しそうな深い眼差しは、今思えば 父が私と過ごせる最後の日である事を知っていたからではないかと思えてなりません。
そして私が子猫を見に病室を出たことは、結局 父と母 二人きりで過ごす最後の時間を与えられたようなものでした。
父が聞いたという鐘の音、 母はこの言葉を聞いたとき、父がもう最期であることを教えてくれている気がしたといいました。
父の死から経験した神秘的な世界は、その後の私の人生観に強く影響し始めています。