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パリ よもやま話 番外編 特別号

パリ在住十年+の日本人女性が、パリ生活で起こるよもやま話を綴る徒然日記と帰国後のお話

ワサビで凱旋門

2009年01月11日 | パリの教習所
「ワサビで凱旋門」

免許を取り、北海まで上りつめたシャケだがいまだに運転能力は幼稚。

そんな私を危惧して、日曜ごとに運転レッスンしてくれる者がいる。

毎回重い腰を上げさせるために食べ物で私を釣るのはお安い御用。

今日は 切れてる「ワサビ」を買いに行く、という夢を見させて(?!)オペラ界隈の日本食品店「K子さん」 を目標に 私にハンドルを握らせた。 見事....


無事 K子さんに着きワサビを買い終え、さっさと帰るつもりでいた所、今日の同伴者の「たくらみ」が暴露した。


「君は凱旋門上手くまわる必要があるよ」


凱旋門といえば、ロータリーの中でも 一番悪名高いロータリーではないか。

うわさによれば、入ったが最後、未だに回り続けて出れない者もいるという。


同伴者は私を乗せて凱旋門まで連れて行き

「こうしてまわるのさ」

と一回転して見せた。



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凱旋門を中心にして、放射状に道が何本も通っている。右側優先で気を取られていると、左からも車が突っ込んでくる。頭が二つあっても足りない、そんな感じだ。

 頭が三百六十度自動回転するように注意を払い、それでもぶつかる直前の危機を数度経験する。 

特にタクシー運転手は容赦ない。わざと嫌がらせしているかのようにスレスレ1cmまでくっついてくる。クラクションを鳴らしてみたって、「ニタッ」と笑って去っていく。

冷や汗かいてどうにか一周してから外に出れた。 記念に「ワサビ」を撮る。 しかも 本場「生ワサビ」 だから格が違う。


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やれやれ、これで家に帰れる、 そう思っていた矢先

「君は 氷の上をすべってみる必要があるよ」

またもや同伴者の次なる「たくらみ」を知った。

今度は同伴者が知っている「穴場」 という場所に向かった。

そこは森に通じる道で、雪解けの道が見事凍っている。


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「いいかい、おもいっきりスピードを上げて、それからおもいっきりブレーキを踏むんだよ。 どんな風にすべるか 体感してみなさい。」

私は

「 もしこんな状況だったら、スピード落としてノロノロ走るから、こんなスベル練習いりません!!」とむくれた。


こんな練習して本当に「すべった」ら命の保障もない。

ブーブー理由を言って絶対にすべろうとしない私にあきらめた同伴者は、 しばし私を「森」放置(!?)してくれた。

嬉々として 雪で覆われた森に足を踏み入れると、そこには「幻想の銀世界」 が待っていた。 私はを見ているのだろうか。


太陽が燦燦と私に向かって輝いてくれている。


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誰も足を踏み入れていない真っ白の雪が積もったままの森で、私は久しぶりの雪だるまを作ってみた。 


カキ氷のシロップを持ってきたら良かったナ。 

そんな感じのサクサクとしたおいしそうな(!!? )雪だった。


スベル練習はコリゴリだが、この森にはまた来てみたい。 

私の作った雪だるまはきっと、むこう一月はこうして薪の上で静かにこの銀世界を眺めているに違いない。



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「教官 よもやま話 その6  J.D.との出会い 編

2008年11月06日 | パリの教習所
さて、ここまで読み進められた人達に、

『もう免許なんか取りたくなくなった、教習所なんか行く気がなくなった』

などという悪影響が出始めていることに気がつき始めた私は、ここでJ.D.との出会いについて話をしようとおもう。

 
  前述した各教官との話以外にも、私が日系企業で働いているのを知って、私の同僚を巻き込んだ合コン彼指定のカリビアンレストランで開催したがる 恋人募集中教官 や、

「右、左、まっすぐ、とまれ」日本語ボキャブラリーを私から聞き出して、レッスン中得意顔でこの四語しか話さなくなった  
「日本人ナリキリ教官」  などがいた。 

 こんな調子であったから、もちろん私は実技試験に落ち続けていた。


 毎回不合格のあとは次のレッスン予約に行く必要があった。


受付の元ヤンキー風のおねえちゃんは、日焼けサロンで焼いた肌に鼻ピアスを輝かせながら  『だれとレッスンしたいの」 といつもの質問をした。

「だれとレッスンしたいか」ではなく「だれとレッスンしたくないか」なら私は確信を持って答えられる自信があった。

 口ごもって苦悩している私を見て、このおねえちゃんは外見に見合わない事を言ってきた。

「私はね、その人に何が一番必要か、分かるの。お医者様みたいなところがあるの。J.D.と一度レッスンしてみなさい」


 彼女の瞳は見かけの軽さと違い、何か大変深い洞察力と人間性が秘められているように見えた。私は言われたままにそのJ.D.とのレッスンを受ける事となった。



J.D.の事はもう今までに既に紹介ずみだ。(「国外退去命令の前に 絶対しておきたいこと」参照)

人間が素晴らしい。彼の存在は教習所のオアシスだった。それ以来J.D.とばかりレッスンをして、気がつくと自分でもなかなか イケテル 運転をするようになっていた。

安全で上品で、そしてとてもエコロジーでエコノミーな運転法が彼のモットーだった。

彼はバカンスには自分のヨットで世界を旅する自然派人間である。


 教官遍歴苦難の結果辿り着いたJ.D.。私に続いた友人は、初回からJ.D.とレッスンをして、なんと一発で実技合格するにいたった。

 
それだけではない。免許を取った後も、J.D.が与えてくれた名レッスンは一生 生徒の中に生き続けて命を守る命綱となっていく。
またメカニックから詳しくなるので、車に対して自信がつく。


 
私はついに免許を取得した。J.D.とのレッスンが免許の価値を何千倍にも高めてくれている。私はこれから多いに運転を謳歌するつもりだ。


もう高速も、ロータリーも、速度も、追い越しも、縦横駐車も、そしてちょっと変なオヤジでさえ恐れない人間になった。 

自分の責任で自分の決めた道を進んでいく。



運転は人生そのものだ。

教官 よもやま話 その⑤ チンピラ闘牛官」

2008年11月05日 | パリの教習所
 見た瞬間、私の直感は『元暴走族』だと言った。  

日も照っていないのにサングラスを掛けて現れた今日の教官Aは、バカンスで不在のJ.D.の代理役であった。

車を発進させてすぐ、私の直感は正しいとわかった。  

Aの口から出る言葉はフランス語の数あるなまりの中でも 私が一番聞くに堪えない『チンピラなまり』そのものであった。   

どんな会話の後にも、彼は『、、、ってやんでい、Oソッたれ』を付け加えて語尾をまとめる。

しかし口ほど人は悪くないことも徐々にわかってきた。  

年齢も二十代そこそこで、私の弟、と言ってもよいくらいだ。  

教え方もダイナミックでエネルギーに溢れていた。 

J.D.の代理役のことだけはある、私はAを『2番目に良い教官』にしようと考えていた矢先に事は起こった。  


赤信号で止まっていた私たちの前は歩行者用の横断歩道が敷かれてあった。パリではたとえ歩行者側が赤信号になっても歩行者は悠々と渡り続ける。

 ドライバー達は自分側がもうすっかり青でも、この歩行者達が渡りきるまで待つのが常だ。


 いつものように、私は歩行者達がノロノロと信号無視して渡っているのを眺めていた。 その時だ、 Aの態度が豹変した。  
進め~~~~~~~~~!!!!! あいつらの シリ をカスろ~~~~~~~~~~ッ!!!!!」


 「 えェッ???!! 」 



 Aはパッとサングラスを外し、初めて見る彼の瞳が本能にメラメラ燃えていたことなどゆっくり観察する間もなく私のハンドルを奪った。
  
全部オレっちがやるってやんでぃ、Oソッたれ!!!」 

と言ったと同時にAは思いっきりアクセルを踏んで歩行者達の 

「シリ」 めがけて突進していった。  

それだけでは終わらなかった。Aは横断歩道のど真ん中に急停止して、シリめがけて突進され大慌てで逃げた歩行者達に向かって窓を開けながらののしった。  

トロットロ歩いてんじゃねぇ!! 脳ミソついてんのかってやんでいっ!!!」

唖然とする歩行者達に中指を突き立てて見せながら、Aはブーーンと急発進して去っていった。  

私は気が遠くなっていくのを押さえながら自問自答していた。はたして私は今「自動車教習所」にいてるのか、と。

バックミラーを覗くと、先ほどの歩行者達もまだポカンとして私達の車体上に付いている「自動車教習所」の看板を見送っていた。  

その後もAは、必ずこの「シリかすめ」という運転技術(!!?)を私に要求し続けた。 まるで闘牛だ。



 J.D.がなつかしかった。 彼は絶対こんな下品な「シリかすめ」はやらない。 もう私の心はAにはなかった。



彼は先ほどブラックリストに掲載されたばかりだ。

「教官 よもやま話 その④ 公私混同官 」

2008年11月04日 | パリの教習所
 
 右に回れ、と言われればに、まっすぐ行け、と言われればまっすぐ進む。

実地訓練中、生徒は完全に教官の足 となる。  

 いつものように、右、左、まっすぐ、の声にしたがいながらハンドルを回していた。 

どうやらパリから随分離れた、ヘンピな町に私達は来ているようであった。  

ふと曲がり角を曲がると、いかにも学生らしき女性が私達の到着を待っていた。 彼女はだれなのか。 

今日の教官Mは私に何の説明もなく彼女を車の後部席に乗せる。

私達はまた出発した。  右、左、まっすぐ、の声を発する教官Mをふとパックミラー越し(教習所のにはバックミラーが二つついている )に見ると、なんと後部席の彼女と目で甘いアイコンタクトを取ってニヤついている。

 私はピンときた。 今日の私は「 アッシー君 ( ちゃん)」 。

 私が高い授業料を払って、タクシー運転手をさせられているのだ。 

その日は電車がストで動かなかったため、郊外に住む彼女をパリまで連れてこようとしたのだ。 

公私混同もいいところだ。 その後彼女と教官Mの会話を注意深く聞いていると、 なんでもこの彼女は恋人と別れたばかりで、私と同日に免許試験を受ける、つまり同校の生徒なのだった。

この教官Mは生徒である彼女にぞっこんになり、こうして公私混同をしながら彼女の心を射止めようとしているのは明らかであった。  

とんだ三枚目の役を担った私は憤慨しながら、バックミラー越しに続く二人のアイコンタクトをギロッと睨む。

「なぁ、ところでお前(私のこと )、ここ最近ずっと俺様と授業取ってるじゃねぇか。 俺のことそんなに気に入ってるんだな」   

彼女を前に、 自分は「人気教官」であることを印象付けたがっているのは明らかであった。 

私はとっさにこう答えた。

「 えっ? まさか。 あなたしか残ってなかったんですよ。」   

実際、教官Mはチ官、親父官などに比べるとまだマシであったので、私が指名して予約していた。

 しかし彼はすでにさっき、私の教官ブラックリストに乗ったところであった。遠慮はいらない。言いたいことを言い放った。  

彼はお目当ての彼女の前で 「自分は学校最大の売れ残り教官」 とレッテルを貼られ、あまりのショックにのけぞったのが見えた。

 いい気味だ、と思った。 そうこうしている間に彼女の目的地に着き、お互いの試験の健闘を祈って別れた。  


実際それから数年後、この教官がある女性と結婚したのを耳にした。 しかしそれはこの時の彼女ではなかった。  

私の一言が効いた というわけではあるまい。  気の良い私はしかし、あの時 「はい」 とだけ答えていてあげたら、もしかして彼は彼女とゴールインしていたのかも、と思ったりする。

 公私混同しているのは私の方か。

「教官 よもやま話 その③ エンストの原理 」

2008年11月03日 | パリの教習所
私の口からこの教官よもやま話は止まる事を知らない。話をしたらきりがない程 ネタ に事欠かない。  

一分前まで見ず知らずだった二人が、この車という密室で二時間を過ごしていく。  

二時間後には、その日過ごした教官の運転の特徴が必ず脳のどこかに組み込まれ、自分の運転の基礎となっていく。  

この 運転法 基礎作り に 良い教官 は必須だ。

 残念ながら私にはこの反対のことが起こったことは、前述したとおりだ。  

連日レッスンを受ければ受けるほど 車に乗るのが怖くなっていた。  

高速に初めて入った日、私は手に汗握りながら運転に集中していた。 市内は一律 最高速度50km だが、高速の場合、若葉マークの者だと最高110kmまで出せる。  

その日の教官は、私が時速110で生まれて初めて走っている時にこう言った。  

「 いいか、今高速でエンストしたら 死 ぬんだ!!!」  

私は 「ビクリ」 として その言葉に動揺した。 

「つまり、今 この速度でエンスト(エンジン ストップ ) したら 私 死ぬ のね、、、」    


その当時 メカニックに対する知識が全くなかった私は 「エンスト」 がいつ何時起こるものなのか知らなかった。 

こうして時速110kmで飛ばしている最中に  突如車が 「 プスン 、、、ガクガクガク」 と気が抜けたように止まることもあるのだとイメージしていた。  

エンストがどうしたら起こるのかも知らなかったが、どうしたら予防できるかも知らなかった。  

とにかく高速を出て、時速を落として安全な所に行くことしかもう私の頭にはなかった。  


ところが実際は エンストは 「速度が足りない」時に起こるものだと、J.D.のおかげで知った。

時速を落とせば落とすほど エンストに近づいていくのだ。

マニュエル車にはふつう ギアが五つある。ギアを一速に入れると、エンストする速度は時速8km以下となる。二速だと15以下、三速だと25以下、四速だと35以下、五速だと50以下まで時速を落とさないと 、あの 「 プスン 、、、ガクガクガク」は起こらない。 

先ほどのように ギアを最高の五速に入れて時速110kmで走っている時に、エンストが起こることは絶対不可能であったのだ。

エンストを避けるには、速度が落ちればギアも落とす。これだけだ。他に方法はない。   

このエンストメカニックの原理が J.D.によって教授されるまで、私はひたすら 「エンスト」恐怖症 になっていた。高速が恐ろしかった。  

私の教官ブラックリストに 彼の名はしっかり刻み込まれた。 どんどんリストは膨れ上がる。 親父チ官(!!? ) エンスト官だ。

教官 よもやま話 その② チOン教官

2008年11月02日 | パリの教習所
やはりいた。 私が出会った親父教官の次は チOン教官だ。


一旦車内に乗り込むとそこは密室チOンにはもってこいの環境となる。

初めは 私も気づかなかった。

「 あっ危ない!!! 」

そういいながらこの教官は、ハンドルをつかむ前に必ず私の胸を「偶然」のように触ってきた。

 ハンドルと私の上体の間がそんなに狭いのか。経験の少ない私は「触れてしまっても、わざとじゃないんだろう」
と思っていた。

 ハンドルに手を伸ばす時に 私の胸に「偶然」を装って必ず手を当てる。 

数をこなすうちにいくら鈍感な私にもわかってきた。  

訴えようか。 しかし相手は「偶然」とシラをふかすに決まっている。 悔しいかな、私はこのチOン野郎を今後決して選ばない、という方法でしかわが身を守ることが出来なかった。  

「売れ残り」に「福」がある、 はここには絶対当てはまらない。  ここでは 「売れ残り」に 「チOン有り」 なのだ。  

「教官 よもやま話 その①」

2008年11月01日 | パリの教習所
  私の教官は素晴らしい

礼儀正しく生徒の人格を尊重し、はてはレッスンの合間のおやつまでも準備してくれる。(ちなみにこれは私にだけだと思うが)  

この J.D.(彼のイニシャル )に出会うまでの私の男性遍歴、ではなく教官遍歴はケタタマしいものだった。

語れば涙、書けばさらに涙 だ。  

私の通うサンジェルマンデプレ校は、マンモス校がゆえ教官の数も多い。

知り合いがすでにこに通っていたら、実地訓練の教官のうわさを聞いて鼻っぱしから良い教官と予約が取れる。 

ところが私には誰一人ここに知り合いはいなかった。

「教官はだれとしたいの。」 受付の元ヤンキー風のお姉ちゃんにふてぶてしくそう尋ねられても 

「さぁ」

と答えるしかなかった。  

私のレッスンスケジュール表には次々と、いわゆるだれも予約を取りたがらない 「売れ残り」 教官の名前がずらっと組みこまれた。


 それがどんな意味を持つかもわからない、超初心者の私は初レッスンにドキドキしながら挑んだ。  

初回レッスンの日、無愛想な親父がどこからともなく現れ 無愛想に車のキーを私に渡す。

「 あのー、私 今まで一度も運転したことないんですケド」 

「 何だとっ!!だから教えてやるってんじゃねぇか。早くしろってんだ」

 有無を言わさぬその態度に、私はそれ以上何も言えずとにかく車に乗り込んだ。

信じられないが、全く本当の車のハンドルをにぎったこともない者に、いきなりパリのド真ん中を運転させようとしたのだ。

ブ レーキもクラッチもアクセルも、( これは両足でコントロールしていく)、ギアもハンドブレーキも、ハンドルも( これらは両手で)なにがなんだか分からない、そんな私を完全に無視して この親父は勝手にエンジンをかけ、親父の足元にもあるアクセルを踏んだ。

 「ギャッ」

と言ったことを除けば、私が一体どんな操作を車に施したかは記憶にない。

路上駐車から出た車は半回転して、そして親父の危機一髪のブレーキにより道のど真ん中にまたがるようにしてエンストして止まった。

ここはパリでも繁華な大通りだ。左右両方の交通を、私のせいで完全に停止させてしまった。

親父はカンカンになって怒鳴りながらエンジンをかけ直し、とんでもない位置に止まっている車を車線に納めてから、それでもまた私に全ての操作をするように無理やり委ねた。  

生きた心地がしなかった、とはこの初レッスンのことである。 親父の態度も人間とは思えなかった。 

「売れ残り」になるにはがある、というものだ。 

 後々 J.D.にその時の話をすると

 「まさか。 初回は教官がペダルをして、生徒はハンドルを回すだけだよ」 と驚いていた。 


 それでもこの親父はまだまだかわいい方だった。これからさらに続く教官遍歴の秘話の数々、涙なくしては聞けない というものだ。

「国外退去命令の前に 絶対しておきたいこと」

2008年10月29日 | パリの教習所
「国外退去命令の前に 絶対しておきたいこと」


 ついにこの良市民の私にもめぐってきた。 

フランス国外退去の危機が。(漢字で書くとより迫力がある )




今日の午後はその通知を警察に受け取りに行く日だ。 私に残された時間は、つまり今日の午前のみ、わずかしか残っていない


 いつもにもまして早起きした私は、ある物を買いに公共交通機関を乗り継いだ。時間に限りがある私の顔は真剣そのものだ。一分も無駄にできない。


 そのある物を買って、私が今までフランスで大変お世話になったある人に渡すのだ。彼は私を長年に渡って根気よく育ててくれた人物だ。 

通知を受け取ったら、もう彼とは二度と会えないかもしれない。



 店につくと、その物が丁度出来た時であった。 彼との約束の時間は朝九時。その物を大切に抱えてパリの中心地まで急ぐ。


 彼と会うと、いつも二時間きっちり一緒に過ごす。 


彼こそが 私を農園へと案内し、時には森に入って色々なフランスの食用ハーブを伝授してくれた人なのだ。 予定では 今度はキノコ狩りに連れて行ってくれるはずだった。だがもうそれも退去通知により不可能かもしれない。

 彼と一時間を過ごした後は恒例の  おやつタイム となった。 私はカバンからその物を取り出し、自信たっぷりに彼に手渡す。

 
彼はあまりのおいしさに、恥を忍んで容器までなめていた。 私たちは残りの一時間をその物の話で過ごした。
  
  そう、その物とは あのミルフォイユ

(「1000倍おいしい葉っぱ」 ミルフィーユ専門店参照)

ちなみに今日のは 塩バターキャラメル風味であった。 

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   そして彼は私の運転教官 J.D.である。(「教官 よもやま話 その①」参照 )



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ロータリーだらけの町

2008年10月26日 | パリの教習所

今週に迎えるはずの 第六回目の免許実技試験場が発表になった。   
試験はいつもどこかの町でその町の試験官を乗せて走ることになっている。 前回は軍隊基地の立ち並ぶ、殺伐とした町であった。 それでだろうか、試験官は大変冷たい印象を与える人物であった。

今回は あのパリのディズニーランドに程近い町、教官達は口々に

「 あそこはロータリーが多くてねぇ。試験中 最低四十回はロータリーを廻るよ」

私は教官達がおおげさに言っているものだと思っていた。 


早速この土日を利用して、この試験会場の町の偵察に行く。

高速をそのままもう少し行けば 楽しいディズニーランドが待っている。そんな誘惑をどうにか押し殺して、高速からこの町に降り立った。

いきなりロータリーが待ち受けていた。そして二秒先もまたロータリーだ。 五分も走ると十五回ロータリーを廻り、三十分後には 人間のバランスを司る耳の中にある器官、三半器官に異常をきたし始めた。


交差点に信号をつける代わりに、この町ではどんな小さい角にも丸いロータリーを作り、左側優先 としているのだ。

体に遠心力がかかり続け、ゆったりとしたジェットコースターに長時間乗り続けている、という表現がぴったりだ。

ぐっ たりして意識を失い始めた頃、なにかが前方にあるのがかすかに見えた。 

力を振り絞って目を開けると、なんと大きなロータリーの中心に超現代アートが置か れてあった。 

ロータリーの中心は丸い。そのスペースには車は走らないのだ。空いたスペースに現代アートを置こう というのはなかなか良いアイデアであ る。  

この現代アートを見ながら、またバカでかいロータリーを360度廻る。 もう限界だ

青ざめた私は偵察もそこそこに、早々パリへと帰宅することとなった。

 この町の実技試験官は一体どんな人物なんだろう。 三半器官がいやに鍛え上げられている、バランス感覚のいい兄ちゃんに違いない。

 ディズニーランドがすぐ側だからといって、まさかミッキーのかぶりものをかぶって試験に現れてはくれまいか。 

そしたら私の心もはずんで、今回は絶対合格する自信があるのだが。

有名人と母校が同じ と言いたいあなたに

2008年10月24日 | パリの教習所
私の車教習所は、パリでも一番イケてる サンジェルマン デプレ界隈 にある。  

このあたりは、その名のおかげで数々の有名人が居を構えている。

この界隈の朝市に普段着ノーメイクで現れる有名人を見かけることもある。

「私はサンジェルマンデプレに住んでいる」

 というのは、彼らにとってはなくてはならないステイタスの一つなのだ。

そんなおかげで、私の教習所には 超有名人が 生徒 としてやってくることも多い。 

トップモデルのレティシア カスタなど、その生徒リストは華やかなものだ。

私は普段、教習所に行くとなると首がうなだれ始めて周囲が全く見えなくなる。 

だから今まで私の隣の席にどんな人が座っていた などと気にも留めなかった。

あの ooo と 私は同校 出身なの!!( 決して教習所と言う必要はない) 」  


と言ってみたいあなた、 ぜひここの学校はお勧めだ。