パリ よもやま話 番外編 特別号

パリ在住十年+の日本人女性が、パリ生活で起こるよもやま話を綴る徒然日記と帰国後のお話

お父さん ありがとう

2017年11月04日 | 私の父 

去年から闘病していた父が 、秋空の素晴らしい晴天の下で息を引き取りました。

 

最後まで決して希望を失わず、余命数日と言われてもなお、握力が衰えないようにと病院のベッドで筋トレをしていた父でした。

モルヒネでさえ効かない苦しみの中、 一度も弱音を吐かず退院するその日を信じて疑っていませんでした。

父はなぜこんなに勇敢だったのでしょうか。

それは 父にはやり残した夢があったからです。

その夢とは、 野菜作りに専念する  というものでした。 

 

勤続50年間近だった父は 退職後は 野菜作り一筋でがんばりたい、 という長年の強い希望がありました。

 

ところが 去年突然の病が父を襲い、それが理由で会社を辞めることとなった時には もう身体が前のように自由に使えないようになっていました。

日に日に体力が落ちて行く中、 父は最後の力を振り絞るように 畑を耕し、季節の野菜の種をまき続けました。

それらの野菜がたわわに実る頃、 もう父には収穫できるだけの余力は残っていませんでした。

 

父を送る日、娘と一緒に 父が植えてくれていたさつまいもを掘りにいきました。

 

丸々とよく太った立派なさつまいもが出てきて

  

 

棺の中に入れてもらおう、 と娘はさつまいもを綺麗に洗ってくれました。

 

 

親族皆で、 父が育ててくれていた野菜や豆を棺に納めていきました。

 

 出棺の時も 燦々と降り注ぐ太陽の光に包まれ

 

式場に着くと、 父の育ててくれた大豆、黒豆、アズキ などが 故人の想いでの品として 美しくディスプレイされていました。

   

父を慕ってくれていた大勢の人達が 今晩集まって下さり

驚いたのは、村の子供たちや 私も知らない子供さんが 沢山お焼香しにやってきてくれたことでした。

話を聞くと、 会社勤めをしていた時の父と子供たちは 毎朝 毎夕、 父と一緒のバスで通学していて、すっかりお友達になったとのことでした。

父の訃報を聞いた時  どの子供たちもその親子さんに、 「おじちゃんに会いに行きたい」 と自らの意思で来てくれたとのことでした。

皆まだ低学年で幼い子供たちが そんなことを口ぐちに言っていたと聞いて、 私の知らない所での父の人柄が忍ばれた瞬間でした。

 

 

人が好きで、にぎやかなのが大好きだった父は、 本当に幸せな最後の日を迎えることが出来たのだと思います。

 

私は 父が果たせなかった夢を引き継いで、 これから 野菜作りをがんばっていこう と思っています。

お父さん、 どうぞ楽しみにしていてください!