
水で洗われて、 キラキラ輝いた黒豆を見ていると、心まで輝いてくるようです。

これから一日、水に漬けて膨らんでもらいます。
ダルマ君もスタンバイOK

黒豆の炊き方 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ちなみに私の母は 砂糖を 黒砂糖 にするそうですよ。
黒豆の炊き方 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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「父のライブ録音」
従兄弟の結婚式に私たち家族は出席した。
私が座った披露宴のテーブルは親族で埋まり、司会や友人のスピーチが続いた。
「....さて、次は、新婦様の従兄弟様のmiehfさんが、エルガーの「愛の挨拶」を演奏されます。」
私は「何か」演奏するように頼まれていた。丁度音大を目指していた頃で、勉強のために自分が演奏するものを「録音」するようにしていた。
隣に座っていた父に「このRECを押してくれたらいいから。他は何も触らなくていいから。」と念を押した。電気製品の取り扱いに疎い父だったが「わかったよ」と言って録音機を受け取った。
披露宴の前方に立って
「この度はご結婚おめでとうございます。」
など形式を述べてから、演奏をした。
無事に終わって席に戻った。会場は暗くて人の表情がよく見えない。父は「はい、これ」と言って録音機を私に返した。
後日この録音を聞こうとした。
「この度はザザザザザッ」
なんだかすごい雑音が入っている。
それでも耳を凝らして聞いていると、どうやら演奏が始まったようだった。
「グスッ、グスッ、ズズーッ」 どこかで聞き慣れたような「身近な音」が私の演奏に重なっている。
ハッ とした。 これは 父が「泣いている」音だ。
その「ザザザザザッ」と「グスッグスッ」はどんどん頻度を増し、最後には完全に私の演奏がかき消されていた。
母が「あの時、恥ずかしかったわー。まるでmiehfちゃんの結婚式みたいに、お父さん嗚咽して泣き出したのよ。周りの人達、苦笑いしてたわ」
ザザザザザっは父が嗚咽しながら「録音機」を掴んでいたからだろう。
私はこの時初めて、「頼む相手」を完全に間違えていたことに気がづいた。
「父の涙」
「日本男児は泣かない、 男は泣かない」 は 私の父には全く当てはまらない。
「泣き上戸」もここまでくると「あきれて」しまうというものだ。
幼い頃から私は父が「涙する」場面を何千回となく見て育った。
「夏の高校野球」を見ては、「マラソン選手が画面上でがんばって走っている姿」を見ては、「日本のなつかしい歌」をテレビで聴いては、おいおいと泣く父。
小さい私の方が「冷めた」性格で、そんな父を「あっ。また始まった始まった。」といつも冷静に客観視していた。これではどちらが大人か分からない。
正直、なんで「こんなこと」で泣くのかと理解できなかった。
そして 今泣いていた、と思ったら
「 さっ。畑仕事いってくるわ!!ハハハハハッ」
とすっきりした顔で出て行くのだから、こっちにすると
「えぇっ?さっきのは何やったん?」とつかみ所がない。
だから私は絶対「父の泣く姿」に動じない人間である。( 泣く理由がそもそも重大ではないため)
この私のブログを読んでみたい というインターネットをしたことのない母に今回、いくつかプリントして日本に郵送した。父のことも書いてある。
「miehfちゃん、今日郵送ついたよ。おもしろくて笑ったよ。」
と電話先で母が言う。
「お父さんね、これ読んで えらい泣いたはったよ。うまいうまいって。」
つまり、父の脳は全てが涙腺に直結している、ということなのだろうか。
「父の黒豆」
昨晩奈良の実家に電話をすると、ひさしぶりに父が出た。
「今年の黒豆は上出来だよ。パリに送るからね。」と言ったかと思うと、あっという間に母に受話器を渡した。
母は言う、
「お父さん、ついに黒豆のさやむきに精出しすぎて手首がひどい腱鞘炎になったのよ。今朝病院に行ってきたのよ。」
母はあきれながらこういった。
「そこの病院の先生に、黒豆をお土産に持っていったんだから。あきれてしまうったら。」
もちろん 一番あきれた のは、黒豆をもらった病院の先生 に違いない。