パリ よもやま話 番外編 特別号

パリ在住十年+の日本人女性が、パリ生活で起こるよもやま話を綴る徒然日記と帰国後のお話

日本人ならだれもがもってる絵本!?

2012年08月06日 | 私の語学力

先日 ママさん達とのピクニック時に発見したこと。

 

一人の優しいママさんが読み聞かせをしてあげようと 取り出した絵本


『しろくまちゃんのほっとけーき』



息子の大のお気に入り絵本だ!! と思っていると、 なんとそこにいた全員  この絵本を持っていることが判明。

しかも 皆 かなりのお気に入りだとか。

 

 

パリ在の日本人ママさんが、この具合だと85パーセントは所持しているのでは、 と私は見積もりました。

 

とすると、日本在の日本人ママさん達は ほぼ100パーセント この絵本をもっている計算になります。

 

 

 

 

すごいですね。

 


miehf 中国へ留学??!!

2011年02月20日 | 私の語学力

妊娠中に 縮みきった脳をリハビリする目的で始めた中国語に、いつしかのめり込んでいった私。

 

大学の夜間クラスに週3回、今日までがんばってきました。

 

すると 今日、先生から とある資料を突然手渡されました。

 

それはなんと

「中国政府推薦留学生」の申し込み用紙。

 

大学内で選ばれた優秀な生徒を6ヶ月間、中国の大学に留学させてくれるのだそうです。

日本の漢字社会で育った私は、フランス人生徒より抜群に漢字が上手に書けます(当たり前!!!)

それが見込まれたのでしょうか、 突然やってきた 中国留学への道。気持ちはどんどん舞い上がります。

(日本人の私がフランスに留学中に 中国に留学するのは、しいて言えば、日本に留学中のフランス人が イギリスに留学するようなものでしょうか、 なんだか よく考えるとちょっと 変 ですが、、、、、、)

 

『あれっ、、、、 ちょっと待てよ。。。。 私って 『子持ち』じゃなかったっけ?』

 

うっかりしていました。私は 子持ちししゃも だったのです。

 

『ううううーーーーん。先生。アタシワ 子持ち アルよ。 ムリアル』

 

先生 曰く

『向こう行ったら ベビーシッターしてくれる学生 見つけたらいいアル、いっぱいいるアル』

 

 

はたしてmiehfの子持ち中国留学は実現するのでしょうか、、、、、

続く、、、、、、、。

 

 

 

 

 

 

 


私の語学力 「日本語」編

2008年11月27日 | 私の語学力
私は奈良のド田舎に生まれた。というのは「私は まむし の子」で紹介済みだ。

奈良県人が集う学校の中でも、私の日本語能力は「特殊」と言われていた。

カメラを「写真機」と言い、電話に出る時は必ず自分のフルネームを相手に言う。奈良でも割合都会から来ている友人に何度訂正されても、私の日本語は決して直らなかった。

私の日本語能力を育てた人は誰だろう。田舎の家に育った私は「人擦れ」せずに育った。両親と兄の内、誰かが私にヘンテコリンな日本語を植え付けたはずなのだ。

母は当時から大変上品な日本語を使う人だった。父は仕事で忙しくてそうそう小さい私に日本語を教える時間もなかっただろう。

ある日古いオーディオカセットが出てきて、何が入っているのか聞いてみた。

「ドーン、ドーン」という音が遠くから聞こえる。どうも小さい私と五歳上の兄がボールの投げ合いをしているようだ。

「フッチャー フッチャー」と、一歳か二歳くらいのろれつの回らない私がボールを兄に投げ返しながら言っているようだ。

違う!! よく聞けっ!!!」 兄は強い口調で小さい私にこう言った。

「いいかっ。よく聞け、フッチャーじゃないんだっ!!」

兄はどうも私にボール投げをしながら、日本語 を教えようとしていることがカセットから聞いて取れた。

兄がボールを投げる時に言った日本語を、私が投げ返す時に真似して言う。なかなか良いアイデアではないか。兄としての責任をこの年でもうすでに実践していたわけだ。

「いいか、よーく聞け。よく聞くんだっ。それっ!! { ブッチャーは高見山っ} 言ってみろーー!!」

「 ブッチャー ブッチャー、 プッチャー は たっかみまやっ!!」

 「違うーー。プッチャー は たっかみヤマっ!!言ってみろォーー!!

「 オーーっ!!   ブッチャーは たっかみやまっ」

 こうして 兄は「ブッチャー」の後に色々な「新ボキャブラリー」をくっ付けて私を「教育」していった。 

しばらくすると ブッチャーは「チビブタマン」になって、それからブッチャーは「あほんタレ」になった。


 ようやく私の日本語能力ルーツが見つかったわけだ。