バージニア労働者

アメリカで働くってどんな感じ?アメリカの企業で働く統計アナリストの労働ブログ。アメリカ生活小話や猫も登場。

日本旅行(後半)

2012年12月19日 | アメリカ生活

10日間の短い日本滞在もあっという間に終わり、今はすっかりこちらへ「帰国」したケイエス。


滞在中はブログをしっかり更新しようと思っていたが、
今回の旅行はとにかく実家に居座り、専業主婦の母と徒然なるままに日暮しな毎日だったので
写真もほとんど撮らず、ロケーションこそ違えど普通の生活の繰り返し。


しかも妹家族も帰って来てからは、パソコンがある部屋に両親が寝ていたため
ついパソコン離れをしていたのであった。


それに実を言うと、日本のパソコンは使いにくい。
非常に使いにくい。キーボードの配列が、アメリカのそれと微妙に違うため、いつものスピードでは打てず
感覚をつかめないままバケーションの終わりが来たというのも理由の一つか。



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私が帰国してから数日後に妹とほのちゃんが名古屋から戻ってきた。





子供の成長は早いもので、毎年会うたびにほのちゃんの背の伸びように驚くのだった。
ありがたいのは彼女の性格がいつも同じで、確かに脳の成長はあるようだが、今までどおりの
やんちゃな女の子だった。


土曜日にほのちゃんのお父さんの泰司くんも加わり(彼は超ご多忙なので週末にしか時間が取れないのだった)
その日はみんなで寿司パーティー。





私以外の人は『寿司のシャリが悪い』と指摘していたが、何度も言うように私にとっては
日本で口にするものは全て美味しく、文句の付けようもない食べ物ばかりだったので
何がどう悪いのかわからないままお寿司を堪能した。


日曜がきて妹家族は慌しく名古屋へ帰って行った。





そしてその数日後、私も同じく帰路に。


10日なんて本当にあっという間だね。


何も特別なこともない毎日を過ごしていたのに、何か本当に楽しかったことで溢れていた毎日で
両親と離れるのが淋しいー。


空港で両親とハグしたときにね、父なんて顔も見てくれなかったんだぜ。


ぐいっと離れて『じゃーの。気をつけーよ。』ただそれだけ言って、
ぐんぐん歩いて空港を離れる父。


母は何度も振り返って手を振ってくれた。


後になってわかったことだが、あのとき父は淋しくて淋しくて
顔を見たら涙が出そうだったので、できるだけ私の顔を見ずにその場を去りたかったんだと。


父はあれでとてもセンチメンタルなんだ。


『淋しくなるねー!!』と淋しさを堂々と口にできる母のほうがよっぽど気が楽だったろう。
感情を露わにしたいときに露わにできるだけ、女はストレスがたまらなくていいね。


私と言うと、来年また来るよというのが頭にあったのと、
さあ、帰国だ、これから長い長い一日が始まるぅぅぅと思うとセンチメンタルなど味わう暇もなかったのである。


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広島空港の全日空のカウンターで荷物を量ったら3キロオーバーしていた。

来た時よりも荷物が重いのはいつものことなので、超過料金を払ってセキュリティー、それから
出発ゲートへと向かった。



私はこの広島-成田間を結ぶこの小さなセスナが嫌い。


成田には無事に到着し、あっという間にワシントン行きの出発時間が来た。


乗客は信じられないほどの外国人で溢れていた。

聞くところによると、日本でトヨタカップというサッカーの試合があったそうで、
その日はその応援の皆さんも帰国するということだったので、全日空がユナイテッド並みに『外国』と化していた。


飛行機の中でCAに話しかけられた。

『向こうへはご出張ですか?』

『いえ、家に帰るんです。』



そうだ。

私は家に帰るのだ。

帰る家が2つの国に2つあるとはなんと素晴らしいことだろう。


空港で私を見つけたハニバニの、あのニヤニヤした顔が浮かんできた。



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実はほのちゃんと泰司くんは風邪を引いていて
その風邪はもらわなかったものの、只今時差ぼけを発症中。
日本では時差ぼけしないのに、こちらに戻ると必ずなんです。結構つらいよ。


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