パリ よもやま話 番外編 特別号

パリ在住十年+の日本人女性が、パリ生活で起こるよもやま話を綴る徒然日記と帰国後のお話

miehf スチュワーデス物語 「コックピットで離着陸 」編

2009年11月04日 | フランス職安記
さて、miehf の初フライトの行く先は 青い海に囲まれた「カリブ海」の島々だった。


先輩クルーに言われるままに、乗客が乗り込む前の機内の準備を必死でやりこなしていた時だった。

とある男性が乗り込んできて、 先輩クルーが


「miehfさん、 こちらが今日のパイロット。 miehfさんはね、日本人 なんですよ」


そう言って、 そのステキな男性 (おっと,パイロット) に私を紹介してくれた。


そのパイロットは 日本人である私に驚いた顔をし、しかし とても好意的な笑顔を称えてコックピットに入っていった。



いよいよ離陸の時がやってきた。

この時間は クルーにとって 「魔の時間」 

暗く照明を落とされた機内で、非常口のジャンプシートに乗客と向かい合って座っている間、 クルーの頭の中は


「 カリブ海着いたら何しよーっかな~~~!!!」 

と考えているでしょうか。  いいえっ 違いますっ!!! ( 多分、、、)



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 この時間は 「非常時に何をどの順序で行うか」 という

決まりごとを 念仏のように頭の中で唱えている時なんですね。



また 乗客の誰を 自分の緊急アシスタントとして使おうか、 と乗客物色 もしています。

( たくましく健康そうなあなた、きっと狙われていますよ!! )



暗くシンっと静まり返ったその時間、 私も神妙な顔をして先輩クルーの隣に座っていた。

すると 突然機内電話がかかってきた。

電話を取った先輩クルーは 誰かと手短に話すと、

「さっ miehfさん、 機体の前に行って頂戴」 


私は言われるまま、 シートベルトをはずして暗い機体の中をヨロヨロと前に進んでいった。 


{  一体どうして私が機体の前に行くんだろう。  }



半人前の私には分からなかった。 ただ先輩の言われるままに機内を進んでいった。
 

前に着くと、シェフクルーが

「さっ miehfさん、 早くっ!!   」 


慌しくコンコンっとパイロット室をノックしたかと思うと、中から鍵がガチャッと開けられて、 突然視界180度のパイロット室が目の前に広がった。




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先輩クルーは有無を言わさず私の背中を押して中に入れた。

「ええぇっ!!!?????? 」 

瞬時に鍵が閉められ、 私は成すすべもなく呆然と立ち尽くしていた。

パイロットと コパイロットは もう離陸操作に全神経を集中させている。


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この国際線のエアバスのパイロット室で新米の私が離陸する、というのか。   

これは 「新人いじめ」 か何か? 


とりあえずこうして突っ立っていては危険だった。 頭上にも無数のボタンがあって、 間違えて触ってしまってはいけない。



パイロットのすぐ真後ろにあるジャンプシートに腰かけた。あまりにパニックになっていたのもあるだろうが、 特殊なパイロット用のシートベルトのかけ方が分からなかった。


あれこれ試すが どうしても装着できない。 まさか 離陸操作をしているパイロットの肩を「トントン」っと叩いて

「あのー、 これって どうするんですか? 」 

とも聞けない。


私は とりあえず、両手でしっかりと紐を握り、シートベルトしているフリをした。( これって意味ある??)


機体はどんどん上がって行き、 グラッと揺れる度に「ヒャっ」 と言った。 


パノラマに広がる離陸の光景を、miehfは シートベルトを掴みながら凝視していた。 



離陸体制が安定した頃、 また 「コンコンっ」 とノックの音があり、 パイロットは鍵を開けた。


「さっ miehfさん、 そろそろ仕事に戻りましょう」 

先輩クルーが迎えに来てくれたのだった。


私は フラフラとよろけながら機内に戻り、 また慌しく仕事に専念した。



ついに 着陸体制の時がやってきた。 こちらも「離陸」と同じく「魔の時間」 にあたる。 


クルー達はこの時間、全員が緊急時の行動を頭の中で繰り返しイメージトレーニングするのだった。


その時だ。 またどこからか機内電話がかかり、 先輩が

「さっ miehfさん、 機体の前に」


今度はmiehfにも想像がついた。 私は「着陸」をコックピットでするのだ。


今度はカメラを手にもって、冷静にパイロット室に入った。

シートベルトも装着できた。


パイロットは ふと一瞬、私が来たことを気配で感じて微笑んだ後、真剣な顔に戻って 着陸操作に専念した。


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機内電話 は彼からかかってきていたのだ。 


日本人の私に、こうして 「いらっしゃい」 と歓迎の意を現してくれていたに違いない。


着陸した後も、このキャプテンはパイロット席に私を座らせ、写真を撮ってくれた。

「パイロットって 親切な人種なんだなぁ 」 


そう思ったが、その後出会ったパイロットに そんなサービスをしてくれる人は誰も現れなかった。


あれはだったのだろうか。


 しかし私の手元に残る「奇跡の写真」 が それは現実だったことを物語っている。




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miehf スチュワーデス物語 訓練生 編

2009年09月25日 | フランス職安記

スチュワーデスという職業につく前には ハードな訓練が待っている、というのはよくドラマなどで見る。


しかし 実際miehfも そんな「超ハード」な訓練を乗り越えてきた。


筆記試験の後に待つ 実地訓練は、頭脳だけでは乗り越えれないいくつかのハードルがあった。


まずは水中訓練。  


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これは飛行機が万が一、大西洋のど真ん中に着陸した場合 など。 (本当にそんなことってありえるのかしら)


試験では、以下を一息でこなした。


決められた時間内に五十メートルを泳いだ後、すぐに おぼれている人をつかんで 励ましの声をかけながら (大丈夫ですか~~ などなど)二十五メートル泳ぎきる。


それから息つぐ暇もない状態で、折りたたまれ 紐で結ばれたたライフジャケットを手に持って足のつかない水中に飛び込み、そこでライフジャケットを身につけて膨らます。

もしライフジャケットが故障して膨らまなかったら、立ち泳ぎのまま、口で膨らます!!!   (悲惨)

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そのまま 膨らんだライフジャケットをつけて 緊急用ゴムボートによじ登り、ボート上ででんぐり返し。 (なぜゆえに??)

それから他の人をゴムボートに引き上げ、彼にもでんぐり返しさせる。

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ゴムボートが逆さまになったり、穴が開いたら、その場で緊急修理もするのだ。 修理キット なるものがボートに付属している。



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次は 火事訓練。 

煙がもうもうと立ち上がり、視界0の機内に一人で入り、
(正直こんなに煙が上がっていたら もう既に意識不明になっているはずなんですけど、、、、、)

手探りで酸素ボンベとガスマスクを装着。

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(ガスマスクは完全に密閉されている。もし酸素ボンベを忘れて装着したら 命の保障なし。)

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( miehfです。似合ってる?)

それから 消火器を手にして、視界0の煙が充満する機内を手探りで進んでいく。



機内の奥に着いたら マスクを装着したまま機内アナウンス (そんな場合か?)


それから その格好で、濛々との上がる二箇所に 消火器をおもいっきりぶちかけて瞬時に消火。




その火が再発しないかを確認しながら後ずさりする。



これらの訓練では、 水が怖かったり、閉所が怖い同僚が、とても苦労していた。


その他には、骨折の緊急処置に、心臓マッサージ、人工呼吸 など、 あらゆる場合の緊急生存法を学んだ。

マウストゥーマウスの試験で、miehfは勢いあまって 息を吹き込みすぎて、 赤いランプが点滅 ( 相手の肺が破裂した ということらしい、、、)


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それでもとにかく合格点を頂きました。



これらの試験を ものすごい短期間で受け、全て合格になると 実際の仕事につける。




miehf スチュワーデス物語 アフリカ編

2009年09月21日 | フランス職安記
「miehf スチュワーデス物語 アフリカ編」


さて、アフリカ といえば、miehfがスチュワデースの研修生時代 (ええ、miehfにもそんな時代がありました。フラッシュダンスの音楽が流れるような(?? )時代でした。)に行った ケニヤ線での出来事を思い出す。


新米クルーのmiehfは 先輩クルーに言われるまま、満員のエコノミークラスのお客様に食事を配ったり、乱気流で大きく揺れる機内に踏ん張り立って、コーヒーを入れたりした。(客から拍手が沸き起こらんばかりでした)

「常に笑顔で」 これはクルーのモットーだろう。 

どんな状況であっても、 例え機内で火事が起こっていても、 消火器とガスマスクを手に取るまでは、通路を微笑みながら小走りに歩く。  クルーの不安な顔は、たちまち客の心理状態に伝達してしまうのだ。  機内でのパニックは命取りとなる。


ケニヤのナイロビに向かっていたその便で、私のクルー根性を試す出来事が起こった。


毎回食事を配る時、客の中のアフリカ系の一人の男性が ものすごい形相で私をにらみつけるのだった。

トレーを下げる時、飲み物を配る時、 そのにらみ目は私の顔を痛いほど突き刺し、一瞬でも目を合わせることなどとても出来ない気迫を放っていた。

それでも 私は口元に微笑を携え、全くそのにらみに気づいていない素振りで仕事を続けた。


「きっと彼はアジア人を何らかの理由でとても憎んでいるに違いない」


私なりにそう考えることにした。 なにせこの外資系航空会社で、アジア人は私一人、客層にもアジア人は一人も見当たらない有様だった。 私一人に その「憎み」が集中してるのだろう。

長いフライトを終え、非常口を開けると そこはアフリカ。

ムッとした熱気と共に現地スタッフが陽気な底抜けの笑顔で 「ジャンボ!!! 」 と言って迎えてくれる。



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私達も客達が降りるのを笑顔で見送る。


疲労をみじんも見せずに微笑みながら一人一人に会釈していく中、ついに あの「にらみ親父」の番が近づいてきた。

「またどんなにらみを効かせてくるのかな。 今度は嫌がおうでも目を合わせないといけないしな」

最後に殴られるかもしれない。どうしたらいいものか考えあぐねていると、親父はジリジリと私に近寄ってきた。

ところが以外にも この親父は満面の笑みを称えている。別人のようだ。


「ええっ!! この親父、こんな風に笑えるの!!?」


と意表を付かれていたところに 親父がこう言った。


「 あなたは 私があなたを見つめていることに全然気づいてくれませんでしたね。 僕は あなたがステキな方だと思って、必死でフライト中見てたんですよ」 


「、、、、はぁ!!? (怖くて直視できへんかったっちゅうねん) 」


彼は そう言って とても残念そうに肩をすぼめて去っていった。



あなたがケニアの道で見ず知らずの人から眼をつけられたり、恨めしそうににらまれた時、それはきっと あなたがあまりにも魅力的だからに違いない。




こちらはキリマンジャロ山。仕事を放り出して撮影した貴重な一枚

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フランス職安記 その参  コーヒーに角砂糖

2008年12月21日 | フランス職安記
「フランス職安記 その参  コーヒーに角砂糖」

フランス職安記」 その弐 アラン デュカス 

には実はまだ続き (おち) があった。 


デュカスの研修で「ビンをなめる」と失言した私であったが、八名いた研修生の内、最終的に「合格」した( 何が? )四名の中に、なんとこの私が選ばれたのだった。 奇跡がある としたらこのことだろう。


 後日、この四人の「職安生(?!)」と、私たちを指導するおばちゃんとで、「世界のVIP」のみを顧客とするらしい会社めぐり をすることになった。

このおばちゃんも「世界のVIP」相手の会社で仕事をしていた人物だったそうで、この世界に顔が利く、そういう雰囲気がひしひしと伝わってくる風貌だった。


「いい? 当日は 完璧なマニキュアヘア メイク服装で来ること。」 何度もそう厳しく注意を受けて、私たち同僚は皆当日言われた通りの準備をしていった。



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「いい?あなた達は、ただ黙っていたらいいのよ。ビジネスの交渉は私がするの」 

私達は各会社の社長との交渉中 この「おばちゃま」の横でただ「おしとやかに」微笑んでいればいいというのだった。


完璧に塗られた赤いマニキュアと洒落た帽子をかぶったおばちゃまの後ろについてお団子ヘアの私達四人がいそいそと歩く様子は、京都の祇園で舞妓さん達がデビューする時に先輩芸者さんについてお茶屋さんを一軒一軒挨拶めぐりする、のフランス版 さながらであった。


各会社では、社長さんやその部下達とテーブルを囲んでの交渉があり、私達四人は言われたようにおしとやかなフリをし、ニコニコとただ微笑んでいた。

どこの会社でもジュースやコーヒーが提供された。

「........、選び抜いた人材を八名、アランデュカスの研修に参加させました。その中でさらに選ばれたのが彼女達なんです。」


どこの会社でもおばちゃまはこう言った。

つまり私達四人は「選びに選び抜かれた人材」だと。

ビジネスに疎い私はおばちゃまのビジネスの手腕をぼんやりと眺めていた。

その時だった。コーヒーと共に「角砂糖」が並々と盛られて私達の前に提供された。

「あっ!!!」 私は心でこう叫んだ。 同僚達を見ても同じ反応をしているのが分かった。

私達はデュカスの研修で

絶対に コーヒーに角砂糖は入れてはいけません。」 と習ったばかりだった。

「どうして角砂糖いけないんですか?」 私は素直な質問をしてみた。

溶けにくいからです」 溶けにくいからコーヒーに角砂糖は出してはいけない。そう教えられていた。


しかし私達は今、目の前に山のように盛られた角砂糖をコーヒーに入れなければならなかった。

恐る恐る 私はエスプレッソの小さい器に角砂糖を「ポチャン」と入れてみた。 

コーヒースプーンで一生懸命かき混ぜた。同僚もそうしている。

ふとスプーンを持ち上げると、角砂糖の塊が一緒に浮上してきた。同僚もしかりだ。

「........、選び抜いた人材を八名、アランデュカスの研修に参加させました。その中でさらに選ばれたのが.....」

プーーーッ、クックックックッ」 

私はついに「我慢」の限界に達した。 

「?? どうされましたか? 」 

紳士な社長さんは私の吹き出している様子にこう尋ねた。

「いやっ あのね。そのアランデュカス研修でね、コーヒーには絶対..............」


その時だった。
 

突き刺さるような「視線」を感じた。 おばちゃまが「この世の終わり」にも勝る形相で私をにらんでいたのだった。

「そこで何か? 」  社長さんは続きを待っていた。

「.........いえ、何でもありません.......」

そう言ってからうつむいて、私はまた角砂糖をかき混ぜ始めた。

私はこの時、自分が失言」したことを悟った(遅すぎる!!? )




あの日以来、おばちゃまとのコンタクトはない。

















フランス職安記 その弐 アラン デュカス

2008年10月27日 | フランス職安記
「フランス職安記 その弐 アラン デュカス」


学校で授業を受けている最中、またまた職安関係者から電話があった。

「来週早々、研修があるから来てくださいっ!!」


いつものことながら突然の連絡で、人の予定など完全に無視している。失業している者は四六時中予定がない、とでもいわんばかりだ。 


「その日は学校の授業があっていけません」とは言えなかった。相手にとって、私はあくまでも「失業」の身なのだ。


仕方なくその週は学校を休んで、その何かわからない「研修」とやらに参加することとなった。指定された住所に向かうと、なんとそこは凱旋門の真隣に位置するビルで、建物共々とても感じがいい。


実際そこで、私を含めた八名の研修生に「ワインの基礎知識」「シャンパンの開け方注ぎ方」「お皿とグラスの並べ方」などのサービスの基礎知識が教え込まれた。


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講師がワインの注ぎ方について講義している。


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ワイングラスにワインを注いだ後はビンを必ず四分の一回す事、とのこと。これはビンの口からワインの滴が落ちないようにするためだ。

「それでもビンから滴が落ちてきたらどうしますか?」という質問に、私はとっさに

 「舐めます」   

と答えた。


講師の答えは

 『布で拭き取る』

だった。


 講師にもフランス人の同僚全員にも大ウケしたこの返答だが、私はなにもビンを直接舌で「ベロ―ンと」舐める、と言いたかったわけではなかった。

人間のとっさの反応として、サッと手で滴をぬぐって手についてしまったワインの滴を軽くなめる、と言いたかったのだ。

『家だとそうしない?ねえ、そうするでしょう??』と 私はウケにウケている同僚を巻き添えにしようと必死になったが、誰もその手には乗らなかった。


きっと 『日本ではワインを飲む時、ビンを ベロ―ン と舐めている』日本人のイメージが、私のこの発言のせいで広まったに違いない。


 最終日には、研修を無事(?)終了した、という証明書が渡され、そこにはアラン デュカスと記載されていた。

そういえば練習用に使ったシャンパンにも アランデュカスという名前が刻まれていた。どこかのワインメーカーかと思っていたが、後で知り合いのフランス人にこの話をすると、アランデュカスというのはフランスで一二を争うシェフだという。

『そんな人の研修を受けるなんて、すーーーごく授業料高いはずだよ』


後日、職安関係者から電話があった。『口座番号を教えてください。』と言うのだ。

「ああ、、、やっぱり。。いくらお支払いしたらいいんでしょうか」
とおずおずと聞くと、

「なに言ってるんですか!!あなた  お支払いするんですよ。研修受けてもらったから」



フランスの摩訶不思議な「職安」システムにどんどんはまっていくのは、こういう訳なのだ。   

(フランス職安記 その参  コーヒーに角砂糖に続く.......... )



「フランス職安記」

2008年10月26日 | フランス職安記
これはフランス版西遊記ではない。職業安定所日記職安記だ。

 私は学生ビザでフランスに滞在している。学生は週二十時間という範囲内でのみアルバイトができることになっている。

 去 年、某企業でのアルバイト契約が終わると、ほぼ自動的にフランス政府の失業手当が月々口座に振り込まれることとなった。( アルバイト期間中、失業保険が自動的に差し引かれていたので当たり前といえば当たり前)。 

フランス政府は私に失業者ナンバーを与え、フランス人失業者と 同じ扱いをするようになった。

 学生として学校に行っているのに失業者

この微妙な立場に私は戸惑った。


折りしもシャンゼリゼ通り付近の弁護士事務所に爆弾小包が届けられて負傷者が出た直後、職安関係者から電話があった。

 「 とある会社の受付を冬休み中してくださいっ!!!」 

相手はたいそう急いでいる。冬休みはあさってからだ。えらく急な話ではあったが、学校もないので引き受けることにした。

 時間がせいていて契約書も制服も会社側は準備できないままに、私は自前の服で指定のビルへと早朝向かった。

 ビルはシャンゼリゼ近くにあり、弁護士と会計士のエキスパートが三百人以上入っている大きなビルだった。

なんと私はここでたった一人、総合受付を任されたのだ。

 たいてい今までは「日本」に関わりのある仕事依頼がほとんどであったので、この日本人が一人もいないフランス企業で、 生粋の日本人が会社の  となる受付にいるなんて、そうそうありえることではないだろう。

そんな流暢なことをその時は考えるひまもなく、私はいきなり 超 がつくほど多忙な仕事量に翻弄されることとなった。

「ビルの受付」と聞いた時は、「ただ座って笑っていたらいいのだろうな」、なんて軽く考えていた。

ところが実際は、早朝に届いた各人の名前が打たれた新聞をきっちりと受付の前に決まった順で並べて、出勤してくる人( たいていは上司クラスの人)がとり易いようにすることから始まった。

 ところが不慣れな私はフィガロとルモンドに分離したくらいで、後は大慌てで手当たり次第ザッと並べて置いた。

 「ほほぅ、今日は随分と並び方が違っていますねぇ。」

と言いながら、いつもの場所にない自分の名前入り新聞を皆各人が必死に探すはめとなり、早朝から受付の前はごった返した。

 ビルの電話交換手が数名ほかの部屋に待機しているが、皆出勤が遅く、また同時にお昼休みを取る。その時は受付の方に全てのラインが勝手につながれて、外部からの電話が鳴りっぱなしとなる。

 そ うでなくても受付に電話はかかりぱなしだ。かかってくるのは内部のものからで、三百人を超す会社員とその秘書やアシスタントから「会議室の予約」「コー ヒー何人分の手配」「タクシー手配」「速達の準備」「コンピューターの調子が悪い」「暖房が動かない」、、、あげくの果てには、近くのパン屋が十個入りの ブリオッシュの袋を下げてやってきて

「お宅の社員の忘れ物です」

と置いていく。社員名が分からないので、会社員全員に

「OO屋でブリオッシュ十個をお忘れ になられたのぱどちら様でしょうか?」

とご丁寧なメールを送る。

そしてひっきりなしに受付にやってくる速達や小包配達のお兄ちゃん達への 対応と、アポイントでやってくる来客への対応、メールでの速達到着確認メールに、と息つく暇はない。 

 さらに私を困らせたのは、各人の苗字を覚えなけれ ばならなかったことだ。東欧出身者が上部を占めていたので、聞きなれない長い苗字が私を困らせた。

「OO弁護士」にかかって来た電話は直接「OO弁護士」に回してはいけない。彼の元にいる数名の秘書の誰かに回す。 その名前も全て反射的に出るように記憶しなければならなかった。

「来客は待たせてはいけない」 と厳しく言われていた。

初日、私は一枚の速達郵便をなんとここの会社の社長充て

「速達届きましたから受付まで取りに来てくださいね」

とメールしてしまった。 社長が誰かなど全然知らなかったのだから悪気があった訳ではないが、度肝を抜かれた社長の秘書全員から翌日苦情を受けた。

 それでもこの会社の人達は皆まじめで、私は次第にこの仕事が好きになっていた。

こんなに多忙でも、冬休みが終わる頃には苦情電話を片手に持ちながら、「今日の占い」くらいはサイトで見れる余裕が出ていた。

 仕事期間を終えて、ふと「シャンゼリゼ界隈弁護士事務所小包爆弾事件」(中国語みたい )を思い出した。

あの当時は忙しくて考えている暇もなかったが、きっとこの仕事がまわってきたのはその影響であろう。怖くて誰もしたがらなかったのだ。 つまり私は 「受付ガール」ではなく 「弾よけガール」 だったのである。

きのこ狩りのアルバイ あります

2008年10月08日 | フランス職安記
フランスの職安でこんな求人広告発見!! 


日本語訳 「
キノコ狩り。 腰痛、めまいのある方は無理。 仕事場まで自力で来れる人」





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