南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

どんなことにも理由がある。

2006年09月28日 | ミクロネシアの生活
どんなことにも理由がある。

僕のホストファミリーのお孫さんの長男(つまりお祖父さんのひ孫さん)は、17歳くらいですが、結婚しています。(僕がホームステイをはじめた翌日に結婚式をあげました)
だけど、高校も卒業したのか、していないのかよくわかりません。

いつも僕に声を掛けてくれる気持ちの良い青年です。
でも仕事はしていないみたいです。奥さんはコロニアで働いていますが。

家もちゃんとおばさん家族と一緒ですが、家から歩いて5分くらいの所に与えてもらって
いるし、車も持っています。

ちょっと息子さんに甘いのでは?と思っていると、今日お祖父さんのお孫さんのお嫁さん(つまり花婿のお母さん)
と話をしていると訳があるのだと分かりました。

ちょうど息子さんが7歳の時に、車にはねられて入院をして、1年間学校にいけなかったそうです。今はどうかわかりませんが、直後は少しダメージが残ったようです。

いつもとてもしっかりした考え方で子どもさんを育てておられるのに、何故長男さんにはそんなに厳しくないのかな?と端から見て思っていたのですが、やはりそんな理由があったようです。

働き者のお父さんとお母さん、可愛い子ども達と幸せいっぱいに見える中にも様々な苦労を乗り越えて来られていることがわかりました。

そして、「あれ、なぜ?」と思うことには、必ずその人にしか分からない理由があるということも。すぐに「おかしい」と断定せずに「なにか理由があるのかな」という目で納得でき物事一つ一つを見ていきたいと思います。
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伝えることは、なかなか難しい

2006年09月28日 | ミクロネシアの幼稚園
今日はほとんどメインで授業をすることなく終了しました。

今、子どもに教えているのは「げんこつ山のたぬきさん」です。
こちらでも日本語でそのまま歌われています。
ただ最後の「また明日」の部分が「またくれよ」という歌詞になっていて、「それはサカナカン(よくない)ので、ちゃんとまた明日」と歌っています。

今日は2人組になってジャンケンをすることを楽しもうと思いましたが、2人組という言葉は「パートナー」という英語しかなく、ポンペイ語には存在しませんでした。

もちろん、子ども達にとって2人組になることは、初めての経験でなかなか上手くくめないこともありました。今日は2人組になること自体を楽しめるようにすれば良かったのだと反省しました。

目の前の子どもを見て、常に自分のしていることが子どもにどう感じたかを確認していかないといけないと思います。

自分自身がしっかりと反省しないと、同僚に「こうした方がいいよ」とは言えませんから。

今日、げんこつ山をしたのは、子どもが待ちの状態だったので。
今日は用意が十分に出来ていなかったようです。
昨日は、給料日で「早く帰る」と言って、僕以外の人は先に家に帰ってしまったので。

そして、黒板に1・2・3・4と書き、白紙紙を配って、これを書きなさいとはじめました。そして数人がどうにか理解して書く以外は、お手上げ状態です。

やはり、もっと教材プリントを作る段階で伝えていかないといけないと思いました。
後で聞くと「準備ができていなかったから」と話してくれたので、「なんで準備していないの?」と言いたいところを「そうか準備していないと難しいね」と話しました。

今は僕が「それはだめでしょう」と言ってしまうのではなく、本人が「準備しないといけないなあ」と少しでも感じてもらうことを期待したいと思います。

終わってから、やはりせめて紙に線を引いておいて、子どもがどこに書くか分かるようにするとどんなときも便利で子どもにとって良いことだと話しました。

そこで「じゃあ僕が作っておくよ」とは決して言わず、彼女が作ろうとするのを待ちたいと思います。

いつも思うことは、自分でやれば、すぐにできると思うことでいっぱいです。
でもそこでいかに自分だけでせずに、同僚に興味を持ってもらって自分自身からやろうと思ってもらえるかです。

昨日、数字の書き方の英語の本を見せてもらうと、筆順のことが載っていたので、最初にどこから書けばいいかをわかりやすいように1・2・3・4が書けるプリントを作りました。
明日は1・2・3・4を中心にやります。そこに子どもの実感が伴うようにしていきながら。

昼から職員会議。議題はスポーツアクティビティーでどの競技に参加するということ。
校長先生は「野球はグローブを持っていないからだめかな」というので、僕は「子どもと夕方に練習するときたくさんの子どもが自分のグローブを持っていますよ」というと、「それならできるかな」と野球も出来ることになりました。もちろん担当コーチは僕です。

実は日本で可愛い甥っ子のために小学校の野球チームのコーチをしていたので、一番教えやすいですし、最も好きなスポーツなので。

人選などまだ分からないことがありますが、小学校の子ども達と楽しく一緒に過ごせる機会になればと思っています。

24人全員がそろったので、記念に写真を撮りました。
カラカル(暑い)ので子どもも大変でしたが、後ろは海と離島です。
24の瞳ならぬ、48の瞳、今の僕にとって一番大切な子ども達です。

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参観日?

2006年09月28日 | ミクロネシアの幼稚園
参観日?

昨日は、スタッフの方、教育局に勤めている先輩隊員が僕の幼稚園(ECE)に授業の様子を見に来てくれました。
子供たちに「日本人が二人来るよ」と話していると、「違うよ、3人だよ」というので、「なんで」と聞くと「車から降りる日本人3人の姿」。
なんとスタッフのトップの方まで来てくださいました。

毎日ECEで僕が教える時間は決まっていませんが、朝一番の出席やカレンダーのカウントはしたことがなかったので、緊張しました。

いつも他の先生が教える今日のカレンダーと僕が判子を押す出席カードのタイミングがずれるのですが、今日は両方自分でしたので、子供の意識の中でも今日という日は、自分が幼稚園に来た日だということがわかりやすかったように思います。

その後はステップ。昨日コロニアで延長コードを仕入れて、子供の真ん中でキーボードが弾けるようになり、断然子供の姿が見やすくなりました。

ステップはやっとスキップができるようになってきました。
まだまだギャロップになっている子供もいますが、だんだんとスキップのリズムがつかめてくる子供を見ると嬉しくなってきます。

授業が終わって、給食を食べに行くときに思わずスキップをしている子供を見ると、大げさですが、その子供に新たな楽しさが伝えることが出来た喜びを持つことができます。

そして、見てもらおうと思ったカウンティング。ECEでたくさんの勉強をしている現状を参観した仲間に知ってもらうためにも。

今週は4(パーヨ)です。何度も貝を使いながら4を数えました。子供はカウンティングのみを訓練されている部分もあるので、最後の数はエイシック(10)という癖がつきかけている子供もいて、改めてたくさん詰め込んで教える弊害が出ているなあと思います。
やはり、じっくりじっくり一つのことを教えていかなければならないと感じました。

貝は自分で数を数えるだけでなく、たくさんある貝の中から見つけてくる遊びなども取り入れてみました。一斉に狭い貝入れに取りに行くと、どうなるだろうと思って子供にさせてみると案の定。とんでもない数を取ってくる子供がいて、少し子供を使って遊んでしまいました。

そして、朝食をとり、歯ブラシをして、今日は「4」という数字を書くことと、「4」は、ものが4つあるという概念を伝えるため、先ほどの貝に続いて、「4」と書いた横に丸を4つ書くことにしました。

子供は一昨日から見違えるほど、数字を書くのがうまくなっています。
それは、同じ敷地にある小学校に勤める仲間から「シュタイナーを読んだのですが、子供には鉛筆よりクレパスの方がいいのでは?」と教えてもらったのです。

子供が鉛筆を使うことで書きにくいことは理解していたのですが、「こうして使い慣れていくしかないのかな?」という思いとまた使う道具のことで同僚と衝突したくないという気持ちがあったことも事実です。

でも仲間が後押しをしてくれました。本当にありがたいです。

終わったら、やはり汗が諾々。長年やっていてもこの程度?って思われたかもしれませんが、自分が伝えたいことを(今の段階で)こどもと一緒に遊びながら伝えることはやはり気持ちいいです。

やはり先生は、子供と生でぶつかってこそだと改めて思いしました。

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BEST FRIEND&FOCUS

2006年09月28日 | ミクロネシアの小学校
昨日は参観に来てくれた方たちと一緒に隣のサラダック小学校に仲間の隊員の算数の授業を見に行きました。

8年生の算数です。(ミクロネシアの小学校は8年間あります)
最初は昨日したテストの答えあわせから。
テキパキしたスピードで、堂々と教えるのでびっくり。
何せ、彼は今年大学を卒業したばかりなのですから。

その後、素数などを教えていました。

彼はまだ年齢は22歳でスポーツ大好きの本当に爽やかな奴です。
ちゃんと大人とも話ができるし、でも子どもみたいにいつも現地の子どもと一緒に走り回って遊んでいます。

今度もスポーツアクティビティーも一緒に協力し合いますし、算数プロジェクトも一緒、ついでにウクレレも一緒に練習し、週末も一緒にいることが多いから、今一番多くの時間を一緒に過ごしている仲間です。

いつも元気いっぱいで、そして常に前向きで、「僕が22歳のときはこんなに人間ができていなかったなあ」と思わせてくれます。

年は違うけど、僕にとってBEST FRIENDです。
お互い経験や年齢が違うことで、変に競うことがなく、互いに言いたいことが言えるように思います。

でもそのすがすがしい授業の中にもきっとたくさんの彼の努力があるのだろうと思います。

なかなか人の授業を見ることはありませんが、とてもいい刺激になります。
また、今行っている算数プログラムのいい資料にもなります。

例えばポンペイの子供たちが行っている算数の教科書は英語です。
文章問題も英語ですし、そこに出てくる事例はアメリカ人には理解できても、ポンペイの子供には理解しにくいというか実感が伴わないものです。

それをポンペイのサカオやバナナ、大好きなバスケットやビー玉に置き換えると子供はすぐにわかります。

それこそ、今僕たちが取り組んでいる「FOCUS」

つまり、当たり前のことですが、教えることを焦点化すること。
それ以外の部分は、教師が臨機応援に取り除き、シンプルにじっくり教えるというスタイルです。とてもシンプルですが、教師がしっかりと意識で取り組まないと「FOCUS」できません。ねらいという風に捉えてモラルといいかもしれません。

これからも仲間と互いに刺激しあって、また協力し合って互いに高めあいたいと思います。

尊敬という言葉とは少し違うのかもしれませんが、互いに高めあえる、互いに思いが感じあえる友、きっとこの協力隊でしか、感じられない思いをたくさんこれからも共有していきたいと思います。そんな気持ちをいっぱい持たせてくれる、とても素敵な仲間です。

そんな仲間とこのポンペイでもそしてこれから一生の友になれればと思っています。


ポンペイ算数プログラム。

問題はいっぱいあります。
例えばポンペイの子供たちが行っている算数の教科書は英語です。
文章問題も英語ですし、そこに出てくる事例はアメリカ人には理解できても、ポンペイの子供には理解しにくいというか実感が伴わないものです。

例えば問題の問いをポンペイのサカオやバナナ、大好きなバスケットやビー玉に置き換えると子供はすぐにわかります。

それこそ、今僕たちが取り組んでいる「FOCUS」

つまり、当たり前のことですが、教えることを焦点化すること。
それ以外の部分は、教師が臨機応援に取り除き、シンプルにじっくり教えるというスタイルです。とてもシンプルですが、教師がしっかりと意識で取り組まないと「FOCUS」できません。ねらいという風に捉えてモラルといいかもしれません。

これからも仲間と互いに刺激しあって、また協力し合って互いに高めあいたいと思います。
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尊敬すべき存在

2006年09月28日 | ミクロネシアの生活
ポンペイで尊敬すべき日本人

昨日参観に来てくださった事務所の方は、僕が尊敬しているポンペイの日本人の一人です。

私よりもちろん年上ですが、きっとたくさんのご苦労をされながらお仕事をされてきたこと、しかし、それをすべてご自分の大きな財産として大切にされておられるのが、ひしひしと伝わってきます。

先日はテニスが大好きなので、ご一緒させていただき、練習をしました。
僕の苦手なボレーを集中的に教えてくださいました。途中で汗がだらだら滴り落ちてきて、「すいません、水をください」と言いたかったのですが、言えずに練習し続けました。
(決して、怖い方ではないので)

そして我々にお話をしてくださる時に、いつも心に残る言葉を下さいます。
歓迎会では、「君たちは、日本の代表としてここに来て活動している誇りをわすれずいてください」と言われました。そして「時々でいいから、ここに何をしに来たのかを思い出しながら活動してください」と。

このミクロネシアは、本当に快適な場所です。常に緊張を必要とするような伝染病や治安の悪さもないですし、肉食・缶詰中心の食事ですが、日本食さえ口にすることもできる。決して豊富とはいえませんが、自分が生きていくために必要なものは、適正価格で手に入れることができる、反日感情が皆無に等しいなどなど。ともすれば、赴任していることを忘れてしまいそうです
そんな私たちの心を察して、「時々思い出してください」と話してくださったのだと思います。

また「誇り」という言葉もとても心に染み入りました。今私たちは、日本で「誇り」という言葉を意識することがあるでしょうか?自分を振り返るとなかなか思いを持ちにくい言葉だったように思います。僕には幼稚園の先生としての「誇り」は常に持っているつもりですが。
しかし、海外に特に開発途上国に行くとその誇りは特に意識する必要があると思います。

それは、欧米では日本人でいる自分をともすれば卑下してしまうこともあります。(勝手な妄想にすぎませんが)しかし、我々が活動する任国では日本人は一種の憧れの存在です。
それに甘んじるという意味ではなく、そういう対象であるからこそ、しっかりと現地の人の気持ちを汲んで行動する必要があるという意味に捉えました。
そして所長はたくさんの厳しい環境の開発途上国で仕事をされてきたのですが、「君たちは苦労していない、私のころは大変だったんだよ」というような自分の経験をひけらかしたりされることは決してありません。

いつも、我々の目線まで降りながら、的確に高所から見守っていてくださっているように思います。

私は幼稚園という職場で長年勤めている関係で魅力的な女性にはたくさんで会える機会があるのですが、なかなか素敵な経験をつまれた男性と出会えるチャンスはありません。
ですので、この任国でたくさんお話を聞かせて頂き、自分も少しでも所長に近づけるようになりたいと思います。

尊敬すべき人は大切です。私は人間とは真似ることから学習すると思っています。子供の時はもちろん、大人になってもからも。具体的にこんな人になりたいと憧れる事、そしてその人から実際の行動や言動から学ぶことで人間は成長できると信じています。
尊敬すべき人から学ぶ、そしてそんな尊敬すべき人多くの人と出会えるようにしたいと思います。
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スポーツアクティビティ&UUC

2006年09月26日 | ミクロネシアの小学校
スポーツアクティビティ

11月になるとポンペイ島全土でスポーツ・アクティビティーなる運動大会が開かれます。
1日盛大にするのかと思っていたら、例えば1週目はソフトボール、2週目はバスケットボールという風に、週単位でスポーツ競技が代わるみたいです。選手だけがコロニアに行って、試合をするそうです。そして形態は、ポンペイにある5つの村対抗戦です。ポンペイには、僕の住むウー村・マタラニウム村・ネッチ村・コロニア市・キチ村の5つです。最も小さい村が僕の住むウー村。学校は僕の学校と隣のサラダック小学校しかありません。
村対抗なので、二つの学校で競技ごとに一つのチームを作って合同練習の後戦います。
ちなみに昨年は一度しか合同練習をしたことがないとのこと。
今年は校長先生に志願して「僕もコーチします」といったので、私の学校で今回のスポーツ・アクティビティーを仕切っているピーターが「君もするの?」と話しかけてくれました。今週に話し合いがあるようです。それぞれの学校に隊員がいるので、いい意味で架け橋になり、村全体で盛り上がれればと思っています。


UCC第2回ミィーテイング

今日は、久しぶりにウクレレネタ。
UUC(ウー村・ウクレレ・サークル)の会合がありました。
今日はコロニア在住の音楽教師を入れて4人で。

練習した曲は、ゆずの「夏色」と井上陽水の「少年時代」。
音楽教師の仲間が少年時代は転調して弾きやすくなりました。さすが。

この日のために?ちゃぶ台を買いました。
なかなか役に立ちました。
仲間は僕の家でご飯食べようかなとおもっていたみたいですが、みんなサカオにいっていて食べるものはありませんでしたが。

楽しいことはまずやってみようでがんばりたいと思います。
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更新できていないブログ

2006年09月26日 | ミクロネシアの生活
毎日更新できていないブログ。

理由は、赴任三ヶ月が経ち、報告書作成に勤しんでいる為。
    週末コロニアに行っている為。
    昨日は仲間の隊員の誕生日だったため。

報告書は、訓練中の0号報告書(まだ任国に行っていないので数に数えられないため?)
     任国で3ヶ月・6ヶ月・1年・1年半・2年(帰国時)の計五回、五号報告書まで書きます。5号報告書は英語で要点を書かなくてはいけないそうです。

今の段階でもう10ページを超えている報告書。
このブログを読まれている方なら、「いつもこれだけ、長い文章を書いているんだからそれは長くなるよ」と思われることでしょう。

人に読みやすく、箇条書きにしたり、写真を入れたりする予定ですが、とりあえず、項目を起こして、書きたいことを書いています。


今週は金曜日から日曜日までコロニアで過ごしました。

理由は金曜日は、今隊員で協力して行っているマスプログラムの会議があるのでコロニアにいき、ついでにコロニアでしかできないことをするため。

金曜日は、職員の方と仲間3人の計4人で男飲み会をしました。(これで全員です)
深夜まで楽しかったですよ。職員の家に行かせて頂き、初めて湯船につかりました。
(お湯はぬるかったけど、湯船に入れたのは感動です)

土曜日から、報告書作成のため、ドミトリー(隊員のための宿舎兼用会議場所)でパソコンを持ち込んで。仲間も一緒にするので、途中でだらけずにできます。

そこで問題が・・・・

ポンペイの主なエネルギーは、電気です。
その使用方法は少し日本と違います。
キャッシュパワーというのを買います。そのときに自分の住んでいる場所を話し、そして自分がほしいだけのお金を渡してその料金分の電気を入れてもらいます。

でも最近、石油の高騰で、キャッシュパワーもすぐになくなります。
ドミトリーのキャッシュパワーも土日を過ごせるか微妙だったので、自分でお金を払いにいって、ドミトリーの電気を入れてもらいました。
これでパソコンを使っても大丈夫です。

夕方には息抜きに職員の方とテニスをしました。
背中から滴り落ちる汗、年配の職員の方が練習に付き合ってくださるので、途中で「お水飲んでもいいですか?」といえず、ばててしまいました。

日曜日は、ドミトリーにこもって、またまた報告書作成。

ご飯は手作りです。土曜の夜は、チキンと野菜の炒め物、日曜日の昼はオムライスでした。
なんだか、ドミトリーにいると日本にいるような錯覚を覚えます。

そんな理由で、日曜日の朝、家には帰らずにいました。
家族には申し訳ないのですが、時にはこういう日もあっていいだろうと思いました。

日曜日に家に帰ると、「ここが僕の家なんだなあ」という気持ちに。そしてやっぱり外国に来ているんだなあと改めて感じました。

月曜日は、仕事を終えてからコロニアに。おじいさんに「すいません、週末ずっといなかったのに今日もコロニアに友達の誕生日のために行かなければなりません」と謝って出かけました。

その罪滅ぼしではないですが、朝はいつもようにお湯を沸かす、テーブルの掃除、そして、廊下と隣の部屋の床磨きまでしました。基本、気持ちは労力で示すのがモットーなので。

誕生日は仲間と企画してポンペイスカートを買いました。そしてクラッカーや誕生日プレートも買って。かなり盛り上げたかも。同じ村住む仲間もこういうのが大好きなので。

一時期誕生日をするのが義務のようになっていたらしいのですが、義務ではなく楽しみながら、せっかくこの地で同じ志を持った仲間が集まったのだから、一年に一度しかない誕生日を祝えたらいいなあと思います。
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楽園をみつけた&HAPPYBIRTHDAYに思う

2006年09月23日 | ミクロネシアの幼稚園
うれしいこと1
朝カウンターパートのシニータが保育を進めました。内容は、今まで子どもたちが覚えてきた1月~12月までを一人ずつ言うこと。
このことについても、シニータには「こういう風にすればいい、子どもが自信を持てるように」と伝えてきましたし、僕がするときには子ども一人ひとりによって言葉賭がけをかえてきました。
一人ひとりににこやかに聞いていたし、分かった子を褒めることはもちろん、最初かたつまづく子には「じゃあ歌ってみるよ」と1月からの歌を歌ったり、まだまだ理解がおぼつかない子には「先生と一緒に言おう」と言葉を添えたり、途中で5月の次に8月とかをいってしまうなど言うべき月を抜かしてしまう子にも「うんうん」といいながら、聞いたりと本当に一人ひとりに合わせてすごいと思いました。そして何より、子どもがシニータを受けてじっくりと話を聞くことを感じ取って、しっくりと話を聞いていたことが嬉しかったです。シニータも自分が保育をして子どもに向き合うことで、子どもが興味を感じてくれることを実感できたように思います。
保育の後に「今日の保育はとてもよかったよ。パーフェクトだよ」と話すと「本当にパーフェクト」とうれしそうにしていました。
これからも、日々の中で「今日はここがよかったよ」と彼女なりのがんばりをしっかりと見つけて、もっとがんばりたいと思えるようにしたいと思います。

うれしいこと2
 今日はジュンのHAPPYBIRTHDAY。みんなで歌を歌いました。誕生日が僕は大好きです。でもびっくりしたことは、そのあと、先生が何か話しかけると、子どもが数人ジュンの前に近づき、お金を渡しています。なんと個人的にプレゼントをするみたいです。そしてなんと、先生までも1ドル渡していました。
その後もすごい、いつもは11時30分から始まる昼食が11時に変更。なぜならジュンのバースディーをみんなで祝うためです。
前回誕生日だったダニーシャのお母さんが大きなケーキを2つ作ってきてくれました。
それから、誕生日の子どもの保護者が自分でケーキを作ってくるのが、恒例のようになりつつあります。ケーキは20-30-ドル、アイスクリームもバケツのようなのを買ってくるので20ドルくらいするような、つまり幼稚園で自分の子どもを祝ってもらうために50ドル近いお金が必要だということです。

こんなに大金をかけるのはどうなのかな?という気持ちが浮かびました。
でも、みんなで同じようにケーキとアイスクリームを食べて祝えることは、純粋に子どもたちにとって幸せなことだと。

日本ではきっとそんなこと、できる家族とできない家族があるから「子どもが可哀想だ」という意見が出て、即中止になるはずです。
確かにそういう考えももっともだと思いますが、それって子どもより大人が傷つくからではないでしょうか?

そして、すごく冷たい言い方ですが、できる家庭とできない家庭があるのも事実だし、そう行くことを子供たちも少しずつ目の当たりにしていくのかもしれないと。

誕生日だからみんなで楽しく祝おう。みんなで私の子どもの誕生日を祝って頂戴。そしてその喜びをみんなで分け合いましょうというとてもシンプルな考え方だと思い、このポンペイならではのよさを感じ取りたいと思いました。

うれしいこと3
今日は金曜日なのでコロニアに行きました。
タクシーの運転手はとてもアクティブな子どものお父さん。前に一度先生に怒られて、言えに帰るといった子どもです。その運転手が怒る先生はよくない。あなたはとてもいい先生だ。「母親とも日本の先生がとてもいいよと話しているんだ」と言っていました。
そんなことを言ってくれて本当にうれしかったです。少しでも僕のことを信頼してくれている人がいることは、これから活動して良く大きな支えです。

そして、いつも幼稚園に来てくれている保護者、特に今回運転手をいている奥さん、つまりアクティブな子どものお母さんには子どものことについて話をしてきたので、その思いが通じたことがうれしいです。

そんな信頼してくれる保護者や子どもたちが一人でも増え続けることができるように、やはり目の前の子どもにとって何が大切かを考え続けて行動したいと思います。

うれしいこと4
おじいさんとの話。
今日は昼間におじいさんと「ポンペイは自然に恵まれているから食べるものにはこまらない」という話をしました。そこから日本人が統治時代に来たときに「なぜポンペイの人は働かないんだとおじいさんは聞かれて、食べるものに困らないからと答えたという話を聞きました。

そして、パラダイスという話をしました。
昔おじいさんの住む村のある人が日本人と結婚をしました。その結婚した日本人は、日本からきた人で、その人は来る前にお父さんやお母さんから「世界にはパラダイスというすばらしい楽園があるよ。それを探し続けなさいと」という話を聞かされていたそうです。
そしてその日本人は、ある時ポンペイを歩いて一周することを計画したそうです。でも旅をするのにどれくらいお金を持っていくといいか悩んだそうです。

すると周りの人は「お金なんて要らないよ、ポンペイでは、知り合いでなくても、誰に対しても「ご飯を食べていきなさい」とみんながいう習慣があるから、お金を持っていなくても食べるところや寝るところには困らないよ。そしてその人は2週間かけて歩いて旅をして、日本にいる両親に手紙でこう書いたそうです。
「お父さんお母さん私は楽園を見つける必要はもうありません。パラダイスは私の住むポンペイでした。ここではお金がなくいてもみんなが優しく迎えてご飯を食べさせてくれます。こここそ楽園です」と。
そんな素敵な話を聞けるここはぼくにとっても楽園ですし、自分で楽園だと思える努力を日々していきたいと思います。
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頼りになる存在

2006年09月21日 | ミクロネシアの幼稚園
頼りになる存在

幼稚園にはいつもたくさんの大人がいます。
まず職員が僕とメインティーチャーのシニーターとサブティーチャーのジュディー、そして給食を作る       ドライバーのジョン。
他にもいっぱいそれは保護者です。

毎日ほとんどきまった保護者が幼稚園に来て、子供のそばにいてくれたり、給食作りを手伝ってくれたり、掃除をしてくれたりします。
最初は「えー、ずっといるんですか?」という感じでしたが、今では逆にありがたいです。

それは、やはり教師の3人だけでは、うまくコミュニケーションが取れずに、3人いることでいらだってしまうことがあるのですが、保護者がいることでいい意味で緊張感が生まれたり、中和されたりします。

また、保護者がいる子供限定ですが、保護者にダイレクトに話が出来るということ。
ステップをしなかった子がいるとすると、「お母さん、大丈夫だからね」と励ましたり、「今日はがんばっていたね」と一緒に成長を喜ぶことが出来ます。

そして何よりありがたいのは、僕の保育のときに通訳をしてくれることです。

今、朝の9時ぐらいから30分ぐらい(その日によって異なりますが)3人の先生が6-7人の子供をそれぞれ別のカリキュラムで指導しています。

例えば僕は数字のカウンティング、シニータは発音、ジュディーはライティングといった具合に。

そんな時に横にお母さんがいてくださると「先生は今こういっているのよ」とポンペイ語で子供達に話をしてくれます。

また、今日は途中から昔からあるお話をお母さんが子供たちにしてくださいました。

ライリーのお母さんはとても明るく、穏やかで、僕ととても話があいます。
現地の先生より話が合うかも、というか子供に対して温かくすごく先生に向いている人です。

日本では、保護者が見ているとすごく構えてしまうことがありますが、こちらのそんな保護者に助けられながらの保育にも少しずつ慣れてきています。



今日は早く目が覚めたので、食堂でお湯を沸かしながら、食堂の掃き掃除の後、モップで拭きました。今食堂などの部屋はとてもよく汚れます。

なぜなら、最近芝生を刈り込んだので、切った芝生が足の裏などについて、部屋に上がりこむからです。

そして、子供たちが「漢字で名前をつけて」というリクエストに答えて考えた漢字を習字の筆ペンで書いてみました。

するとお孫さんのコスタンさんがやってきて、日本語の話になり、カタカナ表を作りながら、お勉強タイムになってしまいました。

今、このスローな朝食がとても気に入っています。
コスタンさんも今は仕事が休み(長期休暇)なので、時間がたっぷりあります。
夜はお祖父さん以外の大人の人とはあまり話すことがないので、この時間も大切です。

今の段階では仕事を家に持って帰ってすることがないので、家で過ごす時間はゆったりしています。
その原因を考えると、やはりテレビのような気がします。
僕の家にはテレビがありますが、僕はちゃんと見たことがいまだかつてありません。

おじいさんはや子供たちはよくDVDを見ていますが、僕はあまり映画とかが隙ではないので。

日本とポンペイの違いのほうが大きいでしょうが、テレビを見るか否かもかなり生活のゆとりが違ったものになるように思います。

ふと頭をよぎるのは「日本に帰ってもテレビを見ない生活を続けてもいいかもしれない」ということです。
なかなか現実は難しいでしょうが、そんな気持ちにさせてくれます。

決して怠けたり、だらだらしたりして、過ごすという意味ではなく、ゆったりと過ごせる今の環境を、ゆったり時間が感じられる時を享受したいと思っています。
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教師は子どものいつも鏡だ。反対という意味でも

2006年09月20日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、コロニアの私立の小学校で隊員をしている仲間が休日のため、(我々は平日です)授業風景を見に来てくれました。

ステップを最初にしました。ステップとはスキップとかギャロップといって子供がリズムを取ってそれにあわせてピアノなどでリズムを弾いて遊ぶことです。

子供たちはギャロップにかなりなれてきて、勢いもついてきました。
本当は「弾んで、気持ちいいね、広い場所見つけたね」などなど、認めの言葉をいっぱい言いたいのですが、なかなか出てきません。

一人ずつは久しぶりだったので、緊張してできない子もいたので、次は5人ずつでギャロップをしました。ちょっと乱雑になったように思います。

その後、貝をつかったカウンティング。1-5までをゆっくりしました。
最初は私と一緒に貝を一つずつ出して数を数えて、そのあと私が言う数の貝を子供が自分で数えて出しました。そのあと、みんなの輪の真ん中に貝をたくさんおいて、僕が言った数だけ取りにいく遊びをしました。
静かにする遊びと動く遊びをうまく取り入れていくことができればと思っています。

1から順番に2、3と僕が言った数をとりに言っているのに、同僚のシニータが「HIRO次は10って言って」というので、「それは難しいと思うよ」といいましたが、今日やってみて、子供が順序だててしないと分からないことを知ってもらういい機会なので、「10」と言うと案の定、分かりませんでした。

昼からのシニータの話で、「今日の数字で急に10って言うと難しいでしょ」というと、言葉では「そうだったね」と言ってくれたのですが。

今日少し、怒ってしまったことがあります。
今、話した授業の前に、1・2・3の数字の書き方の指導をしました。
紙を使わずに指で文字を書いて。そのとき子供の前に僕が座っています。
そして子供は僕を見ながら数字を書きます。

こういうときは、私は子どもが本来する動きの反対の動きをします。
例えば「2」という数字を書くとき、裏から見た「2」の数字を私が書くと子供には「2」と分かります。

そうしていつものように指導していると、シニータとジュディーが「hiro、あなたの教え方は間違っている」と急に言い出しました。「僕がなんで?」と聞くと、「書き方が違う」というのです。いい機会だったので「いいや、これが正しい、君が子供になってみて、君から見てこれは「2」に見えるでしょう。でもあなたの言う風にしたら「2」って見える?」と。すると「ああそうか、わからない、あなたの方があっている」と言ってくれました。

そうです。これがすべてを物語っています。
先生たちの人柄は決して悪くありません。

でも、常に自分が中心で、子供が分かるか、子供がどう感じているという視点に立って、教えることが出来ないのです。

教え方の基本が身につかずに、自分のやり方でずっとだれからも注意されずにしてきてしまっています。

ここにポンペイの教育の問題の原点があります。
このことはこれからも他のポンペイの人に感じてもらういい具体例だと思います。

仲間には家を案内して、彼女はもう一つ違う仲間の隊員の学校に行きました。

学校に戻ると、同僚のシニータが子供をつれてきています。
彼女は結婚していませんが、2歳の子供がいます。(ポンペイではよくあることです)

周りの授業の終わった先生も幼稚園に来て「かわいいねえ」といって見ています。
いろいろとポンペイの教育には「こうあってほしい」というものはありますが、ポンペイの人の子供好きさを見ると、これだけ子供を愛せるのだから、きっともっといい教育ができるはずだという勇気を与えてくれます。

昼からシニータは、明日HとKを二つ教えたいと言って来ました。
そこには大きな問題があります。
実は2つといいながら、4つ教えないといけません。
つまり、今まで大文字と小文字の両方、例えば「A・a」を一度に教えていたのです。

前からこの教え方に疑問があったのですが、いい機会なので、聞いて見ることにしました。「大文字と小文字って子供はわかっているのかな」と聞くと難しいかもしれないと答えます。「そうだよね」これってもっと大きくなってから習うのであって、今はAかaのどちらか一つがAだと分かれば十分じゃない?」と聞きました。そしてどちらかに決めないと結局どちらも分からず、「Aa」という字がAという意味だと思いかねないことも言いました。するとシニータも納得して、「そうだね、一つにして見る」と素直に聞いてくれました。

明日は「k」の文字だけに絞って教えること、また何度も指で文字を書いてからすること、「K」を書くときも一本ずつ特長を言って書くことなどに留意し、教えてようにお願いしました。

その後、シニータが「これ、どう思う」と子供それぞれの名前の上に糊でなぞり、砂をかけてデコレートすることを提案しました。
「それはきれいだね、用意したらいいよ」というと、「Hiroが作ってくれたプリントが2つあるから、それをしてから時間が余ったらするよ」とのこと。でもそれって準備したほうがいいと思うよといいながら、僕はコピー室へ行きました。すると僕が戻ってくるとなんとシニータが子供一人一人の名前を書いて準備をしていました。

そういう風に自分からやって見ようと思う気持ちが大切だよと思いました。

そしてそのあと、「もっとアクティビティーをいれたい。そうしないと子供は退屈がっている」とシニータから言ってくれました。「よくぞいってくれた」という心境です。

子どもが退屈だと感じているとは、凄い進歩です。
それを感じることが出来れば、大丈夫だと思いました。

そして、他にもっといろいろな教え方や活動を知りたいと思えることこそが進歩だと。

もちろん、彼女は今明日の保育のことで手一杯で、僕に何かして欲しいという気持ちがいっぱいあることもわかっていますが、僕が保育をして、はいおしまいではなく、まねをしてみよう、他にもあるのかな?と思ってもらったら、本当に嬉しいです。

そして、今行っている僕のアクティビティー(ステップ)について説明しました。
今、ギャロップをしていますが、このギャロップがこれからスキップへとつながること、他にも他のステップがあることなどを伝えて、アクティビティーが広がっていくことを理解してもらいました。

まだまだ道は険しいですし、僕の教え方、新たなアイデアもなかなか新しく次々浮かびませんが、いろいろ子供を見ながら感じ、そこから生み出す日本でしていた保育で培ったものを大切にしていきたいと思いました。
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教師は子どものいつも鏡だ。反対という意味でも

2006年09月20日 | 駒ヶ根訓練所
今日は、コロニアの私立の小学校で隊員をしている仲間が休日のため、(我々は平日です)授業風景を見に来てくれました。

ステップを最初にしました。ステップとはスキップとかギャロップといって子供がリズムを取ってそれにあわせてピアノなどでリズムを弾いて遊ぶことです。

子供たちはギャロップにかなりなれてきて、勢いもついてきました。
本当は「弾んで、気持ちいいね、広い場所見つけたね」などなど、認めの言葉をいっぱい言いたいのですが、なかなか出てきません。

一人ずつは久しぶりだったので、緊張してできない子もいたので、次は5人ずつでギャロップをしました。ちょっと乱雑になったように思います。

その後、貝をつかったカウンティング。1-5までをゆっくりしました。
最初は私と一緒に貝を一つずつ出して数を数えて、そのあと私が言う数の貝を子供が自分で数えて出しました。そのあと、みんなの輪の真ん中に貝をたくさんおいて、僕が言った数だけ取りにいく遊びをしました。
静かにする遊びと動く遊びをうまく取り入れていくことができればと思っています。

1から順番に2、3と僕が言った数をとりに言っているのに、同僚のシニータが「HIRO次は10って言って」というので、「それは難しいと思うよ」といいましたが、今日やってみて、子供が順序だててしないと分からないことを知ってもらういい機会なので、「10」と言うと案の定、分かりませんでした。

昼からのシニータの話で、「今日の数字で急に10って言うと難しいでしょ」というと、言葉では「そうだったね」と言ってくれたのですが。

今日少し、怒ってしまったことがあります。
今、話した授業の前に、1・2・3の数字の書き方の指導をしました。
紙を使わずに指で文字を書いて。そのとき子供の前に僕が座っています。
そして子供は僕を見ながら数字を書きます。

こういうときは、私は子どもが本来する動きの反対の動きをします。
例えば「2」という数字を書くとき、裏から見た「2」の数字を私が書くと子供には「2」と分かります。

そうしていつものように指導していると、シニータとジュディーが「hiro、あなたの教え方は間違っている」と急に言い出しました。「僕がなんで?」と聞くと、「書き方が違う」というのです。いい機会だったので「いいや、これが正しい、君が子供になってみて、君から見てこれは「2」に見えるでしょう。でもあなたの言う風にしたら「2」って見える?」と。すると「ああそうか、わからない、あなたの方があっている」と言ってくれました。

そうです。これがすべてを物語っています。
先生たちの人柄は決して悪くありません。

でも、常に自分が中心で、子供が分かるか、子供がどう感じているという視点に立って、教えることが出来ないのです。

教え方の基本が身につかずに、自分のやり方でずっとだれからも注意されずにしてきてしまっています。

ここにポンペイの教育の問題の原点があります。
このことはこれからも他のポンペイの人に感じてもらういい具体例だと思います。

仲間には家を案内して、彼女はもう一つ違う仲間の隊員の学校に行きました。

学校に戻ると、同僚のシニータが子供をつれてきています。
彼女は結婚していませんが、2歳の子供がいます。(ポンペイではよくあることです)

周りの授業の終わった先生も幼稚園に来て「かわいいねえ」といって見ています。
いろいろとポンペイの教育には「こうあってほしい」というものはありますが、ポンペイの人の子供好きさを見ると、これだけ子供を愛せるのだから、きっともっといい教育ができるはずだという勇気を与えてくれます。

昼からシニータは、明日HとKを二つ教えたいと言って来ました。
そこには大きな問題があります。
実は2つといいながら、4つ教えないといけません。
つまり、今まで大文字と小文字の両方、例えば「A・a」を一度に教えていたのです。

前からこの教え方に疑問があったのですが、いい機会なので、聞いて見ることにしました。「大文字と小文字って子供はわかっているのかな」と聞くと難しいかもしれないと答えます。「そうだよね」これってもっと大きくなってから習うのであって、今はAかaのどちらか一つがAだと分かれば十分じゃない?」と聞きました。そしてどちらかに決めないと結局どちらも分からず、「Aa」という字がAという意味だと思いかねないことも言いました。するとシニータも納得して、「そうだね、一つにして見る」と素直に聞いてくれました。

明日は「k」の文字だけに絞って教えること、また何度も指で文字を書いてからすること、「K」を書くときも一本ずつ特長を言って書くことなどに留意し、教えてようにお願いしました。

その後、シニータが「これ、どう思う」と子供それぞれの名前の上に糊でなぞり、砂をかけてデコレートすることを提案しました。
「それはきれいだね、用意したらいいよ」というと、「Hiroが作ってくれたプリントが2つあるから、それをしてから時間が余ったらするよ」とのこと。でもそれって準備したほうがいいと思うよといいながら、僕はコピー室へ行きました。すると僕が戻ってくるとなんとシニータが子供一人一人の名前を書いて準備をしていました。

そういう風に自分からやって見ようと思う気持ちが大切だよと思いました。

そしてそのあと、「もっとアクティビティーをいれたい。そうしないと子供は退屈がっている」とシニータから言ってくれました。「よくぞいってくれた」という心境です。

子どもが退屈だと感じているとは、凄い進歩です。
それを感じることが出来れば、大丈夫だと思いました。

そして、他にもっといろいろな教え方や活動を知りたいと思えることこそが進歩だと。

もちろん、彼女は今明日の保育のことで手一杯で、僕に何かして欲しいという気持ちがいっぱいあることもわかっていますが、僕が保育をして、はいおしまいではなく、まねをしてみよう、他にもあるのかな?と思ってもらったら、本当に嬉しいです。

そして、今行っている僕のアクティビティー(ステップ)について説明しました。
今、ギャロップをしていますが、このギャロップがこれからスキップへとつながること、他にも他のステップがあることなどを伝えて、アクティビティーが広がっていくことを理解してもらいました。

まだまだ道は険しいですし、僕の教え方、新たなアイデアもなかなか新しく次々浮かびませんが、いろいろ子供を見ながら感じ、そこから生み出す日本でしていた保育で培ったものを大切にしていきたいと思いました。
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誕生日で考える

2006年09月19日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、いや今日も?アシスタントティーチャーのジュディーが休みなので、二人で子供を見ることに。考えてみれば、2人で25人を見ることは、日本では恵まれて、とても幸せなことなのですが、それを忘れてしまいそうです。

朝は、昨日から始めた帳面を配りました。こちらには子供がプリントなどを順番に取りに来ることがないので、自分で意識して取りに行くということも大切にしたいです。まだうまく今日は何日で・・・というのが話せないのですが。子供に「今日は何日だよ」と教えながら判子を押していくとみんなが笑顔でした。ラカップ(明日)20(リエイシック)というと、ちょっとわかったような、わからないような。でも間違いなく、幼稚園に来たら、判子がもらえるということはわかったようです。

ジュディーがいなくて、前にも言いましたが、シニータは生き生きしているような・・・
朝食も早めに子供に取らせて、あとは僕とシニータで子供を半分ずつに分けて、シニータは発音を、僕は貝を使って1-5の数を数えたり、僕が言う数の貝を子供がカップからだしたり、最後には僕が言った数(1-5まで)をたくさん貝が入っているかごから取ってくる遊びをしました。カップから貝を出す、しまうという単語がうまく伝わらなかった時は近くにいいる保護者が「先生がこう言っているよ」と子供たちにろロカヤンポンペイ(ポンペイ言語)で教えてくれます。もちろん多くの子供ができますが、時々間違えたり、ふざけて友達の貝を取ってしまったりすることもあります。トラブルについてはジェスチャーが中心という情けない状態ですが、途中で友達の貝をふざけて取った子供には「サカナカン(よくない)」とはっきり話し、「マーク(ごめん)」と日本では「そんなの教育的でないよ」と言われるような指導をしています。でも今までよりもっと自信を持ってしっかりと子供に伝え、一つ一つのことに立ち止まるようにしています。「この先生は、人に迷惑をかけたら凄く怒るんだ」ということを知らせ、人に迷惑をかけてはいけないということをしっかりと心にとどめることが出来る子供になってほしいと思います。それが保育、そして集団教育の基本ですから。

今、子供たちに数字を通して大切にしていることは、言葉を覚えるのではなく、実感すること、つまり具体物を使って「これがエーウ(1)、リアウ(2)と感じること」。いくら言葉でいえても、本当の実感がなかったり、生活で活かせたりしなければ意味がありませんので。

また、必ず基本からスタートして、前にしたことをなぞる、つまり復習をして今までこうしたよねと確認しつつ、することです。

なかなかすぐに根付くのは難しいですが、日本人が得意の根気強さやこつこつしたところをしっかり活かさなければと思います。

あと10時からの好きな遊び。
今はやっているのは、ブランコのサイドにある支えの棒に登ること。
それも子供だけでは登れないので、僕に「登らせて」といって抱っこされて登るのが楽しいようです。
今は、この遊びも大切にしています。
なぜなら、今子供に大切なのは僕との信頼関係、そして先生に自分の気持ちを伝えようとする気持ちです。
今、保育室で数字などを使って楽しくなるように遊んでいますが、それだけでは子供との真の関係は築けないと考えます。

子供は「この先生は僕のことを本気になって考えてくれているか」を五感を使ってしっかり見ています。その子供たちに「僕は君の気持ちに近づきたいと思っているよ」としっかり行動し、楽しさを共感して伝えたいです。

また、子供を見ていて気になることは、子供の自信がないこと。特に集団の中や先生の前では萎縮してしまう姿が気になります。

今の時期だからこそ、しっかり子供に先生に自信を持って話すことの大切さも感じてほしいです。

それがこれからの学びの場で活かされると信じています。

今日は給食が終わってから子ども達が帰らないと思ったら、みんなでダニーシャのHAPPY BIRTHDAYのお祝い。ダニーシャのお母さんが大きなケーキを2つとバケツのようなアイスクリームをもってきて、みんなでダニーシャを祝いました。

こうしてみると、本当に日本と同じ、それ以上かと思ってしまいます。
それが南の島特有の我々が抱える問題です。

ここに来る意味は何か?十分ではないだろうか?自分に出来ることはないのでは?
多くの先輩がこの壁にぶち当たるそうです。
今日はこれくらいにして、またこの問題については考えていきながら、自分の活動を確かなものにしたいと思います。

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算数プレ研究授業

2006年09月19日 | ミクロネシアの小学校
算数研修会

前から話しているように仲間の隊員が集まって算数の促進活動をしています。
ターゲットは先生への数学の教え方。

そのために10月に公開の授業を僕と同じ小学校の先輩隊員が行うので、プレ公開授業をしました。
事務所からのスタッフと、教育委員会に勤める仲間と隣の小学校の隊員も来てくれました。

やはり人が教えていることはとても勉強になります。
人がしていると「こうすればいいのになあ」と考えられますし、自分の指導に置き換えて考えることができます。

やはり感じたことは、何を焦点に当てて授業をするかということ。
例えば、計算をたくさんすることに主眼を置くなら、書き方を工夫する、間違えてもすぐに消せるようにするなど、その焦点化した学習課題に多くの時間が取り組めるように教師が工夫して、意識すること。

常に今の目の前の子どもに何が大切かを考えると答えは自ずと見えてくるのでsが、なかなか難しいです。
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尊敬すべき3人の1人 コスタンさん

2006年09月18日 | ミクロネシアの生活
尊敬すべき人

昨日のおじいさんの息子さんのケンカは、思ったほど酷い事にはならなかったようです。

怪我をしたイケナシさんはその日のうちに家に帰ることが出来たそうです。
警察に捕まったというレオンさんがどうなったのか、まだ聞けていないのですが。

どうやら、レオンさんはお酒を良く飲む人で、弟のイケナシさんがよく注意をしていたそうです。でもレオンさんは弟のイケナシさんから言われるのが嫌な様でよく口論になっていたそうです。

こんな風に家族のことなどいろいろなことを僕が知るのは、実はおじいさんではありません。
同じ敷地に住む、おじいさんのお孫さん(おじいさんの長男の長男)であるコスタンさんです。
お孫さんといっても僕より年上です。

こんな話をする時間の多くは、朝の早い時間。

一応、家で一番早起きなのは僕とコスタンさん。
コスタンさんは、ビレッジというポンペイ一番のリゾートホテルのチーフコックさんです。
もう20数年勤めていて、最初は皿洗いから始めたそうです。
努力家のアモールファミリーの血をしっかり受け継いでいます。

コスタンさんは仕事が早い時は6時―7時ごろ家を出ます。
その時はゆっくり会えないのですが・・・・

ちなみに、僕は朝起きると、やかんに雨水をいれて、灯油のコンロでお湯を沸かして、ポットに入れます。
ポットのお湯は、家族がコーヒーを飲んだり、ラーメンを作ったりするときに使います。

お湯がわく間に、食卓をきれいにして、食堂の掃き掃除、そして鶏に米をあげます。
そうしていると仕事が朝一番でない時は、コスタンさんが起きてきて、一緒にコーヒーを飲みます。

「やっぱりUCCはおいしいね」といいながら。
なぜならコスタンさんのお父さん(おじいさんの息子さん)は、ハワイのUCCコーヒーに勤めています。
それを聞いてから僕はいつもUCCのコーヒーを買っています。

昨日の兄弟同士のケンカでもコスタンさんは「僕はいつも子供たちに言っているんだ、兄弟仲よくってね、そしてジュン(長男)クリストバル(次男)アイセイアイ(三男)の順番だぞって」。昨日は家族で海水浴に行っていたそうです。三男のアイセイアと長女のマリアンを連れて。そこでも足ひれ(フィン)が一つしかなくて、アイセイアが「僕のだぞ」と怒ったそうですが、一つしかないときは順番に使わないとだめだと教えたそうです。

僕は思わず、「そうですね。そういう経験って大切ですね」と伝えました。
「日本ではすぐにそういうことになると、もう一つフィンを買うことで解決しようとするけど、それはサカナカン(よくない)」と。

今日も昼間家に帰ると、草刈機の音。この間から芝生が伸びたと思っていたのですが、さすがコスタンさん見逃しません。他にも近くの家の洗濯機を修理したり、教会では日曜日に歌を歌う集団に入って一緒に歌ったりしています。

そして、奥さんと子供さんを誰よりも愛しています。

彼はやはりおじいさんの長男の長男(つまり跡取り)として育てられて、アモールファミリーで大切に受け継いでいく心をしっかりと養われたのだと思います。

家族を大事にし、周りの人に優しく、でもしっかりとプロとして責任を持って常に一生懸命に働き、こつこつと一つのことをきわまる。僕はそんな彼が大好きです。

今日も僕がお祖父さんを励ます意味で作った温かいそばをおいしそうに食べてくれました。
そしてその後、少し家におじゃまして家族団らんの姿を見て、本当に子どもと一緒に過ごすことがこの人の生き甲斐なのだと実感しました。
まさに幸せを絵に描いたように思えました。

この家族と暮らし始めて、本当に結婚って、新たな家族を持つ事って素晴らしいことなんだと思いました。(実現するのはなかなか難しいですが)

今、このウー村に尊敬すべき男性が3人です。

一人はお祖父さん、一人は仲間が勤めているサラダックの校長先生、そしてコスタンさんです。

周りの人に尊敬がもつことができ、目標にしたいと思える人がいることは、大きな喜びです。

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第二回PE

2006年09月18日 | ミクロネシアの小学校
先週からPEがスタートしました。
対象は7年生。
先輩隊員が数学を教えているクラスです。
先輩隊員のサポートをしています。

前の授業が済むと、走って僕たちが待っている教室に来ます。
この7年生はとても男女の仲がよく、みんな今まで仲良く過ごしてきたのだと改めて感じます。

今日は最初に部屋でストレッチをしたあと、野球のキャッチボールをしたあと、21人を2チームに分けて、半分ずつポジションについてノックをしました。

ボールに対する感覚はすごいです。ただ腰をかがめてするのは苦手。
なにせみんなサンダル履きですから。

軟球でのノックは慣れていますが、今日はテニスボールなので最初感覚がつかめませんでした。

その後に試合をしました。男女に分かれたので、男子が圧勝になりそうだったので、途中から男子は左打ち限定にしました。

あっという間に時間が過ぎていきます。

日本では決して出来ないPE。こちらではやりたい気持ちがあれば出来ます。
手を広げすぎて本来の活動に支障をきたしては、元も子もありませんが、今しか出来ないこと、このポンペイでしか味わえないことを自分からもたくさん作っていく努力をしたいと思います。
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