今日は朝早く幼稚園に行きました。
そして、子どもが座るコの字型の隊形の真ん中に切ったダンボールを木のように並べて置き、そこに昨日子ども達が描いたリンゴを飾りました。本当は子どもがダンボールにクレパスで色塗りをさせたかったのですが、それは実現しませんでした。
みんなでひとつのものを作る経験につなげたかったのですが。
今日のこの試みは、僕にとっては冒険です。
教育現場の多くの仲間は、自分の授業時間を与えられ、その時間は任されます。あまりカウンタパートに干渉されることはありません。またそれぞれ自分のクラスルームをもらっているので、ずっと同じ部屋にいるわけでもありません。
しかし、ECEは、子どもを教えている4時間はずっと同じ部屋です。
ですので、物を飾ることひとつでも「相手がだめ」と言えばそれは却下されます。
そして常に子どもに何をどう教えるかを共通確認して子どもに保育することが要求されます。
これらをうまく成立させていくには、まずじっくり今の状況を受け入れる。
その中でこれはやってみても相手の気持ちを害さないし、自分がやってみたいと思ったことは時には相談し、時には子どもに提示してみることにしています。
今日は朝からサブの経験のある先生のジュディーが手で四角を書いていました。全員分同じものを作ろうとしていました。
その四角はどうやら一人ひとり辺の数をカウンティングして、色を塗って、切るという三段階を経るようでした。
その準備が終わると今度は、別の紙に「Aa」と書き、その文字の横や下に点線で「Aa」と書き、「このようにして、子どもに文字をなぞらせたい」といいました。
そして子どもがなぞる部分の点線を僕に書いてほしいと言いました。
自分に「これ頼む」と言ってもらい、こどもへの目的が明確になっているとうれしいし、張り切ってしました。一人に16文字書くので全部で300以上。
正直一枚を書いてそれを職員室にいって、印刷すれば出来上がりなのですが、彼女が1枚1枚書くことにきっと何か意味をもっているのだと思います。
また、すぐに「これはこういう風に書いて、印刷すればいいよ」と日本人的な感覚を押し付けるのではなく、まず、彼らが考えていることを自分も体験してみることに尽きると思います。
時には面倒に感じたり、じれったくなったりすることもあるでしょうが、それが互いを分かり合う近道だと信じて。
今は与えられたことを一生懸命にすること、そして与えられた仕事に喜びを感じなければいけないと思います。自分が現地の先生に何かを教えるという意識はまず捨てて。
信頼関係がない時に、「教える教わる」という思いは成立しないはずですから。
それは子どもと先生も同じです。
そして逆に、いろいろなことを現地の先生から教えてもらおうと思います。
今日は、先ほど書いた「Aa」を教えるときになって先生は二人ともどこかに行ってしまい、手遊びなどで時間をつぶしていましたが帰ってこず、よしこの子どもたちに人生最初の文字は日本人が教えてしまおうとまず、鉛筆を机に置かせ、「A」の発音をみんなで言った後、一人ひとりが立って言った後に、文字の指導。
僕が黒板に字を書きながら、それにそって人差し指を使って、文字を書くことにしました。
そしてその後、一人ひとりに点線で書いた上をなぞらせることに。どうにかわかってくれました。
終わった後に先生に「なんで先生いなかったの?」ではなく「わからないけど、こういう風に教えてみたいけどどう?」と感想を聞いてみました。
すると線を描くときにひとつずつ「エーウ」(いち)とカウントするといいと言ってくれました。日本の画数と同じのようです。
文字の指導を任されたことに?喜びを感じ、「どうしたらいい?」「これこうしてみようと思うけど」と常に次どうするか、一緒に考えようという姿勢を大切に。
謙虚さを忘れずに。(僕は謙虚さに欠けるところがたぶんにあるので)
また、私が日本の歌やそれをもとに新たな指遊びを子どもに教えていた時に、横にECEの事務所関係の人がおられて、「それおもしろいね。ほかの先生にも教えたらいいのに」といってくれました。
自然な形でポンペイの先生向けにワークショップの要請が来れば理想ですが。
まずは、人に信じてもらうこと、興味を持ってもらうこと、そのために今何をすべきかを毎日考えていきます。
夕方コロニアに。目的は野球(正式にはソフトボール)
昨日小学校の校庭で一緒に練習した人たちが「明日の試合に来て良いよ」と言ってくれたので。
7時に開始の予定なので6時には行っていると、前の試合も練習が始まったばかり。
やっと7時を過ぎて仲間らしい人が集まり、話をして入れてもらいました。
今日は出番なしだったけど。
でもいろいろな人と知り合いになる、また仕事とも家庭とも違う人と共通のスポーツでつながれたら良いなあと思っています。
そして、子どもが座るコの字型の隊形の真ん中に切ったダンボールを木のように並べて置き、そこに昨日子ども達が描いたリンゴを飾りました。本当は子どもがダンボールにクレパスで色塗りをさせたかったのですが、それは実現しませんでした。
みんなでひとつのものを作る経験につなげたかったのですが。
今日のこの試みは、僕にとっては冒険です。
教育現場の多くの仲間は、自分の授業時間を与えられ、その時間は任されます。あまりカウンタパートに干渉されることはありません。またそれぞれ自分のクラスルームをもらっているので、ずっと同じ部屋にいるわけでもありません。
しかし、ECEは、子どもを教えている4時間はずっと同じ部屋です。
ですので、物を飾ることひとつでも「相手がだめ」と言えばそれは却下されます。
そして常に子どもに何をどう教えるかを共通確認して子どもに保育することが要求されます。
これらをうまく成立させていくには、まずじっくり今の状況を受け入れる。
その中でこれはやってみても相手の気持ちを害さないし、自分がやってみたいと思ったことは時には相談し、時には子どもに提示してみることにしています。
今日は朝からサブの経験のある先生のジュディーが手で四角を書いていました。全員分同じものを作ろうとしていました。
その四角はどうやら一人ひとり辺の数をカウンティングして、色を塗って、切るという三段階を経るようでした。
その準備が終わると今度は、別の紙に「Aa」と書き、その文字の横や下に点線で「Aa」と書き、「このようにして、子どもに文字をなぞらせたい」といいました。
そして子どもがなぞる部分の点線を僕に書いてほしいと言いました。
自分に「これ頼む」と言ってもらい、こどもへの目的が明確になっているとうれしいし、張り切ってしました。一人に16文字書くので全部で300以上。
正直一枚を書いてそれを職員室にいって、印刷すれば出来上がりなのですが、彼女が1枚1枚書くことにきっと何か意味をもっているのだと思います。
また、すぐに「これはこういう風に書いて、印刷すればいいよ」と日本人的な感覚を押し付けるのではなく、まず、彼らが考えていることを自分も体験してみることに尽きると思います。
時には面倒に感じたり、じれったくなったりすることもあるでしょうが、それが互いを分かり合う近道だと信じて。
今は与えられたことを一生懸命にすること、そして与えられた仕事に喜びを感じなければいけないと思います。自分が現地の先生に何かを教えるという意識はまず捨てて。
信頼関係がない時に、「教える教わる」という思いは成立しないはずですから。
それは子どもと先生も同じです。
そして逆に、いろいろなことを現地の先生から教えてもらおうと思います。
今日は、先ほど書いた「Aa」を教えるときになって先生は二人ともどこかに行ってしまい、手遊びなどで時間をつぶしていましたが帰ってこず、よしこの子どもたちに人生最初の文字は日本人が教えてしまおうとまず、鉛筆を机に置かせ、「A」の発音をみんなで言った後、一人ひとりが立って言った後に、文字の指導。
僕が黒板に字を書きながら、それにそって人差し指を使って、文字を書くことにしました。
そしてその後、一人ひとりに点線で書いた上をなぞらせることに。どうにかわかってくれました。
終わった後に先生に「なんで先生いなかったの?」ではなく「わからないけど、こういう風に教えてみたいけどどう?」と感想を聞いてみました。
すると線を描くときにひとつずつ「エーウ」(いち)とカウントするといいと言ってくれました。日本の画数と同じのようです。
文字の指導を任されたことに?喜びを感じ、「どうしたらいい?」「これこうしてみようと思うけど」と常に次どうするか、一緒に考えようという姿勢を大切に。
謙虚さを忘れずに。(僕は謙虚さに欠けるところがたぶんにあるので)
また、私が日本の歌やそれをもとに新たな指遊びを子どもに教えていた時に、横にECEの事務所関係の人がおられて、「それおもしろいね。ほかの先生にも教えたらいいのに」といってくれました。
自然な形でポンペイの先生向けにワークショップの要請が来れば理想ですが。
まずは、人に信じてもらうこと、興味を持ってもらうこと、そのために今何をすべきかを毎日考えていきます。
夕方コロニアに。目的は野球(正式にはソフトボール)
昨日小学校の校庭で一緒に練習した人たちが「明日の試合に来て良いよ」と言ってくれたので。
7時に開始の予定なので6時には行っていると、前の試合も練習が始まったばかり。
やっと7時を過ぎて仲間らしい人が集まり、話をして入れてもらいました。
今日は出番なしだったけど。
でもいろいろな人と知り合いになる、また仕事とも家庭とも違う人と共通のスポーツでつながれたら良いなあと思っています。